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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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20.「普通」のピンチ(2)

 窓の外では、激しい雨と悲鳴のような雷が続いていた。

 ホルストは、渋面のクレメンスが居室すべての燭台に火を灯すよりも早く、急いたように口を開いた。


「それで、王太后サマ。あなたの知ってることを、全部教えてくれる?」


 組んだ腕を落ち着かぬ指先で叩くホルスト。

 彼を囲むのは、エルマを除く大罪人たちと、ルーカス、イレーネ、そしてフェリクスにテレジアだ。


 彼らが今居る、質実剛健を表したような飾り気のない部屋は、ギルベルトのものだった。

 ただし本来の部屋の持ち主は、壁に背を預けることすらせず、じっと扉の向こう――廊下を挟んだハイデマリーの部屋を見つめていた。


 テレジアが急を告げてから大罪人とエルマたちは茶会も品定めも放り出し、即座にハイデマリーの部屋に駆けつけた。

 そうして、息を呑んだ。


 屋内であるはずのその場所が、森と化していたからだ。

 しかもその「森」は、彼らの前で目まぐるしく変化していた。


 壁がぼろりと崩れ、隙間から伸び出した蔓が枝に、やがて巨木に。

 枝の先では緑が芽吹き、蕾み、盛大に花開いたかと思うと枯れ朽ちてゆく。

 一つの木が死と再生のを巡る間にも、そこから落ちた種が次々と実を結び、広がってゆく。

 凄まじい勢いで茂ってゆく葉の間からは、時折ぼうっと炎が生まれ、やがて消えた。

 植物に破られた壁からは雨が吹き込み、それは一時、海を思わせる激しさで床を侵食し、かと思えば気まぐれに引いてゆく。


 それはまるで、神話に描かれる天地創造のような光景だった。


 そして、肝心のハイデマリーが横たわるのは、部屋の中央、広々とした寝台があったはずの場所。

 彼女は、蔦と花と枝で編み上げられた揺りかごのようなものに支えられ、宙に浮いていた。


 眼を閉じたその顔は、いつになく苦しそうだ。

 そして注目すべきは、植物たちに吊り上げられているようにも見える彼女の髪が、異様な勢いで伸びていることだった。


 腰あたりまでだったはずの髪は、宙から床にこぼれ、それでもなお余って植物の床を這う。


 到底現実にはありえない光景に、大罪人たちまでもが硬直する。

 それはそうだ、いくら「常軌を逸した」とは言えど、彼らもまた、魔力や聖力といった世界とは無縁の、普通の(・・・)人間だったのだから。


 それでも我に返り、ハイデマリーの元に駆け寄ったのは、娘として母の世界をいくらか共有してきたエルマ、そして監獄の医師を自認するホルストであった。


 呼びかけ、脈を取り、瞳孔を見る。

 血液を採取し、全身をくまなく検めたが、結局彼らがわかったのは、通常の医療技術ではまったく理解できない――そして対応できない事態に、ハイデマリーが陥っている、ということだけだった。


「胎児や胎内に問題があるわけじゃない、血中のあらゆる数値も正常範囲、ウイルスも細菌も無し。なのに心拍が異常に上昇し、呼吸困難、発汗、意識混濁。なによりあの異常な身体成育。不甲斐ないけど、僕の知識じゃ、とても理解できない」


 本人の強い希望があったためエルマをハイデマリーの傍に残し、すぐ向かいのギルベルトの部屋に移動したホルストは、苛立たしげに髪を掻き上げた。

 彼らには、冷静になって議論する場が必要だったのだ。


「それに、あの部屋の植物の異常生育は、明らかにマリーに引きずられたもののように思う。これはもはや医療の管轄じゃない。聖力だとか、あるいは魔力の領域だ。そうでしょ?」


