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異世界無双には向かない国民性 作者:中村 颯希
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2.#英語が苦手(1)

 次に意識が浮上するのと、俺の身体が物理的に浮上するのは同時のできごとだった。


 ――ざばっ!


「ぶっはあ!」


 水中から飛び出て、反射的に空気を吸い込む。

 ばしゃばしゃと水を掻いて岸に泳ぎ着き、草の上に乗り上がるところまでを無意識でこなして、それから俺は呆然と周囲を見回した。


 ここは、どこだ。


 まず視界に飛び込んでくるのは、先ほどまで俺が溺れかけていた湖。


 一瞬、大学のものかと思いかけるが、いや、あちらのものとは段違いに水の色が澄んでいる。

 まるで空を溶かし込んだかのようだ。


 湖を取り囲むように、密度の高い森。

 温かな風と、イギリスではめったにお目にかかれないくらい清々しい青空の真ん中には、小ぶりな太陽が――ふたつ。


「ふぁっつ!?」


 確信。

 ここは異世界だ。


 俺は意味もなく額に手を当てて、しばらくその場に座り込んでしまった。


 ずぶぬれになったパーカーをぼんやりと見下ろしながら、必死で状況を整理する。

 乏しい情報を繋ぎ合わせて導き出したのは、つまりはこういうことだった。


 俺は王様と神官と思しき人物によって、この世界に召喚された。

 が、日本人だし使えなそうという理由で、あっさり勇者候補を解雇、「リリース」されてしまった。

 で、そのとき暴れたのがいけなかったのか、元の世界ではなく、そっちの、またはさらに違う世界の湖に出てきてしまった、今ここ。


「――って、今ここ、じゃねえよ!」


 思わず両手を頭に突っ込んで絶叫する。

 パニックの波が一気に押し寄せてきていた。


 どうすんだ、どうすんだこれ、どうやったら帰れるんだ。

 もう一回湖に飛び込む……いや、普通に溺死するだけだろ、というかここはどこだよ、第一村人はどこにいるんだ、まさか俺から会いに行かなきゃならねえのかチュートリアルくらいしてくれよっていうか俺の装備はこのずぶ濡れのパーカーとジーンズだけかよ!


「じーざす!」


 ネット小説ならば、ここで主人公たちは自分の持つスキルを探ったり、なんらかのイベントに遭遇しにいったり、「ひとまず貨幣価値を確かめるのと、冒険者ギルドに登録だよね♪」って颯爽と行動を開始するんだろうが……やつら、鋼のメンタルだな! 特に最後のやつ!


 異世界転移モノは大量に読み漁ってきたというのに、いざ三次元の出来事として直面すると、どうしてよいかさっぱりわからず、ただただ硬直するだけだった。

 なるほど、サブカルの知識というのは使えん。


 とはいえ、一生このまま湖のほとりに座り込んでいるわけにもいかない。

 現実逃避しそうになる思考を何度も強制的に軌道修正して、ひとまず、誰かに会うことと、当座の食料や寝床を確保することを目的に立ち上がった。


「うう……マジ、サバイバル知識必須だこれ……」


 森での安全な歩き方や、狩猟採集の仕方など、現代日本人が知るはずもない。

 夜はどうやって火を熾せばいいんだ、とか、飲み水ってどうやって確保すりゃいいんだ、とか、諸々の事態を想定して青褪めていると、ふと湖の向こう岸の土が、濡れて光っていることに気が付いた。


 近寄ってみると、等間隔で草が踏みしだかれ、跡が森へと続いている。

 踏まれている面積は、俺の足より一回り小さいくらい。

 つまり、――たぶん人間の足跡。それも複数。


 ということは……誰かがここで水を汲んだり、洗濯したりした、ということではないか?

