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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「恋」は難しい

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18.「普通」の美貌(2)

「僕としては、妻となる女性には、自分で自分のケツを拭くっていうか、まあ、身支度くらい自分で整えてほしいんだよねぇ。……というわけで、一同、すっぴんになってから、身支度をしてみてくれる?」

「な……っ!?」


 素顔を晒すなど、本来は将来を誓った男性にしかしない行為だ。

 そして実際問題として、大抵の貴族令嬢は、自らの手で化粧筆を握ったことすらない。


「へ……陛下、婚前のわたくしどもに、素顔を晒せなど、あんまりな……」

「えー、だって君たちは、婚前に性交渉するくらいの覚悟でこの場に臨んでくれてるんでしょー? それに比べれば、些細なことじゃない。これが僕式の枕問い、とでも思ってよ」


 世間体を言い訳に抗議したカロリーネを、あっさり一蹴すると、フェリクスはにこりと候補者たちを見回す。


 それと、と呟いて、彼は使用人に合図して小ぶりなバケツを取り寄せると、ぱしゃっとその中身を、候補者たちに浴びせた。

 エルマはすかさずバルドを高く掲げて守ったが、三人ともしっかり服に黒い液体を吸わせることになった。


「な……っ! な、ななな……!」

「ただの墨だから安心してー。着替えなきゃって、モチベーションが上がるでしょ? 僕なりの親切ね。ほら、王族ってこういういわれなき汚れを浴びせられることもあるから、それの比喩っていうか。あ、弁償代わりに、ここのドレスは好きに持っていっていいからねー」


 墨はしっかりドレスに染み込んで、落としようがない。

 後に引けなくなったカロリーネ、そしてほか二人の候補者を公平に見まわしながら、フェリクスは相変わらず、狐のような笑みで続ける。


「化粧道具、ドレス、装身具一式、すべて用意してある。君たちがどんな美女ぶりを見せてくれるのか、とても楽しみにしているよ」


 そうして、いつの間にか運び込んでいた銅鑼をぼーん! と鳴らし、さっさと選考を開始してしまった。


「はい、メイクはこれで落としてねー」

「…………っ!」


 とどめとばかりに、濡らした布を配布され、カロリーネは絶句する。

 ここで着替えず、化粧を落とさねば、「美を競う選考で、スタートラインにも立てなかった」という評価が彼女を待っているわけだった。


 歯ぎしりするようにして、ばっと個室に引っ込んだカロリーネをよそに、アナは舞台に佇んだまま、色とりどりの衣装や宝飾品、そして手の中の布巾を見つめた。


 さすが王宮支給品、布巾ですら一級品だ。


(……はん。わざわざ綺麗な服を着させて、それを墨で汚して。高価な化粧品を塗りたくらせて、それを、贅沢に布を使って落とすわけだね)


 一通りの美容講義を受けたアナは、この布が使い捨てであることを知っている。

 泥を塗って寒さをごまかし、赤子を包む布を求めて乏しい金を掻き集める――そんなアナたちの暮らしとは、なんという違いだろう。


「どうかした?」


 不意に、目の前の男が顔を覗き込んできたので、アナは咄嗟に笑みを貼りつけた。


「……いえ、なにも」


 許せない、と思う。


 この男は、アナたちが強いられてきた理不尽の象徴だ。

 搾取という名の厚着に包まれ、ぬくぬくとしている。

 他人に真っ黒な墨を浴びせ、平然と笑っている。


 こんな人間がいるから、重税を課されたアナたちはいつも飢え、凍えていた。


(やっぱり、ロドリゴ様なんだ。あたしたちに唯一手を差し伸べてくれたのは、彼。あたしは、ロドリゴ様を信じるべきなんだ)


