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異世界無双には向かない国民性 作者:中村 颯希
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7.girl's talk

「それでは……」


簡素ながらしっかりとした宿屋の一室。

狭い部屋に三台並んだ寝台、その真ん中のひとつに靴を脱いで座り込み、三人は真剣な顔でバスケットを見つめた。


「せーの――じゃん!」


アメリアが神妙な表情で上にかぶせていた布を取り払うと、とたんに「わあっ!」とマリーが尻尾をぱたぱたさせる。

ぺたんとついた膝の間に両手を置いていたエルヴィーラも、声こそ上げなかったものの、きらきらと瞳を輝かせはじめた。


三人の視線の先、バスケットの中には、こんがりときつね色に焼き上がった菓子が鎮座していた。

先ほどアメリアが取り払った布には、(かまど)を模したと思しき刺繍が見える。


そう、彼女たちは、先日のマリーの「要望」に応えて買ってきたケーキを、今まさに食さんとしていたところだったのだ。


「きゃあっ! すごい……! こんなに苺がたくさん……っ!」


マリーが耳をぴょこぴょこと動かしながら、細い指でそっと摘まみ上げたのは、苺のタルト。

サクッと香ばしく焼いたビスケットの上に、固めに仕上げたカスタードクリームと、その周りにたっぷりの苺を乗せたものだ。

全体にとろりと掛けられたナパージュが、窓から差し込む陽光をつやつやと跳ね返している。

てっぺんの辺りにだけ、砕いたピスタチオがちょこんと緑を添える様も、実に心憎かった。


「しっとりと吸い付いてくるような感触……たまらんな」


ほう、とため息を漏らしながらエルヴィーラが手に取ったのは、紅茶葉を混ぜ込んだシフォンケーキ。

指が沈むように柔らかな生地からは、品のよい紅茶の香りと、砂糖と卵のほんのり甘い匂いが漂い、すうっと息を吸い込むだけで幸せな気持ちになる。


「値段がするだけあって、いいブランデー使ってんのよねえ……」


そしてアメリアが最後に掴んだのは、ダークチェリーを混ぜ込んだバターケーキだ。

手に持てばずしりと重く、少し指で押してみれば、じゅわりとブランデーの香りが広がる。


三人はそっとひとくちを齧ると、


「――んぅっ……!」


それぞれ足をばたばたさせた。


マリーだけではない。

冷静沈着に見えるエルヴィーラや、男勝りに見えるアメリアとて、美味なる菓子の前では、ただうっとりと頬を染める女の子なのである。


「こんなにおいしいもの、私たちだけで食べちゃっていいんでしょうか。アメリアさん、本当にターロさんのケーキ、買ってこなかったんですか?」

「……ふん」


 マリーがおずおずといった様子で問えば、アメリアは口をへの字にして鼻を鳴らす。

 猫のような緑の瞳には、再燃した淡い怒りが浮かんでいた。


「だってあいつ、せっかくあたしがアーレント一と言われる『マイツェン』まで連れてってやったのに、ものすごく残念そうな顔して『ショートケーキはないんだ……』とか言うのよ。ショートケーキとやらがなにかは知らないけど、イラっとしたから店から追い出してやったわ。今頃隣の部屋で干し肉でも齧ってるでしょ」


日本のケーキ屋ではおなじみの、生クリームをふんだんに使ったショートケーキは、レーヴラインでは残念ながら流通していなかった。

そもそも冷蔵ショーケースが存在しないのだ。

アメリアたちにとっては、今手にしているものこそが至高のスイーツである。


それを、わざわざ鈍くさい異世界人にごちそうしてやろうとしたのに、まさかの残念発言。

一度仲間と認めた者に対しては姉御肌を発揮するアメリアは、裏を返せば「さすがだね」と言われるのが好きな性格でもあり、ターロ――彼女たちは彼の名前をそう認識している――の態度はムカつく以外の何物でもなかった。


隣の壁をきっと睨みつけて言い捨てると、マリーは困ったように尻尾を揺らし、黙々とシフォンケーキを頬張っていたエルヴィーラは、「しかし」と首を傾げる。


「そうは言うが、このケーキを買うために使った金は、そもそも薬草採取で得た報酬だろう。そして今回、薬草が異常な高値で売れたのは、ターロのおかげだ。それに対してなにも礼を寄越さないというのは、ルール違反ではないのか」


