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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「恋」は難しい

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25.シャバの「恋」は難しい(4)

「い……言いがかりですぞ!」


 極めて重大な言葉が紡がれるより早く、しわがれた男性の声が一同の耳を打った。

 声の主は誰かと見てみれば、聖職者の衣をまとった老年の男性だ。

 関係者席を蹴り上げるようにして立ち、険しい顔で声を張る彼こそは、エスピアナの聖侯爵・ロドリゴであった。


「エスピアナを属国に貶め、王族を一貴族に落とし、哀れな国民から搾取を重ね。それでありながら、その罪を私にかぶせようなど、盗人猛々しい! 私はエスピアナの名誉にかけて、ルーカス・フォン・ルーデンドルフの発言に断固として抗議する!」


 さすが元王族と言うべきか、辺境国出身ながら、そのルーデン語は実に流暢だ。顔立ちにも品があり、話しぶりも堂々としている。


 が、


(今かよ!!)


 この局面に来ての乱入に、観客たちの心が完全に一つになった。


 それはたしかに、彼にとっては、というか社会常識としては、この抗議は一刻を争う重大な問題なのかもしれない。

 とはいえ、今この瞬間、舞台上の主役はエルマとルーカスだ。侯爵の行動は、完全に場の空気を外したものでしかなかった。


「あれだけ身勝手に重税を課しておきながら、それを私が私腹を肥やしたかのように言うなど……。よろしいか、はっきりと言うが、哀れな貧者に救いの手を差し伸べたのは『私』で、『悪党』はルーデン王だ!」


 だが、言葉の端々を妙に強調する侯爵の口上を聞き、幾人かは彼の真意に気付いた。


 ロドリゴ侯爵は、ルーカスに向かって抗議しているのではない。

 ある人物に向かって、必死に主張しているのだ。


『……ロドリゴ、様』


 髪を乱し、破れたドレスの裾を引きずりながら、ゆっくりと近付いてくる人物。

 つい先ほど舞台の端まで吹き飛ばされた後、なんとか受け身を取って立ち上がった、アナに向かって。


 その瞳は暗い色を浮かべ、体はゆらりと揺れている。

 焦点の定まらない目つきから、彼女が正気を失った状態であることはすぐにわかった。


 喉からは獣のような唸り声が漏れ、震える手には鋭い針のようななにか。

 彼女は、混濁した意識のまま、なにかを探している。

 その身に刷り込まれた敵意を炸裂させる相手――襲い掛かる相手を。


 その対象が、一歩間違えば自分になるということを、ロドリゴは察知したわけであった。


『ああ、アナスタシア、可愛い子。ルーデン王弟の卑劣な策に乗ってはなりませんよ。あれらはすべて嘘。圧政を敷き、あなたたちを搾取していたのはルーデンです。だから私たちは、それに正当な抵抗をせねばならない』

『…………』


 腕を伸ばしたら触れられる距離までアナがやってくると、ロドリゴは発言をエスピアナ語に切り替えた。


 穏やかなイントネーションの、説得力のある話しぶり。

 彼がこれまで、多くの養子に向かって語りかけてきた口調だ。


 こうして目を合わせ、ゆったりと話しかければ、単純な田舎の子どもは、いくらでも彼のことを信じた。

 だからこの時も、ロドリゴはいかにも平静を装って、優しく笑みを刻んだ。


『ただし、もちろんその「抵抗」は、正当な国際手続きを踏んだものでなくてはなりませんがね。……私の言いたいことはわかりますね? さあ、アナスタシア。その物騒なものをしまって』


 実際は暗殺を命じていたし、決行後はアナを切り捨てる予定でもあったロドリゴだが、さすがに暗殺指示の嫌疑をかけられた今の状態で、ことを進めるのはまずい。

 いざとなれば、「暴走した養女を諭して暗殺を阻止した」という筋書きに転向できるよう、彼は慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと腕を持ち上げた。