 その声は憎々しげと言っていい。

 聖力や魔力というのは、ホルストが「ファンタジー」の一言で切り捨ててきた領域だ。

 それが、目の前の、彼の大切な人間を苦しめているということが、ホルストには許せなかった。


 いや、ホルストだけではない。

 いつも優雅と退廃の空気をまとっていた大罪人たちも、今この時ばかりは、飲み物すら用意せず、ぴりぴりとして部屋に立ち尽くしていた。


 ハイデマリーは監獄の女王にして、彼らの友人であり、妻であり、母。

 かけがえのない女性の危機に、誰もが強い焦燥を抱いていたのである。


「……その通りだ」


 問い詰められたテレジアが、女性にしては低い声で頷く。

 彼女は、大罪人たちに鋭く見据えられても動じず、聡明さを感じさせる口振りで答えた。


「彼女の身に振りかかっている事態を説明するには、私の妹の身に起こった出来事を説明するのが早いと思う」

「妹……?」


 世情に疎い一部の大罪人が眉を寄せる横で、ルーカスやイレーネははっと目配せをした。


 血塗れ(ブラッディ)テレジアの由縁。

 姉のために相談役として王宮に上がったというのに、その愛らしさと聖力の高さを疎まれ、人に見られぬ顔にされて修道院に送られたという、実妹クリスタ。


 しかし、テレジアから語られることの真相は、彼らが噂から想像していたものとは、かなり異なるものだった。


「知っているかわからぬが、私には妹がいた。クリスタという。祖父が聖者の家系だったのだが、その血が作用してか、彼女は家族の中で唯一、ずば抜けて聖力が高かった。時さえ合えば、聖鼎杯に、聖女候補として送り込まれるだろうほどに」


 その言葉に、今度はリーゼルとクレメンスが視線を交わす。

 テレジアはそれには気付かず、話を続けた。


「神殿入りもあり得ると、聖女教育を施されたクリスタは、善良で、世間知らずの娘に育った。彼女は親や、姉である私に完全に依存していた。結果として、アウレリア留学の話が持ち上がった際、彼女は一人国外に出ることを怖がり、私が王妃に指名されたのを理由に、相談役としてともに王城に上がった」


 テレジアはしかし、愚かゆえに善良な妹を愛した。

 過保護とは知りつつ、相談役の肩書きを与えて傍に置き、悪意渦巻く社交界から隔離するほどには。


 けれどその結果、クリスタは醜い王城の内実を知ることもなく、テレジアが目を離したところであっさりと男の火遊びに引っかかってしまった。

 彼女は、誰とも知らぬ男の子どもを妊娠してしまったのだ。


「では……もしや、テレジア陛下が彼女を修道院送りにしたのは、そのため……?」


 ルーカスが呟くと、テレジアは「そうできていたなら、どんなによかったか」と苦々しく笑った。


「元は、そのつもりだった。ただ、せめて出産と、その子どもの名付けくらいまでは私が面倒を見ねばと思ってな。ちょうど私が同時に妊娠したのを幸いと、姉妹ともども実家に引っ込んだ」


 両親の説得も、箝口令も、部屋の改装も、全てテレジアが行った。

 妹の妊娠の責任は、自分にあると思ったからだ。


 妊婦に(・・・)危機があったらすぐ対応できるよう、姉妹の部屋を繋いだ扉。

 その妊婦とは、互いのことだった。


「ただ、聖力に縁のなかった私も、中途半端に聖女教育を投げ出してしまった妹も、肝心な知識が欠けていた。――強すぎる聖力を持つ女が孕んだら、どうなるのか」


 核心に近づいてきた話に、ホルストが視線を上げた。


「……それが、聖力過剰?」

「ああ。裏付けとなる文献を見つけたわけではないが、私はそう理解している。過ぎた薬が毒になるように、溢れ続ける聖力は、持ち主の体を破壊するのだ」


 ちょうど妹が臨月に差し掛かった頃だ、とテレジアは言う。

 クリスタの体に、異常が見られるようになっていった。


「時折、ひどく魘されるようになった。熱が出て、呼吸が乱れて、……彼女はそんな時、『内側から破裂しそう』と言っていた。それで私は、てっきり妊娠の症状の一つかと思い込んでいた」


 だが、違った。

 症状は徐々に、彼女の身体を離れ、周囲にまで影響を及ぼすようになった。


 クリスタの聖力は、主に水を操るものだったのだが、ふと気を抜くと、水差しの水を溢れさせてしまったり、夏だというのに霜を下ろしてしまったりと、次第にその制御を失っていったのである。


