渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ひろゆき

2021年08月27日 | open


最高至高のねらーは「ひろゆき」なん
だよ。
運営者とかではなく、彼以上のねらー
を見たことがない。
乗っ取られたあとの5ちゃんねるなど、
ユーザーがレベル低すぎて話にならな
いので、あかんわこれはと見ない事に
した。
それ以来、サッパリ見ないし関与して
いない。
2ちゃんねるで面白かったのは、あめ
ぞうからチェンジしたばかりの頃だ。
どんなに茶化しネタでも「オマエモナー」
で笑って済ませられる人的素地が存在
した。
言ってみれば、江戸古典落語の与太郎
を皆んなでフォローするあの気風(きっぷ)
があった。
その後どんどん、インターネットユー
ザーが知的層からハードルが低くなり、
ブロードバンド化で誰でも使えるよう
になり、さらにスマホの登場で一気に
世の中変わった。
それまで、文字を読み書きできない、
しない連中でもツールにより文字が書
けるようになった。オートマ車みたい
に。
だが、文章を読む事など相変わらずで
きないので、その使用状態にひずみが
現出してきた。
つまり、通信ツールとしてSNS含めて
ネットを意思制御で使うのではなく、
人間の悪意剥き出しでそれを吐露でき
る道具としてネットを庶人は使用しは
じめた。まあ、いうなれば、野生の
獣のようなもの。人間の知的生命体
としての理知を以ての対人的(真の
意味での)忖度や気遣いはない。
野生動物のそれは、仏教用語では畜生
と言う。そのド畜生ばかりがネットを
占有し始めた。
IT企業のみはウハウハだ。元々モラル
などはない利益主義の企業だから。
爆発的なインターネットユーザーの
増加は、あたかもそれが文化の熟成
かのような虚構でバンバンと営業し
た。

そして、かくしてSNSを含むインター
ネットは人間の悪意のみを主軸に使う
能無したちの持ち物となった。
初期にネット経験値の乏しい者への
自戒的警鐘として使用者内部から
啓蒙の意味を込めて発せられた「ネチ
ケット」などは、すでに死語となって
久しい。

ひろゆきは2ちゃんねる時代に、歴史
的な名言を残した。
曰く、
「嘘を嘘と見抜けない者は、2ちゃん
ねるは使えない」
けだし名言である。

ただし、ひろゆきは、何をとち狂った
のか、最近では、極めてまともなナチ
ュラルな正論の中の正論しか吐かない。
まるで、正統派社会派インフルエンサー
のようなことまで言明したりしている
ケースをよく見る。

ただ、高知白バイ激突冤罪事件のよう
に、よく調査せずに口にする傾向は
ひろゆきは相変わらずだ。要点の
ポイントしか押さえず、しっかと
全容を把握しようとはしない。
だが、本質の問題点は彼は突いている。
高知のあれは国家権力のねつ造であり、
日本という民主主義を装った国では、
あの高知白バイ事件のような事が存在
するのだ、という的を射る発言をひろ
ゆきはしている。
路上に停止していたバスの運転手が
白バイに突っ込まれて白バイ隊員が
死亡して、それで法を守っていた運
転手が懲役食らって実刑で収監され
たなんてたまったもんじゃない。
狭山事件の頃と警察の体質は一つも
変わってはいない。
昭和戦後の「おいこら、免許証!」
の頃の明治から続くオイコラ警官を
偽装して、「お急ぎのところ、大変
恐れ入りますが免許証を拝見しても
よろしいでしょうか?」に変えても、
警察の本質は何一つ変わってはいな
い。
変わる筈がない。警察は国家権力の
暴力装置だからだ。
何が暴力なのか。どれが暴力なのか。
物腰の低さにだまされてはいけない。
この高知事件こそが、国家権力が司法
までもを牛耳る暴力である。
しかも、この高知事件は、これは三
権分立を破壊する極めて危機的な国
的偽装ねつ造大事件であるのに。
しかし、ひろゆきは、見抜いてはいる。

最近の、2ちゃん乗っ取り後の5ちゃん
のねらーは究極に極限的につまらない。
理由は簡単。
程度が低すぎて、話にならないからだ。
ほんまのアホ。ほんとの馬鹿。
まことに惜しい人を亡くしたが、その
「ひろゆき」の残した名言の1億分の
1も咀嚼できていない。
これでは亡き「ひろゆき」も浮かばれ
ない事だろう。

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