『スティグマの社会学』という本を読みました。
スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ/アーヴィング ゴッフマン
スティグマは、
他者からのネガティブなレッテルのもとになる、
外見面、あるいは、精神面の特徴のことです。
顔面の傷や手が震えてしまうほどのアル中など、
周囲が見てわかってしまうものから、
乳癌による乳房切除や軽度の精神的な病など、
近しい人以外には隠していくことも可能なものもあります。
そして、上記のような個人の問題もあれば、
人種的・民族的な集団の問題もあります。
スティグマはどうしても周囲からの差別に結び付いてしまいがちですし、
当人も、アイデンティティや周囲との関係を構築していく上で、
スティグマをどう消化していくかが大きなテーマになります。
そうしたテーマについて扱った本書を要約し、
それに基づいて現代社会を分析するという課題だったのですが、
要約の部分をここでも紹介させていただきたいと思います。
1-1.スティグマを有する者の分類
ゴフマンは、スティグマを有する者を2つの軸から分類する。
スティグマの種類として、①肉体の奇形・醜悪さ ②性格上の欠陥 ③人種・民族・宗教などの集団的スティグマ の3種類を挙げ、それぞれを A.すでに信頼を失った者(the discredited、スティグマが露呈しているもの) B.信頼を失う事情のある者(the discreditable、まだスティグマが露呈していないもの) の2状況に分ける。
例を挙げるのであれば、①×Aは顔面の傷を持つ者、①×Bは乳房を切除した者、②×Aは禁断症状で手が震えてしまうアル中患者、②×Bは前科者、③×Aはユダヤ人・イスラム教徒、③×Bは内心の信仰、日本名を持つ在日韓国人 になろう。
1-2.「すでに信頼を失った者」と周囲の関係性
スティグマを持つ者の周囲の人達は、彼に対し、非反省的に「十全な人間ではない」という仮定を行い、その原因について悪意ある推測をしたり、スティグマの及ぼす影響を拡大解釈したりすることを通して、敬意や顧慮を払わず、彼のライフチャンスを狭めてしまおうとするような差別を行うことがある。
そうした体験を通し、スティグマを持つ者の人々に対する態度は、萎縮と敵意に満ちた虚勢の間を行き来するようなものとなりがちである。今、顔を突き合わせている他者が、心の底で本当は何を考えているのかが分からないために、不安や勘繰り・疑念にさいなまれるのである。
そのために、現実を離れ、独りきりで自身のアイデンティティを意味づけ、守ろうとする者も出てくるが、現実的な対処として、直接的に自分の欠陥を矯正しようと試みたり、通常閉ざされている活動分野を自らのものとすることを通して間接的に自分の生存条件を改善しようとしたりすることも見られる。前者は、傷を美容整形で見えなくするような例、後者は、肢体障害を持つ者がスポーツにチャレンジするような例が挙げられる。そうした行動には、同類や事情通の存在が助けになることが多い。事情通とは、そのスティグマのある人たちに応じるサービスに従事する者や、家族・親族など社会構造上関わりの深い者である。
1-3.「信頼を失う事情のある者」のパスの問題
「信頼を失う事情のある者」は、それを周囲に伝えること=「パス」の問題を抱えている。本人の自覚なしに露呈してしまうこともあれば、それに途中で気付いて対処する場合もある。避暑地でのバカンスなど、常態と違う社会生活の場面のみでのパスを行う段階にある者もあれば、全面的にパスを済ませた者もいる。
後者2者のようなパスに至るには、スティグマを有する者はどのような過程を経るのだろうか。まず、常人の視点を会得し、その視点から見た際にスティグマを有した自身が常人ではないことを自覚する段階がある。そして、他者が、自身と同じスティグマを持つ者をどのように処遇するかということを観察し、それに適応する学習過程がある。そして、円滑なパスの仕方を掴むステップを踏む。
