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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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15.「普通」の品定め(5)

 ルーカスは恋に刺激を求める男だ。

 男にはない柔らかさや華やかさ、意外な強かさを持つ、女性という生き物。その存在はルーカスにとって未知であり、だからこそ興味をそそられる。


 特に、恋の始まり。

 相手が何を考えているのかを探り、自分にはない一面がどうやって形作られてきたのかを想像する作業は、ルーカスの心に、戦闘とはまた異なる興奮を与えてくれる。


 未知への好奇心と、そこへ迫れるかの甘美な緊張感。

 それを求めて、気が付けばルーカスは「ルーデン一の色男」と呼ばれるまでに、女性を渡り歩くようになったのだ。


 ――が。


(こんな未知と緊張感は、求めていないぞ……!)


 ルーカスは、上等な茶器を前に冷や汗を浮かべた。

 先ほどとは異なるセットでコーディネートされた、茶会ハイティーの席である。


 元は夕食を兼ねていたと言われるハイティーでは、肉料理や酒精も供される。

 今、ルーカスの目の前には、芳しい紅茶と湯気を立てるドラゴン唐揚げ、さらには、辛口のエールに上等なブランデー、燃えるようなラム、豊潤なワインなどが、彼を見上げるようにして並んでいた。


 そして、甲斐甲斐しく世話を焼こうとするエルマの姿も。


「いかがでしょう、ドラゴン唐揚げのお味のほどは。たしか殿下は衣薄めがお好きとお聞きし、そのように仕上げてみたのですが。あ、多めにお取り分けいたしますね。レモンも搾りましょうか」

「……ああ……どうも」

「殿下にはラトランドの血も流れていらっしゃるわけですから、ハイティーも、きっとお好きでしょう? お好みの酒類もふんだんにご用意いたしましたので、遠慮なくお召し上がりくださいね」

「……ああ……どうも」


 供されているのは、神々の食事と呼んで差し支えない、ハイクオリティの美食だ。

 そして隣にいるのは、大陸中を見回してもほかにいないほどの、希代の美少女であり、好意を抱く相手。

 それも盛装し、親しみと敬意を込めて、こちらに向かって微笑んでいる。


 男ならばまず、快適にならざるをえない状況。

 なのに、なぜルーカスが蛇に睨まれた蛙のごとき心境を味わっているかといえば、それはひとえに、テーブルの向かいから発される異様な冷気が原因だった。


「至れり尽くせりだねえ、エルマ。王城内じゃあるまいし、君はここでは侍女じゃないんだ。いくら客人とはいえ、そんなに世話を焼かなくてもいいんじゃない? 具体的には、もう少し離れたら?」


 笑みを張り付けたまま、エルマに申し出る青年――ホルスト。

 彼はそのはしばみ色の瞳を、エルマに向けるときだけは春の日差しのように穏やかに輝かせ、ルーカスに向けるときは地獄の業火のようにぎらつかせるという、大層な器用さを発揮していた。


「久々の里帰りなんだから、彼のことなんて放っといて、もっと僕たちと話そうよ」


 彼はどうやら、あまり人に遠慮しないというか、自分の願望をストレートに表現するタイプの御仁らしい。


 この大罪人たちは一様にエルマを溺愛しすぎているが、それでもその愛情には多少の濃淡があるということが、ルーカスにもわかって来ていた。


 モーガンは元来の淡々とした性格からか、わりと冷静にエルマとの距離を取っているように見えるし、イザークはさっぱりとした性質なのか、先ほどルーカスを「普通の師匠」と認めてからは、一切こちらを軽んじるような言動はしない。


 ギルベルトは、さすが元勇者という肩書がそうさせるのか、エルマを溺愛はしても、他者を排斥するような真似はせず、高いところから娘の成長を見守っている感がある。

 リーゼルは時折皮肉っぽい言葉を口にすることはあるものの、物理的な攻撃は特にない。


 精神的にも、物理的にも、明らかにこちらを攻撃しようとしているのは――この、ホルストという年若い男だった。


 彼はエルマと歳が近い分、ほかの男性陣とは異なり、娘というよりは妹、あるいは恋人としてでも、エルマを見ているかに思われた。


「ええ、私ももちろん、お兄さまたちとたくさんおしゃべりをしたいのですが……あ、殿下、ソースもよいのですが、ぜひこちらの塩も。なにしろ揚げ物には塩が『普通』ですので――」

