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異世界無双には向かない国民性 作者:中村 颯希
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8.#行動原理は「MOTTAINAI」(1)

「――……っくしゅん!」


 うっそうと茂る森のなか、注意深く周囲を見回しながら歩いていたマリーが、両手で顔を覆って小さくくしゃみをした。


「大丈夫? ハンカチ、使うか?」


 すぐ隣を歩いていた俺は、慌ててポケットからハンカチを引っ張り出して差し出す。

 すると、先頭で草や枝を払い、道を拓いてくれていたアメリアが、呆れたように振り返った。


「ターロ……なんであんた、あたしたちより無駄に女子力高いのよ……」

「ポケットにナイフではなくハンカチ……」


 しんがりを務めていたエルヴィーラまでもが、言外に引いた気配をにじませてぽつりと呟く。

 マリーもまた、差し出されたハンカチをまじまじと見つめているのに気づいて、「お……俺の世界では、男だってハンカチを持ち歩くもんなんだよ」と言い訳しながら、俺はこっそり右手を引っ込めた。


 こちらの世界にやってきてから、早くも一週間ほど。

 万事が万事、この調子である。


 だいたいにして、レーヴラインの住人たちは衛生観念がなっていないのだ。

 藻が湧いた水を平気で飲もうとするわ、外から帰ってきても手を洗わないわ、野菜から青虫がこんにちはしても「あらら」で済ませて摘まみ捨てるわ。


 そのたびに俺が卒倒しかけてひいひい言っていると、「女々しい奴め」と呆れ顔で見られる。

 俺が苦心して探し当てた「コメ」に似た穀物に、たった三日で虫が湧いたときでも、彼女たちはまるで動揺を見せず、「とりあえず炊いてみる?」と首を傾げたのは衝撃的だった。


 結局俺はそれを食べる気にはなれず、かといって米をゴミ箱に捨てるのも憚られ、今回森に向かうというからそこで撒き捨てるべく、重いのを我慢して担いでいる始末である。

 俺に背負われている布鞄の中には虫が……うぅ、想像するだけで戦慄ものだ。


「まあ、ターロがそんな調子だから、我々にしっくり馴染めているのだろうな。男が加わったのにこれだけ気が楽というのは、正直意外だった」

「いやそれは女子力の高さっていうより、存在感の低さが原因でしょ」


 珍しくエルヴィーラがフォローのような言葉を口にすると、意地悪なアメリアが即座に混ぜ返す。

 ふたりとのこうした応酬も、もはや日課のようなものだった。


 しばらく一緒に過ごして分かったのだが、エルヴィーラはエルフの血がそうさせるのか、どこか浮世離れしたところがあり、嘘をつかない代わりに社交辞令も冗談も滅多に口にしない。秩序と静謐を重んじ、規則や約束はきちんと守るタイプだ。


 一方アメリアは孤児という出自がそうさせるのか、斜に構えた過激な発言が多いし、権力者や男に対してはかなり辛辣な物言いをする癖がある。

 ただし、義理人情は通すタイプのようで、パーティー内でもリーダー的存在として頼られているのがわかった。


 そしてマリーは、


「もう! アメリアさんったら、そんな意地悪なこと言わない!」


 天使だ。

 両手を腰に当て、ぷんっと尻尾と頬を膨らませる彼女を見て、俺は相好を崩した。


 長々とした説明なんていらない。マリーは天使だ。以上。


「せめて、存在に透明感があるとか、もっと言いようはあるじゃないですかっ」

「…………」


 補足するならば、善意がときに凶器と化す天使だ。

 彼女には弟がいるらしく、俺たちの中で最年少でありながら、基本的にはとても親切で面倒見がよいのだが、時折こうして、巨大な獣が無意識に蟻を踏みつぶしていくような真似をする。


 存在感のなさについては全面的に肯定されてしまい――しかも「低い」から「ない」レベルにまで落とされた――、俺は乾いた笑いを漏らした。


 まあこんな感じで、三人の女の子たちに囲まれながら、なんとかかんとか暮らしている。

 そして一週間をかけて、ようやくこちらの生活のペースを掴もうとしていた。


 冒険者というのは、学生や会社員と違って、決められた時間割や勤務場所があるわけではない。

 街に入ったらそのときの予算に応じて宿を決めて、そこを拠点にいくつかクエストをこなし、めぼしいクエストがないとなれば、自由区を通ってほかの国に移動する。

 行き先の決め方も実に無軌道で、「久々に故郷の味が食べたいからベレントに行こう」とか、「獲物を追ってずいぶん西まで来てしまったから、もうこのままオイゲンに向かおう」とか、そんな感じだ。

 まあ一応、鑑定能力の応用で魔物の気配を察知できるマリーが行き先を示し、ドロップを求めて回っている様子ではあるのだが。


 ちなみに国によって、人の顔立ちとか町の感じとかは少しずつ違うようだが、今のところ俺からすれば、それはイギリスとフランスの差くらいにしか思えない。

 つまり、確実に違うんだろうが、よくわからない。

 国が違えど言語が同じだからかもしれない。

 大陸共通(レーヴライン)語が理解できるというのは、俺の身に起こった数少ない幸運である――残念ながら、耳が勝手に理解してくれているだけのようで、読み書きはできないのだが。


