3章 景気後退と金融危機

景気後退

景気後退とは何か?

景気後退とは「需給ギャップがネガティブになることで生じる経済成長の鈍化(設備投資過多で作ったものが売れなくなる)」とでも定義するのが経済学的には正しいと思いますが,投資家にとっての景気後退とは「株式市場のクラッシュ」そして「資産評価額の大きなドローダウン」を意味します。景気後退が生じると”株価の上昇が止まる”という生易しいものではなく,大きく株価が下落し,自社株買いは実施されず,配当は減配されるという三重苦が襲ってくるため,投資家にとって”悲しみ×痛み”と表現した方が直感的には正しいかもしれません。

あまりにセンチメントな書き方をしましたが,実際にクラッシュが起きると多くの投資家のセンチメントは極端に悲観に振れ,企業経営者の来季への景況感の悪化が設備投資を冷え込ませます。

ではなぜ景気後退が生じるのでしょうか?

少なくとも近年の米国市場を見る限り,景気後退の遠因はほぼ中央銀行の金融政策にあると言っても過言ではないと思います。経済をマクロに動かすことができる主体は,政府(財政)と中央銀行(金融)の二軸ありますが,長期スパンで見ると金融すなわちマネーの供給を行う中央銀行政策が景気の循環を支配していると考えています。

一方,財政政策や税制改革などの政府による政策は,景気の浮沈の短期的な波を引き起こす触媒だという認識です。

景気の短期ファクター:財政(政府による財政出動や税制,規制緩和・規制強化など)
景気の長期ファクター:金融(中央銀行によるマネー供給量の操作,金利の操作)

経済の血液

中央銀行が最重要ファクターだと考える最大の理由は,マネーこそが経済の血液であり,資本主義経済では経済活動の目的の一つが「マネーをより多く稼ぐこと」そして,経済活動の手段もまた「マネーを投資して,さらにマネーを稼ぐこと」になっているからです。

このマネー経済の中で,中央銀行は①”造血細胞”(マネー発行による血球造成)と②”心臓”(血圧の管理)という二つの役割を担っています。

景気の拡大というのは,中央銀行が「大量の血を作り(量的緩和によるマネー供給),さらに心臓を動かして(金利を下げて)身体中に血を行き渡らせることで,細胞の代謝(企業活動・個人消費)が活発になること」だと言えます。企業はマネーを借りなければ新たな設備投資はできません。逆に極めて低金利で大量の資金を手に入れることができれば,どんどん設備投資を行い,その設備投資が裾野の企業へと広がってさらに景気が拡大するというプロセスです。

2009年〜2018年までの米国経済はこの拡大期でした。

逆に景気の後退というのは,中央銀行が高血圧になりすぎた体から「血を抜き(量的引き締めによるマネー供給量削減),心臓も弱めて(金利を上げて),血液が流れる速度を鈍化させる」フェーズです。なぜ過度の好景気を引き締めるのかと言えば,マネー供給量が多すぎると一部の商品に資金が集中しバブルとインフレが発生するからです。これは高血圧状態の時に多くの臓器は大丈夫でも脳や血管などの一部の器官がダメージを受けるのに似ています。

そして,2007年〜2008年の金融危機は景気後退の終盤戦で発生しました。

景気拡大が行き過ぎると資金の流動性が過剰になり,溢れるマネーは行き場を失ってどんどんハイリスクな商品へと流れ込みます。2007年のケースではそれがたまたま住宅市場でした。

そして,インフレとバブルを恐れるFRBが金利を上げたことで,住宅ローン金利が急騰し多くの低所得者は利払いさえも遅延するようになります。貸した側からすれば焦げ付き,不良債権の発生です。

不良債権とは,”血栓”のようなもので,それまで普通に流通していたマネーが突如として流れが滞るようになり,期待していたリターンが急にロスに変貌します。この”血栓”(不良債権)は景気後退の序盤ではまだ気になりませんが,景気後退が深刻化してくると,金利上昇によってマネーの流れが遅くなることで,身体中の血管が”血栓だらけ”になります。

体にたとえてみればわかるように,”血栓”がいたるところにできれば,どこかの臓器が機能不全に陥ってもおかしくありません。

2008年のベア・スターンズ倒産(JPモルガン・チェースによる救済買収),リーマン・ブラザーズ倒産,シティ・バンク,バンカメのベイルアウトなどは,インターバンク市場の金利が急騰したことによって利払い負担が急増し,短期的な資金調達すらままならなくなったことが原因です。高いレバレッジをかけていた投資銀行から順番に傾いていきました。

