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昆虫は幼虫時代の記憶をもっているか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 一部の昆虫は幼虫からさなぎの状態を経て成虫になります。その際、幼虫のからだはさなぎの中でドロドロに溶けてしまうので、幼虫時代の記憶は成虫に引き継がれることはありません。

 なんとなく、そんな風に考えていたのですが実はそうでもないらしい。「東京ズーネット」という「上野動物園・多摩動物公園・葛西臨海水族園・井の頭自然文化園──都立動物園・水族園の公式サイト」のtwitterで昆虫の幼虫と成虫との間の記憶の伝わり方についての研究が紹介されていました。(こちらにまとめがあります。)

 幼虫の体はさなぎのなかで完全に「ドロドロ」になってしまうわけではなく、その一部は溶けずに成虫の体に引き継がれる、だから幼虫の記憶が成虫に引き継がれるのもあり得ることだ、というのです。

 なるほど、「ドロドロ」にはなるが「完全にドロドロ」になるわけではない、そう言われると確かにそんな気がしてきます。さらに、「完全ドロドロ説は国外でも一般的である模様」との指摘も。

 そう言えば、この「完全ドロドロ説」自分も目にしたことがあるぞ、と思い返してみるとノーバート・ウィーナーの「人間機械論」がそれでした。(この本についてはこちらでも紹介しています。)

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 ウィーナーは人間の社会とアリやハチなどの昆虫の社会を比較し、昆虫の社会は個々の個体の役割が固定されているのに対し、人間の社会は個々の人間が広い可能性に開かれている点で優れている。そして、人々の社会における役割を固定してしまう社会は人間の可能性を昆虫なみにおとしめているのだ、と述べています。

 さて、ここで人間と昆虫の比較、というか昆虫がなぜ人間の様に多様な変化への可能性をもたないのか、の説明があります。まずはサイズの問題で昆虫の脳は小さすぎること。そして、上記の「完全ドロドロ説」で昆虫は幼虫時代に何かを学習しても成虫になったら忘れてしまい、昆虫の社会では教育が成り立たないことだ、と述べています。

 この議論の結論はともかく、「完全ドロドロ説」はどうやら正しくないらしい。ウィーナーの様な学者でも時代の制約をうけるのはしかたがないのか、などと思ってその部分を読み直してみると、以下の様な記述が。

「幼虫から成虫までの期間を通じて或る程度の記憶が存続するという証拠が少しはあるが、このような変化の性質上この記憶は余り大したものではあり得ない。」(55頁)

実はウィーナーの時代(今から半世紀以上前)から「完全ドロドロ説」への反論はあったのですね。

江頭 靖幸

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