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悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします 作者:浜千鳥
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小鳥の思い出

最初に動いたのは、先帝の傍らに控える侍従だった。

先帝に視線で尋ね、うなずかれると、落ち着いた足取りで舞台へ向かう。音楽神の庭から戻ったばかりの天才音楽家たちを、先帝皇太后両陛下のもとへ案内するのだろう。

そして、メイドや従僕たちも、静かに動いていた。すみやかに椅子が二脚と、二人分の茶器が運ばれてくる。エカテリーナの隣へ。


なんという冷静な対応……目の前で人が神に招かれ、光に包まれて戻って来るという、普通なら人生で一度も見ることのない光景を見たというのに、この一糸乱れぬ仕事っぷり。プロだ。世界が違ってもやはり、プロフェッショナルには仕事の流儀というものがあるのだなあ。

しみじみ思うエカテリーナである。


そんなプロフェッショナルな侍従に案内されてやってきたオリガとレナートは、喜びやら緊張やら何やらで、赤くなったり青くなったり忙しい様子だった。いや、レナートは自信家の面をのぞかせて喜ばしげ、得意げなのだが、オリガは緊張で青ざめている。

そんなオリガだが、エカテリーナが視線をとらえて微笑みかけると、ほっとした様子で笑顔を返してくれた。


侍従は二人を、先帝と皇太后の間近に案内する。

男爵令嬢や子爵令息が、両陛下とこの距離で対面することは通常考えられない。この対応が、神に招かれるという出来事が世俗の身分を超えるほどの名誉であると示している。


今度こたびのこと、祝着至極であった」


先帝が言い、オリガとレナートは揃って礼をとった。


「本当に良かったこと。音楽神殿には使いを出しています、すぐに迎えが来るでしょう。これからのことについて、神官が相談に乗ってくれますよ。学園や、家への連絡も、神殿が配慮してくれるはず。それゆえそれまでは安心して、ここで歓待を受けておくれ。そなたたちにはこれから、輝かしい未来が待っています」


皇太后の言葉に、目を見張りつつ二人は再び礼をとる。レナートの頬は紅潮し、さらにオリガは、おばあちゃんが敬愛する皇太后陛下からのお言葉に、涙ぐんでいた。

そんなオリガに、皇太后は言う。


「そなたは、わたくしの昔の知人に似ている。そなたの親族に、イリーナという名前の者はおりませんか」


それを聞いて、オリガは目を丸くした。


「イリーナは、わたしのおばあちゃんの名前です」





言ってしまってから、オリガはあわてふためいて言い直した。


「いえあのっ、そ、祖母!わ、わたくしの、祖母にございます!」


だが彼女が、いやその場にいた一同がそろって仰天したことに、皇太后はオリガの訂正にも気付かぬ様子で、はらはらと涙を流している。


「そうでしたか……やはり……ああ、確かにあの子の面影がある……」

「クレメンティーナ――如何いかがした」


心配そうに、先帝が皇太后の肩に手を置いた。その手に自分の手を重ねて、皇太后は微笑む。


「ご案じくださいますな、陛下。理由をお話しいたします。……そなたたちも、驚いたことでしょうね。まずは席に着いて、身を休めておくれ」


オリガとレナートに顔を向けて、皇太后は優しく言った。感情が乱れても、女主人としてのもてなしを忘れないところは、さすがである。見習わねば!エカテリーナは内心で拳を握って思っていたりする。

二人が席につき、侍従が淹れた茶を飲んで一息ついたところで、皇太后は語り出した。

オリガの祖母イリーナと、セレズノア侯爵令嬢クレメンティーナの関係を。




イリーナは、セレズノアの領都付近の出身。のちに嫁入りするフルールス家と同様、土豪と呼ばれる土着系の、小さな領地を持つ家の娘だった。

領都では、土豪の家の者は、事あるごとにセレズノア侯爵邸でのさまざまな仕事に駆り出されるのだそうだ。季節ごとの庭園の整備や、宴会の準備や片付けなど、内容は多岐に亘る。そうした役目のために来た母親にくっついて、十二歳のイリーナは初めて侯爵邸にやってきたらしい。


「イリーナは初めての場所で母親とはぐれてしまい、わたくしがいた音楽室に迷い込んできたのです。いえ、きっと彼女は、ピアノの音に惹きつけられてきたのでしょう。わたくしは今でも覚えています、泣きはらした目をしていながら、うっとりした表情でピアノの音色に聴き入っていた、あの日のイリーナを……」


あの子と呼んではいるが、当時のクレメンティーナも十二歳。同い年の二人は、一瞬で仲良くなった。音楽が大好き、という共通点があったからだ。

侯爵家のお嬢様のところへ入り込んでしまった娘を見つけたイリーナの母親は真っ青になったが、クレメンティーナはこれからもイリーナを連れてくるよう頼んだ。侯爵家の者には内緒で、音楽室でこっそり落ち合えるように。お嬢様の頼みを母親は聞き入れて、二人の少女はたびたび会えるようになった。


「わたくしも当時から、習い事の中で音楽が一番、特別でした。いろいろな楽器を弾いて聴かせたり、歌を教えたりするたびに、イリーナは目を輝かせてすごいすごいと褒めてくれた。

