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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「恋」は難しい

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5.灰かぶり姫①

「あん」


 昼なお薄暗い監獄の一室――その最上階に位置する豪華な部屋で、ばさっとなにかが落ちる音と、軽い悲鳴が響いた。


「ばらばらにしてしまったわ」


 困ったような口調で呟くのは、二児の母となってなお、輝く美貌を誇る元娼婦、ハイデマリー。

 今日もしどけないドレスを身に付けた彼女は、豊満な胸を押しつぶすようにしながら屈み、床に散らばった紙の束を拾い上げた。


 あちこちに広がってしまった長方形の紙には、金彩まで施された、美麗な絵が描かれている。

 宗教画にも見える荘厳さであったが、描かれている大半は、ドレスやチュニックをまとった、貴族の男女であった。


 王子に姫君。

 華やかな宮殿、馬車、そして魔法使い。

 そう、これは、物語を連作の絵画で表した、世にも高級な紙芝居なのだ。


「参ったわねえ。本とは違って、ノンブルが振られていないのよ。どういう順番だったかしら」

「物語に沿って並べるだけだろう。貸してくれ」


 部屋の奥から呆れたように声を掛けるのは、ハイデマリーの夫、ギルベルトだ。

 彼はソファから立ち上がり、妻の拾い物を手伝おうとしたが、当の本人からそれを断られた。


「待って。それじゃあわたくしの『訓練』にならないわ。なにしろわたくし、『普通』の読み聞かせができるようになりたいのだから。灰かぶり姫(アッシェンプッテル)の話くらいは、あの子たちがいない間に身に付けておかなくてはね」


 ハイデマリーは完璧な形の眉を顰めながら、軽く肩を竦める。

 彼女がわざわざ自室に紙芝居などを運び込んだのは、周囲にその世間知らずをとがめられたからだった。


 赤ん坊の頃は聖女として外界から隔絶され、少女の頃からは娼館で籠の鳥となっていたハイデマリー。

 ゆえに彼女は、世の母親が子どもに読み聞かせるような、童話を知らない。


 それでもエルマの育児中は、彼女なりに、神話や聖書、そして春書《エロ本》の情報を繋ぎ合わせて、それっぽく話をごまかしていたのだったが、バルトに同様の読み聞かせをしようとしたところ、エルマを筆頭に止められたのだ。


「お母様、私も最近気付いたのですが、お母様の読み聞かせは、シャバのそれからは少々逸脱しているようです」

「そうよォ、美髪を操り、魔獣どもを薙ぎ倒すラプンツェルの話なんて、あたし聞いたことなかったわ。まあそれはそれで、美容教育には良さそうだから放っておいたけど」

「僕も、毒りんごを食べた白雪姫のために、人体蘇生薬を求めて西を目指す話を聞いた時は、どうしたものかと思ったよ。まあ、医学への興味喚起によさそうだから放っておいたけど」

「俺も、時折セリフに艶声の混ざる読み聞かせは……内心どうかとずっと思っていた」


 とまあ、このような感じで。


「ひどいじゃない。みんなの反応がよかったから、これでいいのだろうと思っていたのに。違っていたなら、その時に教えてくれるべきだったわ」


 ハイデマリーは唇を尖らせて回想しながら、紙芝居を一枚ずつ摘まみ上げる。

 珍しく意地になった彼女は、自分の力で、「アッシェンプッテル」の物語を正しく再現しようとしていた。


「物語の形式テンプレートなら、歌や観劇で一通り学んだもの。だいたいわかってよ。まずは、主人公が誰かを特定しましょう」


 灰かぶり、灰かぶり、と呟いて、ハイデマリーは白い指を一枚の絵の上に置いた。

 灰まみれのみすぼらしい格好をした少女と、魔法使いの二人か向き合う様子を描いたものだ。


「灰かぶりというからには、主人公はこの女の子なのでしょうね。でも、最初から魔法使いに助けてもらうだけなんて、そんな他力本願な物語があるのかしら?」


 ときに娼婦に身を落とし、ときに魔王の妻となり、常に自らの運命を切り開いてきたハイデマリーは、不思議そうに首を傾げる。


 彼女はしばらく絵を眺め、「ああ、わかったわ」と納得の声を上げた。


「きっとこれは、師弟ものというやつよ。女の子の闘いと成長、そしてそれを導く魔法使いとの間に芽生える絆。そういうものをえがいているのね」


 藍色の瞳は、きらきらと輝きながら絵を見つめる。


 そこでは、満面の笑みを湛えた魔法使いが、熱血コーチよろしく、みすぼらしい少女の両手を握りしめていた。

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