「ねーねーねーねー、僕にその塩、先に使わせてくれるー?」


 エルマがほかの男のために塩を取ろうとしただけで、それを邪魔してくる有り様だ。

 戸惑うエルマから半ば強引に塩の瓶を奪い取り、ホルストはルーカスに向かってふふんと笑う。

 それから、とん、と白磁の小瓶をルーカスに差し出した。


「君には代わりにこれでもあげよう」

「これは……?」

「塩みたいなもん。ただの青酸カリだよ」


 あ、僕が掛けてあげよっか? と、皿に瓶を傾けかける。

 ルーカスは青褪めて皿を守った。


「結構だ!」

「えー、人の厚意を秒で拒否するなんて、感じ悪ーい」


 けっと言い捨てて、どさりと椅子に腰を落とす。

 エルマは苦笑して、ルーカスに詫びた。


「申し訳ございません、【貪欲】の兄は、気に入った相手にああしてちょっかいを掛けることがあるのです」

「掛けようとしたのは、ちょっかいではなく猛毒だろう!?」

「でもほら、青酸カリくらいでしたら、ちょっと解毒すればいいだけですし――」

「できるか!」


 そして一介の囚人が猛毒を所持していることについて、なぜ誰も突っ込まないのだと思ったが、そういえばホルストは、エルマに「麻酔の一つ二つ持ち歩くのは当然」などという「普通」を仕込んだ人物だったと思い至る。


 ルーカスはこのように、いつ何が起こるかわからない圧倒的未知と、いつどうやって命を落とすかわからない究極の緊迫感に、絶え間なく襲われ続けているのであった。


 げっそりしていると、エルマが表情を読んだのか、気遣わしげな顔つきになる。


「殿下、顔色が優れないようですが……もしや油がくどかったでしょうか。口直しにさっぱりしたものでも――」

「え、なに、今度はうちの妹の料理に文句でも?」


 ホルストが剣呑な笑みを深め、今度は怪しげな液体を取り出す。

 ますます青褪めたルーカスに向かって、エルマは一層心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫ですか? もしや熱でも――」

「うわなに、うちの無垢な妹に、男の脂ぎった臭い額を触らせるつもり? けっがらわしい、消毒が必要だね」


 今度は怪しげなスプレー。

 さすがにホルストの言いざまにむっとしたのか、エルマはくるりと向き直った。


「お兄様、私の大切な方(・・・)にそのような仰り方はひどいです。名誉のために申し添えますと、殿下は爽やか体質で、これまで顔を寄せて(・・・・・)囁かれたときも、気になる匂いなどは一切なく――」

「やめろ! おまえは俺を殺したいのか!?」


 エルマがフォローに回るたびに、ルーカスの生命危機レベルが確実に急上昇してゆく。

 それも恐ろしかったが、気になる少女に体臭についてなど言及されるというのもまた、耐えられないルーカスなのであった。


 彼は思わず、エルマの両腕を掴んで揺さぶった。


「頼むから、今この瞬間はこれ以上俺に構わないでくれ。ここまで、一応なんとか勝利を重ねているんだ。敵をこれ以上挑発しないでくれ……!」


 ついでに言えば、この「一応」という勝利のもぎ取り方も、ルーカスからすれば不本意なのだ。


 これまで彼は、その美貌や優れた武技、また要領のよさも手伝って、大抵の局面においてあっさりと勝利を収めてきた。

 それは女性関係においても同様で、彼が好意を仄めかせば、たちまち女性はしなだれかかり、時にはありもしない「既成事実」をでっちあげて、家族ぐるみで婚約を迫ってきたものだ。


 だというのに、エルマはいくらルーカスが好意を示してみたところで、いつも斜め四十五度の方向にしか受け取らない。

 あげく、その家族はルーカスと娘の接近を喜ぶどころか、品定めと来た。


 ルーカスの勝気な性格からすれば、好きな女の家族から試されているのだとしたら、正々堂々と勝利を勝ち取ってみせたいところだ。

 なのに、これまで結局、エルマ自身がモーガンとイザークを打ち負かすというか、話の腰を折るような形で、なし崩し的に勝ちを譲ってもらっている格好。


 エルマがルーカスに惚れ直すといった展開ももちろんなく、むしろ本人からもイレーネたちからも生温かく見守られて、彼としては大変居心地が悪かったのである。


(あまりに不甲斐ない……!)


