12.「普通」の品定め(2)
イザークはルーカスの宣言を聞くと、好敵手を前にしたかのように、あるいは美味そうな獣を目撃したかのように、にぃと笑った。
巨体でずん、と床を揺らすようにしながら、リングに上がる。
それを見ながら、イレーネは固唾を呑んだ。
「殿下……、あの場で素直に引けばよかったのに……!」
「男の沽券ってもんがあるんでしょー」
フェリクスは、
二人の男が、今リングに立つ。
巨漢のイザークと細身のルーカスが並ぶと、まるで大人と子どもほどの体格の違いがあった。
「おやまあ、せっかく私が見逃した命を、やすやす投げ出してしまうとは」
「ま、オペの用意はしといてあげるよ。脳と心臓がそれなりに無事なら、の話だけど」
「この男前の顔も見納めと思うと、ちょっと切ないわぁ」
大罪人たちも口々に冷やかす。
特にホルストとリーゼルは、たとえルーカスが「友人」認定されていようと容赦なしだった。
大切なエルマに寄りつく
ただそれだけの話だからだ。
物見高い嘲笑が響くなか、イザークは低い声で告げた。
「ルーカス・フォン・ルーデンドルフ。俺が、おまえに、申し入れるのは――」
建造物すら粉砕する拳での打撃戦か、岩盤すら穿つ巨刀での剣戟戦か。
見物を決め込む大罪人たちが、意地悪く笑みを深める。
「クッキング対決だ」
「え」
まさかの可愛らしい響きに、観客一同はかくっと前につんのめる。
「『友人』たるもの、うっかり、無人島に、漂着してしまった時でも、
「あんたはどういう危機を想定してんのよ、【
「飢えだ」
【暴食】のイザークにとって、腹が減ること以上に恐ろしい事態は存在しないのである。
「一緒に料理って……単なる仲良しじゃないか」
大罪人たちは呆れたようにぐるりと目を回し、一方でイレーネはほっとしたように胸を撫でおろす。
だが、警戒心に優れたルーカスは、不穏な予感を抱いて眉を寄せた。
彼の脳裏には、これまでエルマが取ってきた行動の数々が蘇っていた。
「……もしや、そのクッキングとやらには、食材を狩る過程が含まれるのか」
「ああ」
端的な返答に、思わず眩暈を覚える。
「それは例えば、近海に出てまぐろを釣ったり、クラーケンを釣ったり、はたまた、ヒュドラを狩ったり、と、そういった類の……?」
「ああ。むしろ、それが、メインだ」
世の中には「踊り食い」や「刺身」といった食べ方がある以上、クッキングの主眼とは、つまり食材を用立てることなのだとイザークは主張した。
「これから、俺たちが、『食糧庫』と、呼ぶ場所に、連れて行く。そこで、いかに、良質な、食材を用意できるかが――勝負だ」
「な……っ」
「まさか、【
大罪人たちまでもがどよめく。
が、一番元気なリアクションを見せたのは、なぜか壁際に控えていたクレメンスだった。
「待たぬか! ではなんだ、おまえたち、この私がわざわざ
「うん」
こくん、とやけに素朴にイザークが頷くのを見て、イレーネがぼそりと呟く。
「……ならなんでリングを用意させたし」
「それねー」
あはは、と適当な相槌を寄越すフェリクスの前では、クレメンスが顔を真っ赤にしていた。
「うん、ではないわ! 闘技場など、ほとんどおまえの活用のみを想定してのものぞ。使わぬのなら用意させるな! 行動には計画性を持てと、あれほど――」
「すまん。許してクレメンス」
しれっとあしらわれ、老年の元宰相は憤怒の形相で両手を髪に突っ込む。
行員数が、労務管理が、特別予算の限度額が、といった単語が飛び出していることから、彼はこの牢獄で、そのあたりのことを担当しているのだろう。
生真面目ゆえにどこまでもイジられ、苦しむクレメンスの姿を見て、ルーカス以下シャバ側一同は、ほんのわずか心の慰めを得た。
頑張れ。
頑張ってクレメンス。
「さて」
イザークはといえば、叫ぶクレメンスなど日常茶飯事なのか、春のそよ風のようにそれを受け流すと ルーカスに向き直った。
「では、『食糧庫』に、移動する。最近、
ついで、
――どごぉ……っ!
