ドラマ「キイハンター」や映画「柳生一族の陰謀」などで知られ、ハリウッドでも活躍した俳優千葉真一(ちば・しんいち)さん(本名前田禎穂=まえだ・さだほ)が19日午後5時26分、新型コロナウイルス感染症のため千葉県君津市の病院で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は近親者で行う。元妻は女優の故野際陽子さん。
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アクションのキレを世間に知らしめたのは68年から始まった連続ドラマ「キイハンター」だったと思う。当時のドラマとしては異色の国際色豊かなスケールの大きいドラマの中で、千葉さんは演技もアクションも当たり前のようにこなしてみせた。国際的な舞台にもすっと溶け込んでしまう類いまれな器用さ、それが良くも悪くも千葉さんの持ち味だった。
千葉県立木更津一高時代に器械体操で全国優勝を成し遂げた千葉さんの夢は五輪出場だった。が、日体大2年の時に跳馬の失敗で腰と両膝を痛めて断念。失意の中で見かけた「東映ニューフェース募集!」のポスターが映画界入りのきっかけだった。
もともと俳優を目指したわけではないが、俳優座でわずか半年の研修を受けると20歳の若さで連続ドラマ「新七色仮面」(59年)の主演を難なくこなした。大ヒットシリーズ「仁義なき戦い」の「広島死闘編」(73年)では先輩俳優と競い合う群像劇の中で1、2を争う名キャラクターを演じてみせた。
70年代半ばにはハリウッドにも注目されるようになるが、この器用さが東映に重宝がられ、本格進出には“待った”が掛かった。かねてから千葉さんを敬愛していたクエンティン・タランティーノ監督の招きで「キル・ビル」(03年)の出演と剣術指導を果たしたのは64歳の時だった。
後輩の松方弘樹さんが「ホントうらやましい。ハリウッドにもポンと挑戦できちゃうんだから」と漏らすのを聞いたことがある。ポンとできるからこそ、そのタイミングも難しかったのかもしれない。
生まれるのがもう少し後だったら、ハリウッドでの活躍の幅はなお広がったのかもしれない。それでも「サニー千葉」の名は多くの米映画人の心に刻まれていると思う。【相原斎】