▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

126/169

16.「普通」の品定め(6)

「あん、危ない」


 不意に窓から吹いてきた夜風に、騎士を模した指人形がテーブルから落ちてしまったのを見て、ハイデマリーは慌てて片手を差し出した。


 柔らかな白い手は、勢いづくあまり、人形をかえって天井近くまで跳ね飛ばしてしまったが、なんとかテーブルの上、ダイニングの間取り図の辺りまで戻ってくる。


 ハイデマリーはそれを丁寧に、テーブルのイラストが描かれた部分に置き直すと、他の人形たちを動かし、バランスを整えた。


「……おい。その腹であまり屈んだりするのではない」

「お気遣いありがとう、テレジア様。でも受け止めてあげないと、繊細なお人形が壊れてしまうもの」


 ハイデマリーはくすりと笑って、騎士の人形をよしよしと撫でる。

 お茶の時間にしましょう、と言って、テーブルの絵の描かれたあたりに人形を移動させる様子は、さながらあどけない女児のようだ。


 が、にこやかに人形を操る彼女から、得も言われぬ異様な雰囲気を感じ取って、テレジアは無意識に眉を顰めた。


(なんなんだ、この女は……)


 一見する限りでは、ただただ美しい、儚げな女。

 だが、娼婦さながらの噎せ返るような色気をまとったかと思えば、貴族子女のような気品を見せ、かと思えば、幼子のように無邪気に人形遊びを始める。


 その言動はとりとめがなく、対峙するテレジアに本能的な警戒心を与えた。


(この女を見ていると……なにかひどく、違和感(・・・)を覚える……)


 テレジアは顎を引き、じっと向かいの相手を検分する。


 緩く結い上げた銀の髪、白磁のように滑らかな肌。

 穢れを感じさせない美しい瞳は、不思議なことに、世間知らずだった妹にも似ていた。

 どこか浮世離れした、神聖さすら感じさせる美貌。


(まとう雰囲気が気になるのか……? それとも、他に何か……?)


 自身が何に反応しているのかわからず、険しい顔で凝視していると、突然、


 ――どごぉおお……ん!


 外から爆音が響いたので、テレジアは咄嗟に腰を浮かせた。


「な……っ!?」

「あらあら、盛り上がっているわねえ」


 が、目の前の女性はさして気にした素振りもない。

 想定内だとでも言うように、のんびりと窓の外を眺め、それからしばらくして、なぜか「あら」と目を瞬かせた。


「テレジア様はご存じでして? ドラゴンは、唐揚げで塩が『普通』なのですって。わたくし、知らなかった」

「……は?」

「ふふ、失礼。気になる話題が聞こえた(・・・・)ものだから、つい」


 軽やかに詫びられ、テレジアの眉間の皺がますます深まる。


 先ほどの爆音と、ドラゴンの話がなぜ繋がるのかがわからない。

 それに、この部屋にはテレジアと彼女の二人しかおらず、しんと静まり返っているというのに、「聞こえた」とはいったいどういうことか。


 だが、それらの問いを口にしても、


「わたくし、とても耳がいいの」


 ハイデマリーはふふっと笑うだけだ。


(仮にどこかの会話を拾ったのだとしたら――まさか、棟も異なるダイニングから?)


 不意にぞく、と背筋の冷える感覚がして、テレジアは顔を強張らせてハイデマリーを見た。


 美貌の女王はそれに気付くことなく、熱心に指人形を並べ直している。

 テレジアと話したいと誘ってきたわりに、彼女は相手の動向にはまるで無頓着のようだった。


「ああ、困ったわねえ。姫君と騎士をくっつけてあげたいのに、この席の配置だと、どうしても邪魔が入ってしまう。どう並べてあげたらいいのかしら?」


 彼女は目下、指人形の席次に悩んでいるようだ。

 そんなもの適当に並べればいいではないかと思うが、彼女は「これはおもてなしの訓練だもの。ゲスト全員が気持ちよくなれるよう、よくよく人間関係に配慮して並べなくてはね」となぜか意気込んでいる。


