侍ジャパンが悲願の金メダル 大野雄大が友との約束を果たした夜
表彰台で金メダルを天に掲げる選手がいた。野球の日本代表「侍ジャパン」の大野雄大(32)=中日=だ。ある思いを胸に東京五輪に臨んでいた。
【写真】侍ジャパンで最もかっこいいバッティングフォームはこの選手
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8月7日、横浜スタジアムであった野球の決勝。侍ジャパンは米国に2―0で勝ち、公開競技だった1984年ロサンゼルス五輪以来の頂点に立った。正式競技になった92年バルセロナ五輪以降(2012年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪では実施されず)では初めてだ。
大野は表彰台の上で金メダルを首にかけてもらうと、左手でメダルをつかんで天に掲げた。3日に27歳で亡くなった中日のチームメート、木下雄介さんに一番に報告したのだという。
「木下と最後に会ったのは残留練習のとき。そのときに『大野さん、金メダルを取ったら見せてくださいね』って約束していたんで。それで、あいつに報告できてよかった」
掲げた後、空から雨がぽつぽつと落ちてきた。木下さんが「大野さん、よかったですね」って返事をしてくれた気がしたという。
木下さんは今年3月のオープン戦に登板中、右肩を脱臼し、リハビリを続けていた。だが、7月6日の練習中に倒れて入院。球団は決勝前日の6日、3日に亡くなったことを発表した。
木下さんが故障で離脱してから、大野はシーズン中、彼の登場曲だった湘南乃風の「黄金魂」を自分が登板した試合の八回に流し、エールを送っていた。
「今日も、もし登板があれば、あいつのことを思って投げたでしょうし。なかなか受け止められない、受け入れられないですけど、全員で前を向いてやっていくしかないんで」
大野は昨年、11勝6敗、防御率1・82の活躍を見せ、シーズンで最も優れた先発完投型投手に贈られる「沢村賞」を受賞。侍ジャパンでは、唯一の先発左腕として期待されてメンバー入りした。
だが、五輪は短期決戦。「終盤でも左から始まるところだったらいくよ、と言われていたんで」と、中継ぎとしても投げられる準備をしていた。
今大会での登板は1度だけ。2日の準々決勝の米国戦だった。1点を追う九回にマウンドに上がり、1イニングを無失点。その裏の同点、そして延長十回のサヨナラ勝ちにつなげた。決勝でも一回からブルペンに入り、「最後の最後まで準備していた」という。
「僕自身の出場は1試合のみでしたけど、毎日準備して一緒に戦ってきたつもりでしたので、その一員になれてうれしいです」
五輪期間中、アップの際にはいつも学生補助員とキャッチボールしていた。
「ボランティアの方にもね、気持ちよく帰ってほしいというのもありますし、もし自分が大学生だったら目の前でジャパンの選手が練習しているだけでもうれしいですけど、何か一つでも思い出を作ってもらえたらなと思って、そういう選択をしていました」
(編集部・深澤友紀)
※AERAオンライン限定記事