そうしたパスにおいて、当人が心理的ダメージを蒙らないためにはどうすれば良いだろうか。それは、スティグマを有した子供を持つ両親がどのような行動をとるか、という話題で顕著に確認できる通り、どのように情報操作を行うか、という工夫にかかっている。たとえば、大多数には何も告白をしないでおき、その援助を要する少人数にのみいっさいを告白しておくというように、世界を二分する道を選ぶ者がいる。スティグマを告白しても壊れないだけの関係を構築してから告白する、ということを心がける者がいる。
意識的にパスする際の仕方にも様々ある。盲人が意識的に不器用なことをしでかすような、「故意のしくじり」を通じてゆるやかに相手に悟らせるパスの仕方もある。「告白の作法」と言うべきものある。
欠陥をもつ人が自分の欠陥を割り切った態度で認めて、一方ではそこに居合わせる人たちが、本心は彼の欠陥に関心をもっていることを暴露してしまう羽目に陥らないよう気づかい、他方では全然そのようなことには関心をもっていないという彼の擬装的態度を信じている様子を見せる公式的遣り口があるのである。(165頁)
1-4.スティグマを有する者の集団帰属と自我アイデンティティ
スティグマを有する者が社会の中で生きるとき、自らと同じスティグマを有する者達をいかに眺めるか。そのスティグマを持つ者の集団に対して帰属意識を持つのか、持たないのか。
スティグマのある人は、いわゆる「同類」の人々を、スティグマの明瞭度合いに応じて捉える傾向がある。自分よりもそれが目立つか、目立たないか、で層別化するのである。たとえば、自分よりもスティグマが目立つ者に対して、常人が自分に向けるような視線を向けることがある。
そこには、スティグマが彼らのアイデンティティに与える複雑な影響を見ることができる。常人の視点を体得している以上、自分よりもスティグマの目立つ同類が示す異常に対して直感的に嫌悪を抱く感性を持ちながら、自身もその集団に帰属しているという自覚があるために、その嫌悪は恥の感情に転化し、最後に、その嫌悪や恥の感情を持ってしまったこと自体を嫌悪し、恥じるようになる。
そうした困難にうまく対処するために、そのスティグマを持つ集団の中から準則が編まれ、それが、同類コミュニティの代表として内外に発信をする職業的代弁者によって共有されるようになる。それは以下のような項目にわたる。
どのような形式で、告白するのが望ましいのか、匿すのが望ましいか、(中略)扱い難い状況を処理する公式的方法、自分の同類に与えて然るべき支持、維持されて然るべき常人との友好関係の型態、見逃してもよい自分の同類に対する偏見、ならびに公然と攻撃すべき偏見、欠陥をもたぬ人間同様の正常な人間として自己を提示してもよい範囲、多少異る取り扱いを積極的に受け容れたほうが良い範囲、同類に関して当然誇りを感じて然るべき事実、積極的に取り組まねばならない自分の異常さとの<対決>。(179頁)
そのような準則が出てくる背景には、彼をとりまく社会で、善良な人々であっても、スティグマを持つ人物を偏見なく受け容れているという姿勢を取ろうとする一方で、彼に自分の場所をわきまえておいて欲しい(=受け容れの限界を超えないでもらいたい)という期待をしていることがある。
1-5.スティグマ分析の普遍性
本書の終盤では、逸脱者について述べているが、性格的欠陥というスティグマを持つ者と逸脱者との境界は曖昧である。また、本書の中で、常人とされるであろう者も、その社会の標準的・規準的・模範的な人物像を念頭に置いたとき、自身の欠けている点に関して抱く劣等感や恥の感情は、程度の差こそあれ、スティグマを持つ者の認識に近いものがある。
そうした点からも明らかなように、スティグマの問題は、特定のスティグマを持つ者と常人との固定的2者関係の問題ではなく、非常に流動的で、社会の誰もがこの視点から分析しうる困難に関与しうるようなテーマなのである。