319話 リクルート
「よく来たなペイス」
「父様もお変わりなく」
カセロールが、王城の外縁にある自身の大隊長室で、息子を迎える。
便利な魔法が有るとはいえ、父親は軍の一員。頻繁に会う訳にもいかず、それなりの期間ペイスは領地で仕事をしていた。
愛息子の顔を見たことで若干目尻の辺りが緩んでいたカセロールは、ペイスの身長がそれなりに伸びてきていることで月日の経つ速さを実感していた。
ペイスの方も、久しぶりに会う父親に、礼儀正しく挨拶する。
今日は、モルテールン家の家長が家人を呼び出したわけでは無い。中央軍大隊長が、一個人であるモルテールン家嫡子を呼び出したのだ。
形式としては親が子を呼びつけたという実態は変わらないのだが、何処に耳目が有るかもしれない場では、公式の立場を崩すことは無い。
忙しそうですね、という息子の言葉に、カセロールは鷹揚に頷いた。
「ああ、毎日忙しくしているよ」
本当に、毎日が忙しい。
軍の中でも国軍旗下の最精鋭部隊を預かっているわけだから、気を緩めることが無いのだ。
万が一の時には、反乱や罪を犯した地方の貴族と戦うことも想定されているのが国軍であり、その中核を担うのが中央軍。
どんな軍と戦っても勝算の持てる、つまりは国内のどの軍集団よりも質の高い集団であらねばならない。
精鋭中の精鋭を預かるのだ。カセロールの責任は重く、必然求められる仕事も多い。
書類仕事も手抜かりが有ってはいけないし、私生活でもだらしない生活はさせられない。隊員一人一人に目を配らねばならないし、上層部や他部署との折衝も怠れないのだ。いざという時に精鋭を精鋭たらしめるために、後方に不安を作ってはならない。むしろ、後方や隊内の不安要素を事前に潰すことこそ大隊長の仕事。
忙しい、と答えた言葉には、嘘偽りなく実感が込められていた。
「国軍の方は如何です?」
「訓練の毎日だが、特に問題は無いと思っている」
「再編は完了したと見ても?」
元々カセロールが国軍に引っ張られたのは、幾つかの政治的意図があったから。
領内を完全に掌握し、領地貴族としての地位を年々高めていたことへの牽制であるとか、南部貴族としての色合いが強まりつつあったことに対して、中央の軍家貴族が危機感を持ったであるとか。モルテールン家に起因する諸々の事情も多々ある。
問題は、モルテールン家以外の事情だ。
二十余年の治世の安定を受け、各領地の地方貴族も世代を交代し、かつて地方反乱を警戒して置かれていた地方の国軍は存在感を薄れさせた。故に、地方軍は縮小させる。並行して中央の国軍を増強することで、より即応体制の整った、機動的で強力な国軍を作る。というのが前カドレチェク中央軍大将の目論見だった。
これが為せる人材として、カセロールは最善の選択肢でもあったのだ。
逆説的に、中央軍の再編が完全に完了しない限りは、カセロールが中央軍から動かせないということでもある。
代行として領地を預かるペイスとしては、万が一にも領地にカセロールが戻れるかどうかは大きな要素。確認をしておくのも自然なことだ。
再編は完了したと見て構わないかとの問いに、改めて頷くカセロール。
「構わないだろう。スクヮーレ殿も軍の統制に慣れてきているようだしな」
「二十歳そこそこで中央軍の実戦部隊統括。このままいけば、中央軍全体を指揮する大将。更には軍令を統括する軍務尚書へ、ですかね」
「順調にいけば、だな」
「流石、公爵家。エリート街道まっしぐらじゃないですか」
貴族社会は、血筋とコネが非常に重要視される世界だ。
その中でも、王家の血筋を引き、貴族としては最高位にあるカドレチェク家というのは貴族社会でもトップオブトップ。下手な王族よりも強い権力を持つ家柄だ。
並ぶものなき大貴族の後継ぎ。これはもう、将来は国家の重責を担うことが確定していると言っていい。
カドレチェク家は軍家である。後継ぎは軍人としての経験を積むことになるだろうし、実績を上げれば自然と軍のトップという立場に就くだろう。
まさに、貴族社会のエリートそのもの。
「お前も、その気が有れば公爵閣下へ推薦するぞ? お前の才能と実力が有れば、身内びいきとも言われんだろう。私の後釜でも良い」
少しだけ、含みのある口調で、カセロールがペイスを揶揄った。
十年前ならばいざ知らず、今のモルテールン家は子爵家である。しかも、軍でそれなりに重鎮と呼ばれる地位にも居る。しかも、領地経営は順調そのもの。
エリートというならば、ペイスもまた客観的に見ればエリートである。
伯爵家と遜色ない、高位貴族に半分足を掛けた家柄。裕福で、宮廷貴族よりも実入りの多い領地貴族の倅。更には一派の重鎮として地位を確立している親が居るのだ。
当人の能力的に見ても、望めばそれ相応の職責を与えられること疑いようもない。
