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異世界無双には向かない国民性 作者:中村 颯希
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5.#とくに「s」と「sh」が致命的(2)

「うぅ……ぅ……」


 俺はよろよろとした足取りで、焚き木を目印にテントへと近寄っていった。


 えらい目に遭った。

 えらい目に……遭った。


 重要なことではないが、反復法でついお伝えしたくなるほどには、俺の人生に深く刻みつけられた出来事だった。


 アメリアの「自然の残飯ブレンド」なる危険物を一気に掻き込んでからしばし。

 なるべく俺の繊細な味蕾を刺激しないよう、咀嚼もせずにがんがん飲み下して、ぶはっと顔を上げると、立ち尽くしたままの彼女と目が合った。


 アメリアは、まさに呆気にとられたといった様子で、じっとこちらを見つめていた。


「……全部食べたの?」

「ごぶ……っ、く、食ったけど……っ」

「……それ、あたしですら、お皿半分で毎回残してたけど」

「うっぷぉ!?」


 嘘、という言葉が、口内に広がるあまりの刺激臭にやられ、破裂音へと変化する。

 そのままゲホゲホと噎せていると、アメリアはちょっとばつが悪そうに、


「べつに、エルやマリーも『完食した』とは言ってないでしょ」


 と肩をすくめた。

 それからちょっと考え込むような間を置いて、俺の隣に膝を突く。


「……とりあえず、水飲む?」

「…………っ、…………っ」


 腰にぶら下げていた水筒を差し出してきたのを、俺は涙目になりながら飲み干した。

 ところが、かえってそれで噎せる度合いを深めてしまい、いよいよ全身を折り曲げながら咳き込む羽目になる。


 アメリアは「あーあ、もう」と呆れ声を出しながら、背中をさすってくれた。


「馬鹿なやつね」


 失礼千万だが――その声には、どこかこれまでとは異なり、くすくすとした笑いが含まれていた。


「ば、馬鹿って、……げほごほ! 言うけど、そもそも、アメリアが……おごええ˝えぇ!」


 反論もままならず、うぷっと口元を押さえる。

 同時に、腹の辺りから不穏な気配が立ち込めてきて、俺は片方の手を尻に回した。


「――……お、おお、おおおお……」

「……あんたが気にするだろうから伝えとくけど。あっちの奥に、手ごろな茂みがあるわ。エルたちは東のほうに行ったから、あんたは西へ行って」

「…………っ、…………っ」


 なにもかもわかったような口ぶりに、こくこくと頷き立ち上がる。

 ぎゅるぎゅると絞られるかのような腹が激しく警鐘を鳴らしている。


 緊急事態だった。


「……うぅ……もうお婿にいけない……」


 開放感溢れる自然のトイレにずいぶん長い間たてこもり、やがて俺は遠い目をしながらその場を去っているところだった。


 えらい目に遭った。

 草っぱらに屈みこんで踏ん張るだなんて、物心ついてから初めてのことだ。


 それにしてもあの「料理」には良質な下剤としての機能でもあるのか、ずいぶん作用も早かったし、形状もけして水っぽくはなくむしろ立派な――


 いえやめましょうね。

 日本はゴールデンタイムでも平然とトイレのCMを放映してしまう、トイレへの寛容度が奇妙に高いお国柄だが、別にそれは、日本人が「それ」を好んでいるということではない。

 むしろ、完膚なきまで、徹底的に「それ」を流し去ってしまいたいと、四六時中考えているということであって――。


 現実逃避のように悶々としていると、焚き木の前で話し合っている三人の姿が視界に入った。

 エルヴィーラやマリーも戻ってきたのだ。

 俺の姿が見えないことに、ふたりは不思議そうな様子である。


 尋ねる彼女たちに、アメリアがちょっと気まずそうに肩をすくめたところまでをぼんやりと見つめ、俺はさてなんと言って登場したものかを考えた。


「ど、どうも……」


 草むらを掻き分けながら、軽く片手を挙げる。


 やっぱり自然な感じが一番だよな。

 きっとこちらの世界では、アウトサイドで致すのも一般的なんだろうし。


「ごめん、ちょっと用足しに行ってた。ふたりも戻ってきてたんだ」


 べつに謝る必要もないのだろうが、こう、とにかくカジュアルな感じで――。


「その、ひとり寝ちゃっててごめんな。俺にもできることがあるなら、薬草採取を手伝わせて――」


 だが、俺の懸命なカジュアル発言は、文章の半ばで途切れた。

 いたたまれなくなったからではない。


 ――ぐおおおおおっ!


