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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「恋」は難しい

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27.灰かぶり姫④

「それで、最後はこうね。灰かぶり姫は王子様に見初められて、いつまでも幸せに暮らしました」


 静かな監獄の一室。

 ハイデマリーはほっそりとした指で、最後の一枚となった絵画を満足そうに撫で上げた。

 そこに描かれているのは、ガラスの靴を手に跪いている王子と、両手を頬に当て、彼を見返す灰かぶりの姿だった。


 瞳を潤ませた彼女は、喜びに感涙を浮かべているようにも見えるし、恐怖に凍り付いているようにも見える。

 ハイデマリーは首を傾げながら、つとガラスの靴のあたりをなぞった。


「これって、脱がせているのかしら? まさか、履かせているってことはないわよね」


 彼女の常識からすれば、服や靴とは脱ぐためにあるものだ。

 男が跪き、女が許し、それらを脱がせることから物語は始まる。


「ま、いいわ。魔法使いも含めて、めでたし、めでたし」


 ついで白い指は、灰かぶりの背後で笑みを浮かべている魔法使いの女をなぞる。

 華やかな一幕に仕立てるための演出、それとも、王子の前では礼を取るということだろうか。

 それまで冴えないローブに身を包み、顔の大部分を隠していた彼女も、このときばかりはフードを下ろしていた。

 露わになった素顔は、意外に若々しく、美しい。


「……魔法使いもめでたし、なのか?」

「ええ、そうよ。弟子が栄華を極めて嬉しいでしょうし、ほら、彼女もきっとこの騎士あたりと恋仲になったのよ」


 ギルベルトが疑問を差し挟むと、ハイデマリーは自信たっぷりに頷いた。

 慈愛を含んだ笑みを目立たせようと画家が考えたのか、魔法使いの顔はほとんど正面を向いている。

 結果たしかに、その視線は、斜め前に位置する灰かぶりよりも、ほんの少しだけ外れていた。


 その視線の真正面に当たるのは、王子の付き添いと思しき騎士の男だ。

 王子とともに跪いているが、ガラスの靴を納める台座を捧げ持ち、体をねじっているため、やはり視線は、少しばかり灰かぶりから逸れている。

 結果、魔法使いと見つめ合うような構図になっていた。


 なるほど言われてみれば、密やかに視線を交わし合う二人、と解釈できなくはない。


「厳しい修行の末、弟子の灰かぶり姫は次期国王の妻に。そして師匠の魔法使いもまた、王の側近との恋を掴む。文句なしの大団円。ああ、わたくし、初めて普通にシャバの物語を完成させられたわ」


 これで合っているでしょう、と、無邪気に見上げられて、ギルベルトは咄嗟に沈黙を選ぶ。

 本来の物語では、魔法使いはべつにスポコン師匠などではないし、体を張った修行シーンなどないし、幸せになるのは主人公と王子の二人だけである。


 言葉を詰まらせた夫を見て、ハイデマリーの眉が悲しげに下がった。


「……間違っていたかしら? シャバの恋物語って、難しいのね――」

「いや」


 気付けば、ギルベルトは声を割り込ませていた。


「おおむね、そんな感じだ。特に、王子に見初められるラストシーンなんて、満場一致の大正解だとも」


 逆に言えば、ラストシーン以外は、ストーリー順もキャラ造形も不正解なわけだったが、そう褒めるとハイデマリーは機嫌よく両手を打ち合わせた。


「まあ。よかったわ」

「…………ああ」


 こうしたやり取りは、奇しくも、娘のエルマとルーカスの間で発生するそれと、大変似ている。


 妖艶で、誇り高く、人を弄ぶ傾国の娼婦。

 けれど、時折――そしてギルベルトにだけ見せてくれる、この不器用さが、彼をたまらなく夢中にさせるのだ。


 ギルベルトは結局、普通の「灰かぶり姫」がどんな話であったかなんて些細なことだ、と己に言い聞かせ、最愛の妻を甘やかすことにした。


「君は、聞いたことがなくても物語を完成させることができる、素晴らしい語り手だ」

「あら、嬉しい」


 腕の中に抱きしめながら囁けば、妻は少女のようにくすくすと笑う。

 自信を付けたのか、彼女は夫の耳に唇を寄せて、内緒話のように告げた。


「ふふ、あのね、実は、物語を想像するにあたって、意識していたコツがあるのよ」

「なんだ?」

「必ず、ハッピーエンドに持っていくの。『終わりよければすべてよし』って言うじゃない? たとえ途中が間違っていても、最後さえ合っていればそれでいい。……そうでしょう?」


 その言葉に、ギルベルトはふと腕を緩めて、まじまじとハイデマリーを見つめる。

 高貴な猫のような藍色の瞳は、悪戯っぽい光を湛えていた。


 己の紡いだ物語が「普通」でなかったことも、夫が気を遣ってそれを正解としたことも、もちろん彼女は気付いているわけだ。


 ギルベルトは静かに苦笑し、妻を抱きしめる腕に、再び力を込めた。


「そうとも。『普通』であろうがなかろうが、幸せならそれが正解だ」

 腕の中の大切な女性は、それに相槌を打つ代わりに、「ねえ、ギル」と小さな呟きを返す。

「なんだ?」

「わたくし……幸せだわ。怖いほどに」


 安堵と、感謝と、ほんの一匙、後ろめたさの混ざった声。

 なにごとにも動じない監獄の女王の、すぎた幸福に戸惑う心も、ギルベルトだけが知っている。


 過酷な運命にも、過剰な能力にも振り回されず、ただ、子どもに読み聞かせる絵本の内容に悩むような日々。

 その他愛ない、あまりに「普通」の在り様が、時に不安を駆り立てもするのだろう。


(「普通」とは、とても難しいものだから……)


 だからきっと、その答え合わせに勤しむよりも、それが幸せであるかどうかだけを、こうして味わってゆくべきなのだ。


「……そうか。君にも怖いものがあって、よかった」


 ギルベルトはあえて意地悪く告げると、妻の頬を撫で、そっとキスを落とした。

幕間が短いため、エピローグもこの後投稿させていただきます。

最後までお付き合いいただけますと幸いです!

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