 これで読み書きができるとかであれば、なんらかの内政チートを花開かせることもできたかもしれないが、数字すら読めないのだから無理な話だ。


 結局俺は、勇者として華々しい活躍をすることはまったくなく、むしろ俺を召喚した王様に見つかって殺されるのを避けるべく、つつましく現地人のふりをする日々を送っていた。


 幸いこの大陸にも「ジャルパ人」なる、日本人によく似た顔立ちの少数民族がいるらしいので、ギルドへの登録もそのふりをして済ませた。

 今の俺の肩書は、大陸の辺境から出てきた、新人冒険者のジャルパ人・ターロである。


 そのうえで、アメリアたちの好意に甘えてパーティーに加わり、諸国を旅してまわっていた。

 冒険者ギルドの上役に面会して、召喚主の王様を突き止めるためである。

 実に地道だが、それが今できる最大の帰還努力であった。


 それにしても……そう、地道。


 俺は、異世界召喚されたはずの自分の、あまりの勇者的素質のなさに、絶望しつつあった。


 この一週間、俺ができるようになったことはといえば、「wait」「stop」のスペルを五十パーセントくらいの確率で使えるようになった、というだけ。

 よほどこの世界の音声認識が厳しいのか、俺の発音がダメなのか、どれだけ練習を重ねても精度がそこから上がらない。


 ほかのスペルについても、当初は思いつく英単語を叫んで密かに特訓をしていたのだが、ある事件を境に控えるようになってしまった。


 事件というのは、こちらに来て三日目の夜。

 どうしても風呂に入りたくてしょうがなくなってしまった俺は、もしや「bath」と叫べば、目の前の空間が風呂に変化するなり風呂が現れるなりするのではないかと思いつき、実行してみたのだ。


 ……結果、乗り物のバスが現れた。

 それも、手のひらサイズの、やけに精巧な――要はおもちゃだ。


 俺は呆然とおもちゃのバスを握りしめながら、不慣れな考察を巡らせた。


 おそらく、俺の渾身の「bath(バス)」は、世界に「bus(バス)」と認識された。

 それはわかった。


 動詞を叫べば対象物の行動を制御・攻撃する魔法になるが、名詞の場合だときっと召喚魔法になるのだ。


 だがそれならなぜ、普通のバスではなくおもちゃのバスが出てきてしまったのか。


 想像力をきちんと働かせなかったからだろうか、と眉を寄せながらなんとなく周囲を見回して、そこで俺はぎょっと目を見開いた。


 簡素だがきちんとした造りだったはずの宿屋の一室。

 先ほどまでたしかに白くペンキで塗られていたはずのドアの、その色が、剥げている。

 ついでに言えば――鉄製のドアノブが忽然と姿を消していた。


 改めて、手の中のバスのおもちゃに視線を落とす。


 白く塗装が施された、鉄製のボディ。

 精巧なことに、座席数に合わせて窓ガラスまではめ込まれて――


「……うおお……っ!」


 ばっと振り向いた先、小さなガラスのはめ込まれた宿屋の窓が、一部ぽっかりと穴が開いていることに気付き、俺は思わず叫んだ。


 察した。


 たぶんこれ、俺が命じたスペルの内容を、こちらの世界にある素材で極力再現する、そういう魔法なんだ。

 召喚魔法というよりは、再現魔法。


 でもっておそらく、通常サイズのバスを再現するには素材不足だったから、おもちゃのバスになったんだ。

 微妙にせせこましい!


