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異世界無双には向かない国民性 作者:中村 颯希
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4.#とくに「s」と「sh」が致命的(1)

「起きなさいよ、異世界人」


 夜になり、焚き木の前に胡坐をかきながらうとうとしていると、不機嫌そうな声を掛けられた。

 慌てて目を開けてみれば、仏頂面をしたアメリアがこちらを見下ろしている。


「わっ、寝てた……! えーっと、エルヴィーラやマリーたちは?」


 涎の跡をこすりながら周囲を見回す俺に、彼女は冷ややかに肩をすくめた。


「夜にしか採れないタイプの薬草を採取しにいったわよ。役立たずの寝ぼすけが狼に襲われないよう、見張りにあたしを置いてね」

「そ……っ、それは……大変申し訳ゴザイマセン……」


 ただでさえ押しかけパーティーメンバーなのに、明確にお荷物だと指摘されると心が痛む。

 冷や汗をだらだら流しながら詫びると、アメリアは、


「噂通りずいぶん簡単に謝るのね、ニホン人ってのは」


 と鼻を鳴らした。

 引っかかる物言いだが、言い返せない。


 彼女は目をすがめて、しばらく俺のことを検分していたが、やがてぽつりと口を開いた。


「――……あんたの服」

「え?」

「乾かしてるときに見たけど、あんたの着てるその服や靴、ずいぶん立派よね。縫い目も布地も、今までに見たことがないほど精密で、上等。異世界のものはみんなこうなの?」


 思わず目を瞬かせてしまう。

 意識したことはなかったが、それはまあたしかに、ミシンや縫製機械もないのだろうレーヴラインの衣服に比べれば、たとえファストファッションのセール品であれ、こちらの服は立派に見えるだろう。


 ええと、と、とっさに謙遜の言葉を口にしかけたが、それを遮るようにアメリアは続けた。


「立派な衣服を当然のように身にまとい、手足にはマメひとつない。あたしたちがさっき分けてやった保存食は心底まずそうに食べる。マリーの呆れるほどの善意を、礼を一言述べるだけで平然と受け入れて、呑気にマリーやエルに見惚れて、労働もせずに寝こける――あんた、貴族かなにかなわけ?」

「ええ、と……」


 まずい。

 悪気はなかったのだが、俺の振る舞いがことごとく、アメリア基準では失礼にあたることを今更ながらに理解し、俺はさあっと青褪めた。


「わ……悪かっ――」

「詫びはいらないわ。あたしはただ、あんたに、分を弁えておいてほしいだけ」

「ぶをわきまえる……」


 言葉としては知っているが、面と向かって言われたのはさすがに初めてだ。


 なんとなく反芻してしまうと、アメリアはどさっと焚き木の向こうに腰を下ろした。

 胡坐をかいた太ももに左手で頬杖を突く。

 右手は地に伏せた長剣にかざしたまま、彼女はわずかに首を傾げた。


「……あたしはね。七つのときから、もう十年も剣士として身を立ててきた。孤児から成り上がるには、そのくらいしか道がなかったから。野郎には膂力で多少劣るけど、単身でドラゴンを仕留めるくらいの技量はあるわ。個人としてのランクは、ルビーだった――一時はね」


 ルビー、というのがどのあたりの階級に相当するのかはわからないが、彼女たちのパーティーの「ブロンズ級」よりは上そうだということは察せられた。

 はあ、と曖昧に相槌を返すと、アメリアは剣呑に目を細めた。


「――けど、先日、同じパーティーにいたにもかかわらず、あたしを襲おうとしたゲス野郎をうっかり半殺しにしちゃってね。ギルド内の喧嘩はご法度。相手がギルドの上役と近しかったこともあって、あたしはランクを一気にブロンズ級まで落とされたってわけ」

「それは……」

「しかもこれが初めてじゃない。あたしがサファイア級に足を掛けようとするタイミングで、決まってこういうことが起こり、ランクを落とされるのよ。やつらは、目立つ女が鼻につくってだけで、面白半分に蹴り落としてくる……あたしがどんな苦労を重ねてきたのかも知らずに」


 出世競争、のようなものなのだろうか。

 ギルドは自由闊達、権力に囚われない風来坊の集まり、といったイメージがあっただけに、彼女の告白は意外なものだった。


 なんとも返せず黙り込んでいると、アメリアは皮肉っぽく口の端を持ち上げた。


「あたしは男が嫌いだわ。ついでに言えば、苦労を知らない傲慢な人間も、虫唾が走る。エルヴィーラも、マリーも、事情は違えど、金や権力を持った馬鹿な男を嫌っているのは一緒よ。だからあたしたちは一緒にいる。ただでさえ冒険者ギルドには女が少ないもの。まとまってでもいないと、すぐ性欲の捌け口にされるしね」

