ナチュラルサイクルの岸本さんが亡くなった。

初めて御会いしたのは記憶があやふやだが僕が大工を始めて1年未満だった頃だと思うので25年も前になるのかな。
今はもう無くなった さらさ富小路の床の張替えが最初だったと思う。
その工事は長谷川工房の施工で、とある高校の体育館を解体した時の床材を加工し直して再利用するといったものだった。

その直後も岸本さんのコーディネイトの現場をいくつか御手伝いさせてもらった。
大工を始めて間もない頃の僕から見てもあきらかに建築に関しては素人ぽっかった。
熟練の職人達が「そんな工法は無い」とか「そんな事はやった事が無い」などと色々と不平を言うのだが、それに対して岸本さんは「いや、やった事があろうがなかろうがこれはこう云うデザインなのでこれで御願いします」と強引に進めていた。 
技術を習得するのに必死だった僕は、なるほどこんな感じでセンス先行でも成立するのかと感心したものだ。 

その後もずっと色々な分野でお世話になった。

さらさのオーナーの一人でも有り、自転車屋さんでも有り、店舗デザイナーでも有り、アパレル系の仕事もしてイベントにもかんでと実に多彩な人だったが、その良い意味での素人ぼさと云うか趣味的と云うか、自由でラフな感じはどの分野においてでも発揮されていた様に思う。 

自分らしい生き方を実に自然に通された人だ。
死に顔も本当に男前だった。


sarasa1画像は1993年4月さらさ富小路での僕の個展風景。
 
さらさが個展をやりだしてすぐの頃だ。 

美術分野でも岸本さんは駆け出しの僕になにかと仕事を振ってくれた。そして沢山のアドバイスを頂いた。 

ご冥福を。