右にあった壁に向かって無造作に拳を突き出し、壁を円状に
「入り口としては、ここから見える、ほら、あの部分だ」
「修繕費ぃいいいいい!」
クレメンスの絶叫がまた響く。
が、それは一同によって華麗に無視された。
「…………? 見たところ、森しかないようだが」
「森も、『食糧庫』の、一部だ。各種野菜や、山菜、森の動物たちが、そこで、育てられて、いる。だが、より多くの、『食糧』を、貯蔵しているのは、その地下」
イザークは、うむ、と得意げに頷いた。
「兎などの、たむろする、上部から、ドラゴンなどの、住まう、最深部まで。およそ、三十の、層から成る、自慢の、食糧庫だ」
「どこのダンジョンだ!?」
「ちなみに、今年は、ドラゴンが、繁殖期らしい。子ども部屋が、必要なのか、日に日に、層が、増えているようだ」
「しかも進化するタイプ……!」
絶望とともに突っ込むルーカスの横では、エルマが「大量の、ドラゴン……」と眉を寄せ、ごくりと喉を鳴らした。
「嬉しい。しばらくごちそう三昧ですね」
どうやらそれは、恐怖ではなく、空腹によるものだったようだ。
イザークとエルマは互いを見つめ、しっかりと頷き合った。
「エルマ。おまえも、行くか」
「はい、喜んで助太刀いたします」
「助かる。人手が、欲しかった。エルマは、後衛を頼む」
「待て待て待て! おまえら、主旨を忘れていないか!?」
肝試しの名を借りた品定め、と見せかけて、単に狩りがしたいだけだということを、察しのよいルーカスはうっすら悟ってしまう。
だが、「いないか!?」の「か!?」の辺りで、彼はイザークの剛腕にタックルをかまされるようにして突き飛ばされ、そのまま階下の森――「食糧庫」へと落ちて行ってしまった。
「――…………!」
「ご安心ください、殿下の身体能力があれば、第三層あたりで受け身が取れるかと」
声もなく絶叫するルーカスの後を、ひょいとエルマが追う。
慌てて窓枠に駆け寄ったイレーネたちが見たのは、こちらに向かって蒼白な顔で右手を伸ばしながら、奈落の闇へと吸い込まれてゆくルーカスの姿だった。
「いやあ、感動的な最期だ。親指を立てて溶鉱炉に沈んでゆく様子は、涙なしには見られないねー」
「陛下の目は節穴でいらっしゃいますか!?」
カナッペをむぐむぐ頬張りながら適当な感想を述べるフェリクスに、イレーネの突っ込みが炸裂する。
と、そこに、静かに成り行きを見守っていた大罪人たちの内、ホルストがぽつりと呟いた。
「――ていうかさぁ」
珍しく、彼の顔は、少々強張っていた。
「地下三十層、しかも日々、さらに地下に向かって増築中って。一層あたりの深さの平均をどう取るか次第だけど……それって上部マントルくらいには、到達してるんじゃないの?」
「まんとる?」
「うん、いや、僕が何を心配してるかって言うとね、万が一食糧庫がマントルに届いていたとして、万が一そこにSSS級魔獣でもいたとして、万が一そこでエルマと
ホルストは、首を傾げる周囲への説明を省くと、引き攣った表情で懸念を述べた。
「この辺り一帯、地殻変動っていうか、マグマに呑まれて壊滅しちゃうかもね……なぁんて」
「…………」
一瞬、居室には針の落ちる音が聞こえそうなほどの沈黙が訪れる。
それから、大罪人一同も、イレーネも、くわっと目を剥いた。
「――ありえる!」
それほどに、彼らにとってイザークやエルマの行動は型破りなのだ。