 医者の恰好をした人形を姫の隣に座らせ、やはり考え直して移動させ、代わりに魔女の人形を騎士の横に付けたあたりで、ハイデマリーは溜息を漏らした。


「だめだわ。姫君への皆の愛が強すぎて、手の打ちようがない」


 本気で嘆いているようである彼女を、テレジアはつい異様なものを見る目で見つめてしまう。

 すると、ハイデマリーはちらりと視線を上げ、きまりが悪そうに微笑んだ。


「ごめんなさいね、あなたを放ってこちらに夢中になってしまって。でもね、親としてはつい、子どものことが気になってしまうの。娘に見立てた人形の扱いを間違えたら、あの子が不幸になってしまう気がして……。この親心、テレジア様なら、わかってくださるでしょう?」


 あいにくテレジアは、人形遊びと現実を混同するような幼い精神の持ち主ではない。

 だが、それ以上に気に食わないことがあり、つい彼女は言い返していた。


「さっきから母だの親心だの、思わせぶりに……いったいおまえは何が言いたいんだ」

「テレジア様は情愛深い方ですね、と言いたいだけですわ」

「なんだと?」


 テレジアは眉間の皺を深める。

 鋭い目つきでひとにらみすれば、権力とその気迫も相まって、大抵の相手は青褪めたものだ。

 が、目の前の女は困ったように肩を竦めるだけだった。


「あら、わたくしの認識が違っていて? だってそうでしょう、あなたはとても情愛深い方。大切な者に降りかかった禍を自分のことのように受け止め、茨の道を進んでまで、責任と秘密を守り通す方だわ」

「…………!」


 ハイデマリーの口調は迂遠そのものだ。それでも、テレジアに息を呑ませるのには十分だった。


「おまえは……何を知っている……?」

「すべてを」


 答えは短く、揺るぎない。


 ハイデマリーはその藍色の瞳を猫のように輝かせ、じっとテレジアを見つめた。

 そこには、聖女のような神聖さと、相手から言葉を奪うような、奇妙な迫力があった。


「言ったでしょう、わたくし、とても耳がいいの。だから、あの日(・・・)雨に掻き消されてしまった悲鳴も、産声も、ちゃんと聞こえたのよ。その時には意味が解らなくても、こうして遊戯に集中していればね、すべてが一本の糸に繋がってくるの」

「な……にを……」


 圧倒され、腰を引いたテレジアを憐れむように、ハイデマリーは優雅に立ち上がる。

 彼女は美しい顔に憂いの表情を乗せて、ゆっくりとこちらに近付いてきた。


「ねえ、どうか怖がらないで。わたくしはあなたにお願いしたいだけ」

「願い……?」

「あなたは、これから降る雨の意味に気付いてしまえる、この場で唯一の人。私もあの雨の日のことを誰にも言わないから、あなたもどうか、これから降る雨のことを、周りに告げないでほしいの」


 ハイデマリーはそっとテレジアの手を取り、親しい友人のように、ソファに隣り合って座らせる。

 相手から立ち上る芳しい香り、そして、見るだけで頭の芯が溶けてゆくような心地のする美しい瞳。

 テレジアはぼうっとなって、ただ虚ろに言葉を反芻した。


「雨……?」

「一生とは言わないわ。そうね、雨が止むまで……夜明けくらいまでかしら。あなたは、ただ黙っていてくれればそれでいい。これまでのように、誰にも縋らず、秘密をそっと、身の内に閉じ込めておいてくれれば」


 燭台の揺れる光を、淡く弾き返す銀の髪。

 複雑に結われた髪が、また一筋はらりと肩に零れるのを見て、テレジアははっと息を呑んだ。

 一気に意識が覚醒し、抱いていた違和感の正体に気付く。


「――まさか、おまえ……!」


 窓の外――濃紺の夜空に、その時、細い雨の粒が落ち始めた。





 ***






(んふ、なかなかいい男じゃなァい)


