11.「普通」の品定め(1)
今一度状況を確認しよう、とルーカスは思った。
異母兄が先王の実子でないとの疑惑で監獄送りにされた。
自分はそれに巻き込まれて監獄に向かった。監獄は桃源郷だった。
囚人たちからディナーに招かれたと思ったら、いつの間にか趣旨がルーカスの品定めに変わっていた。
今ここ。
(……だめだ。最初の一行からしてめちゃくちゃで、理解が追い付かん)
あのフェリクスがうかうかと謀反を起こされるというだけでも、かなり衝撃的だったのに、ここ数時間でそれをあっさり超える衝撃が、立て続けにルーカスを襲っている。
ルーカスは死んだ魚のような目で、夕食会場
元は独居房だったのをぶち抜いて作ったというダイニング。
かなりの広さを有するそこは、壁も家具もしっかりと手入れされ、そこかしこに上質さを滲ませている。
つい先ほどまでは、真ん中に巨大なテーブルがあったはずだが、大罪人の一人がぱちりと指を鳴らした途端、わらわらと囚人軍団が押し寄せ、瞬く間に会場をセットしなおしてしまった。
一度閉じた目を開けた時には、部屋の真ん中には巨大な
ちなみに、大罪人たちはリングの向こう側に陣取り、いつの間にかエルマまでもが、彼らに挟まれながら、困惑顔で座っている。
他方、フェリクスとイレーネはいつの間にかリングの手前側の観客席に座らされ、こちらも状況を飲み込めぬ顔で、リングに立たされたルーカスを見つめていた。
「フェ、フェリクス陛下……。私、いったい何がどうしてこうなったのか、よく……」
「んー、そうだねえ。僕にもよくわかんない。……お、さっきのフェニックスのグリル、観戦しながら食べやすいように、カナッペにアレンジされてる。いいねえ」
イレーネが縋るようにフェリクスに話しかけるが、彼はといえば、異母弟の窮地に全く興味が無いようである。
これならまだ、テレジアの方が親身に共感を示してくれたはずだ。
孤独に不安を噛み締めるイレーネをよそに、フェリクスは、観客席付近に用意された軽食を優雅につまみながら、のんびりと告げた。
「ま、ここは彼らのホームなんだし、彼らのやり方に従うしかないんじゃない? ルーカスが、だけど」
彼は楽しそうに目を細めて、リングに一人立たされた異母弟を眺めた。
「何事にも本気になってこなかった色男が、意中の女の子のために親にぼこぼこにされるって、すごく滑稽――もとい、感動的な展開だよ。せいぜいその奮闘を、僕らは見守ろうじゃないか」
さりげに、ルーカスが一方的に嬲られることを前提としている。
ルーカスは異議を唱えたかったが、それよりも先に、リングにある人物が上がってきた。
先鋒――モーガンである。
「さて。これから行う品定め――失礼、『肝試し』のルールは、先ほどご説明申し上げた通りです。これより、ルーカス・フォン・ルーデンドルフ様に対し、我々男性陣が、それぞれの分野であなたの適性や能力を問う。あなた様がそれに見事応えてみせたなら、我々は喜んであなたを娘の『友人』として受け入れるし、そうでないなら、残念ながら下僕に堕ちていただく。ここまではよろしいですね?」
「……いや、友人から下僕への凋落ぶりがラディカルすぎるのでは」
「ご理解いただけたようでなによりです」
モーガンは華麗に反論をスルーした。
「我々はあなたに大いに期待しておりますよ。なにしろ、我々の挑戦に対して、即座に応じると心を決めてくださったのですから」
「……あなた方が誘導しただけだろう」
ルーカスは仏頂面で答えた。
そう。
「肝試し」を挑まれた際、最初もちろんルーカスは辞退しようとしたのだ。展開が突然すぎるし、だいたい自分はエルマに対して、女性として魅力を感じているが、「友情」を深めたいわけではない。
しかし、モーガンが片眉を上げて告げた、次の言葉が彼に火をつけた。
「おや、辞退ですか。いえ、我々は決して無理強いは致しませんよ。友人という人間関係のスタートラインにも立てない男が、まさか恋人になれるはずもないとは思いますが、肝試しを受けるかどうかは、ええ、あくまで個人の自由ですから」
これでもルーカスは、いつも女性には不自由しなかった人間で、かつ、騎士団では王族として距離を置かれがちだったところを、生まれ持った社交性で乗り切ってきた男だ。
その恋愛力とコミュニケーション能力――つまり、ルーカスの数少ない取り柄――を、真っ向から否定する言葉を、受け入れられるはずもなかった。
――見てろよ。
気が付けば、ルーカスの喉から、「やります」という言葉が飛び出ていたのだった。
(……思えば、それすらも彼らの掌の上といった感じがしないでもないが……)
が、受けてしまった
力の限りを尽くすだけである。
ルーカスは、死んだ魚のようだった目に力を込め、モーガンを見据えた。
「それで、俺は何をすればいいんだ」
「そうですねえ……」
優雅な挙動でリングに上がったモーガンは、思案気に顎を指で叩く。
上級貴族の執事、と言われても違和感のない佇まいで、彼はのっけから暴投をかました。
「制限時間内に、どれだけ多くの国庫から資金を頂戴できるか競う。または、特定の国の国庫保有資金の内、どれだけの額をロンダリングできるか競う。どちらがよいでしょうか」
「どちらもよいわけがないと思うが!?」
「なるほど。たしかに、時代はキャッシュより不動産ですよね。では土地を対象にしますか」
会話がまるで噛み合わない。
「なにせ『友人』たるもの、
うん、とひとり頷くモーガンは、しかし冗談を言っているわけではまったくないようだ。
ルーカスは顔を引き攣らせながら、頭の片隅でモーガンの名と、彼の罪状を照合した。
一人で国庫を破綻させた希代の詐欺師。
彼に掛かれば、いたって自然の発想というわけだ。
(愛が……重い……!)