「信っじられない……! いくらエルマに言い寄る虫が気に食わないからって、辺り一帯を危機に陥れるなんて、とんだ非常識野郎だわよ」
「いや、あのやりとりを見るに、【暴食】は単に食材狩りをする人手を募ってただけでしょ」
「ますます、狂っているとしか言えませんね。やれやれ、獄内には、私とエルマ以外にまともな人間はいないのでしょうか」
大罪人たちもまた、それぞれ眉を顰めたり、肩を竦めたりして、イザークを非難する。
彼ら自身たいがい狂っているのだが、救いようのないことに、皆「自分だけは良識人だ」と信じて疑わないのである。
「そ……っ、それより陛下、エルマたちに巻き込まれた殿下の救出に、誰か向かわなくてもよいのでしょうか!?」
「えー、『まんとる』とやらまでー? だいたいこれって、ルーカスがイザークとやらに挑みに行くって主旨でしょ。それで死んじゃったんなら仕方ないじゃん」
イレーネは窓から身を乗り出しながら訴えるが、フェリクスはけんもほろろだ。
「惜しい男を亡くしたねー」と彼が棒読みで述べたその時、ホルストがあっと叫んだ。
「そうだ、ちょうどこういう時のために開発しておいたのがあったんだった」
そうして彼はぴゅーいと口笛を鳴らし、穴の開いた壁から数匹の
「紹介するよ、こちら、僕が遺伝子改良を施した蝙蝠だ。こいつを使えば、ダンジョン、もとい食糧庫の様子をある程度捉えることができる。蝙蝠って、超音波を発してものを『見る』性質があってね。それを活用して、この蝙蝠の発する超音波を、画像データとして処理する技術を開発したんだ」
「視界を……超音波で……画像処理……?」
さっぱり理解できない一同に向かって、ホルストは音速の公式がどうだとか、探触子がどうだとか、赤方偏移のドップラー効果がどうだとか捲し立てていたが、すぐに諦めたように説明を切り上げた。
「まあ、平たく言えば、蝙蝠が僕らの目の代わりになる、って感じかな。人間の可住環境くらいまでは耐えられるように設計してあるから、この子たちがルーカスの姿を捉えられる限りは、ひとまず彼は安全な場所にいると思っていい。……たぶん」
ぼそっと不穏な言葉を付け足してから、ホルストは「論より証拠」と蝙蝠たちを宙に放す。
滑空する後姿を見送り、どこからか取り出した巨大な筐体をガチャガチャといじると――イレーネたちにはさっぱりわからなかったが、エレキテルがどうだとか言っていた――、やがて、つるりとした箱の内面に、白黒の絵が現れた。
いや、絵ではない。動いている。
目を凝らせば、そこはどうやら洞窟のような場所で、準備体操のように肩を回すイザークと、手を差し伸べるエルマと、腰をさするルーカスが映っているのだとわかった。
「な……!?」
「おおー、すごいね。遠視の聖術?」
イレーネが絶句し、フェリクスが感嘆すると、ホルストは呆れたように溜息を吐く。
「だから、ただのエコー装置だってば。まったく、呪文を唱えれば遠くの景色が見えるなんて、ファンタジー世界の中だけのことだよ。一般人は、普通、道具を使って覗き見るものなの。わかる?」
イレーネとフェリクスは、釈然としない何かを感じながら顔を見合わせた。
ちなみに、もしホルストの発言をハイデマリーが聞いていたなら、きっと彼女は「どうかしら」と言わんばかりに微笑んでいただろう。
「さてさて、どんな様子かな――?」
ホルストは空気を変えるように、くるりと筐体に向き直る。
映し出された画像の中では、今、ルーカスがなにかに気付いたように、さっと立ち上がったところだった。