 それも、水が乾ききらないほど最近。


「……! 我ながら、痺れるくらいの名推理!」


 ふいに飛び込んできた希望の光に興奮しながら、本能的に足跡を追う。

 草むらを走り抜けると、俺より頭一つ高いくらいの茂みが現れた。


 がさっと茂みを掻き分けようとしたが、すんでのところで、足跡の持ち主が盗賊だった、みたいなパターンに思い至り、恐る恐る枝の陰から向こう側を覗き込んだところ――


「――……は……」


 俺は、女神を見た。

 それも複数。三人だ。


 一番俺から近くにいる人物は、艶やかに波打つ赤銅色の髪をきゅっと頭の上にまとめ持ち、革紐かなにかをぐるっと回して縛ろうとしている。

 年は、たぶん俺と同じか少し下くらい。


 小麦色の肌や猫のような緑の瞳、それから、ちらっと除く八重歯がはっとするほど色っぽい。

 彼女が胡坐をかいたすぐそばには、鉄製の剣と胸当てのようなものが投げ出されていて、どうやら身支度を整えている最中なのだということがわかった。


 下着などなにも着けていないのだろう、一枚の白いシャツに覆われただけに見える柔らかそうな胸に、思わずごくりと唾を飲み込む。


 もうひとり、その赤毛美少女のすぐ後ろに立っているのは、さらりと音が鳴りそうな金髪が特徴的な、これまた図抜けた美少女だ。


 ローブのようなものを身にまとい、濡れた髪を掻き上げながら裾に視線を落とした、その長い睫毛に彩られた瞳は深い蒼。

 肌はミルクのように白く、その顔立ちは、今までに見たどんなアイドルや女優よりも美しく整っている。

 淡く色づいているのは唇だけで、とがった耳すらも白く――って、とがった耳!?


 俺はぎょっとして、まじまじと金髪美少女を見つめた。


 間違いない。

 金のロングヘアの隙間から覗く耳は、何度見ても、先がとがっている。


 これは、いわゆる。

 ファンタジー小説では美少女枠としておなじみの――エルフ!


 美少女エルフもまた、美貌が突き抜けすぎていて判別がつきにくいが、おそらくは赤毛美少女と同じくらいの年頃のようだった。


 そして美少女エルフの傍らには、彼女よりもう少しだけ幼いように見える女の子が、横座りをして気持ちよさそうに髪に手櫛を入れている。


 日光にきらめく、ふわふわとした亜麻色の髪に、人懐っこそうなチョコレート色の瞳。

 こぼれそうなくらい大きな目はあどけなく、小さな口はきゅっと笑みの形に持ち上がっている。

 こちらも相当な美少女だ。


 そして、彼女の頭の両脇には、三角形の耳が生えていた。

 髪に近い部分は優しい亜麻色で、先っぽに行くほど黒い毛になっていく、俗にいうところのケモミミ。

 感情を表してか、たまにぴくんと動くそれは、とても偽物とは思えない。


 なにより決定的なのが、


 ――ぱたんっ。


 座る彼女の背後から、ふさふさとした亜麻色の尻尾が持ち上がり、ぱたんと地面をたたいたことだ。

 犬や猫よりも一回り以上太く、先端にかけて白くなっていくその尻尾は、まさしく、狐っ娘――!


「ふぉ…………ぅっ!」


 なにを隠そう、重度の獣っ娘好きである俺は、思わず奇声を上げかけたが、すんでのところで良識と両手がそれを塞ぐ。


 明らかに水浴び後の身づくろい中と見える三人娘。

 こんな場面で声を発したら間違いなく不審者だ。


 が、


「――……! 誰……っ!?」


 三人の中で最も耳がよいのだろうケモミミ美少女が、ぱっと顔を上げる。

 それと同時に、赤毛美少女と美少女エルフがばっと身構えるのが見える。

 俺はなんと切り出したものかと悩む暇もなく、次の瞬間には、喉仏すれすれの位置に剣が突きつけられていた。


「誰!?」

「ひっ……!」


 和を尊ぶ法治国家・ニッポンで生まれ育つこと十八年。

 親父に殴られたことすらなければ、もちろん人から刃を向けられたことなどない。

 俺は情けなく悲鳴を漏らした。


 が、その間にも赤毛美少女はざっと茂みを掻き分け、俺の姿を暴き出す。

 釣り目がちの緑の瞳を剣呑に細めると、彼女はさらにぐっと剣を近づけ、低い声で問うた。


「あんた、何者なの?」


 そこらの女子高生とは比較にならない、堂に入った凄みっぷりである。

 全身に冷や汗が滲むのを感じながら、俺はたどたどしく言葉を紡いだ。


「あ……アイム、タロウ・ヤマダ! ドント・キル・ミー! アイム……アイム……一般……一般ピーポー……! の、覗きじゃないです!」


 いかにも外国人めいた容貌の彼女たちを前に、とっさに不慣れな英語が口をつく。

 いや、英語になっているかは怪しいところだ。というか、彼女たちは日本語(のように聞こえる)を話しているというのに、俺が英語で返すのは明らかに妙だ。


 案の定、俺の安定しない言葉遣いに「あん?」といった顔つきになった赤毛美少女は、こちらの全身に胡乱気な眼差しを走らせた。


「……奇妙な格好ね。よそ者?」

「よ、よそ者です! 国家レベルどころか、世界レベルのよそ者です!」

「は?」


 どうしよう。

 こういうときって、どう名乗ったらスムーズに穏やかな自己紹介に移行できるんだ。異世界転移慣れしていなくて泣けてくる。

 誰かマニュアルをください!