しかし、そんなものはペイスにとって価値がない。
お菓子を作る方が大事だ。比べるまでもない。反射の域で即答できる。
「僕が? 御免ですね。ようやく領地でまともなお菓子が作れるようになってきた所じゃないですか。カカオの増産もこれから。牛乳の生産量も上げなければならない。やることはまだまだ山盛り。中央に出張って仕事が増えれば、お菓子作りが出来なくなります」
「そう言うだろうとは思っていたがな」
はあ、と若干の落胆を見せるカセロール。
出来の宜しい息子は、その様子から色々と察した。
既に嫌というほど分かっていたはずのことを、わざわざ言う父親の態度。
「……公爵、いえ、スクヮーレ殿からの要請ですね?」
「相変わらず察しが良いな。我らが第一大隊長殿も、流石にあの若さで宮廷の中の古強者とやり合うのは大変らしくてな。優秀な補佐が喉から手が出るほど欲しいそうだ。駄目で元々というつもりで良いから、聞いてみて欲しいと言われたのだ。拝み倒されては断れるものも断われん」
公爵家の嫡子ともなれば、優秀な人材が周囲を固めて補佐しているはずである。
しかし、スクヮーレは知っているのだ。周りにいる者達を十人集めたところで、ペイス一人に及ばないと。
次世代を担う俊英との呼び声も高いスクヮーレ自身が、自分など到底及びもつかないと、ある種の憧れさえ抱く天才。それがペイストリー=ミル=モルテールン。
宮廷闘争と同時に国軍掌握を謀るカドレチェク家後継としては、軍事にも政治にも明るいペイスは、領地を全て差し出してでも確保したい人財である。
しかし、そうは言っても今更なこと。ペイスの非常識さは、スクヮーレであればとっくに承知していたはずである。
何故、今になって勧誘を強めるのか。
「父様も人が良い。それで、本日の用事は? まさかリクルート活動が本題では無いのでしょう?」
「うむ。実はお前の勧誘はおまけで、主たる要望は別。勧誘だ」
「はい?」
勧誘がおまけで、本題が勧誘。
何を言っているのだと、ペイスが首を傾げた。
「具体的には、恒常的な補佐ではなく、臨時に補佐してほしい仕事がある」
「スクヮーレ殿を、ですよね。念のための確認ですが」
「正確には第一大隊長の補佐だな」
「……良く分かりません」
幾ら何でも、情報が少なすぎて事情が呑み込めない。
何かしら、ペイスがどうしても欲しいと思える状況になったらしいのだが、何があったというのか。
「実は、王子殿下が招待を受けて、ヴォルトゥザラ王国に出向くことになったのだ」
「ほう」
なるほど、と頷くペイス。
ヴォルトゥザラ王国といえばペイス達の神王国の西方にある隣国。神王国に並ぶ大国であり、南大陸における覇権国家の一つだ。
「何でも、先方の王に、王子が産まれたらしくてな。国を挙げて盛大に祝うらしい。例によって宮廷雀どもがピーチクパーチク騒いでな。我が国としても使節を派遣することとなった。誰を送るかという話になって、消去法で王子殿下に決まったのだ」
「ほう、そうなのですか」
今回の招待について。王家の誇る優秀な諜報網から、事前に幾らかの情報を得ていて、公爵家もその情報を共有しているとのこと。
招待そのものは特段変わったことは無いが、何故か他の国からもかなり高位の人間が使節として送られるらしいのだ。
周辺国としてもヴォルトゥザラ王国との連帯を強めたい狙いがあると思われるが、他所が王族級のハイランクな使節を派遣するのに、仮にも大国と自負する神王国が格落ちの使節を送っては間違ったメッセージを送ってしまう。友人の結婚式に呼ばれてお祝いを包むのに、同じ立場の友人達より明らかに少ないお祝いだったなら、比較されて“祝ってくれていない”と思われてしまうようなもの。ある程度は“あわせる”必要が有るだろう。
少なくとも、王族や、それに準じる高位の使節に囲まれても、肩身の狭い思いをしないだけの箔が要る。
悲しいかな、大戦の影響もあって、神王国は王族の数も少ない。
国として王族を使節に出すとするならば、まず、国王本人はあり得ない。
幾ら大事な隣国との関係性とはいえ、王が国を不在にしていいわけがない。極端な中央集権化が進んでいる神王国で、トップ不在というのは実務上問題が有るし、そもそも玉体にもしものことが有れば国全体が乱れる。
国王は駄目。ならば、姫を送ってはどうかとの意見もあった。
しかし、姫では使節としては弱い。
政務経験の乏しい姫は、単なる社交であればまだしも、何やらきな臭そうな隣国への友好使節という看板は少々荷が勝ちすぎる。飾りに徹しておけばいい使節ではないのだ。
故に、王子を送る。
消去法ではあっても、これが最善と誰もが認める話だ。