 突然、テントの向こうから、獣の咆哮が鳴り響いたからだった。


「なにっ!?」

「魔物か!?」

「――……っ、フェンリル……!?」


 アメリアがとっさに剣を構えれば、エルヴィーラも素早く声の方向に向かって手をかざす。

 マリーもまた狐の尻尾をぴんと立てて、焦ったように背後を振り返った。


「フェンリルみたいな穏やかな魔物が、どうしてこんな、凶暴化を……!?」


 テントの背後から現れた影が、焚き木の炎に照らされてその正体を現す。

 ごわごわとした毛に覆われた四つ足の体に、重そうに揺れる尻尾、大人の男すら丸飲みにできそうな巨大な顎。


 フェンリルというのは、一言で表すならば、バカでかい狼のようだった。


 ――ごっ……!


 いや訂正。

 狼は火を噴かねえよ!


 炎を叩きつけられたテントが、たわみながら勢いよく燃えはじめたのを見て、俺はざっと青褪めた。


 なんだよ。

 なんだよこれ。


 いや、話には聞いてたけど――ほんとに、ビギナーでも容赦なく魔物にエンカウントしちまう世界なのかよ、ここは!


 立ちすくんでいる俺の前で、魔物がぐる、と唸って口を開ける。


「ターロ、伏せて!」


 アメリアが叫ぶが、そして初めて俺の名前を呼んでくれたようだが、それを喜ぶ余裕もないほど俺は動揺していた。

 アメリアに庇われ、エルヴィーラやマリーにスペルを請われ、失敗し――そして、冒頭に戻る。


「ハウス……ハウスもだめ……くそ、お手はなんだっけ……違う、それよりお座りだ……」

「ターロさん!」


 マリーが叫ぶ。

 俺の心臓も悲鳴を上げていた。


 こんな生命の危機に瀕するのなんて、初めてだ。


「お座り! シ……シット! シットだ!」

「ちょっと!」

「くっ……このフェンリル、なぜこんなに興奮している。マリー、なにかわからないか!?」


 尻もちをついた俺の肩を、アメリアが掴む。

 どこかからエルヴィーラの焦った声が聞こえる。


「ここからでは、苦しんでいるとしか……! 傷……? いいえ、違う……けれど、痛み……激しい苦しみ……」


 マリーの戸惑ったような呟きも聞こえる。

 けれど、それらは音として流れ込んでくるだけで、脳内で意味を結ぶものではなかった。


 とにかく、助かりたい。

 止まってくれ。殺さないでくれ。

 こっちに来ないでくれ。


「シット・ダウゥゥゥゥン!!」


 俺にできる最大限、ネイティブっぽい口調で叫ぶ。


 ――かっ!


 とたんに、まるで俺の口から発されたように光の輪が飛び出し、フェンリルの全身を包み込む。

 巨躯が白く染め上げられた、次の瞬間、


「――……!?」


 予想を大きく超える事態が起こった。


 ――ぐおおおおおおおおっ!

 フェンリルが地響きのような咆哮を上げ、その場に屈みこみ。


 そこで終わりかと思いきや、


「――……!!」


 その。

 そのですね。


 ――ぐぎゅるるるるるるっ!


 ちょっとこう、食事時だとかにはあまりお届けできない類の、大層たくましい音を響かせはじめたのだ。

 どこからって……その、腹から。

朝っぱらから恐縮であります。

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