「それも、妊娠のせいだと思っていた。やたら眠いと言って、長く眠るのも。聖力を持つ者の妊娠は、他とは多少異なるのだろうと、甘く見ていたのだ」


 テレジアにはテレジアで、腹の中の子を守らねばという重圧があった。

 そうしてある日――あの、突然けたたましく空が泣き出したあの日。


 テレジアは自身の異変を訴えるべく妹の部屋の扉を開け――そこで、異変どころではない、異常な光景を見た。


「クリスタの部屋は、まるで屋外のように雨が降っていた。水は床でうねり、壁を遡ってまた落下していた。そしてクリスタはその中心で、こと切れていた。部屋中に髪と爪を伸ばし、……老婆のような顔で」

「なんだって……?」


 ホルスト以下、一同が息を呑む。

 テレジアは苦い過去を飲み下すように、ぐっと唇を歪めると、拳を握って続けた。


「まるで、その部屋だけ時を速めたかのようだった。私はぞっとして、しばらく立ち尽くしてその光景を見ていたが、やがてあることに気付いた。私の指先にはその時、針でできた傷があったのだが、その部屋に漂う水に触れると、みるみる塞がったのだ。小さな傷だけではない。剣の稽古や落馬でできた古傷も、すべてだ。部屋には、凄まじい聖力が溢れていた。妹の遺骸を中心として」


 聖力が過剰に溢れている。

 テレジアは直感的に思った。


 聖力とは、生物を癒し(はぐく)む聖なる力。

 けれど、それが頃合いで涸れ果てることなく、制御を失い、無限に持ち主を「癒し育」んだらどうなる?


 髪は、爪は伸び続けるだろう。

 古い池の水が雨となって新しく生まれ変わるように、骨や肉は劣化と再生を繰り返す。

 それはつまり――恐るべき速さで老化が進むということだ。


 そうしてとうとう、暴力的に「回復」を促す聖力に耐え切れなくなり、擦り切れた肉体は死を迎える。 それが、目の前の妹だ。


 聖力は血統で受け継がれるというのに、教会がなぜ聖女に純潔を命じ――子を産ませようとしないのか、テレジアはその時になって、ようやく理解したのだった。


「腹の子を育てようとするあまり聖力が暴走するのか、それとも胎児を異物とみなして攻撃しつづけたということなのか、私にはわからない。が……、聖力過剰と妊娠は、間違いなく結びついている。これが私の直感と、経験からくる結論だ」


 テレジアは、なぜ気付けなかったのかと自責の念に苦しみながら、自身の出産の直後、妹の遺体を処理した。

 葬儀を上げず、顔を傷付けて修道院送りにしたなどという噂を流したのは、クリスタのためだ。

 老いさらばえたその体を、誰にも見られたくはないだろうと思ったから。


 そこまでを聞くと、ホルストは「なるほど」と一つ頷いた。


 彼にとって、テレジアの悔恨や二十二年前の事件の真相などどうでもよい。

 ただ、彼の大切な身内を救えるに足る情報かを、真剣に吟味していた。


「たしかにその事件と今のマリーの症状は符合するな。老化も、異常な細胞分裂促進によるテロメアの破損と思えば理解できなくはない。……でも、囚人にして元娼婦の【色欲(ハイデマリー)】が、聖女並みの聖力の持ち主だって……?」

「それについては、あたしが保証するわ」


 とそこに、黙って話を聞いていたリーゼルが口を開いた。


「あの女は、三十年前の聖鼎杯で、わずか五歳にして聖女候補だった。それを、当時の教会の腐敗を悟って、その座を投げ捨てて娼婦になったのよ」

「なんだって?」


 ギルベルトを除いた一同が目を見開く。

 壁の近くに控えていた――無理やり巻き込まれたとも言う――クレメンスは、勝手に過去を暴露したリーゼルにちらりと眉を上げてみせたが、リーゼルは鼻を鳴らしてそれに応えた。


「なによ、バラしちゃ悪い? 言っとくけど、先に裏切ったのはあの女――ハイデマリーのほうよ。何枚も手札を隠して、勿体ぶりながらやっと見せたと思ったら、どれも捨て札ばかり。人の厚意と心配を、平気で踏みにじる真似しやがって」