以上のプロセスを整理しましょう。

  1. ITバブル以降,グリーンスパン議長が低金利を継続
  2. 2001年〜2006年にかけて住宅市場が成長し過熱。もはや市民の手の届かない値段になったが,住宅価格が上昇し続けるうちは,返済能力以上のローンを組める状態に。
  3. 2004年〜2007年にかけてFRBは利上げを実施。しかし,利上げペースが遅かったために住宅市場の過熱は止まらず暴走。その間に金利はじわじわ高騰。もはや返済不可能な人が急増。
  4. 2006年〜2007年にかけて不良債権”血栓”が明らかに。ベア・スターンズなどの投資銀行の子会社ファンドが次々と債務超過に陥るも,親会社が資金供給することで倒産は先送り。
  5. 2008年3月に遂にベア・スターンズ倒産。即座に政府・FRBがJPモルガンに働きかけて,緊急資金援助するので買収してやってくれと頼み込み,救済合併成立。一旦はショックは収まる。
  6. ※この頃,救済はモラルハザードにつながるという論調が支配的で,量的緩和ではなく短期的な資金供給での救済だけに留まる。
  7. 2008年9月15日にリーマン・ブラザーズ倒産
  8. 2008年9月にAIGのベイルアウト
  9. ※この頃,Too Big To Failと呼ばれる大型金融機関の倒産はシステミックリスクにつながることが認識され,FRBは量的緩和に踏み切る。
  10. 2008年10月にシティグループのベイルアウト
  11. 2009年1月にバンク・オブ・アメリカのベイルアウト
  12. 2009年3月に株式市場の大混乱は底打ちし反転開始

以上のプロセスをS&P500のチャートに直すとこの通りです。2007年を通じて裏返した中華鍋のような大天井を思わせるチャートでした。そして,2008年3月のJPモルガン・チェースによるベア・スターンズ吸収合併後は一旦は市場は持ち直しますが,それでも9月以降の金融機関の連鎖倒産リスクには耐えきれず株式市場は暴落を繰り返しました。今思い出しても身震いがします。

この時,FRBは何をしていたのでしょうか?それが以下の図です。

2008年3月以降の大混乱の時期にもバーナンキ議長率いるFRBは量的緩和は行わず,長期資産(米国債)を売却し,そこで得られた流動性を流動性スワップ・短期ローンとして金融機関に供給しました。このやり方は2011年〜2013年頃のECBが欧州危機の序盤で行なった「潰れそうな金融機関に資金は供給し,投機筋のショートに対して牽制する。ただし,量的には拡大せず,供給した資金と同額の流動性を市中から回収する」やり方です。

当時,世間ではモラルハザードという言葉が流行語になっていました。勝手にレバレッジをかけて危機に陥っている金融機関なんて救わなくても良い,潰れるに任せれば良い,という論調です。もし資金を供給して救ってやれば,焼け太りになって余計に危機が悪化する,だから助けなくていいという議論です。(これは市場・そして金融を全くわかっていないルサンチマンな人々の意見です。そして,次の経済危機・金融危機でも必ず同じ意見が出てくることでしょう。)

もちろん,これはベア・スターンズから半年後のリーマン・ブラザーズ倒産と,インターバンク市場の流動性枯渇(短期資金を借りれなくなった),大手金融機関(シティ・バンカメ)の倒産危機,ファニー・メイ,フレディー・マック倒産危機などが連発して発生したことで,一気に「Too Big To Fail」という言葉に変わります。

すなわち,大きな金融機関を潰してしまうと,結果としてシステミックリスクが顕在化し,全ての金融機関が倒産してしまうということに気づいたわけです。当時,ジャンク格付けの債券もまた売られまくり,金融機関だけではなく住宅ローン債券(MBS)に手を出していない普通の企業でさえも短期資金を調達できなくなりつつありました。

結果,金融機関の連鎖倒産リスクを防ぐために手段を選んでいられないということになり,2008年9月のFRBの金融政策大転換に繋がりました。それは,「資産をいくらでも買え。不良債権でもローンでも社債でもスワップでも。」という量的緩和時代の幕開けに繋がります。

FRBの変節

2008年9月16日 FOMC要旨(minutes):8月のFOMCなのでリーマンショック直前でまだ呑気なとき。インフレのリスクについて議論するなど,まだ本格的な金融危機前夜であることが認識されていません。

2008年10月28日 FOMC要旨(minutes):9月,10月と緊急招集が繰り返されて,スワップをはじめ各種金融資金供給が決まった時のminutesです。海外の中央銀行(ブラジル,韓国,メキシコ,シンガポールなど)とのスワップ締結したり,財務省と提携して短期的な資金供給の枠組みを決めたりなど日替わりで金融政策が発表されています。(リーマン・ショック二日後の9/17時点で大型の緊急資金供給が決まり,緊急経済安定法(Emergency Economic Stabilization Act)などのもと,大幅な利下げにも踏み切っています。興味のある方はぜひ全文を読んでみてください。英語ですが,緊迫感が伝わってくるでしょう。あらゆる経済指標(工業生産指数,住宅指数,インフレ率など全て)がある日を境に急落する恐怖ですね。

