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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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28.シャバの「普通」は愛おしい(3)

「とうとう来たぞ、この日が……!」


 エルヴィン・シュタルクは、城下の広場に続々と押し寄せる人並みをカーテンの裏から見下ろし、興奮で顔を赤らめた。


 王都中にばら撒いた触れ紙や新聞を握りしめた人々。彼らの顔は、皆不信や疑念をはらんでいる。


(いや……期待したよりは、少し落ち着いているか……?)


 じっくりと民の表情を検分したエルヴィンは、内心で感想を修正する。

 なんでも二週間ほど前に、魔王が復活するだとかなんとか怪しげな噂が立って、国中の話題が一時期そちらで持ちきりになってしまったのだ。


 その突拍子もない噂は、なぜか先週ごろからぴたりと止み、あれだけ大騒ぎしていた者たちも不思議なほどその話題を口にしなくなったが、未だに彼らの関心はそちらに残っているようだ。


 ルーデン王フェリクスは王位簒奪者、だとか、シュタルクより真の英雄現る、だとか、すべての伝手を使ってさんざん世論を煽ったわりには、いまいち反応が芳しくない、というのが、エルヴィンの正直な印象だった。


(だが……現に人は、こうして広場に集まっている。この大人数を相手に、印象的にフェリクスが偽の王である証を示してみせたら、それは揺るぎない「事実」となって国中に広がっていくさ)


 民が興奮し、暴走するのはその時でよい。

 数年とはいえ導いてきたはずの国民が、寄り集まって暴徒と化し、一斉に怒号を上げてフェリクスを王座から引きずり落とす――そんな小気味よい一幕を思い浮かべて、エルヴィンは笑みを深めた。


「世にも鮮やかな、王位交代の名場面だ。卑しき偽王は民から石を投げられ、雌伏の時を耐えた真の英雄――僕が、ルーデンを取り戻す。どうか楽しみにお待ちください、母上」


 芝居がかった仕草で、右手の薬指に嵌まった指輪に口付けを落とす。

 それは、忌まわしい烈婦(テレジア)の奸計によって、半身不随の体にされてしまった哀れな母が、「いつかルーデンを取り戻すのです」との悲願を込めて、自分に託してくれたものだった。


 ――おおおお……


 人々の発する微かなざわめきは、今や重なり合い、(うな)りとなって広場に響き渡る。


 それを、芝居の幕開けを待ちきれぬ観客の声、と受け取ったエルヴィンは、シュタルクから連れてきた側近たちに合図し、いよいよバルコニーへと躍り出た。


「皆の者、よく来てくれた! 僕は、ルーデンの正統なる王子、エルヴィン・フォン・ルーデンドルフ。シュタルクにて見聞を広めていたが、ルーデンが陥ろうとしている危機を見過ごせず、この地に戻ってきた!」


 片手を挙げ、朗々と階下に向かって声を張る。


 シュタルクでは考えられないほどの聴衆の数。これでは、いくら大声で叫んでも肉声は届かないのかもしれない。

 だが、その状況は、彼に焦燥や緊張よりも、ただ快感をもたらした。


 こんなにも多くの人間を、これから自分は掌握しようとしている!