 乱暴な口調には、苛立ちと焦りが等しく滲む。


 なにが、「誰より大切な人」だ。

 顔色が悪いのは妊娠のせいだというのも嘘だった。

 いや、嘘ではないが、あの女は隠していた。

 自らが死の淵に、片足でようやく立っているのだということを。彼女はきっと、こうなることを「知って」いたに違いないのに。


「……ざけんじゃないわよ」


 リーゼルはぎり、と親指の爪を噛んだ。


 それが、あの美貌の娼婦の矜持なのだということは理解していた。

 ある種の愛情であり、友情であるのだということも。


 彼女はまるで、死に際に隠れる気高い猫のよう。

 けれど――手を差し伸べていた側からすれば、それはなんと腹立たしい振る舞いか。


 強い怒りは、攻撃的な笑みを象り、傍らのギルベルトに向けられた。


「あんたは知ってたわけ、ギル? 知ってたはずよねえ。十五年もの間思い続けた女だもの、その正体が聖女候補であったことなんて。だから、マリーが周囲に妊娠を隠そうとしていた時も、それに従ってたんでしょ。ええ? 元勇者さん、なんとか仰いよ」

「…………」

「愛しい女を死の淵に追い込んで、満足?」

「――満足なものか!」


 ずっと黙り込んでいたギルベルトは、突如抑制の糸が切れたように咆哮した。


「彼女の過去は聞いていた。だが、こんなことになるだなんて、知らなかった! 妊娠の事実をぎりぎりまで伏せていたのは、獄内のお祭り騒ぎを避けたいからだと、繰り返し聞かされていた。マリーは、俺にまで隠していた……!」


 彼は、両手に顔を埋めると、血を吐くようにして叫んだ。


「俺が……子を持とうなどと言わなければ……!」


 一同はそこで静かに息を呑んだ。

 聖力過剰が妊娠によって引き起こされるのだとしたら、この状況下、一番追い詰められるのはギルベルトだ。


 居室に気まずい沈黙が下りる。

 いつも泰然としていたはずの大罪人たちが、感情を揺らしていた。

 それほどまでに、女王の存在は絶大なのだ。


「――……だが、なぜエルマの時は聖力過剰にならなかったんだ?」


 その時、ふと低い声が一同の耳を打った。

 慎重な声で問いを紡いだのは、ルーカスだった。


「妊娠によって聖力過剰が引き起こされるのなら、エルマが生まれた時点でこうならなければおかしい。エルマの時と、今で異なるのはなんだ? そこに、解決の糸口になりえるものがあるかもしれない」

「…………」


 ホルストが目を見開いた。


「……魔力だ」


 彼は、ふら、と腕を持ち上げ、無意識のような仕草で髪を押しつぶした。


「魔力だ。腹の中のエルマの魔力が、過剰な聖力を相殺したんだ。……はは、神の敵たる魔族の血が、結果的に聖女マリーを守っていたんだ……!」

エルマの(・・・・)魔力(・・)……?」


 それでは、と顔を強張らせるルーカスたちに、ホルストは口早に応じてみせた。


「ああ、そうさ。君たちもどうせ気付きかけていたんだろ? エルマは真実、魔族の娘だ。……もっとも、聖女の娘でもあったわけだけど」


 あっさりと明かされた真実に、ルーカスとイレーネは表情に悩む。


 ありえない出自。

 けれど同時に――あまりにも腑に落ちる、事実。


 見れば、既にそれを知っていた様子のギルベルトやリーゼルだけでなく、モーガンやイザークも、神妙にただ頷いている。

 驚くには値しない、ということだろう。


 ホルストは周囲の反応など置き去りにして、ぐるぐると部屋を歩きはじめた。


「魔力をぶつけて、聖力を削げばいいんだ。でもどうやって? くそ、聖力の生成器官でもあれば、そいつを魔剣で貫けばいいんだろうけど、聖力とやらが物理的な身体構造と一致しているのか……いや、まずは魔力の確保だ。あれほどの聖力に対抗するだけの、強大な魔力……」