 赤毛美少女がますます警戒心を強めて、すっと剣の切っ先を首の皮膚に食い込ませてきたので、俺は涙目になって両手を上げた。


「あ、あの……っ! ひとまず、け、けけけ、剣を、下してくれませんかね……!」

「……怪しいやつね」


 首にちりっと感じる痛みに飛びあがりそうになる。

 縋る思いでほかのふたりに視線を向けて、そのふたりともが、自身の身体を両手でかばいながらこちらを睨んでいるのを認め、俺は呻きそうになった。


 詰んだ。


 美少女エルフのほうは両手をかざしてなにやら呟いているし、ケモミミ美少女のほうは、ぴんと尻尾を立てて少し前傾姿勢になっている。


 とそのとき、彼女たちの後ろでぬるりと動くものが視界に入って、俺は反射的にそちらを見つめた。


 なんだろう。

 蛇のように見えるけど、ずいぶんと大きい。


 草の色と同化するような、くすんだ緑の鱗に、うねうねと長くくねる胴体。

 威嚇するように開いた口にはびっしりと牙が並び、奥からはちらりと長い舌が覗く。

 ところどころに浮かぶ斑点は禍々しい紫色で、なんだかすごく毒々しい――


 って、明らかにヤバイ感じの毒蛇だよ!!


「――う、後ろ!」


 俺はだらだらと冷や汗を垂らしながら、とっさに叫んだ。


「は?」

「後ろ! 後ろ、見てください! 危ない!」

「……なに言ってんの」


 赤毛美少女の目がますます眇められる。

 対して毒蛇のほうは、くわっと大きく口を開いた。


「ちょ……ウェイト! ウェイ、ウェイ、ウェイ、――Wait(待て)!」


 そのとき無意識に英単語が飛び出してしまったのは、この一週間でそういう反射が養われたからに他ならない。

 留学先で教師やクラスメイトに、「なに言ってんだ」という顔をされるたびに、俺はいつも「うぇ……wait, please……っ」と呟いては、言うべき単語をひねり出してきていたのだから。


 今にも後ろのふたりに襲い掛かろうとしている蛇と、俺に剣を向けている少女。

 図らずも二方向に対して「待って」と叫んだ格好だったが、そのとき奇妙な事態が起こった。


 ――キュインッ


 硬質な摩擦音が響くのと同時に、光の輪が赤毛美少女と蛇の両方に絡みつき、その動きを封じてしまったのだ。


「な……っ!」


 胸の下あたりで腕ごと光の輪に縛られた彼女が、愕然と目を見開く。

 うぉう、そういう体勢だと胸の大きさがますます強調されて――って今はそこじゃねえよ馬鹿野郎!

 俺は状況も呑み込めないままに、解放された首筋を慌てて押さえた。


 彼女たちの後ろでは、まったく同じ光の輪が、蛇のほうも拘束しているところだった。

 そこでようやく残るふたりのほうも、毒蛇の存在に気付いたらしい。


「クローラー!?」

「あっ、蛇さん!」


 それぞれ慌てたような声を上げながら、すかさず蛇――クローラーというようだ――から距離を取る。

 美少女エルフのほうが、蛇にまとわりつく光を見て「制止のスペルだと……?」と呟き、ケモミミ美少女が「かばってくれたんですか……?」と困惑したようにこちらを見上げ、赤毛美少女が険しい顔をしつつも、拘束された腕で器用に剣を投げ、クローラーの頭を切り落とす。

 そこまで、わずか三秒。


 びしゃっとおぞましい血しぶきを上げる蛇を背景に、三人はじっと俺のことを見つめた。


 警戒。困惑。不審。

 どれもみな歓迎モードではない。


「――……話を聞かせてもらおうじゃない」


 やがて、体を光の輪に拘束されたままの、赤毛美少女が口を開いた。

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