 たとえ声は聞こえずとも、自分の華やかな顔立ちは観客に強く印象を残すはずだ。

 優美な立ち姿に、堂々たる話しぶり。

 聖具もあれからさらに改良を施し、血縁が認められない場合には、より劇的な反発が起こるようにしておいた。


 こうした、視覚に訴えて人心を操作する術を、エルヴィンは言葉の通じにくいシュタルクで学んだ。


 かつて善良な母を甚振り、正義感溢れる自分を一方的に辺境国(シュタルク)に追いやったフェリクスたち。

 だが、彼らの仕打ちがかえって自分に力を蓄えさせることになったと思うと、その因果の妙に、エルヴィンは笑いすら込み上げるのだった。


「偽の王を、ここへ!」


 勢いのまま、バルコニーの内側を振り返って合図し、二人の人物を引っ張りだす。

 両手を荒縄で拘束された彼らこそ、狐のごとき卑劣な異母兄フェリクスと、その母テレジアだった。


 国民の前での「公平な」査問準備が整うまでの監獄生活が堪えたのか、二人とも力なく顔を伏せている。


 いつになく神妙な彼らに、エルヴィンは満足を覚えた。

 こうでなくてはならない。


 無抵抗でバルコニーまで引きずられてきた二人を指し示し、エルヴィンは再び声を張った。


「聞いてくれ、民よ! 彼らは、天をも恐れぬ重大な罪を犯した!」


 彼は身振り手振りを交え、その派手な顔立ちも存分に生かしながら、ドラマチックに糾弾を始めた。


 彼らはかつて、自分たち親子を理不尽に害し、追放したこと。

 エルヴィンたちはその暴挙に驚き、なにか理由があるのではないかと探索に手を尽くしたこと。

 やがて、聖具生産の盛んなシュタルクの助力で、彼らが隠そうとしていた恐るべき真相を、明らかにする術を得たこと。

 それを誠実に断じるべく、こうして国民の前で査問の場を設けたこと。


 彼の熱弁は、すべての民には届かぬものの、少なくともバルコニーの近くを固める数百の人間は、熱心にバルコニーを見上げている。

 徐々に彼らの顔が不信の色を強めていったのを確信し、エルヴィンはここぞとばかりに叫んだ。


「これが、その聖具だ! 血の一滴を加えるだけで、たちまちに真実を明らかにする! この聖具が、偽りを、打ち破る!」


 聖具の開発者であるシュタルクの側近は、詳細な仕組みを説明しようと身を乗り出したが、エルヴィンはそれを視線で制する。


 今この場で必要なのは、懇切丁寧でつまらない説明ではなく、大胆で胸を打つ演説だ。

 偽りを打ち破る、と短くまとめたフレーズを、聴衆がざわめきながら反復するのを認めて、エルヴィンはいよいよ笑みを深めた。


 さあ、仕上げだ。


 エルヴィンは、予めバルコニーに置かせておいた巨大な水槽に近付き、それを覆っていた布を、ばっと音を立てて引き抜いた。


 透明な水をなみなみと湛えたそれに、まずは恭しい手つきで髪の毛の一筋を沈める。

 仰々しい緋色の布から取り出したその毛髪は、先王ヴェルナーのものだった。


「この、獅子の刺繍からわかる通り、水槽――この聖具に入れたのは、埋葬された父王ヴェルナーの遺骸から採取した毛髪だ! そこに、ここなるフェリクスを名乗る男の血を垂らす。二人が真に血の繋がった親子でなければ、聖なる水はたちどころに『反発』を起こすだろう」


 朗々と声を上げながらエルヴィンは踵を返し、今度はフェリクスの腕を掴むと、それを高く掲げた。


「皆の者、よく見ておくがいい!」


 そうして、懐から取り出したナイフで指先を突き、血の滴を水槽へと振り入れた。


「これが、真実だ!」


 途端に、巨大な水槽の水すべてが、さっと色を変える。

 より鮮やかに発色するよう改良した、その水の色は、人々の興奮を掻き立てる赤。

 偽の王を戴いていたという事実を知った民は、愕然とし、激怒して、声を荒げ始めるだろう。


 が。


 ――し……ん。


 予想とは裏腹に、王城前の広場が静まり返っていることに気付き、エルヴィンは眉を顰めた。


 怒りの余りの絶句、というわけでもない。

 見るに、彼らはどうも――困惑、に近い表情を浮かべていた。


「きれいな赤ねェ」


 誰か(・・)が、ふと呟く。


「ルーデンの、王の色だわ」


 不思議なことに、それはたった一人の小さな声だったにも関わらず、バルコニーの上にいるエルヴィンの耳にまではっきりと届いた。


 まるでそれが、水面に投じられた石であったかのように、次々と囁きの輪が広がってゆく。


 ――見たか、色が変わったぞ。

 ――ああ、本当だ。……ええと、それはつまり……?

 ――馬鹿、フェリクス王はやっぱり本当に王の子だった、ってことだよ。

 ――あれ? 色が変わったら偽の王なんじゃなかったっけ。

 ――反発したら、だろ。きれいな緋色に染まったんだから、逆だ、逆。


 その詳細な言葉までは、エルヴィンのいる場所からはとても拾いきれない。

 ただ、徐々に、人々の口の端に昇り始めたフレーズを聞き取って、彼は顔色を失った。


 ――あれは、王の色だ。


 王の色。

 正統なる、ルーデンの王を示す緋色。


「違う……! 違う、愚か者どもめ、言っただろう、『変色したら』実子ではないと!」


 手すりから身を乗り出して呼びかけるが、もう遅い。

 ようやく事態を把握できたと考えた人々は、「王の色」のフレーズを、確信を持って叫びはじめた。


「王の色。王の色だ! フェリクス陛下の血を注いだら、色が変わったぞ!」

「王の色だ! やはり本当の王なんだ!」


 ただでさえ人が多いこの状況、バルコニーから離れた民からすれば、エルヴィンの演説など聞こえるはずもない。

 よって彼らは、前方から波のように押し寄せる声が、真実であると信じた。

 なにせ、彼らに唯一認識できたのは、遥か遠くのエルヴィンの言葉でも、表情でもなく、さっと色を変えた水槽だけであったので。


「王の色だ! 偽の王などというのは、嘘だったんだ!」

「真実の王、フェリクス陛下万歳!」


 唯一エルヴィンの目算が当たっていたとすれば、それは、一度暴走を始めた民に歯止めなど効かぬということ。

 彼らは、濡れ衣を着せられかけた王が、真実を掲げてそれを振り払った、という大層ドラマティックな一幕に、胸を躍らせていた。


「フェリクス陛下、万歳!」

「――やー、形勢逆転だねえ、エルヴィン?」


 突き上げるような歓声を聞きながら、フェリクスが久々に口を開いた。

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