 そんなもどかしさも込めて告げると、エルマは驚いたように顎を引き、おずおずと頷いた。


「――……はい。かしこまりました……」


 エルマの委縮した態度に苛立ったのか、ホルストが「ちょっと」と身を乗り出す。

 だがそこに、思いも寄らぬ声が上がった。


「あらま、楽しそうねェ。なんの話?」


 リーゼルである。


 彼は、軽やかな仕草でティーカップをソーサーに戻すと、代わりに赤ワインのボトルとグラス二脚を掴み、テーブルのこちらへと回ってきた。

 そして、すいとグラスの片方をルーカスに差し出し、ウインクする。


「あたしも混ぜて」


 気障なはずなのに、気さくさと茶目っ気の感じられる仕草だった。


 彼がやって来たことで、その周囲の空気が途端に華やかなものになる。

 悄然としかけていたエルマに、リーゼルは、


「ね。あたし、イレーネちゃんにも香水のプレゼントを用意してるの。食事の匂いと混ざるのは申し訳ないから、部屋の奥のソファセットに並べてあるんだけど、ちょっと一緒に見てきなさいよ。ルーカスくんはあたしがもてなしておくからさ」


 と目先を変えさせて、さっさとその場から移動させた。

 ついでにホルストには「あんたはカリカリしすぎなのよ。カルシウムでも摂取なさい」と告げてどばどばと紅茶にミルクを注ぎ、さらにクレメンスを呼び寄せて、「ここの猛毒類、ぜんぶ処分しといて」と命じる。


 すっかり小間使いと化しているクレメンスはぎゃあぎゃあと叫んでいたが、リーゼルはそうやって、あっという間に場の空気を切り替えてしまった。


「いやー、本当はもっと早く止めに入るべきだったと思うんだけど、ごめんなさいねェ」


 そうして、ルーカスに改めて向き直ると、彼は滑らかな仕草でワインを注ぐ。

 さらには、同じボトルから注ぎ分けたワインを、自ら先に含み、軽く目で微笑みかけた。


 安心して、のサイン。

 この獄内で初めて接したと言っていい、誠実で、押しつけがましくない気遣いの行為だ。


 軽く目を瞠ったルーカスに、リーゼルは苦笑を浮かべた。


「ここの連中、ちょっとイカれてるでしょ。……ま、あたしも多少はそうかもしれないけど。外の人間からすれば、異常極まりないっていうか、心休まらない空間だと思う。今更かもしれないけれど、改めて言わせて。ごめんなさいね」


 飾らない物言いと、抑揚の利いた口調は、実に真摯に響く。

 警戒心を最大値まで引き上げていたところに、突然下手に出られて、ルーカスはわずかに動揺した。


「いや……」

「無理しなくていいのよ。あなたの感覚の方が正しいもの。ただ、言い訳だけさせてもらえたら嬉しい。正直に言うと、そのために、機会を窺ってたのよ」


 反射的に紡ごうとした社交辞令も、あっさりと躱される。

 しかも「あなたが正しい」と正面から肯定され、「正直に言うと」などと告白され、あまつさえその目的がやけに好意的なもので。

 リーゼルの姿は、異常空間で擦り切れかけていたルーカスに、もはや誠実さの塊とでもいうように映った。


「あたしたち、監獄(ここ)にいるって以上、一応それぞれ訳ありでさ。隔絶された空間でエルマっていう、無垢で純粋な存在に出会ってしまったものだから……あの子が愛しくて愛しくて仕方ないのよ」


 彼はワイングラスを揺らしながら、ちょっとばつが悪そうに微笑む。


「そんなところに、あなたたちシャバの人間を、初めて『大切な人』って連れてきたものだからね、どうしても浮き足立っちゃうの。品定めだなんて失礼な話だけど、要は、あなたたちがどういう人なのか、気になって仕方ないのよ」