感情をにじませない淡々とした物言いに、アメリアは渋面になった。


異常な高値。

その通りだ。


今回、片手間で引き受けた(ティン)級の薬草採取で、水晶(クリスタル)級の依頼にも勝る報酬が得られたのは、ひとえにギルドに提出した薬草の質が、素晴らしく高いからだった。


まずは大きさが規格外。

薬効についても、マリーが鑑定したとおりエメラルド級――王宮薬草園で術師が育てるものと同程度だった。

つまり、腕が半分抉れても治るほど、ということだ。


その薬草は、エルヴィーラとマリーが夜を徹して採取したものではなく、ターロが耕し、薬草を一株投げ入れた「畑」で、たった一晩で生育したものである。


あまりに立派に育つものだから、もしや毒か魔草の類かも、と半ば警戒したものだったが、実際にはただただ立派な薬草であった。

魔物のフェンリルに、白魔力をぶつけた結果排出された「堆肥」から育った薬草なので、まあ、そういうこともあるのかもしれない。


薬草を鑑定したギルドのスタッフは、「これどこで採取したんだい!? 場所の共有を! いや、商人ギルドと連携して特許を! 事業化を!」と興奮して草を握りしめていたが、事情を知っているアメリアたちとしては、目を逸らすしかなかった。


だって、まだほんのり臭う気がするし、再現しろといわれても――困る。


「しかも、運搬時に小分けにして根をしっかり保護していたのが、また素晴らしくよかったと言われたではないか。我々はそんなことをしない。器用に薬草を均等分し、神経質にも見える品質管理を施したのは、ターロだろう」

「あの器用さと、鮮度へのこだわりには驚きましたよね……」


エルヴィーラが指摘を重ねれば、横でマリーがしみじみと頷く。

そう、ターロは「労働でもして貢献しろ」というアメリアの発言を気にしてか、遠慮がちではあるものの、


「あの……どさって積んだら下の薬草が潰れちゃうから、小分けにしたほうがいいんじゃ……あいや、俺、やろうか?」

「その……一日かけて持って帰るっていうんなら、萎びないようにケアしたほうがいいんじゃ……ちょっと貸して」


といった具合に、こまこまと手伝いを申し出てきたのである。


細い草を紐のように使って薬草を束ねる手つきは鮮やかそのもの、濡らした葉を根に巻き付けて乾燥を防ぐ姿は、もはや熟練の職人のようだった。


そのうえ、驚いたアメリアが「もしやあんた、その道のプロなの?」と尋ねると、ターロはちょっと困ったように「これくらい、誰でもできるよ」と答える。

いわく、器用さと鮮度へのこだわりは国民性のようなもの、らしいのだ。

だとしたら、ニホン人とは職人集団のような民族である。ついでに謙虚だ。


「……あたしには、あいつがよくわかんないわ。ふてぶてしいのかと思いきや謙虚だし、なにもできないグズかと思いきや妙に器用だし、スペル使いかと思いきやスペルが下手だし、……でも、あっさりフェンリルを追い払うし」


さらに言えば、臆病に見えて度胸がある。


嫌がらせで料理を突き出してみせたとき、まさか彼がそれを平らげてしまうなど、アメリアは思ってもみなかった。

だって、今までにあれを口にできたのは、エルヴィーラとマリーだけ。

ほかの人間は見ただけで青褪めるか、皿を投げ捨ててきたし、彼女自身でさえ半分くらいでいつもギブアップしていたというのに。


「……変なやつ」


呟きながら、ブランデーの利いたケーキを齧る。

エルヴィーラとマリーは、それぞれ菓子を手にしながら、ちらりと視線を交わし合った。


「そんなことを言って、結局おまえ、かなりターロを気に入っているんだろう。名前で呼んでいるし」

「そうですよ。薬草の報酬を『ターロには渡さない』と言いだしたときはびっくりしましたけど、理由が『あんたが持ってたら五秒でスリに遭う。金の使い先が決まるまでは、あたしが持ってといてあげるわ』ですもん。もうもう、アメリアさんったら、素直に『もうちょっと一緒にいよう』って言えばよかったんですよ」


