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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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29.シャバの「普通」は愛おしい(4)

 フェリクスは、しっかり拘束してあったはずの荒縄から、するりと腕を抜いてしまうと、にこやかに民衆に手を振った。途端に、雷鳴のような声がさらに盛り上がる。


 そうして彼は、呆然としている異母弟に、無邪気な仕草で首を傾げた。


「ね、君さー、予備の水槽をそこに用意してあるじゃない。せっかくこんなに盛り上がってるから、今度は君を『鑑定』してみよっか? そしたら、どうなるかなー」

「な……っ」


 エルヴィンは間違いなくヴェルナーの実子なのだから、聖水は反応せず、透明のままであるに決まっている。

 彼は咄嗟にそう指摘しかけたが、それがこの(・・)状況下、何を意味するかを悟り、ますます顔色を失った。


「民は驚くだろうねえ。君が先王の実子ではない(・・・・)と知ったら。君は、偽りの王を退ける英雄役から、見事、真実の王に成り代わろうとした悪役に転落だ。おめでとう」

「ち……違う……っ、聖なる水は、実子でなければ変色し、実子なら透明のままで……!」

「君、馬鹿ー?」


 唾を飛ばして力説するエルヴィンを、フェリクスはのほほんとした口調で罵った。


「もう、白と黒は入れ替わってしまったんだよ」


 彼は狐を思わせる目元を細めると、


「あ。白と黒じゃなくて、透明と赤か」


 と、妙に律儀に訂正を加えた。


「な……っ、な……っ!」

「さ、君が『実子でない』と知った民が暴動を起こす前に、尻尾を巻いてお帰りよ。出口はあっちだよー」


 フェリクスが間延びした口調で部屋の奥を指し示すと、同じく縄を解いてしまったテレジアが片方の眉を上げる。


「……殺さぬのか」

「ええ。僕は(・・)ね。『本物の王』は慈悲深いので」


 ぬけぬけと言い放つと、フェリクスはにっこりとエルヴィンに笑いかけた。


「道中、気を付けて」


 言外に、自分では手を汚さないだけで、処分する気満々だと告げている。

 エルヴィンは混乱する頭でフェリクスとテレジア、水槽と民とを順々に見回し――それから、脱兎のごとくバルコニーを抜け出した。


 その場に留まっていれば、自分は「実子ではない」ことにされ、国を謀ろうとした悪逆の王子として、民から引きずり落とされてしまうことがわかったからだった。


「エルヴィン様! お待ちを――」

「くそ……っ! くそっ、くそっ、くそっ!」


 戸惑う側近を振り払い、エルヴィンは走りながら悪態をつく。


 なぜだ。

 なぜこんな風に筋書きが狂ってしまった。


 自分は英雄で、フェリクスは偽りの王なのに。

 真実は、正義は、自分の側にあるというのに。


 屈辱にまみれた後姿を見送りながら、フェリクスは「馬鹿だねー」と再度呟いた。


「真実とは事実じゃない。大人数(マジョリティ)が信じた事象のことだよ」

「あるいは、力あるものが信じさせた事象のこと、だな」


 げんなりとテレジアが付け加える。

 彼女は縄の跡が付いた手首を撫でながら、はあと溜息を落とした。


「こんなにも彼ら(・・)の計画通り進むなど……私はあの監獄が、心底恐ろしいぞ」

「そうですか? あんな心強い『友人』など、なかなかいないと思いますが」


 フェリクスは相変わらず飄々としている。


 そう。

 今回、ハイデマリーが「恩を返す」と言った直後から、大罪人たちは一丸となって、フェリクスの王座奪還作戦を展開したのである。


 まず、魔王覚醒の儀という一大ニュースを利用し、民の関心を徹底的にそちらへと引き寄せる。

 話題のエルマなる少女は実は魔王の娘であったとか、実はその母は元聖女であったとか、エルマが魔王として目覚めると海が割れて新大陸ができるほどの威力だとか、だがそれを本人が指の一振りで抑え込んだとか、徐々に話のスケールを大きくしながら、噂を荒唐無稽の域になるまで流し続けた。


 さすがに、エルマは実は地母神の生まれ変わりで、この大陸の創造を三回見届けた、というくらいにまでなると、人々は「いやいや、さすがにそれは……」と我に返りはじめる。

 魔王云々に関する人々の関心は急激に下がり、エルマが方々に血を求めたという事実も、「難産の母親のために輸血を求めたら、本人の超人的なキャラクターと相俟って、大げさに伝わってしまった。一万の血は不要だったが、本人や周囲はとても感謝している」という、集団ヒステリー事件の一つとして解釈された。


 結局、人々はエルヴィンがせっせと流したつもりの「フェリクス偽王事件」などそっちのけで、さんざん魔王の話題に夢中になった挙げ句、「あんまり噂を簡単に信じちゃいけないよな」という、大衆情報(マスコミ)に対する不信と警戒心を獲得し、今に至っていたのだ。


 そこに、この「偽王査問」だ。


 以前の民ならば、査問が始まる前から興奮し、拘束されてバルコニーに出てきたフェリクスたちに石を投げつけていただろうが、噂に翻弄されて情報リテラシーを向上させた彼らは違った。


 彼らはこう思ったのだ。

 フェリクスが偽王だという情報は、本当だろうかと。


 よって彼らは、不信と疑念を抱きながら、バルコニー上のエルヴィンたちをじっと見つめた。

 が、悲しいかな、エルヴィンの弁は感情的なだけで、具体的に聖具がどう反応すれば「正」なのかがよくわからない。

 いや、そもそも、人が多すぎて、説明がほとんど耳に入らないというのが正直なところだった。


「だいたい、『変色が起これば(・・・・)実子ではない(・・・・)』という設計自体が、直感的に受け入れがたいのですよね。結果はポジティブなのに、結論がネガティブなど、設計者のセンスを疑います」