 自嘲まじりの言葉は、どれも真っ当に聞こえる。

 ルーカスは慎重にワインを口に含み、相槌を打った。


「……それが親心というものなのだろうと、理解している。行き過ぎているとは思うが」


 ワインは、ルーカスが未だかつて味わったことのないような、芳醇な香りがした。


「そ、行き過ぎ。安心して、あたしはさすがに、彼らみたいな真似はしないわ」

「……ほう?」

「だって、こうやってワインを飲み交わして、話すだけで、人となりなんてわかるもの」


 もちろん、あたしだってあなたのことが気になって仕方ないけど。


 リーゼルはふふっと悪戯っぽく笑う。

 ハイデマリーの噎せ返るような色香とはまた異なる、中性的な魅力がそこにはあった。


 気さくで、誠実で、けれど軽妙で。

 ほんのわずか、嫌らしくない程度の駆け引きのスリルが滲む。

 そう、とても人間として魅力的である、とでも言うような――。


「だから……このワインを飲み終えるまで。ちょっとだけ、お話しましょ」


 広いテーブルの片隅では、フェリクスがしげしげとブランデーの瓶を眺めている。

 エルマとイレーネは視界の端で、楽しげに香水を選び、ギルベルトやイザークといった大罪人たちも思い思いの姿勢で紅茶を楽しんでいる。


 同じ空間内にいるというのに、今、ルーカスとリーゼルの周囲だけ、緩やかに切り取られてしまったかのようだった。

 相手の声だけが、やけにくっきりと聞こえる。


 しかしそれは、まるで馴染みの酒場かカフェにでもいるような、心地よい隔絶感であった。


「さ、乾杯」


 くい、と板に付いた動きでグラスを持ち上げるリーゼルに、ルーカスはいつの間にか、ほぐれた表情で同じ仕草を返していた。








「――おやおや」


 ティーマスターとして、紅茶のお代わりを準備すべく席を立っていたモーガンは、ルーカスとリーゼルが和やかにワイングラスを傾けるのを見つけて、片眉を上げた。


「もう始まって(・・・・)いましたか」


 すると、大量のドラゴン肉を頬張っていたイザークが、口をもごもごとさせたまま頷く。


「ああ。宣戦布告も、無くな」

「やれやれ、【怠惰モーガン】と【暴食イザーク】が既に彼を認めているんだから、品定めなどお開きにしたらいいものを」


 紅茶を啜りつつ、ギルベルトが呆れ顔でそう言うと、ルーカスの向かいの席を追い払われたホルストが、ふんと鼻を鳴らしながらこちらにやって来た。


「【憤怒ギル】がそう言うのは、部屋に戻ったマリーを早く追いかけたいからでしょ。だいたい、【怠惰】も【暴食】もちょろすぎるんだよ。敢闘賞で友人認定なんかしてどうするの。ああいう男は、害虫と一緒。最初は『友人』なんてしおらしい顔してても、すぐにのさばって、美しい花を横暴に蝕むようになる。初期時点で駆除しなきゃ」


 彼は手近な椅子を引きずり、モーガンたちの近くに落ち着くと、ミルクの入りすぎた紅茶に暴力的な量の砂糖を加え、不機嫌そうに啜った。


「僕は、僕を超える男でなきゃ、エルマに好意を寄せることすら認めたくないね」


 それはつまり、大陸最高水準の医者や錬金術師であっても、箸にも棒にも掛からないということだ。

 ホルストは、ざら、とカップに沈む砂糖を舐めながら、ちょっとだけ愉快そうにリーゼルを見た。


 人の心を許すための完璧なL字型布陣、ごく微量の精神安定剤入りワイン、こっそりと肌から漂わせている、暗示作用のある香。


 そして、軽妙さを装った、周到な誘惑。


「やっちゃえ、【嫉妬(リーゼル)】。色男の化けの皮を剥いで、無垢なエルマの目を覚ましてあげて」


 イザークによってうやむやになったと思われていた「肝試し」は、今、リーゼルに引き継がれ、密かに第三戦の幕を上げようとしていた――。

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