 聖力や魔力といったものは、本来彼の管轄外だ。

 けれどホルストは、それを明晰な頭脳で無理やり理解の範疇に引き込もうとしていた。


「そこは、やっぱエルマを使うんじゃなーい?」


 とそこに、のんびりとした声が響いた。

 テレジアの告白すら他人事のように聞いていた、フェリクスである。


 彼は、テレジアとよく似た緑の瞳を、わずかばかり愉快そうに輝かせていた。


「だってさ、エルマの魔力で対応できたって、十五年前に証明されてるわけでしょ。すぐそこに魔力生成器があるのに、使わない手はないじゃない」


 エルマのことなど、駒か道具としか見ていないことがわかる発言だ。

 ホルスト以下、大罪人たちは一瞬、視線だけで氷河期を呼び寄せそうなほど目を細めたが、すぐに現状を思い出し、表情を元に戻した。


「……エルマは、身体構造や能力こそ魔族的性質が強いけど、魔力があるわけじゃない。普段の瞳が赤くないことからも、それは明らかだ。【憤怒ギルベルト】がほいほい拾ってくる聖剣の類にも、忌避を示したことはない」


 長年にわたり、エルマを見守ってきた主治医(ホルスト)は、低い声で告げる。


「十五年前、聖女並みだというマリーの聖力を相殺しえたのは、おそらくエルマが彼女の胎内にいたからだ。分化した(・・・・)今、聖剣にすら反応しない微弱な魔力じゃ、マリーを救えるとは思えないね」

「じゃあ、覚醒させれば?」


 フェリクスはますます楽しげに肩を竦め、そこでくるりと異母弟を振り返った。


「ね、ルーカス。君があんまり上手にアウレリアでの報告書を書くものだから、僕、逆に気になっちゃってさ。つい自分でも調べちゃったんだよね。エルマは、聖力保持者には妙薬となる、魔族には毒となる強い酒を飲まされて、結果、大地や植物を操ったんでしょ?」


 あまりにさらりともたらされた情報に、ルーカスやイレーネは絶句した。


 無難に隠していたつもりだった。

 本人も、すんなり報告書の内容を信じた様子を見せていたのに、いつの間に調査を進めていたというのか。


 フェリクスは二人の表情を見ると、「こそこそ調べ回るのが趣味なものでね」と笑みを深めた。


「で、だ。その時発現したエルマの力は、はたして酒に耐性を得た突然変異的魔力なのか、それともまさか聖力か、というので悩んでたんだけど、今わかったよ。答えは両方なんだ。エルマは魔力と聖力を持っていて、普段はそれらが互いを削ぎあっている。ただし、一方を強化する環境に置かれたら、一気に天秤がそちらに傾く――つまり、覚醒するんだ。アウレリアでは、おそらく彼女は聖力を覚醒させた」


 ならば今度は、と、フェリクスは好奇心旺盛な子どものように、無邪気に周囲に笑いかけてみせた。


「僕、エルマが魔力を覚醒させるのを、見てみたいなぁ」


 いや。

 その瞳は無邪気なようでいて、その実、狡猾で冷酷な理知の光が浮かんでいた。


 彼は見たいのだ。

 自身の手にしていた駒が、どこまで有益たれるかの、その限界を。


「……検討に値する手段だね。でも僕、あんたのことがすごく嫌いだな、フェリクス王サマ」


 人を人とも思わぬフェリクスの提案に、ホルストが冷ややかに応じる。


「奇遇だねー。僕も、君を見てるとなんか嫌な気分になる」


 フェリクスは笑顔を崩さなかったが、辺りの空気は一層殺伐としたものになった。


「同族嫌悪でしょうね」


 モーガンはあっさりとそれを総括すると、ホルストに向き直った。


「【貪欲(ホルスト)】。医学は私の専門外ですが、魔力や聖力――おとぎ話の世界ならば、伝承や書物の得意とするところ。つまり、この監獄の図書室を管理する、私の領分です。『検索機能』を使って、エルマを魔族的に覚醒させる方法を調べましょう」


 モーガンは、化学や物理の説く真実には興味を示さないが、言語や物語には、詐欺師として常に並々ならぬ関心を抱いている。

 その結果が、ルーデンの王宮図書室すら上回る知の集合、監獄図書室だ。


 あの膨大な蔵書からならば、間違いなく覚醒の手立てが見つかると思われた。


 不意に見えてきた希望の光に、その場の士気がぐっと高まる。

 エルマを呼んでくると申し出たルーカスを除き、一同は素早く図書室へと移動を始めた。

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