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小室さんの父は会社に向かう途中、心臓発作で亡くなった

――圭さんのお父さんはどんな感じの方でしたか?

「お父さんはいつもニコニコしていました。怖そうだなとか厳しそうだなみたいなイメージが湧くタイプでは全くないです。優しそうだなっていうイメージのお父さん」

――外見は圭さんに似ている?

「似てます。似てます。体格がすごいラガーマンみたいな感じの体格で、身長もそんなに大きくなかったと思うんですよね」

――圭さんはお父さんに懐いていた?

「そうですね、“お父さん大好き”なイメージがあります」

――圭さんは「パパ」と呼んでいたんですか? 「お父様」?

「『お父様』ですね。『お父様』『お母様』です。僕の家は全然そういう感じじゃなかったので、結構びっくりというか。『あ、こうやって呼んでいるんだ』って思ったのは覚えています」

国立音楽大学附属小学校 ©文藝春秋

――圭さんの家に遊びに行くこともよくあった?

「ありました。国立の家に1回遊びに行きました。(圭くんは)鎌倉の方にも家があって、鎌倉のお家には遊びに行ってないですけど、鎌倉に圭くんが住んでいるっていうので、鎌倉で一緒に遊んだりしたことはありますね」(※鎌倉は佳代さんの親族の家と思われる)

――圭さんの今のパーソナルを作っていく上で外せないのがやはりお父さんの存在ですよね。

「小学4年生とかそのあたりだと思うんですけど、保護者面談か授業参観か何かがあった日だったんですよ。その日も(圭くんの)お父さんがいらしていて、うちの母親も圭くんのお父さんに会って『ご無沙汰してます』みたいな挨拶をして。そうしたらお父さんが『午後から仕事が入ってるんで』と言って早めに抜けられたんですよね。『また学校でお会いしましょう』って別れた後に心臓発作で倒れられたって聞いて。僕らが圭くんのお母さんから聞いた話では、学校を出た後、仕事に向かっている電車の車内で心臓発作を起こして倒れられて、そのまま亡くなられたって聞いたんですね。お葬式の時にも僕ら家族で参列させていただきました」

小学校時代の小室圭さん(国立音楽大学附属小学校の卒業アルバムより)

――圭さんはショックを受けている様子でしたか?

「そうですね。それまで僕の方から仲良くというか遊んでたりしたんですけど、それを機に僕らの関係は崩れていったんですよね。何があったかというと、お父さんが亡くなられた後、しばらく圭くんは学校に来られなかったんですよね。もちろん精神的なものもあると思うので。それで久々に学校に復帰するっていうタイミングで、圭くんのお母さんからお電話を頂いて。『いついつから学校に行くので、また仲良くしてあげてください。通学路も一緒なので、できれば学校も一緒に行ってあげてほしい』ってお願いをされたんです。僕も子供なりに気を遣うというか、一緒にいてあげなきゃというか。どれくらい大変だったのか正直まだわからない年齢ではあったんですけど、わからないなりにも一緒にいてあげようっていう気持ちがすごくあったのを覚えています」

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