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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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22.「普通」のピンチ(4)

 ルーカスは、のろのろと顔を上げたエルマの髪を軽くかき混ぜると、呆れを含ませた溜息さえ落としてみせた。


「なまじおまえたちは何でも出来るだけに、ぐちゃぐちゃ考えすぎるんだ。もっと単純に考えろ」

「単純に……?」


 言葉を反復し、エルマは不安そうに夜明け色の瞳を揺らした。


 洗脳も、詐欺も間に合わない。

 破壊や浄化では意味がない。

 ではいったい、どうしたら――?


「決まってる。シャバではな、自分の手に余ることがあったら、人に『頼む』んだよ」

「は……?」


 エルマはぽかんとした。


「だから。事情を説明して頭を下げて、どうかそちらから血を分けてくれって頼むんだ。詐欺でも洗脳でも強奪でもなく、協力を仰ぐ。頼んで頼んで頼みまくる。それしかないだろう」


 きっぱりと言い切られて、エルマは眉を下げた。


「そんな……」


 あまりに捻りの無い、現実味に欠ける方法。

 シャバで一年ほどしか過ごしたことのない自分でもわかる。これは「普通」なんかではないと。


「フレンツェルでもアウレリアでも、魔族は忌避の対象でした。シャバでは、魔族とは疎まれるものなのでしょう? それがなぜ、その親玉たる魔王覚醒に力を貸してくれると言うのか……それに、一万もの方々が……」


 エルマが指摘すると、ルーカスは「そうか?」と愉快そうに唇の片端を上げた。


「かつておまえはフレンツェルで、魔蛾を――魔の筆頭眷属を、美しく有益な存在だと認めさせたではないか。ルーデンで最も魔を嫌うフレンツェルの民、数千人の心を解した。なのに、彼らが協力してくれるとは、信じられない?」

「それは……」

「フレンツェルだけではない。アウレリアでは、最も聖なる存在を(かしず)かせた。おまえに全面的に協力するだろう人物は、それだけではないぞ。元ラトランド貴族であり、領民だって持っていた我が母ユリアーナ、モンテーニュの王侯貴族や市民とも繋がるラマディエ料理長、最近は孤児院で治療を行っているデニス聖医導師、各国で熱狂的なファンを持つヨーラン・スヴァルド……」


 ルーカスはつらつらと名を挙げてゆく。

 どれも、彼らが指一本を動かせば、数百もの人間が喜んで従うだろう、多大な影響力を持つ者たちばかりだ。


 大罪人たち七人で一万の血を集めることは難しくとも。

 彼らがすべての親しい人間に協力を仰ぎ、その人間がすべての周囲に頼み込めば、一万の数はきっと集まる。


 真剣にこちらを見つめはじめた大罪人たちに、ルーカスは肩を竦めて続けた。


「なにも全身の血を抜けと命じるわけではない。刺繍針で指先をつつくような、ほんの一滴をわけてくれと頼むだけだ。瀕死の母を前に、血を必要とする少女を救うために。それも、大恩のある少女を、な」


 そこで彼は、これまでルーカスに対し挑戦的な態度を示してきた大罪人たちに向かって、小首を傾げてみせた。


「さらに、だ。監獄(ここ)には、一晩に何百通と手紙をやり取りする伝書手段(ハト)も、生き血を速やかに回収する技術も、あとはエルマ、おまえの、生き物をことごとく懐柔する不思議な力もある。エルマが魔王として覚醒しても、確実にそれを封じ込められるだろう、希代の勇者と戦士もいる。これでもなお――」


 彼は、整った眉を器用に持ち上げ、軽く笑った。


「監獄の方々は、これくらいのこともできない、と?」

「――……!」


 面々は、さっと顔を紅潮させた。恥辱に震える表情ではない。

 それ以上の興奮と、闘志に湧く顔だ。


 にわかに活気づいた空間で、しかしエルマだけが、未だ不安そうに瞳を揺らしていた。


「……そう、でしょうか……」

「なにがだ?」

「その……本当に、頼むなどという行為だけで、自然でも動物でもない……人々が、力を貸してくださるものなのでしょうか」


 これは彼女が、日頃いかに他人を頼りにしていないかということの表れだろう。


 一方的に周囲に恩恵を与えて回る行為は、一見すれば献身的で無欲のようだが、最初から対等の関係を期待しないその姿勢は、ある種傲慢だ。


 ルーカスは反論しようと口を開きかけたが、それよりも早く、今度は少女の声が一同の耳を打った。


「貸すわよ」


 イレーネだ。

 彼女は、焦れたような表情を浮かべて、エルマに詰め寄った。


「少なくとも私は、力を貸す。当然じゃないの、友達が困ってるのよ。友達本人じゃなくて、友達の友達、くらいのことでも力を貸すわ。私がその友達のことを、大切に思って、信じているなら」


 彼女は、この局面で、怒りを感じさせるほど頬を赤く染め、言い募った。


「エルマ。私たちは――シャバの人間は、あなたたちほどいろいろなことができない。できないから、頼り合うのよ。気軽に。当然のことのように。だってそれが、『普通』なのだから」