この二つのFRB minutesを読めば,嵐前夜のFRBが金融危機の到来を全く予期しておらず,どちらかといえば”インフレがちょっと収まってきたかな?”ぐらいなノリで議論していることに驚くと思います。このことは次の金融危機に向かって突っ走る我々も深く理解しておかなければなりません。

一方で,一度リーマン・ショックによる金融危機が発生した後の金融機関救済パッケージの策定は極めてスムーズでした。もともと,FRBのバーナンキ議長は大恐慌の研究者(学者)であり,恐慌の時に何をすれば良いのかというのを熟知していたのが,各国中央銀行や財務省・政府とのスムーズな連携と金融危機収束に向けた政策立案をうまく進めることができた理由だと思います。

金融緩和と相場

さて,リーマン・ショックは”危機が顕在化”しただけであり,実際には水面下で金融危機は進行していました。(インターバンク金利高騰など)

しかし,多くの投資家はひたひたと忍び寄る危機に気づいておらず,株式市場の下落を単なる調整と勘違いしてたことになります。2008年前半のベア・スターンズ倒産後に株式市場が一旦落ち着いていることからも,出遅れ組の投資家の”Buy The Dip”が続いていたことをうかがわせます。洞察力のある投資家はこの時点で明らかに売り抜けています。

結果的に,リーマン・ショック(2008年9月)をきっかけとして多くの投資家は株式の投げ売りをしました,株式市場は暴落,格付けの低い社債も暴落,MBSも暴落。すなわち,金融市場(市場から資金調達するというシステム)から資金が逃げ出した結果,余計に危機が深刻化するという自体を招いたことになります。このリスクオフの加速による金融市場の流動性減少を食い止めようとしていたのがFRBの金融政策(量的緩和・緊急資金援助)ということになります。

FRBの必死の救済策の結果,株式市場は落ち着きを取り戻しますが,リーマンショック発生から株式市場の大底(2009年3月)までには6ヶ月もの時間を要しました。

この時の教訓は,素人は危機が悪化してから気づき,そして遅れて退避しようとするということです。それに対しプロはすでに逆のポジションに構えており,虎視眈々と暴落を待っているのです。

金融危機と安全資産への逃避

リスクオフはもう一つの相場の大きな潮流を作りました。それは貴金属相場の高騰です。リーマンショックの顕在化によって市場参加者は株式をはじめとするリスク資産の投げ売り,そして安全資産である金・銀への逃避したのです。また,金・銀の高騰によって金鉱株・銀鉱株も大きく反発しました。

高騰する安全資産と,暴落するリスク資産。これが金融危機の最終章です。

嵐の後とバフェット流

金融危機は嵐のようなものであり,最後までじっと息を潜めて耐えていればその後は急に晴れます。

リーマンショック以降のケースでいうと,大手金融機関へのベイルアウトが次々と発表され,FRBと財務省の量的緩和パッケージが市場のセンチメントを雪解けに導きました。そして,2009年3月以降は倒産価格だった銀行株が大反発しています。

もちろんこのとき,ウォーレン・バフェットはゴールドマン・サックス優先株・ワラントやウェルズ・ファーゴ株式を暴落のバーゲン価格で大量に購入し,有利な条件で投資を成功させています。銀行株が最も美味しいのはベイルアウト直後の倒産価格の時なのは当たり前ですから,バフェットにとっては簡単なゲームだったことでしょう。誰もが手を出さないタイミングでゆっくり買い付ければ激安で買えたのですから。

バフェットと素人

しかし,問題は一度リスクオフしてしまった一般投資家はなかなかリスクを取ろうとしない点です。

バフェットクラスの凄腕投資家や60代以上のシニア投資家であればキャリアの中でバブル崩壊を経験しているため危機に的確に対処できます。それどころか,最大のチャンスとしか思っていません。

しかし,経験の浅い投資家はこの暴落を耐えきることができません。それは予期していないからです。予期せずショックに遭遇すると意気消沈し,センチメントが回復するまでに時間がかかります。場合によっては,痛い目にあって相場から撤退してしまう,あるいは損切りに失敗して塩漬けということもありえます。数年〜十数年に1回起きる危機をどれだけノーダメージでくぐり抜けられるかで,投資家として生き残れるかどうかも左右されるということを肝に命じて置く必要があります。

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