名門音大に入学したドラマーと伝説の鬼教師。狂気のレッスンの果ての衝撃のセッションとは?
第30回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞をW受賞したのを皮切りに、第87回アカデミー賞では助演男優賞・編集賞・録音賞の3部門で受賞を果たすなど、数々の映画賞を席巻した『セッション』。
米映画批評サイトのRotten Tomatoesでも、支持率が驚異の96%を記録するなど、批評的にも興行的にも大成功を収めた。
製作費わずか3億円、撮影期間はたったの19日間というスケジュールで、この映画をまとめ上げたデイミアン・チャゼル(当時弱冠28歳)は世界的に注目を浴びる存在となり、やがて『ラ・ラ・ランド』で史上最年少のアカデミー最優秀映画監督賞を受賞するに至る。この天才フィルムメーカーのサクセス・ストーリーは、『セッション』から始まったのだ!
という訳で今回は、衝撃の音楽ドラマ『セッション』についてネタバレ解説していこう。
映画『セッション』あらすじ
アメリカ最高峰の音楽学校シェイファー音楽院に入学したドラマーのニーマン(マイルズ・テラー)は、教師のフレッチャー(J・K・シモンズ)によって初等クラスから最上位のクラスに引き抜かれる。プロのドラマーになれるチャンスが広がったと喜んだのも束の間、フレッチャーの狂気にも似たスパルタ指導によって、ニーマンは精神的にも肉体的にも疲弊していく。
それでも“偉大なミュージシャン”になることを夢見て必死に練習を続けるニーマンは、次第に恋人や家族も顧みなくなり、自分自身が狂気に蝕まれていく……。
※以下、映画『セッション』のネタバレを含みます。
最初は短編映画として制作された『セッション』
『セッション』は、監督デイミアン・チャゼルの青春時代が反映された作品だ。
もともと彼は、プリンストン高校のバンドでジャズドラマーとして活躍。実際にフレッチャーのような鬼教師の指導を受け、身がすくむような思いをしたと言う。
彼はその時のことをこう述懐している。
But it was an environment that caused me to learn what it meant to live for four years with non-stop anxiety and non-stop fear.
止まることのない不安、止まることのない恐怖の中で4年間を過ごし、生きることの意味を学びました。
(DEN OF GEEK!のインタビュー記事より)
音楽家としての才能の限界だけでなく、音楽をやること自体に恐怖を感じるようになってしまった彼は、プロ・ミュージシャンの道を諦め、映画製作の道へ進む。
やがて若き脚本家として頭角を現したデイミアン・チャゼルは、2013年に『グランドピアノ 狙われた黒鍵』のシナリオを手がける。ある天才ピアニストが5年ぶりにステージに立つことになるが、その楽譜には「1音でも間違えたらお前を殺す」という謎の脅迫文が書かれており、命がけの演奏に挑むことになる……という内容。
『セッション』のシナリオ初期草案が、心理スリラーとして書かれていたことからも、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』は『セッション』の原型的な作品と言えるだろう。
満を持して書かれた『セッション』のシナリオは、まだ映画化されていないシナリオを映画製作者とマッチングさせるプロジェクト「The Black List(ブラックリスト)」に登録され、その完成度の高さから当初より高い注目を浴びていた。
まだ映画監督としてのキャリアが浅いチャゼルは、長編映画の製作に漕ぎつけるために、まず脚本の15ページ分を短編として映画化(この時点で既にJ・K・シモンズがフレッチャー役を演じていた)。完成した作品はサンダンス映画祭に出品されて絶賛を浴び、330万ドルの資金提供を受けることに成功する!
かくして完成した『セッション』は、第87回アカデミー賞の作品賞ノミネートをはじめ、世界各国の映画賞を席巻。デイミアン・チャゼルの名前を広く世に知らしめることになる。
なお、チャゼルは高校時代の鬼教師についてこんなコメントも残している。
He actually passed away about ten years ago. But it’s also this weird kind of thing because he was this hugely inspirational figure really and yet everyone was terrified of him.
I mean, you see it sometimes in softer movies, the kind of tough love mentor who yields great things and we’re all supposed to kind of cheer. Certainly there was that side of it, but I wanted to try to get people into my mindset during that period.
Maybe I’m more of a wuss than other people, certainly in my head it wasn’t quite as rosy.
彼は10年くらい前に亡くなりました。彼はとても素晴らしい人間でしたが、みんな彼を怖がっていました。
よく映画には、偉大なものを生み出す“愛のメンター”のような人が出てきますよね。確かに彼にはそのような面もありました。私はその時の自分の気持ちを、他の人にも知ってもらいたいと考えたいのです。
多分私は他の人よりも気が狂っていたんでしょうね。頭の中はバラ色ではありませんでした。
(DEN OF GEEK!のインタビューより)
なんだか、「自分のトラウマを他の人にも共有したい」というヤバい話のように聞こえるのは筆者だけか!?
