今は亡き人たちの肉声が、ICレコーダーに残っている。私は、2015年11月から2年間に亘って、安楽死をテーマに取材を重ねてきた。唯一、外国人の安楽死が許されているスイスの安楽死団体の協力を得て、「旅立ち」を翌日に控えた患者への取材を許された。
「明日には私は、この世界にはいない。もうあなたに会うことはないわ。さようなら」
こう言い残し、翌朝、旅立った人々の穏やかな表情は、死ぬことに対する恐怖よりも、「やっと死ねる」という安心感を物語っていた。
<65歳以上の高齢者が約3500万人に及ぶ日本では、新たな終末期医療のあり方が模索されている。その一つが安楽死という選択である。近年、その容認を求める声が高まっているが、実態が伝えられることは少ない。
スイス、オランダ、アメリカなど世界6カ国で、安楽死の「瞬間」にまで立ち会ったジャーナリスト・宮下洋一氏は、その成果を『安楽死を遂げるまで』にまとめた。
取材を重ねるなか、安楽死に一定の理解を示していったという宮下氏だが、日本でそれを法制化することに関しては、否定的である。一体、なぜか。>
私は、もともと安楽死について懐疑的だった。いかなる理由があろうとも、第三者の医師が人の生死を簡単に決めてしまっていいのかと思っていた。
だが、死を直前に控えた患者たちに接し、さらには遺族に取材していると、安楽死を否定できなくなった。皆が、その「死」を尊重し、納得しているのだった。
一方で、私は、安楽死を迎える人々の中に、共通項があることに気付くことになった。
まずは、家族関係の希薄さである。次に記すのは、自国で安楽死が禁じられているため、スイスに渡ってきた外国人の最期の証言である。
「もし私に子供がいるのだとしたら、おそらく違った最期を選んだかもしれません」(皮膚癌を理由に81歳でこの世を去った英国人女性)
「この決定は、私の個人的なものだと思っているんです。私の死に際を子供たちに見てほしくはない」(膵臓癌を理由に68歳でこの世を去ったスウェーデン人女性)
片麻痺で22年間、ベッド生活を強いられたドイツ人女性(54)も、別れた夫や子どもたちに黙って安楽死に臨み、恋人と2人だけでスイスのホテルに滞在した。「息子にも母にも、障害を持つ私の世話をしてほしくありません」と淋しげに語るのだった。
家族の絆とは何か。彼らは、家族との繋がりが保たれていれば、死を選ばなかったのではないか。そんな思いに駆られることもあった。
その後、オランダ、ベルギー、アメリカといった安楽死容認国で関係者にあたる中、他にも共通項があることが分かった。アメリカで安楽死に反対の立場をとる医師はこう言う。
「安楽死を希望する患者には4つの“W”が当てはまります。まずWhiteで白人。次にWell-educatedで高学歴。そしてWealthyは裕福、最後にWorriedは心配性です」
最初の「白人」に関しては判断できなかったが、その他の「W」については、頷けるものがあった。私がスイスで取材した希望者は、高学歴が多かった。そして富裕層についてだが、そもそもスイスに渡航し、医師とのカウンセリングなど、安楽死のための準備を整えるには、生活に余裕がないとできない。さらに、医師に問われた。
「なぜ先進国では安楽死が求められて、発展途上国では求められないのか」
その背景を自分なりに考えてみて、たとえば途上国に心配性の人が少ないのは、地域や家族との繋がりが密接だからなのではないか、と思い至った。
欧米の安楽死事情を取材していると、それが必ずしも「悪」だとは感じなかった。容認国では、人の最期においても「個人の権利」が尊重されていた。宗教や歴史がそうさせたのか、本人が納得できる死に方を、家族も享受するという文化が根付いていた。
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