 ――ちり……ん。


 聖職者でもある彼の肩には、祈祷布を模した幅広の布が掛けられていて、それには白い花の香りが焚きしめられているほか、先端には小さな鈴が付いている。


 人の理性を溶かす香りと、腕を動かすだけで鳴らすことのできる鈴。

 それらは、暗示の道具に打ってつけで、彼は子どもたちにこの香りと音色を刷り込むことで、自由に彼らを操ってきた。

 二種の道具を使えば、洗脳はより強固に施せるのだ。


(もっとも、ときに強く作用しすぎるのが難点ではあるが……)


 ルーデンの鐘楼と鈴が、同周期の周波数を持っていたのはロドリゴにとっても大きな誤算だった。

 だが、逆に言えば、鈴で行う以上に強く洗脳されている娘を操るなど、造作もない。


 ロドリゴはいつもの笑みを浮かべながら、優しい声で養女の名を呼んだ。


『アナスタシア。さあ』


 ――ちり……ん。


 もう一度鈴を鳴らせば、アナスタシアの身体からすうっと鬼気が薄らぎ、彼女は糸の切れた人形のように、ぺたりと床に座り込む。

 緩んだ掌から、毒針がぽろりと転がったのを捉え、ロドリゴは内心でそっと安堵の溜息を漏らした。

 ひとまず、この兵器むすめに、至近距離から襲われる恐れはなくなった。


『先ほどは随分取り乱していましたね。なにがあなたを追い詰めてしまったのでしょう。大丈夫、私はどんなことがあってもあなたの味方です。この後ルーデンの取り調べがあるかもしれませんが、必ず私も同席しますからね』


 ――ちり……ん。


『…………』


 罪をすべてアナに被せられるように、徐々に暗示の内容を修正していく。


 養女が反発もせずしゃがみ込み、床を見つめたままであることに、ロドリゴは深い満足を覚えた。

 こうでなくてはならない。


『さあ、もう大丈夫。私がいますから、顔を上げなさい。あの卑しく飢えた寒村からあなたを救い出したときのように、今回も――』


 ――ガコ……ッ!


 深い満足を覚えて、だから、鈍い音が響いたとき、彼はそれが、自分の側頭部から響いたものだと理解できなかった。


『…………え?』


 ぽかんとする。

 一拍して、猛烈な痛みが襲ってきた。

 視界が明滅し、全身から力が抜けてゆく。


 ぐら……とその場に倒れ込むロドリゴとは裏腹に、アナはすっと立ち上がった。


『……暗示を解くときのコツは、まず自身にショックを与え、関心を途切れさせること。ついで、暗示者から視線を逸らすこと』


 まるで学習内容を反復する生徒のように、淡々と呟く。


『意識を一点に集中させ、ひたすらそれだけを考える』


 真っすぐに舞台に立つアナの、その足元を飾るガラス細工のついた靴は、右側だけが無くなっていた。 たった今、投げつけたためだ。


 エルマの暴投によって正気を取りもどしたアナは、静かな声で続けた。


『あなたはパンをくれたけれど、苗は授けなかった。微笑みはくれたけれど、けっして私たちに触れようとはしなかった。褒めてくれたけれど……その顔はいつも、冷え切っていた』


 気付くべき事実は、きっとたくさんあった。


 なぜロドリゴは、アナたちが弱りきった後にやってきたのか。

 なぜ「救いに来た」と言いながら、アナだけを攫うようにして、さっさと村を去ってしまったのか。

 なぜ、エスピアナはルーデンに搾取されていると言いながら、彼は大量の養子を抱え、立派な屋敷を擁していたのか。


 ロドリゴが貧民アナを蔑みながらも、エスピアナを――あの寒村を救おうとしていたなら、きっとそれでもよかった。

 けれど。


『あたしは……、あたしたちの村は、ルーデンに搾取されてたんじゃない。業突く張りのエスピアナの元王族に……あんたに、食い物にされてたんだ』


 こげ茶色の瞳に、涙が滲む。

 けれど、剥き出しになった足はしっかりと舞台を踏みしめ、アナの身体を支えていた。


 自分の意志だけで、立つ。

 今はそれだけで十分だと、彼女は思った。


「おやおや、いいのー? 相手の言い分も聞かないで、のしちゃって。本当は彼の言う通り、僕たちルーデンが君たちの村に重税を課していて、彼が正義の人なのかもしれないよ?」

