ここに、一人の零戦搭乗員が登場する。零戦隊の第三小隊二番機としてマロエラップを出撃した、当時24歳の宮崎勇上飛曹(のち少尉。1919-2012)だ。
宮崎さんは大正8(1919)年、香川県に生まれ、県立丸亀中学校を経て昭和11(1936)年、水兵として海軍に入った。練習艦の乗組員としてヨーロッパへの遠洋航海に参加、さらに揚子江の砲艦の乗組員として機雷の除去作業にあたったのち、部内選抜の丙種飛行予科練習生を経て戦闘機搭乗員となる。将来のテストパイロット候補として、海軍航空隊の総本山である横須賀海軍航空隊で鍛えられたが、腕を買われて二五二空に転属した。ラバウル、ソロモンではすでに幾度もの激戦をくぐり抜け、二度にわたって空戦で被弾、海上に不時着水し、一度はワニが無数にいる河口を、もう一度はフカ(鮫)が泳ぎ回る海面を、それぞれ泳いで生還したこともある。
宮崎さんの回想――。
「突然、敵機が上空から降ってきて、陸攻隊はパッと逃げ散りました。それで、われわれ零戦隊は空戦に入ったんですが、瞬間的に、こいつはいままでに戦った敵機とは違うぞ、と直感しました。スピードが速くて追いつけない。運動性もいいし、手ごわかったですよ。それがF6Fだったんです」
F6Fとの二度にわたる空戦で、7機の零戦は離ればなれになり、6機を撃墜(うち不確実2機)したと報告したものの、零戦隊も2機が撃墜され、指揮官・塚本大尉機は被弾、海上に不時着水した。
「深追いをやめて燃料計を見ると、ウェークまで飛ぶのにぎりぎりの量しか残っていません。島を見つけなきゃいかんが、大海原の小さな一点ですからね、1人乗りの戦闘機の航法では不可能に近い。塚本大尉とはぐれた列機の加藤熊市二飛曹、塚原四郎二飛曹と合流して3機になりましたが、もうダメだと思いましたよ」
高度を8000メートルまで上げると、遠くに敵機動部隊が見えた。空母をふくめ、その数、20数隻。上空には、高度5000メートルと7000メートルの二段構えの形で、上空哨戒の敵戦闘機が12機ずつ、左回りで旋回している。宮崎さんは2機を伴って、敵戦闘機のさらに上空を、あたかも米軍機のように装いながら左旋回で飛び続けた。
先ほどの空戦で機銃弾はほぼ撃ち尽くしていて、もし、敵に気づかれても戦うすべがない。宮崎さんは、小さくバンクを振って列機2機を側に呼び寄せると、
「燃料がなくなったら、敵空母に突っ込むぞ」
と手信号で合図をした。加藤二飛曹と塚原二飛曹は、風防のなかでニッコリ笑ってそれに答えた。
「するとそのとき、敵機が攻撃からまさに帰艦してくるのが見えた。これは、やつらと逆の方向に飛べば、ウェーク島があるに違いない、そう思って私は、ふたたびバンクを振ると、2機をつれて敵機の帰投針路の反方位に機首を向けたんです。やがて雲の切れ間から、ポツンとウェーク島の島影が見えてきました。
帰れた!と着陸に入ろうとすると、まだ上空に敵機がいて、バラバラと撃ってくる。反撃しようにも燃料も弾丸もないから、強引に着陸、そのまま飛行場脇の掩体壕に突っ込むように機体を入れて、助かりました。着陸すると、飛行隊長の周防元成大尉が駆け寄ってきて、私の手を握って、『よう帰ってきてくれた』と涙を流しておられました。加藤と塚原も、私の足に抱きついて、『よくぞつれて帰ってくれました』とオイオイ泣いてましたよ。
着いてみたらウェーク島の零戦は全滅していて、われわれ3機も、着陸のとき1機が銃撃で燃やされたから2機しか残ってない。周防大尉に、すまんがもう一度上がってくれ、と言われて島の周囲を一回り上空哨戒して、夜になって着陸しましたが、結局その2機もすぐに敵機に燃やされてしまいました」
グラマンF6Fとの初の対戦で、二五二空零戦隊は歴戦の搭乗員を揃えて戦いながらも19名を失い、戦死した搭乗員のなかには、昭和15(1940)年9月13日、零戦の初空戦に参加した末田利行飛曹長や、やはり支那事変以来古参の中島文吉上飛曹など、操縦桿を握れば敵なし、と自他ともに認める超ベテランもふくまれていた。なかでも、「無敵零戦」神話の始まりと言える初空戦で活躍した末田飛曹長がF6Fとの初対決に敗れたことは、まさに「神話」の終焉を象徴するものだった。
わずか1日の戦いで壊滅した二五二空の生存搭乗員たちは、数日後、輸送機でルオット、次いでマロエラップに後退した。この頃、飛行隊長・周防元成大尉(のち少佐)が、内地への飛行機便に託し、海軍兵学校のクラスメートで海軍航空技術廠飛行実験部員(テストパイロット)の志賀淑雄大尉(のち少佐)に書き送った手紙には、
〈相手は新手。おそらくF6Fと思われる。速力、上昇力ともに手強い相手だ。ゼロではもうどうにもならぬ。次を急いでくれ。〉
と、早期の新型機投入を願う切実な思いが綴られている。
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