 間近で遠慮なくルーカスを観察しながら、リーゼルは内心で唇を吊り上げた。


 甘いマスクに精悍な体つき。

 先ほど披露した剣技は惚れ惚れするほどだったし、声は荒げども乱暴な口は利かない品のよさや、意外な面倒見のよさも高得点だ。


 まだ二十になったばかり、という点で青さも目立つが、エルマの「友人」――ひいては恋人候補としての年齢的釣り合いを考えるなら、それも許容の範囲内と言えた。


(気さくで、身分差を気にせず振舞う豪胆さもあるけれど、同時に自分の立ち位置や、周囲との距離感は慎重に計算している気もする。要領のよさと、それを外面のよさに隠せるだけの強かさがあるってことね。こういう男って、えてして本性はドライなのよ。弟タイプね。星占いで言うなら双子座)


 にこやかに相槌を打ちながら、つらつらとそんなことを考える。

 リーゼルは女なので(・・・・)、つい占いの類に人を当てはめて楽しんでしまう傾向にあるが、同時にその性格分析は鋭かったりもする。

 言葉選びやちょっとした仕草、視線の動きや座り方まで網羅的に情報を総合し、見る間に相手の性質を掴んでゆくのだ。


 詐欺師モーガンもその手のことは巧みだが、リーゼルのそれは、「女の勘」という無意識的な要素まで加わる分、よりダイナミックとも言えた。


(女慣れは……相当しているわね。ただ、誠実さも感じられる。恋人である間は、惜しみなく愛情を注ぐタイプね。それってつまり『相手に興味がある間は』ってことだけど……そこがちょっと気に掛かるかしら)


 リーゼルはワインをひと口啜るまでの間に、ルーカスのおおよその恋愛遍歴や、恋の終焉の原因までも当たりを付けてしまった。


 恐らく、飽きっぽい性格のはずだ。

 もともとの性質に加え、ずっと「選ぶ側」にいた傲慢さから、情を引きずることなしに、躊躇いもなく相手を切り捨ててしまえる。


 自らが手塩をかけて育てた「(エルマ)」なら、まさかそこらの平凡な少女のように、相手から早々に飽きられてしまうなどということはまずないだろうが、万が一の可能性であっても拭い去りたいと願うのが親心というものだ。


(もし、あたしの可愛いエルマを、そこらの女のように弄ぶのだというなら、今の内からねじ切って捻り潰す。それでもって……きれいに潰したら、あたしの奴隷にしてあげてもいいかも)


 娘に近付く男を容赦なく撃退しようとする父性(・・)と、いい男を前に舌なめずりする女の欲は、リーゼルの中で矛盾なく存在していた。


 今、同じタイミングでワインを口に含んだルーカスは、確実に先ほどよりもリーゼルに心を許しはじめている。

 そろそろ、さりげなく彼自身の話題に移行していってもよいだろう。


 話を聞き出し、感嘆してみせ、まずは好意と信頼をきっちり引き上げてゆく。

 そこで滑らかに洗脳や暗示を施せば、男の欲望を引き出すなど造作もない。

 リーゼルが望めば、性別すら超えて、大陸中の誰もが這いつくばり、愛を求めて手を伸ばすのだ。


(――ま、唯一手を伸ばさない人間がいたとしたら、あの女くらいかしらね)


 脳裏にちらりと誇り高い娼婦の姿がよぎるが、リーゼルは瞬きもせずにその思考を振り払った。


 今対処すべきは、目の前の色男だ。

 愛の言葉を囁かせてやってもよいし、戯れに求婚させてみてもよい。


(ああエルマ、あなたはショックを受けるのかしら。でも、それって必要なレッスンだわ。後であたしがちゃんと慰めてあげる――あなたのことも、ルーカスくんのことも)


 内心では魔女さながらに唇を吊り上げ、しかし表面上はあくまで気さくに、リーゼルは「美味しい」とワイングラスを揺らした。

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
5巻最終巻&コミック3巻発売!
シャバの「普通」は難しい 05
シャバの「普通」は難しい comic 03

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。