 イレーネはエルマの両手を取り、ぎゅっと握りしめた。


「前から言いたかったの。あなたはもっと、私たちを頼りなさい。もっと、――信じて」

「…………!」


 エルマの瞳が見開かれる。

 無言でイレーネを見つめるエルマに、ルーカスが「まだ信じられないようなら」と、悪戯っぽく告げた。


「例えば、デボラ嬢辺りをここに呼び寄せてみたらどうだ? フレンツェルならここから近いし、彼女ならすぐに駆けつけてくれるだろう。その反応を、直に見てみればいい」


 自信たっぷりの口調だ。

 エルマはちょっと唇を噛み、ややあってから、おずおずと指を鳴らした。


「――デボラ様、カモン」

「馳せ参じましたわぁ!」

「予想以上に速い!!」


 指を鳴らし終えると同時に、バーン! と図書室の扉が開き、さしものルーカスもぎょっとする。


 豊満な胸に汗と雨を這わせ、息を荒げて登場したのは、誰あろう、デボラ・フォン・フレンツェル辺境伯爵令嬢であった。

 ありえない速さで平然と到着してみせたデボラに、「だからこれは、いったいどういうメカニズムなのよ……っ?」とイレーネも呻いた。


「はぁっ、はぁ……っ、な、何やら本日の昼頃から、エルマエル様がお近くにいらっしゃるような胸騒ぎを覚えましたので、このデボラ、もしやお呼び立てがあるやもしれぬと、エルマエル様ゆかりの地を聖地巡礼しておりました。そうしましたら、この通り!」


 デボラは、ぐっしょりと濡れたポニーテールを掻き上げ、誇らしげに豊かな胸を張った。


「エルマエル様の第一使徒の名に恥じぬべく、雨の中を走って参りましたわ!」

「走ってきたの!? 召喚とかではなくて!?」

「え? 走る以外にどのような移動手段がございますの?」


 思わずイレーネが突っ込むと、デボラはきょとんと首を傾げた。

 なるほど、第一使徒の肩書にふさわしく、既に「普通」を大幅に逸脱している。


 呆然とするイレーネや、初対面の令嬢のキャラに唖然とするテレジアをよそに、デボラはきりりと表情を引き締め、エルマの前に跪いた。


「お久しゅうございます、エルマエル様。本日はどのようなご用向きでしょうか。この忠実なるデボラめに、なんなりとご下命くださいませ」

「下命と申しますか、その……話せば長くなるのですが、かくかくしかじかといった事情で……」

「なんてお労しい……。なるほど、委細承知いたしましたわ」

「だからどうやって!?」


 わずかなやり取りで完璧に通じ合った二人に、再度イレーネが絶叫する。

 だが、デボラがすっと立ち上がり、あまりに真剣な表情を浮かべたので、思わず口を噤んだ。

 デボラは、いつもの陶酔したような目つきではなく、凛とした意志を浮かべ、まっすぐにエルマを見つめていた。


「エルマ様。わたくし、嬉しいですわ。エルマ様が大変な時に、こうして頼っていただけて」

「え……?」

「第一使徒として、そして恐れ多くも、近しい友人として。わたくし……絶対に、あなた様の願いに応えてみせます」


 エルマの逡巡を吹き飛ばすように、彼女はにっこりと微笑んだ。


「血がいるのですわね? なるべく多くの人間の。お任せください。フレンツェルの領民二千五百は、あなた様の味方ですわ」

「…………!」


 必要数の、四分の一。

 戦局が大きく変わる数を、なんの躊躇いもなく請け負われて、エルマが絶句した。

 デボラは、それを微笑ましそうに見守っていた。


「なんの造作もございません。先日ご指導いただいた魔蛾の育成のため、フレンツェルでは昼夜絶えず、民が領主の館を出入りしておりますの。この半年、わたくしとケヴィンで、すべての領民と交流を持ち、もはや領内に掌握できぬ者などおりません」


 ぶどう栽培の閑散期に、フレンツェルでは魔蛾ビジネスを本格的に推進していた。

 その結果、全領民がこれまでにない利益を獲得。今では、魔蛾は未来と成功の象徴となり、領主一家と領民の仲も、これ以上なく良好であるという。


「デボラ様たちは、そんなにもフレンツェルを変えられたのですか……」

「いやですわ、変えたのはあなた様です、エルマエル様」


 デボラは、その大地色の瞳を優しく細め、そっとエルマの手を取った。


「半年前、わたくしたちに奇跡を起こしてくださったのは、あなた様。だからわたくしたちは、そのささやかな恩返しをするだけですわ。自ら進んで、ね」


 ちなみに、領内のエルマエル像も十体まで増えました、と微笑むデボラを、エルマは瞳を揺らして見つめ返した。


 像は正直建立してほしくなかったが――彼女の言葉を、信じてよいと言うならば。


「……頼っても……いい、ですか」

「もちろん。これしき、至って些細な――『普通』のことですわ」


 デボラが器用にウインクを決めたのを見て、とうとうエルマも心を決めた。

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