苺を大切そうに頬張りながら、マリーがふふっと尻尾を揺らすと、アメリアはむきになった。


「べつに気に入ってなんかないわよ。あの理由は文字通りの意味で、それ以上の意味はなにもないし! あいつがあまりに世間知らずだから、このまま放り出すのが気が引けただけでしょ!」

「たしかに世間知らず……というか、こちらの常識が馴染まない様子ではあるな。完全体の源晶石をほいとギルドに提出しそうになっていたし」

「ほんと、あれには焦ったわ。……ま、あたしたちもマリーが思い出させてくれなきゃ、うっかり提出してたかもだけど」


黒魔力と白魔力が結合してできる源晶石は、レーヴラインの住人だと、巨大なドラゴンに持てる限りの白魔力をぶつけて、小指の爪くらいの大きさの欠片を採るのがやっとである。


それを、こぶし大の完全体を手に入れたというのだから、これは場合によっては、一気に階級(ランク)を三つほど駆け上がってもおかしくない事態だ。


ただし、ギルドのメンバーには収入に応じて上納金を納める義務がある。

薬草やポーションなど、分けられるものは現物の一部を収めればよいのだが、源晶石のように分解できないものを得たとなると、その評定額に見合った金を納めなくてはならない。


そしてその額というのが、前年の実績に応じて一年遅れで課されるものなので、突発的な多額収入があったりすると、翌年その冒険者自らが苦しむ羽目になるのである。

もっとも、通常なら源晶石はわずかずつしか採れないので、まさか源晶石の採れすぎで苦しむなどという事態に備える必要もないのだが――。


その辺りのことを、実はパーティーで一番しっかりもののマリーが指摘し、アメリアたちは慌ててターロを取り押さえたのである。


その後話し合いのうえ、今回についてはマリーが上手いこと立ち回り、源晶石は秘密裏に保管し、継続して納金できる見込みが立ったら換金する、ということで落ち着いた。


「ただ結局、今回あいつは貢献度に見合わないタダ働きってことになっちゃうでしょ。だからまあ、……薬草の報酬分くらいの義理は果たそうってだけで」


 アメリアがそっぽを向きながら続けると、マリーはにこにこと頷いた。


「そうですよね。そうでしょうとも。だから、ターロさんがギルドの上役と面会できるサファイア級になるまで、パーティーに加えて面倒を見るんですよね。当分ご一緒できるみたいで、私、嬉しいです」

あたしが(・・・・)サファイア級になるまでよ。つまり一瞬ってことだわ」


ギルドの上役ともなれば、各国の王とも面識を持ち、ときに意のままに操ることすらできるが、彼らに会うには相応の身分がいる。

せめて貢献分に見合う報酬として、異世界に帰るための渡りをつけてやろうと、アメリアは引き続き行動を共にすることを申し出たのだったが、マリーはずいぶんと嬉しそうだった。


いやまあ、あの男も、こちらが誘いをかけたときは、かなり嬉しそうな様子だったと思う。

ギルドの前でお別れかと、雨に濡れた捨て犬のような様子だったのが一変、今にもぶんぶんと尻尾を振りそうな有様だった。なるほど、マリーはやつに獣人的な親しみを抱いたのかもしれない。

基本的に人嫌いのエルヴィーラも、あの主張の少ない男をそこそこ気に入っているようだ。


(ふん。ケーキのときも、あれくらい喜んでくれたら、可愛げがあったのに。……ま、あんまり全力で懐かれても、……そうね、うっとうしいだけだけど)


アメリアはごろっとしたダークチェリーを歯で押しつぶしながら、そんなことを思った。


じゅわりと舌ににじむ果汁と、ほんのり塩味を帯びて広がるバターの香りに、つい口元が綻ぶ。

この笑みは、あくまで濃厚なバターケーキに向けられたものであって、それ以上の意味はなにもない。


バスケットとは別にもうひとつ、ショートブレッドとやらの名前がついたクッキーの袋を、実は購入しておいたのだが、ターロのやつにはいつ渡したものか。


ショートケーキとかいうものとは少々異なるかもしれないが、まあ、似たような名前だし、親戚のようなものだろう。

それを差し出せば、あの男もさすがに喜ぶのではないだろうか。


ひとりだけ別部屋を取らされてしょんぼりしていた、新しいパーティーメンバーの姿を思い浮かべながら、アメリアはぺろりと、指についたブランデーの味を舐め取った。

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