「……顔を見れば、だいたいわかるようになりましたので」


 からかうように話しかけてきたフェリクスに、アナはくるりと向き直る。

 そして、その場に跪き、両手を差し出した。


「偉大なる陛下におかれては、すべての事情をご賢察のことと思います。私の愚かさもまた、一連の罪を引き起こしました。どうぞ、処刑するなり、監獄送りにするなり、ご随意に」


 曇りの取れた目で見れば、常におちゃらけた言動のこの男が、凡愚を装った名君であることも、察せられる。

 寒村に対するやけに具体的な支援例を思い出すに、彼に任せておけば、故郷の行く末も問題はないだろう。

 自分自身の今後については、虚脱感が大きすぎて、なにも考えられなかった。


「……なんか、そんなところまで師匠(・・)に似るものなんだねぇ」


 だが、神妙に差し出していた腕を、愉快そうなフェリクスに取られ、アナはすいと立たされた。


「君を監獄送りなんて、しないよ。処刑もね」

「は?」

「なんか僕、黒幕を靴で殴り倒して、自ら監獄送りを申し出る女の子を見ると、無性に傍におきたくなるタイプみたいでさー」

「……は?」


 そんなタイプ、聞いたことがない。

 思わず胡乱げな顔つきになってしまったアナを、彼は「こっちの話」と躱し、その足元に跪いた。


「…………!?」

「片足だけヒールだと立ちにくいでしょ。脱いじゃいなよ、こんな靴」


 そう言って、左足に残っていた靴を脱がせる。

 彼は靴の先に付いた細工に目を止めると、「ガラスの靴だね」と呟き、ぽいとそれを後ろに放り投げた。


「君は、素足で大地を踏みしめるほうが、好きな人でしょ?」


 そう、アナの目をまっすぐ覗き込んで笑う。

 最初は愚鈍な王だと思っていたし、今では狐のようにずる賢い男だと思っているが、歯を見せて笑う様子は、意外にも爽やかだ。


 驚きに目を瞠っていると、彼はじっとアナを見つめたまま立ち上がった。

 緑色の瞳は、どこか故郷の森を思わせる。


 なんとなくそれから視線をそらせずにいると、彼の顔がふと近付いてきた。

 骨ばった意外に大きな手がアナの肩に回り、そして――。


 ――カチリ。


「…………!?」

「お、似合うね。よしよし」


 首にずしりとした重みを感じて、アナは勢いよく後ずさった。


『…………!? …………!? こ、これ……っ』


 あざといほどに陽光を弾き返す金細工と、大量の宝石が埋め込まれた首飾り。

 間違いなく、この選考会の優勝者に授けられるという、「王妃の首飾り」だった。


「おめでとう。君は見事、『養父ロドリゴを切り捨てろ』という僕の命令に対し、忠誠を示した。婚約話を妨害するどころか、君やロドリゴに話の腰を折られまくっていたエルマとは大違いだ。いやー、これはもう、満場一致で君が優勝だね」