「でも、助かった……!」


 下手に本物のバスなんかを再現してしまったら、この宿が半壊するところだった。

 米を再現しようとして虱を発生させてしまった先人よりはマシだが――いや、どうだろう、これも十分にたちが悪いかもしれない。


 俺は慌てて隣の部屋に飛び込み、「ドアノブが……! 召喚が再現で、コメが虱ではたらく車がおもちゃに……!」と訳の分からぬことを叫んで窮状を訴えた。

 そうして、マリーが宿屋と弁償の減額交渉をしてくれるのを、平身低頭の態で見守りながら、もう二度と、不用意にスペルを唱えないぞと誓ったのである。


「さて、今日の宿(テント)はこの辺にするか」


 やがて、森を進んで少し開けた場所に出ると、先頭を歩いていたアメリアがそう切り出した。

 近くに滝でもあるのか、ごおお……という水の唸りが聞こえる。

 少し先には、岩の隙間を縫うように細く川が流れていた。

 遠目からでも透明感が伝わってくる、清冽な湧水だ。ボトルに詰めて持ち帰りたいくらいである。


 今回の俺たちのクエストは「ランセルの森に寄生した魔菌を退治する」というものだ。

 魔菌というのは、アメリアの説明によれば菌性の魔植物で、胞子を飛ばして対象物に寄生し、それを腐らせてしまうらしい。


 水辺を好んで群集する性質があるらしいので、そこを考慮しての選択なのだろう。

 マリーいわく、「鼻がムズムズするのは、活性化した魔菌が胞子を飛ばしている証拠」なのだとか。

 マリーの鑑定能力が多方向に有能すぎる。


 ちなみにこの魔菌だが、退治法としては、物理的に核を燃やして殺すか、魔力によって殲滅させるかのどちらか。

 寄生されているのが森である以上、後者のほうが望ましいわけで、そうなると今回は魔術師であるエルヴィーラがクエストの主役だ。中途半端なWaitしか叫べないスペル使い(失笑)の俺は、今回あえなく参戦見送りである。


 テント設営はアメリアや俺がこなし、エルヴィーラが先頭となって魔菌の探索に向かうかと思ったのだが――


「じゃ、ターロにもいい加減、テントぐらいひとりで張れるようになってほしいしね。マリーがいると手伝っちゃうから、あたしとマリーでいったん出かけるわよ」

「エルヴィーラさんはテントに関しては、手伝わずに立ち尽くしていて大丈夫ですからね! というか、くれぐれも手伝っちゃだめですよ! それじゃ、行ってきます!」


 そんなことを言い残して、アメリアとマリーのふたりがさっさと森の方角に戻ってしまったのである。


「え!? ちょ、え!?」


 長剣を下げたアメリアの背中と、くるんと翻るマリーの尻尾を見送りながら、俺はあたふたとその場に立ち尽くした。


 テント設営くらいひとりで、という指令には反論の余地も意思もないが、なぜこのタイミングで突然とは思うし、それに、エルヴィーラを残していくというのも不思議だ。

 見張りが必要と思われるほど信用されていないのか、と、情けなく眉を下げていると、残されたエルヴィーラが苦笑した。


「……気を使うなと言ったのに」


 俺にではなく、ふたりに向けた言葉のようである。

 首を傾げていると、彼女は紐で縛ってあったテントを掴み、「ん」とこちらに差し出した。


「アメリアの指令だ。頑張ってくれ」


 堂々たる様子には、「手伝おう」とかいう精神はかけらも見えない。

 そういえばこの子、テント設営だとか、たまの自炊だとかでは、まるで活躍のそぶりを見せないんだよな。

 テントを受け取りながらちらりと視線を向けると、エルヴィーラは無表情のまま肩をすくめた。


「……べつに、おまえをこき使おうとしているわけでも、労働を厭うているわけでもない。私はアメリアたちから、一切の手作業を禁止されているんだ」

「手作業を禁止?」


 不思議なワードをつい反芻してしまうと、彼女は神妙に頷いた。


「ああ。不思議なことだが、私が魚を焼くと、意図せずダークマターを彷彿とさせるなにかが出来上がるし、掃除しようとするとなぜか道具が壊れて埃やゴミが増殖する」

「へえ……?」

「ちなみにテントを張ろうとすると、『戦争と平和』とでも名付けたくなるオブジェが毎回出来上がってな。新品のテント布を三回ほどアーティスティックに変貌させた辺りで、アメリアから手作業禁止令が言い渡されたんだ」

「……さようでしたか」


 どうやらこの美少女エルフは、不器用属性だったらしい。

 それもかなり振り切ったレベルでだ。


 ポンコツ疑惑の浮上したエルヴィーラに手伝ってもらうわけにもいかず、俺はアメリアの指示通り、ひとりでテントを組み立てはじめた。

 竹にも似た軽い素材の骨組みを広げ、それを布で覆ってピックで固定するのだが、土が固いのかなかなか刺さらない。

 刺さらんぞアメリアこんちくしょう! どうしておまえは、いつも軽々こんなものを刺してたんだ!

 現代日本男児の握力の弱さを舐めんなよ!


 自分の非力さを嘆きながらひいひい言って労働する俺をよそに、手出しをしないことこそが手伝いだと割り切っているのか、エルヴィーラはそのへんの地面に静かに腰を下ろすと、黙々と書物を開きはじめた。

 彼女は相当な読書家なのか、折を見てはこうして本を読んでいるのである。


 俺は、単純な作業に息を荒げながら、そんな彼女を盗み見る。

 長い睫毛を伏せて文字を追う彼女は、地上に舞い降りた女神のようだった。


 さらりと肩を滑る蜂蜜のような金髪、その隙間から覗く長い耳や、白いうなじが、誰にも踏まれていない白雪のような、緊張感のある美しさに満ちている――


「――おまえ」

「ぅひゃい!」


 思わず見とれてしまっていたところに、ぱっと顔を上げられて、俺は飛び上がった。

 ついでに言えば声も裏返った。泣きたい。


 だが、マイペースでいらっしゃるエルヴィーラは、それにまったく頓着することなく、淡々と言葉を紡いだ。


「おまえは、ふたりきりになっても、私に情欲を向けることはないのだな」

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