「せ……っ」


 生々しい単語につい慌ててしまう。

 が、アメリアはこちらの動揺に構うことなく、「だから」とこちらに身を乗り出した。


 頬杖を突いた腕に胸が押しつぶされる様や、はらりと肩を滑る艶やかなポニーテールに、普通の俺だったら目がいっていただろう。

 しかしこのときばかりは、鋭いナイフのような緑の視線に射抜かれ、ただただ緊張を覚えるだけだった。


「だから、あんたにははっきり言っておくわ。あたしたちはあんたを信用してるわけじゃない。今一緒にいるのは、わずかな恩と、あんたのあまりに憐れな様子が、一時的に男っていう属性をかき消してるから。つまり」


 彼女は、猫のような目をすうっと細め、赤い唇をくいと笑みの形に持ち上げてみせた。


「あんたがこの状況を当然だとか思って、あまつちょっとでもマリーやエルに手を出そうとでもしたら、あたしは即座にこの剣であんたを男でなくしてやるから――そのつもりで」

「ひゃ……、ひゃい……っ!」


 脊髄反射で、情けない返事が漏れた。


 いやだって、思わせぶりに剣を撫でられながら、ものすごくどすの利いた声でそんなことを言われたら、誰だってそうせざるをえないだろう。

 子犬のようにぴるぴる震える俺を見て留飲を下げたのか、アメリアはふんと鼻を鳴らして立ち上がったが、俺は彼女が踵を返す直前、つい呼び止めてしまった。


「あ……あの……っ」

「なに」


 不機嫌そうに視線を向けられ、ついビビってしまう。


 これ、十七歳の女の子が体得していていい殺気じゃねえよ。

 視線の鋭さが銃刀法違反の域だよ。

 日本じゃ、カッターナイフを鞄の中に入れっぱなしにしてるだけで銃刀法違反なんだからな!


 びくびくしながらも、ちょっと唇を舐め、覚悟を決めて切り出した。


「その……改めて、ごめんなさい。その……タダ飯食いで。せめて労働で返すくらいはすべきだった。すみません」

「…………」

「それに、お、俺、アメリアたちみたいにきれいな子と話したことないから、つい無意識に見惚れちゃったりするけど、別に、襲おうとか、そんな大それたこと、まったく考えてないから……っ、この状況でそんな恩知らずなことできない……というかそんな肉食になれるもんならなりたいというか……いや、そうでなくて……」


 言っているうちに、なにから伝えるべきか混乱してしまい、口ごもってしまう。


 また簡単に謝る腰抜け、などと言われるのだろうか。

 言い訳っぽいと思われるのだろうか。


 でも、相手に不快な思いをさせてしまったなら、それはやっぱり謝るべきなのだと思うし、男を警戒しているのに受け入れてくれたのなら、なおさら妙な警戒は必要ないと伝えておきたい。

 それに、これから少なくとも数日はともに過ごすのだ。

 少しでも……摩擦は避けたい。


「その、謝られても嫌かもしれないけど……できれば、仲よくなりたいなあって……。……すみません」

無意識に謝罪を繰り返してしまい、なんだか情けなくなる。


 摩擦を避けたい、そのためなら謝罪もいとわないという姿勢は、国民性なのだろうか。

 簡単に詫びの言葉を口にする俺のことを、イギリスのクラスメイトたちはしばしば不思議そうに見ていた。

 現にアメリアだって目を見開いているが――それでもやっぱり、俺はそうせずにはいられないのだ。


 対立したくない。摩擦は避けたい。

 できるなら、和やかに接したいし、接せられたい。


 情けなく眉をハの字にして見上げると、アメリアはしばし黙り込んだ。


「――……ふぅん」


 やがて、わずかに首を傾げて、呟く。


「あたしたちと、仲よくなりたいんだ」

「は……い。あいや、その、もちろんやましい意味ではなくって、信用されたいというか、あの、あくまでそういった意味で、なんですけども……」

「信用ねえ」

「はい……その……至らない点も多いでしょうけれども、俺なりにその、お近づきになるために、鋭意努力したい……所存というか……」


 どこに導火線があるのかわからない、黒ひげ危機一髪のような会話だ。

 腕を組んでじっとこちらを見つめるアメリアの真意が読み取れず、俺は冷や汗を流しながら「すんません……」と呟いた。

 もう全方向に自信がなくて、呼吸するように詫びが口をついてしまう。


 アメリアはなにかを考えるように、とん、と剣の柄を叩くと、


「――じゃあさ」


 ふいに、にっと笑みを浮かべた。

 その勝気な表情は、燃えるような赤毛を持つ彼女にものすごくよく似合っている。


 つい視線を奪われてしまうと、アメリアは俺の傍にぐっと屈みこんで、睦言を囁くように尋ねた。


「あたしの手料理、食べてみる?」


 耳や頬にかかる女の子の吐息、そして「手料理」という単語に、性懲りもなくどきっとしてしまう。

 どうしてそんな展開になるのかもわからぬまま「え、え」と目を白黒させていると、彼女はさっさとテントに向かい――焚火のすぐ近くに、布を簡易に繋ぎ合わせたテントを拵えてあったのだ――、五分もすると戻ってきた。


 その手には、なにかこう、異様としか言えない物体をよそった木皿が握られていた。


「はい、どうぞ」

「こ……れは……」

「ザ・自然の残飯ブレンド」


 突きつけられた皿をまじまじと見て、思わず顔が強張る。


 その中身は、炎の柔らかな光に照らされてなお、おぞましい様相を呈していた。


 全体の色味としては――どどめ色?