 昨夜から揺らいでいた心が、急にすっと固まるのを感じる。

 エルマにほだされ、尊敬すべき養父を疑いはじめるなんて、どうかしていた。


 彼があの日白い花を差し出したのは、そしてその香りをまとった髪飾りをくれたのは、単なる偶然だ。 出会ったときから、彼はいつだってアナに優しい笑みを向けてくれていた。


 そうとも。

 流刑地で凍えていたアナを、彼だけが救い、彼だけが真っ当な人間にしてくれた。


(ロドリゴ様だけが――)


 アナは意を決して、ぱっと観客席を振り返る。

 そこでは養父が、あの穏やかな、慈愛深い笑みを浮かべてアナのことを見守っているはずだった。


 数日ぶりに、しっかりと彼の顔を捉える。

 聖侯爵にふさわしく、白い司祭服をまとった彼は、やはり微笑んで、熱心にアナを見つめていた。


 だが――。


(ロドリゴ、様……)


 アナは、無意識に目を見開いてしまう。


 大好きだった、養父の笑み。

 いつだってアナを喜ばせた彼の表情。


 しかし、目の周りの筋肉や、眉の角度、唇の強張りといった「微」表情が示す感情は、彼女を一瞬で絶望の底に突き落とした。






 ***





「いよいよ始まったわね……」


 舞台に候補者が揃ったのを見て、イレーネが観客席で両手を組む。


 ここまで、圧倒的にエルマ優勢で来ているかに思われる選考会。

 最終課題はなにかと気を揉んでいたら、意外にも、普通のビューティーコンテストみたいなお題が出た。

 もっとも、墨をぶっかけるくだりは、さすがフェリクスとしか言いようのない鬼畜さが滲み出ているが。


「それでも要は、美人コンテストでしょう? どんな美女に化けるかって……そんなの、いくらほか二人が頑張っても、エルマがぶっちぎりで優勝に決まってるじゃないの。あの子の顔面は天才的よ!?」


 焦りの余り、独り言までもが叫び声になる。


「あら、わかりませんわよ」


 だがそこに、やけに平坦な口調で反論しながら、デボラが腰を下ろした。


「エルマエル様の顔面が、奇跡認定されるくらい美しいのは重々承知しておりますが、同時にその御手は、あらゆる造形を自在に操る神の御手。エルマエル様にかかれば、不美人に仕上げることももちろん可能ですもの」


 相変わらず暑苦しくエルマの応援グッズを手にしているのかと思いきや、今日の彼女は、なぜか「アナ様ファイト!」と書かれたハチマキやプラカードを手にしている。

 勢いよく振り回せば、それだけで市民票をアナに誘導できそうなほどには、豪華な品々であった。


「……どんな状況でも一貫してエルマを応援する、のではなかったの?」


 怪訝に思ったイレーネが眉を寄せると、デボラは悲愴な顔で、歯の隙間から押し出すような声を出した。


「人質を取られましたの」

「はい?」

「人というか、厳密には本だがな」


 と、今度はそこに、涼やかな低音が降ってくる。

 イレーネはばっと顔を上げ、その正体を理解すると瞳を輝かせた。


「ルーカス殿下!」


 そこには、鎧を外し、シンプルなシャツとズボン姿のルーカスが立っていたのだ。

 彼は、ここ数日の険しい表情をどこかに流し去ってしまったように、すっきりとした顔つきをしていた。


 かつ、その男らしく長い指の先には、白百合が描かれた表紙の本が摘ままれている。


「それは……?」

「うん? デボラ嬢がいつの間にか図書室に蔵書させていた書物だな。明らかにエルマがモデルとわかる人物が、美化されまくったどこぞの辺境伯爵令嬢と愛を育む物語だ。それも、かなりいかがわしい、春書と呼んで差し支えない部類のな」


 ルーカスは、その端整な顔に、皮肉っぽい笑みを浮かべてみせた。


「そこでだ。『エルマが万が一立后したら、彼女をモデルとした春書は不敬に当たる。よって、エルマが優勝したら、この書物は版ともども、即座に燃やさなくてはならない』と、ごく当然の事実を提示してやったんだ」