『な……っ!?』


 想定外すぎる展開に、もはや言葉が出てこない。

 それまでもどかしそうに話を中断させていたエルマは、フェリクスの発言を聞くと、瞳に溢れんばかりの感動を浮かべ、きらきらとアナを見つめた。


「アナ様……! 殿下との会話にさんざん横槍を入れられて、正直困惑しておりましたが、まさか、私の命令達成を防ごうという、そんな深遠なお気遣いがあったとは……」

『いや違う! 違うから!』


 アナは思わず母国語のまま絶叫したが、エルマは感じ入ったように首を振るだけだった。


「アナ様ったら……」

『違う!』


 というか冷静に考えて明らかにおかしいだろう。

 どこの世に、自分の命を狙った女を妻にしようとする男がいるのか。

 暗殺者を王妃にしようとする国があるのか。


 青褪めるアナに、フェリクスはにっこりと両手を広げた。


「大丈夫、大丈夫。世論はどうとでもなるから。やっぱこういうのって、周囲の目とかよりも、本人同士の想いが一番重要だと思うし」

「『あたしの』……――いや、私の想いはどこへ!?」


 思わず母国語が出かけたアナは、慌ててルーデン語に改めつつ、鋭く叫んだ。


「あ、僕、エスピアナ語もだいたいわかるから、そのまま話してくれていいよ。すごい? 尊敬しちゃう? だってほら、君、尊敬できて、包容力や指導力があって、穏やかで、いつも笑みを湛えている男が好みなんでしょ? つまり僕だね」

「…………!?」


 いったいどこまで筒抜けになっているのか。

 そしてその自信はなんだ。


 口をぱくぱくさせるアナに、フェリクスはうっとりと指を伸ばし、その首飾りを撫でた。


「うん、よく似合うなぁ。まだ僕が王子だったころ、エスピアナに視察に行ったことがあったんだけど、君、そのとき侯爵家に侍女の恰好をしていたじゃない? 犬みたいに全力で主人のことを慕ってさ。あれを見たときから、君には絶対首輪が似合うと思ってたんだよね」


 なにか、とてつもなく恐ろしい発言を聞いた気がする。


『そ、そのときから、あたしのことに、気付いて……?』

『だから選考会を開いたんじゃないか』


 強張った問いには、流暢なエスピアナ語で答えが返った。


『僕はこれで、ロマンチストな男だよ。まあ、嫁取りは無理かなーと思ってたんだけど、ちょっと事情が変わったもので、……欲しいものには、自分で手を伸ばしてみることにしたんだ』


 彼の発言には含みが多くて、真意のすべては掴めない。

 滝のように冷や汗を流す今のアナにわかるのは、たった三つのことだけだった。


『さてさて、ロドリゴ侯爵はどう料理しようかなぁ。監獄に放り込んだら、クレメンスと面白い化学反応を起こしてくれそうだけど、ちょっとキャラがかぶってる気もするし。ひとまず、ファイネン伯爵と商家のほうから考えるかな』


 一つ、ロドリゴなんて比較にならないほど、目の前の男は有能で、かつ狡猾であること。


『まあ、カロリーネ嬢は「ご褒美」で情状酌量にするとしてー。なにせ、君の好みという重要情報を聞き出してくれた働きも、評価しなきゃだしね。ほら、僕って公正公平がウリの人だから』


 二つ、目の前の男は、優先順位の付け方や自己評価がおかしいということ。


『そう、だから、君にも基本、無理強いをしたくはないんだよ。僕はロドリゴ侯爵とは違って、君の足を窮屈な靴に押し込めたりなんかしない。だって僕は、飢えた犬のように貪欲で、雑草のように逞しく、自分自身の足でしっかりと大地を踏みしめてみせる、ありのままの君が好きになったんだから』


 そして、三つ――。


『なにより、素足に首輪、もとい首飾りって、……犬らしくて実にそそるもんねぇ?』


 重度の変態であるということ。


『…………っ!』


 青褪めて首飾りを外そうとするアナに、フェリクスはのほほんと微笑んで告げた。


『あ、それ、僕以外に付け外しできないから、安心してね』


 安心要素がまるでない。

 ぎょっとして振り返ったが、フェリクスはそんな彼女の肩を無理やり抱き、もう片方の手を高らかに掲げた。


「みんな、ありがとー! 無事、お妃が決まったよー」


 くだけた宣言に、観客たちがぽかんとする。

 彼らは「え……? あれ、いいのかな……?」みたいな空気を醸し出した後、困惑顔のまま、ぱらぱらと拍手を始めた。


 それでもやはりそこは集団心理で、拍手は次第に大きくなってゆく。

 あっという間に、会場を揺るがすほどの音量となった拍手や歓声に包まれ、アナはただ茫然と、その場に立ち尽くした。

次話、再びエルマ&ルーカスのターン!

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シャバの「普通」は難しい 05
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