ですが、イリーナは天性の歌い手でした。美しい声で、楽しげに歌って……枝に歌う小鳥のようだと、いつも思っていたものです。わたくしは音楽教師からきちんとした基礎を教わって、誰からも褒められる歌が歌えました。けれど、彼女のように、ただ歌いたいように歌っているのに美しい、それこそが本物ではないかと、引け目のようなものを感じていました。

イリーナにピアノを教えると、すぐに上手になった。彼女との連弾は、とても楽しかった」


夢見るような表情で、皇太后クレメンティーナは当時を懐かしんでいる。唇に浮かぶ微笑みは、しかしふっとかき消えた。


「……ですがそのような付き合いができたのは、ほんの一年ほどでした。父に見つかったのです」


皇太后の父、リーディヤから見れば曽祖父にあたる当時のセレズノア侯爵は、自分の娘が土豪の娘と並んでピアノを弾いている姿を見て激怒した。音楽には関心のない人物で音楽室に来ることはなかったのだが、この日はたまたま通りかかり、二人分のピアノの音色を不審に思ったのだった。

セレズノアの領法により、イリーナは身分に応じた髪型と服装をしており、身分違いは一目瞭然。怒鳴り声と共に音楽室に踏み込んだ侯爵は、いきなりイリーナに手をあげた。


「わたくしはあの時、大きな悲鳴を上げてしまいました。小鳥のようなイリーナが、暴力にさらされるとは……!イリーナは本当に、小鳥やうさぎのような小さく愛らしい生き物に似た、暴力とは対極にある少女だったのです。そなたのように」


そう言った皇太后の視線はオリガへ向けられていて、小動物のような可愛らしさを持つオリガとよく似ていたのだと思うと、エカテリーナとしては納得しかない。


ていうか侯爵!女の子に暴力なんてサイッテー!

私がその場にいたら、大太鼓のマレットとかでドンドコ殴ってやりたかったわ!セレズノア家の音楽室に大太鼓があればの話だけど!


「父の怒りはわたくしにも向けられました。父にとっては、わたくしはセレズノアの娘としての誇りに欠ける、出来損ないだったのです。当時はセレズノア家は音楽に力を入れておりませんでしたから、音楽にばかり浸っていることも怒りの対象となり――わたくしは音楽室への立ち入りを禁止され、イリーナと直接会うことは二度とできませんでした」


無言で皇太后の話を聞く、リーディヤの表情が強張っている。彼女は皇太后の語る時代を知らない。実家の全面的なバックアップを受けて音楽に打ち込んできた彼女にとって、セレズノア侯爵家は音楽の名家、音楽の才能は称賛の対象にしかならないはずの場所に違いない。曽祖父は、おそらく彼女が生まれる前か幼少時に没して、記憶にもないだろう。


エカテリーナはなるほどと思っていた。皇太后は三姉妹の真ん中で、姉と妹より美貌で劣るため重視されなかったと聞いたことがある。これほど気品に満ちた方が。しかし容色というより、家風に合わない行動ゆえに軽んじられたのなら、納得がいく。


先帝が再び皇太后の肩に手を置いた。


「昔のことにございますわ、陛下。遠い昔の」


そう言いながらも、皇太后は嬉しげに夫に微笑みかける。


「魔法学園への入学が、わたくしの転機になりました。父との確執、姉と妹との確執に悩み、イリーナのような『天然の』才能こそが本物ではないかと自分に疑問を持つ日々でしたが、それでも好きなだけ歌を歌い、音楽室のピアノを借りて弾き、休日には音楽神殿へ足繁く通い……卒業直前の最後の機会に、音楽神様のお招きを受けることができたのです。

そして、陛下にお会いできました」

「うむ。余は今でも覚えておる、初めてそなたの歌声を聴いた日を」


皇太后は、先帝の二歳年上。学園卒業と共に音楽神殿に身を寄せ、国家式典で歌声を披露した際に、先帝の目に留まったのだった。当時は虚弱で内気な美少年だった皇子ヴァレンティンにとって、神に選ばれた歌姫は眩しい存在だっただろう。


微笑ましくも目のやり場に困る思いのエカテリーナは、二人の孫であるミハイルがなんとも言えない表情で目をそらしているのに気付いて、微笑んだ。

だよねえ。


孫世代の困惑に気付いたのか、皇太后が小さく咳払いする。


「話が逸れてしまいましたね。イリーナとは、手紙のやりとりだけは隠れてしていました。イリーナがお嫁にいって、セレズノアの領都から離れてしまうまではですが……ですから最後に、音楽神殿に頼んで結婚祝いの贈り物をしたのですよ。

そなたの家にはピアノがあると聞きましたが、まことですか」


オリガへの問いに、エカテリーナがんん?となった。

まさか。


「は、はい。うちには、あっいえ、我が家には、祖母の嫁入り道具のピアノがございます。祖母の宝物で、家のみんなで大切にしております」

「そう、嬉しいこと」


皇太后はにっこりと笑う。


「それが、わたくしがイリーナに贈ったものです」


えええええー!

今日のこれは、そのピアノを守るためだったんですが!

リーディヤちゃん、君、皇太后陛下の心のこもった贈り物を、所有禁止にしちゃうところだったぞ!


驚愕しつつ、エカテリーナはリーディヤをちらりと見て――目をそらした。


リーディヤちゃん、口が開いてる。目を剥いている。駄目だよ、それは侯爵令嬢として、してはならない顔だよ。

見てはならないものを見てしまった。

あれだ、古墳時代の副葬品。

世にも珍しい、侯爵令嬢のハニワ顔だよ!

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