『セッション』はチャゼル自身の治癒のために作られた映画なのかもしれません。
音楽に取り憑かれた男たちの“狂気”の物語
プロデューサーのジェイソン・ライトマンは、この作品を「音楽院を舞台にした『フルメタル・ジャケット』だ」と語っている。
『フルメタル・ジャケット』は、1987年に公開された鬼才スタンリー・キューブリックによるベトナム戦争映画。
海兵隊訓練キャンプで、容赦ない罵声をマシンガンのように浴びせる鬼教官・ハートマンの姿は、確かにフレッチャーと酷似している。さらに、過度なプレッシャーとストレスで心身共に衰弱していく訓練生レナード(最後は精神に異常をきたして教官を射殺!)の姿は、ニーマンと重なる。
しかし、それでもニーマンは過酷な戦場から決して逃れようとはしない。むしろ、自分を「ネクスト・レベル」へと導いてくれる存在はフレッチャーしかいないと確信し、スパルタ訓練に身を投じるのだ。
挙げ句の果てには、より音楽に没頭するために、映画館で知り合った超カワイイ彼女に別れを切り出す始末。
ドラムを追求するには、もっと時間が必要なんだ。
君と会う余裕なんてない。
会っても頭の中はドラムやジャズや譜面で一杯だから、君は不満で、ドラムに費やす時間を減らせと責める。
でもムリだ。
はっきり言ってサイテー野郎である。
またニーマンは、家族との夕食のシーンでこんな会話をする。
ニーマン「チャーリー・パーカーは孤独だった」
叔父「それが成功者か?」
ニーマン「20世紀最高の音楽家だからね」
父「酒とクスリに溺れて文なし。34歳で死んだ負け犬だ」
ニーマン「文なしで早世して名を残したい。元気な金持ちの90歳で忘れ去られるよりね」
ニーマンの望みは、バディ・リッチのような“偉大なミュージシャン”になること、ただそれだけ。自分の野望を叶えるためなら、他人はもちろん、自分が不幸せになることすら厭わない。
そう、もはやこれは“狂気”である。セリフの中で何度も引用されるバディ・リッチ(1917〜1987年)的な生き方こそが、彼の人生の指針なのだ。
バディ・リッチといえば、圧倒的なスピードで正確無比なビートを刻んだ世界的天才ドラマー。心臓病を患い、医者からドラムをやめるように忠告されたにもかかわらず、退院するやいなや再びドラムを叩き始めたという生粋の狂人(いや、生粋のミュージシャン)だ。
これは、音楽に取り憑かれた男たちの“狂気”の物語なのである。
ジムとフレッチャー、二人の父親
この映画には二人の父親が登場する。
男手ひとつでアンドリューを育ててきた実の父親ジムは、息子の幸福を心から願っている。だが彼の願う幸福は、たくさんの友達と可愛いガールフレンドに囲まれて充実した人生を送るような「世俗的な幸福」だ。
もう一人の父親であるフレッチャーは、ニーマンのドラマーとしての天分を見抜き、厳しいスパルタ指導で“彼を偉大なミュージシャン”へと導く。そのためなら「世俗的な幸福」なんぞアウト・オブ・眼中。
ある意味でこの映画は、主人公が二人の父親の中で揺れ動き、最後に真の父親を見出すまでを描いた、「父殺し」ならぬ「父探し」の物語とも言えるだろう。
ニーマンとジムが映画館で観る作品がフィルム・ノワールの傑作『男の争い』なのは、『セッション』が二人の父親による争いでもあることを示唆しており、極めて興味深い。
息子の気持ちが少しづつフレッチャーに傾いていたことを自覚していたジムにとって、シェイファー音楽院を退学処分となったことは、おそらく喜ばしいことだったろう。ニーマンが音楽という得体のしれない怪物から解き放たれ、家族という安息の地へ戻ってきたのだから。
だが、ニーマンが最終的に選んだ父親はフレッチャーの方だった。
フレッチャーの悪魔的策謀によって、多くのスカウトや大衆の前で失態を晒してしまったニーマンは、JVC音楽祭のステージを自ら降りる。肩を抱いて我が息子を慰めるジムは「さあ帰ろう」と促すが、ニーマンは踵を返してステージに舞い戻り、狂乱の表情でドラムを叩きまくる。完璧なテンポ、完璧なドラミング。
ラストシーン、ニーマンとフレッチャーのお互いの目と目が合い、一流のミュージシャンとしての才能が覚醒した瞬間を喜び合い、自然と笑顔がこぼれる。
ファーストシーンでは、頭上から強烈なスポットライトを浴びているニーマン(しかも白シャツ)と、漆黒の闇からぬっと現れるフレッチャー(しかも黒シャツ)は、光と影のごとく“相反する存在”であることがハッキリと描かれていた。しかし、最後の最後で二人は完璧な信頼関係(=親子関係)を築き上げ、ジムとの決別を宣言するのである。
タイトルに秘められた本当の意味とは?
『セッション』の原題は『Whiplash』。直訳すると「むち打ち」だ。
劇中で何度も演奏されるのが、1973年にハンク・レヴィが作曲した「Whiplash」というナンバー。7/4拍子と14/8拍子によるバリバリの変拍子で、ドラマーの技量が試される激ムズ曲である。
もちろんこのタイトルには、フレッチャーによるシゴキというダブル・ミーニングもある(ひょっとしたら、自動車事故によるむち打ち症という意味も含まれているかもしれない)。
だが筆者としては、タイトルにはもう一つ本当の意味があると思っている。ややこじつけな解釈でもあるが、タイ語で「Whiplash」の発音は「whip pa laad」となり、その意味は「気が狂う」なのだ! まさにこの映画のテーマ、そのものではないか。
なぜタイ語なんだというツッコミはありますでしょうが、筆者は断然この説を支持! 狂おしいまでの音楽への情熱に溢れる本作に深みを与える解釈と言えるでしょう。
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