「くぅ……っ!」


 デボラが目頭を押さえてその場に蹲る。

 彼女はハチマキを握りしめた手を震わせ、何度も石の床を叩いた。


「鬼畜の所業ですわ……! これは、世界に二つとない至高の愛の物語……っ。全八百ページ、総編集時間二百日にも及ぶ大長編を、版ごと燃やすと脅すなど……っ。わたくしとエルマエル様を引き裂く、この悪魔め……っ!」

「結局のところ、現実のエルマより二次元を優先しておいて、なにを言う」

「それはだって……っ! そもそも、エルマエル様はべつに、優勝を望んでおいでではなかったわけですし、応援を取りやめるのも、結局はエルマエル様のご意思に適うと判断したからで……っ」


 冷静なツッコミに、デボラがえぐえぐと反論する。

 イレーネはじっとそれを見つめ、やがて静かにデボラの肩に手を置いた。


「あなたが応援先を変えたことは、最終的にエルマのためになると思うもの。判断を恥じる必要はないわ。それに……できうる限り愛読本を守りたいと願う気持ち……、それは誰にも否定されてはならない」

「イレーネさん……?」

「なぜかわかる? それはね。その本は、私たちにとってはただの紙の束じゃない。愛と信仰と真実が詰まった、聖書だからよ」

「イレーネさん……!」


 デボラが驚いたように顔を上げる。

 なにかと反目していた、二つの正義の使徒は、この時初めて互いをしかと見つめ合った。


「思えば私も視野が狭かったわ。脳内補完により同性間に愛を生じさしむる高度な知的遊戯……。薔薇であれ百合であれ、その滾るような情熱に違いなどなかったのに。ねえ、デボラ。私たちは今こそこの腐訓を胸に刻むべきだわ。『誰かの受けは、誰かの総攻め』。『誰かの地雷は』――」

「『誰かの主食』……!」


 相性の悪かった二人の間に、なぜかこの局面で友情が芽生える。

 ひしっと両手を握り合った二人の前で、


「で、そろそろ話を戻していいか?」


 死んだ魚のような目をしたルーカスがぼそりと突っ込みを入れたので、イレーネはいよいよ嬉しくなった。

 やはり、こうでなくてはいけない。


「殿下、もうお怒りは解けたのですね。エルマの立后妨害に、力を貸してくださるのですね」


 うきうきと確認すると、ルーカスは「まあな」と苦笑を浮かべる。


「俺も相当甘ったれていたと、気付かされた。目が覚めた以上は、いい加減、あの鈍感生命体に、俺の思いの丈を理解させるぞ。まずはとにかく、立后ゆうしょうの阻止だ。すでにいくつか手は打ってあるが、アナスタシア嬢が身支度を終えた時点で、確実に市民票が彼女に集中するよう、観客を誘導――」


 だが、彼が具体的な策を披露するよりも早く、周囲からわああああっと歓声が響いた。


「えっ? まだ誰も身支度を開始しては――」


 慌てて舞台を覗き込んだイレーネは、ついで息を呑む。

 そこでは、眼鏡を外し、濡れた布に顔を埋めていたエルマが、ゆっくりと顔を起こしているところだった。


「な……っ、なんて美しい……っ!」

「光り輝くような肌だ!」

「素顔のほうが美しいだなんて……っ!」


 遠目にもわかるほど透き通った白い肌に、完璧な左右対称を描く瞳。紅を差していないはずの唇や頬はほんのりと色づき、まるで水滴を湛える花弁のような瑞々しさだ。


 エルマが赤子を抱えたまま、もう片方の手で、お団子頭に指を差し入れる。

 絹のような黒髪は宙で波打ち、はらりと肩を覆った。


「あああっ、そうだった……! むしろあの子、すっぴんのほうが破壊力が凄まじいんだった……!」


 イレーネは絶望のうめき声を漏らした。

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