 どろっとした半固体状の液体に、すり潰した草と思しきものや、よくわからない粘り気を分泌した根っこのようなもの、鳥肌が立ちそうなぶつぶつとした泡状のなにかや、極め付けには……虫の脚、のようなものも見える。

 皿からは、草の青っぽいような匂いと同時に、腐った卵のような悪臭が立ち込めていた。


 これは――ひどい。


 料理が苦手なキャラが、うっかり塩と砂糖を間違えたとかのレベルじゃない。

 凶器の域に達した、まさに凄惨な意味での飯テロだ。


「これって……その……安全、なのか、な……?」


 人間用の食い物ですか、と聞きたくなってしまったのをぐっと堪えて、そんな風に尋ねてみる。

 食の安全。大切だ。


 だがアメリアはひょいと片方の眉を上げて、皿に突っ込んでいた匙を取り、ひとくち食べてみせた。


「少なくとも毒じゃないわね。まずいけど、食べられる。栄養価は保証するわ。成長期のあたしを育ててくれた料理なんだから」

「……ち、ちなみに材料は」

「ヘルナの薬草をベースにアーレの樹液を混ぜて水増ししたもの。ラザック虫の卵とその抜け殻。卵はしっかり加熱してあるから安心して。ちなみに粘り気は、よくわかんないけど混ぜると勝手に出てくる」

「…………」


 はい、とか皿を差し出してくるんじゃねえよ。安心要素は今どこにあったんだよ。

 受け取ってしまってから、俺はうっかり涙目になった。


 間接キスを喜ぶ余裕すらない。

 この子、俺のことを相当嫌ってる。


「あの……」


 さすがにこれは無理だ。

 恐る恐る顔を上げると、こちらを見下ろしているアメリアと目が合う。

 その顔を見て、はっとした。


 その猫のような緑色の瞳には、冷え冷えとした表情が浮かんでいた。


「食べられないんでしょ? いいわよ、無理しなくて。あんたの『鋭意努力』なんてそんなもんだろうって、最初からわかってたから」

「…………」

「あたしは一時期、毎日これを食べてきた。ひもじくっちゃ稼ぐこともできない。文字通り木の根にかじりついて、虫や蛇すら食べて、生きてきたわ。料理を教えてくれる親なんて、いなかったしね」


 淡々とした声には、凄みがある。

 威嚇しようとしてではない、自然ににじみ出る迫力のようなものが、目の前の彼女にはあった。


「ちなみに、エルやマリーだって、これを食べられた。だからあたしは、これを食べられるかどうかで『こっち側』かそうじゃないかを判断してる。貧しさの苦しみを理解できるのは、その苦しみを味わった者だけ。あたしが信用するのは、そいつらだけよ。きれいな服着て、ママにあーんしてもらってたような男には――そんなの、到底食べられないでしょ」


 最後に吐き捨てられるように言われ、理解する。

 俺は、試されているのだ。


「ただでさえ、潔癖症と名高いニホン人だし。……さあ、わかったら、仲よくなりたいだなんて戯言を言うのはやめて、アーレントまでおとなしく――」

「ひとつ、聞いておきたいんだけど」

「は?」


 俺は腹をくくった。

 というか、やけになった。


 召喚されてから、いや、そもそも留学してから、いったいなんだというのだ。

 男というだけで、日本人というだけで、否定されて、非難されて。


 そこまでいうなら、こっちだって根性見せてやるよ、その代わり、頭ごなしに人のことを決めつけんなよ。そう言いたかった。


「この料理さ」


 草っぽいのは――大丈夫。

 姉貴の趣味で青汁をしょっちゅう飲まされてたから、わりと余裕でいける。

 粘り気も納豆で耐性があるし、ぶつぶつした泡のような卵も、まあトビコだと思えば……おっけー。

 いける気がしてきた。


 虫の脚も、そういやじいちゃんに蜂の子とか、イナゴの佃煮とかを食わされてきたから、言うほど問題ない。

 ――あれ? 日本人って意外に食のオーケーゾーンが広いんじゃないか。


 あとひとつだけ、確認すれば。

 そうしたらきっと、俺はこれを食べられる。


 これだけは、やっぱり食の安全にうるさい日本人として、聞かずにはいられないんだ。


「――賞味期限的にも、大丈夫だよな?」

「…………は?」


 アメリアのぽかんとした返事を了承と捉え、俺は一気に皿の中身を掻き込んだ――!

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