大分海軍航空基地「最後の特攻」 地域住民が慰霊祭

中沢絢乃
[PR]

 終戦の日の15日、大分海軍航空隊の基地があった大分市青葉町の大洲総合運動公園の芝生広場で、終戦を告げる玉音放送の後に出撃した「最後の特攻隊」の慰霊祭があった。地域住民ら約30人が、「神風特別攻撃隊発進之地」と記された石碑の前で、出撃した時間とされる午後4時30分に合わせて黙禱(もくとう)を捧げた。

 「最後の特攻隊」は1945年8月15日午後、宇垣纏(まとめ)中将(当時55)が22人の隊員とともに、艦上爆撃機11機で沖縄の米艦隊に向け飛び立ったとされる。石碑の裏には「米艦艇に突入戦死せし者」として宇垣中将ほか19~24歳の隊員計18人の名前が刻まれている。

 石碑は旧制大分中学校の卒業生らが76年、基地の滑走路だった場所に建立。地元の自治会が2009年から慰霊祭を開いている。14年には最後の特攻隊などの歴史を冊子「津留今昔」にまとめ、地域の小中学校に寄贈した。特攻隊の出撃時の写真などを公民館に保存しており、公開を考えているという。

 津留地区自治会連合会の河野武会長(77)は「76年続いた平和がこれからもずっと続くよう、後世の人々にしっかりと伝えていきたい」と語った。(中沢絢乃)