「王子殿下の身を守るのに、近衛は陛下を守る為に動かせない。必然、中央軍の出番となる。一応は外征ということになるし、近衛はそもそも王宮の守り手だ。外国まで遠征するとなれば、やはり軍の仕事だろう」
「なるほど。中央軍が王子殿下を護衛するなら、スクヮーレ殿の出番ですね」
「ああ」
宮廷において王族を守るのは近衛騎士団の仕事。これを外国に送るのは、国王本人が外国に出向く時ぐらいだろう。
王子殿下の為に動かす軍となれば、第一候補は中央軍である。
幸いにして、今の中央軍はトップからして王家と縁の深い人間。動かすことに不安は無いだろう。
「しかし……」
「しかし?」
「この招待、どうにも不穏だ」
「はあ」
カセロールは、長年培ってきた感覚で訝しさを感じていた。戦場で鍛えた勘がささやくのだ。この話には何か裏がある、と。
更に、同じ懸念を軍上層部と共有している、とも言った。具体的にはスクヮーレやカドレチェク公爵だ。
「そもそも、何故他の国の使節は王族を充てる? 何故、その話を宮廷雀共がいち早く掴んでいる? 選択肢が王子殿下しか無いというのは、本当に選択したと言えるのか? 誘導されたのではないか? などと、カドレチェク大将やスクヮーレ殿は懸念されている」
疑わしいと感じ始めれば、世の中の大抵のものは疑わしく見えてしまう。芋づる式に、疑問は増えていくだけ。不穏さを解消することは無い。
「分からなくも無いですが、いささか気の回し過ぎのような気もしますね」
「第一大隊長殿は、お前と違って繊細だからな。気の回し過ぎということはあり得る」
「父様、それではまるで僕が、面の皮の厚い無神経男のようでは無いですか」
「そう言っているだろう。むしろ、お前以上に図太い奴はそうそういないぞ?」
ペイスからしてみれば、心配のし過ぎではないかとも思える。
そもそも祝い事が本当に存在するのなら、祝いを贈るのは珍しくも無い。珍しくないなら、使節の格は毎回違うはず。全ての祝い事で毎回最上級という訳にもいくまい。
偉い人が、今回だけ更に偉くアップグレードされていても、そんなものかと考えてしまう。
他所がどう思おうと、うちはうち。他所に合わせて、御祝い金を多く包む必要も無いと考える。それで仮に何かしらの攻撃をされたとしたなら、遠慮なく反撃してやればいい、などとも考えていた。
この点、ペイスの肝の太さは相当である。
だが、図太さを指摘されたペイスは不満そうだった。
「お菓子作りは繊細さが大切なのに」
「私が言っているのは普段の話だ」
普段から思慮深く、繊細に生きているのなら、こうして呼び出したりはしない。
お手上げとばかりの対応に、ペイスは遺憾の意を表明する。
父親の方も慣れたもの。息子の抗議は、そのまま綺麗サッパリ受け流した。
やれやれと肩を竦めるペイス。
「お話は分かりました。それで、僕にどうしろと?」
「スクヮーレ殿の臨時補佐として、ヴォルトゥザラ王国に行って欲しい」
本題が、これである。
あくまで今回限り。期間限定で、スクヮーレを補佐して欲しいというのがその内容。
「領地はどうします?」
「そこはそれ。我々第二大隊が“王家の財産である龍の護衛”という任務を仰せつかって、モルテールン領に滞在することになる。私はその間、“休日”にモルテールン領で政務を執る」
「公私混同では?」
モルテールン領の領主が、軍務という名目でモルテールン領に赴任するのだ。
百歩、いや万歩譲ったとしても、公私を混同しているように感じる。
「軍令として正式に命じられることに、公私も無い。そもそも否とは言えんよ」
カセロールは、今回の件は公私をきちんと区別していると胸を張った。
「つまり、スクヮーレ殿の国外遠征が終わるまでは、どうせ父様がモルテールン領に戻る、ということですか」
「そういうことだな。準備には今月いっぱいを充てるとして、期間はおよそ二カ月といったところか。久しぶりに家でゆっくりできると、アニエスも喜ぶだろう。王都は何かと煩わしいからな」
「そうでしょうね」
軍の命令で領地に戻れるとするなら、大隊長たるカセロールは手が空く。奥さんに孝行するぐらいは何のこともない。
「否応なくお前の手が空く。二カ月もお前を自由にさせると、碌なことが無いだろう。それならば、うちに貸してくれ……というのが、カドレチェク家からの要望。いや、命令に近いか」
「余程、スクヮーレ殿の対外任務を成功させたいらしいですね」
「そうだな。大隊長になってから初めての長期遠征。成功させれば実績としては大きい。万難を排して臨みたいのだろう」
「分かりました。そういうことであれば、僕もモルテールン家の後継として、役割を果たすとしましょう」
「物分かりが良くて助かるな。くれぐれも……くれぐれも、面倒を起こすなよ」
息子の素直な態度に、幾分かの不安を感じるカセロールだった。