千葉真一さん 「キイハンター」で地位確立、危険なアクションもスタントマン使わず

[ 2021年8月20日 05:30 ]

千葉真一さん急死

76年、東映「子連れ殺人拳」のスチール撮影に臨む千葉真一さん
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 希代のアクションスターとして一時代を築いた千葉真一さん。学生時代は五輪出場を目指すほどの体操選手で、肉体派としての礎はこの頃に形づくられていた。一方、90年代に海外に進出。国際派俳優としての草分け的存在だった。

 小さい頃からスポーツ万能で知られた千葉さん。高校生の時に体操の全国大会で優勝し、日体大に進学すると、五輪出場を目指すまでに成長。しかし、腰を痛めて断念した。

 大学を中退して東映「ニューフェイス」に合格、“二枚目俳優”の路線で売り出していった千葉さんがアクションスターとしての地位を確立したのが、1968年にスタートしたドラマ「キイハンター」。普通の役者にとっては危険極まりないアクションはスタントマンが担当するのが当たり前だった時代に、体操で鍛え抜いたその体を駆使し、アクロバティックな動きを全て自分でこなした。

 今でも語り継がれているのは、離陸する軽飛行機に車の運転席から乗り移るシーン。その危険度は千葉さん史上1位といわれる。後に「飛行機につかまったら左足が車のハンドルに引っ掛かって抜けない、死ぬかと思ったよ」と述懐した。

 若き日には、テレビの企画で米国のスタントマンが来日したと聞き「負けねえ」とライバル心がメラメラ。「東京・新宿の京王プラザホテルの屋上からザイル一本垂らして下りてやる」と息巻いた。いざ高さ百数十メートルの屋上に立つと後悔したが、「シューッと下りたら気持ち良かった」という。「トム・クルーズがいろいろやっているけど、何十年も前に俺はやっていた」とニンマリと振り返ったこともあった。その名は世界にもとどろき、ジャッキー・チェン(67)やキアヌ・リーブス(56)からも尊敬された。

 武道などにも励み、極真空手は四段、少林寺拳法は二段という凄腕。志穂美悦子(65)や真田広之(60)らを後に輩出するジャパン・アクション・クラブ(JAC)を70年に創設したが、千葉さんを駆り立てたのはアクションの撮影現場に対する不満だった。

 「キイハンター」をはじめとした現場で千葉さんの相手をするのは役者ではなく決まってスタントマン。フレーム内に同時に相手を入れることができず、つまらない画(え)となり、もどかしさだけがたまっていった。そこで、JACでは呼吸法から徹底的に教え込んだ。激しい運動時でもセリフが言えることを意識したトレーニングを重ね、横にした生徒の腹の上でジャンプ、セリフを言わせたこともあった。どこまでも“本物”を追究した人だった。

 《次男眞栄田郷敦「約束してきた」》次男で俳優の眞栄田郷敦(21)は最期はみとれなかった。関係者を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」とコメント。最愛の父への思いを込めた。

 ▼関根勤 千葉真一さんは私のヒーローでした。「アラーの使者」で出会い、「キイハンター」で心躍り、「魔界転生」の柳生十兵衛で魅了されました。千葉真一さんのものまねをさせていただき、ご本人に公認していただいたことは私の誇りです。

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2021年8月20日のニュース

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