 というのは、この集団詐欺をプロデュースしたモーガンの言だ。


 彼は、エルヴィンが自発的に「聖具の反応を鮮やかに」したくなるよう裏で手を回しながら、一方では、民のその辺りの困惑を突き、「王の色」と刷り込むことで、あっさり白と黒を入れ替えてしまった。


 詐欺スキルが効力を持つのは、対面だと五百人がせいぜい。

 モーガンは自身の能力をそう嘆いたが、逆に言えば、バルコニー付近の五百人くらい、適切な準備期間さえあれば、彼一人でどうとでも騙せるということだ。

 そして、その五百人が一斉に真偽をすり替えてしまったら、もはやそれを覆すのは難しい。


 ついでに言えば、ここまで簡単に事が運んだのは、リーゼルの協力のおかげでもあった。

 彼は、献血のお礼にと各人に微量の香水を贈り、感謝の書面に施したサブリミナルを利用して、人々の認知能力を下げ、そのうえで広場へと誘導していたのだ。


 さらには、フェリクスたちは演技指導や縄抜けの訓練まで施され――つまり、エルヴィンの稚拙な謀反などよりも、何倍も丁寧に準備を整えたうえで、この場に臨んでいたのである。


 ちなみに、監獄側はその対価として、今後一切エルマから搾取しないとの言質をフェリクスから取った。

 その点も含め、全方向に抜かりのない大罪人たちだ。


「あの特訓の日々を思い出すと、未だ顔が強張るわ……。側妃の息子め、きれいごとばかりの騎士かと思えば、いけしゃあしゃあと罪人どもを後押ししおって……」


 何を隠そう、ハイデマリーの命に対して、「あれ、でもそれやっちゃうとルーデンの正統な血統とか途絶えるけどいいんだっけ」と首を傾げた大罪人を、


「いい。もう、やってしまってくれ」


 と承認してしまったのは、ルーカスであった。


「義兄上が廃位されたところで、俺は王位などご免だし、エルヴィンを王と仰ぐのはもっとご免だ。このまま義兄上でいい」


 というのがその理由である。


 フェリクスの即位以降、ルーデンは着実に隆盛を迎えているし、能力があれば特にルーデンの純血にはこだわらないというのだ。

 もしかしたらそれは、彼自身ラトランドの血が混ざっているからかもしれない。


「ていうかさー、もし後にこれが露見したら、真実を隠蔽した極悪人の役は君になるんだよ。わかってるの?」


 フェリクスが呆れて指摘すれば、ルーカスはふと精悍な相貌ににやりと笑みを乗せ、「何を言うんです」と異母兄を、そして周囲を見渡してみせた。


「そうならないように、義兄上も王太后陛下も、監獄の面々も、頑張ってくれるんでしょう?」


 それは、自棄(やけ)くその発言のようにも見えたが――いずれにせよ大層魅力的な笑顔であった。


 結局、ハイデマリーは弾けるように笑いだし、他の大罪人たちも苦笑を浮かべて肩を竦めたのである。


「魔王の儀といい、今回といい……あの男はなかなかに肝が据わっておるし、人を巻き込むのが上手よな」


 監獄でのやり取りを思い出したテレジアはつい、ぼそりと呟いてしまう。

 その声には、わずかな悔恨も滲んでいた。


 ――もしあの時……私も周囲を頼っていたなら、妹は助かっていたのだろうか。


 エルマに差し出された無数の助けを目にして、テレジアが漏らした言葉。


 もっと周囲を信じていれば。人を遠ざけなければ。

 一人で抱え込もうとしなければ。


 たった一人で子を産み落とし、妹の遺骸を処理し、以降も孤独に後宮で戦ってきた烈婦は、今そんな想いを抱く。


「そうですかねー」


 フェリクスは、やはりのんびりとした口調でそれを否定した。


「彼はただ、すぐに人を頼る甘ったれというだけですよ。『弟』なんです、本質が」


 目を見開いて振り返ったテレジアに、フェリクスは一歩近づき、横に並ぶ。


「一方で、僕たちはつい一人で抱え込みたがる。これはもう能力云々というより、長男長女のさがですねえ」


 そして、バルコニー下にひしめく群集を見下ろし、わずかに口の端を持ち上げた。


「――でもそれが、頂点に立つ者たちの宿命だ」

「…………」


 テレジアはまじまじと「息子」を見つめた。

 慰めと言うには、あまりに温度の無い言葉。

 けれど確かにそこには、彼らでしか分かち合えない何かが横たわっていたから。


「――……なあ」


 テレジアはこれからも、決して彼をフェリクスの名で呼ぶことは無い。

 そして彼もまた、テレジアを「母上」と呼ぶことは無いのだろう。


 過去を知り、互いの想いを知ってもなお――いや、知ってしまったからこそ、彼らは温かな、「普通」の親子の情愛など交わしはしない。

 だからテレジアは、母親が子に愛を告げるのと同じ口調で、別の言葉を紡いだ。


「守り抜こうな」


 この秘密を。

 この罪を。

 この国を。


 視線も合わせずに呟けば、フェリクスはやはり、間延びした話し方で応じる。


「それはまー、もちろん」


 素っ気ない会話が、きっと彼らの「普通」の距離感。


 そこには抱擁も、微笑みもない。

 拳ひとつ分の距離を開けたまま、じっと同じ方向を見て、彼らはすいと片手を挙げる。


 堂々たる王と王太后の姿に、観衆はわあっと歓声を上げた。

次話 (エピローグ)は、いつもより早く明日19日の朝8時に投稿させていただきます。

最後までお付き合いいただけますと幸いです!

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