私はハースストーンのプロを尊敬していない。

私は、ハースストーンのプロを尊敬していない。

また、ハースストーンに限らずゲームのプロを「選手」と呼び、普通のスポーツ選手と同じに扱おうとする風潮を気持ち悪いと思うし、違和感を感じている。

日頃ハースストーンの実況をしている自分がこんな事を言うと顰蹙を買うだろうし、嫌われるかもしれないが、そう思うのだから仕方ない。

何故、そう思うのだろうか。

それを説明するにはまず、私は何のプロなら尊敬できるのかという話をせねばならない。

私が尊敬しているのは例えば、プロ野球選手だ。私はプロ野球が好きで、プロ野球の試合をよく見る。そして、プロ野球選手を尊敬している。

また、サッカーやゴルフや相撲やスケートはそう好きでも無いが、それらのスポーツのトッププロの事は尊敬している。

囲碁や将棋のプロも尊敬している。

だが、ハースストーンのプロは尊敬していない。

それはなぜか。

それは、ハースストーンのプロは努力をしていないからだ。

いや、していないと言うのは言い過ぎかもしれない。努力をしているとは思う。

だが例えば、野球のプロと比べるとどうだろうか。

この日本で野球のプロになろうとすれば、中学や高校の頃から物凄い努力をしなければならない。

遊ぶ時間も無く、猛烈な練習をしなければならない。また、食事の内容など普段の生活にも気を使わなければならない。

どのプロ野球選手に話を聞いても、「学生時代の練習はきつかった」と言う。また、多くの選手はプロになってからもきつい練習をしている。多分、私が真似をすれば1時間と持たずギブアップするだろう。

こういった事はプロ野球選手に限らない。サッカーでも相撲でも囲碁でも将棋でも、また勉強でも音楽でも絵でも文芸でも芸能でもビジネスでも、トップに立つような人は長い間血ヘドを吐くような努力をしている。ぜんぜん努力をしなくてもトップに立てる天才というのも稀にいるのかも知れないが、多くは無い。その分野を代表するような人のほとんどは、物凄い努力をしている。まあ、努力が苦にならない人というのはいるのかもしれないが、それでも努力をしている事に変わりは無い。

そして、ハースストーンはどうだろうか。ハースストーンが始まったのは2013年だから、どれだけ長くやった人でも8年目である。また、当然最初はプロを目指す人などいない訳で、趣味でやっていた事になる。今ハースストーンのプロをやっている人の多くは、多分最初の頃は他の仕事や学業の合間に、遊びでやっていたのだろう。余裕のある時にハースストーンをして、そうでない時間は他の事をやっていたのだろう。

私がさっき上げた他のスポーツ、もしくは囲碁や将棋や学業に、「どれだけ長くやった人でも8年目」という分野は存在しない。「片手間に遊びでやってたらプロになれます」という分野も存在しない。5年、10年、もしかしたら20年、分野によっては50年以上という時間、本気で努力し続けて、厳しい競争を勝ち抜いて、ようやくトップに立てるのだと思う。

だから、私はハースストーンのプロを尊敬できない。ゲームのプロという人たちは、他の分野―勉強やスポーツや芸術や芸能で成功した人たちと比べて、あまりに努力をしていないと感じられるのだ。

むろん、他の分野でも少ない努力でお金持ちになったり、有名になった人はいる。例えば、仮想通貨で1発当てた人などがそうだろう。(投資家でも日夜凄い努力をしている人はいるのだろうが、あまり努力をしていない、いわゆる1発当てた人というのもいると思う)または一過性のブームで急に有名になった芸能人だとか、親が金持ちで多くの財産を引き継いだ人などがそうだ。

私はゲームのプロというのは、そういう人たちに近い存在だと思う。有名だったり、大金を稼いだりしていて、凄いのかもしれないが、努力が報われたという感じでは無い。100万人に1人の素晴らしい才能を持っていたわけでもない。うまいことやったな、うまく時代に乗ったなと、そういう感じだ。

もちろん、そういう人たちがいる事を否定するつもりはない。羨ましいと思うし、すごいなとも思う。しかし、そういう「うまくやった人」の中でも、ことゲームのプロという業界からは何故か、「俺たちはうまくやった人じゃないぞ」という空気を感じてしまうのだ。「俺たちはスポーツのプロと同じだぞ」と言わんばかりの空気を出し、e-sportsだの、選手だのという言葉を好んで使いたがるように見える。

だから、こんな記事を書きたくなってしまうのである。