見れば、大罪人たちもまた、
「相変わらず、えげつない……」
「金が大事なのは同意だけどさ、【怠惰】のやり口っていつも凄まじすぎるんだよね」
「あたしとしては、淑女には、金に頼らず身を立てる方法も教え込むべきだと思うわ」
こそこそと囁き合っている。
どうやら、皆が皆、全方向に常軌を逸しているというわけではなく、それぞれ特定の分野について、異常な価値観を持っているだけのようだ。
とはいえ、それがわかったところで、今のルーカスになんの救いがあるわけでもなかった。
「では、今回は土地の詐取およびロンダリング対決ということで――」
「お待ちください」
ルーカスの意思を丸っと置き去りにして、モーガンがさっさと事を進めようとしたその時、遠慮がちな声が掛かった。
エルマである。
彼女は、躊躇うように唇を噛み、それからモーガンに向かって言い募った。
「あの、肝試しの課題というのは、そこまで異様なものであるべきなのでしょうか」
「異様ですか? これが?」
「はい。先程から殿下の微表情を観察していたところ、【怠惰】のお父様が示す課題に対して、恐怖・動揺・嫌悪の感情が読み取れました。前後の文脈を考えると、これは、課題があまりに異様であると受け止められた、と考えられます」
珍しくエルマがまともなことを言っている。
ルーカスもイレーネも、驚きに目を見開いてエルマを見た。
非常識のはずの彼女は、緊張したように両手を握り合わせ、必死に言葉を紡いでいた。
「実は私も以前、『実家の裏山を丸ごときれいにしたいわねぇ』と侍女長が呟かれたのを聞き、てっきり利権が複雑に絡んだ山を整理したいのかと思い、ロンダリングに乗り出しかけたことがありました。ですがその際、侍女長本人をはじめ、あらゆる方々から必死の形相で止められたのです。つまり――」
そこでエルマは、真っ直ぐにモーガンを見つめた。
「シャバでは、土地のロンダリングは『普通』ではない。その課題は、普通ではないと思うのです、お父様」
きっぱりと言い放ったエルマに、ルーカスとイレーネは思わず胸を熱くした。
ものすごく迂遠だけれど。
そこは微表情とか読まずにわかってくれよとは思うけれど。
(エルマが……「普通」を理解した……!)
そこには、単純な数式を、何度も何度も書いては消し、ようやく正解に辿り着いた子どもを見守るような、温かな感動があった。
が。
「ですので――【怠惰】のお父様の領分で、殿下に臨んでいただくなら、結婚詐欺対決あたりが妥当ではないかと思うのです」
「……は?」
その感動は、次の一言であっけなく砕け散った。
目を見開いたモーガンに、エルマは心なしか得意げな表情で続けた。
「結婚詐欺とは、異性に甘い夢を見せて、実像をより素敵に捉えさせる行為。そうでしたよね? でしたら、その分野において、シャバで殿下の右に出る者はいないと、この私が保証いたします」
「……ほう」
「甘いマスク、精悍な体つきに、エスコートの巧みさ、嫌味のない睦言を滑らかに紡ぐコミュニケーション能力。きっと【怠惰】のお父様と互角に渡り合えるはず――いえ、もしかしたら、凌駕するやもしれません」
「そうですか」
「は。殿下ならば、昨今流行りの国際ロマンス詐欺でも行けるやも……。これまでに、殿下が様々な外国要人と接するのを見てまいりましたが、殿下の魅力は世界中で通用するものと確信しております」
「ほうほう」
褒められているようだが、まったく嬉しくない。
というか、どんな洗脳教育を施したら、詐欺行為をこうもポジティブに捉えられるのだろうか。
ルーカスが顔を引き攣らせていると、それをどう捉えたのか、エルマは慌てたように両手を振った。
「あ、いえ、そもそも、こうした対決は必要ないほど、殿下の優位は明らかかもしれません」
なにかフォローされているようだが、その方向がまるで見当違いである。
さらに「そもそもと言えば」、と、エルマはそこで一層の気遣いを見せた。
「実はまだ、お父様たちの言う『肝試し』の必要性が腑に落ちていないのです。せっかく
後半二行は、豪快にルーカスの心を抉っていく。
無言で立ち尽くすルーカスの前で、小さくモーガンが噴き出した。
「そうですか……くっ」
ツボに入ってしまったのか、彼は視線をうつむけ、静かに身を震わせる。
それから、すぐになんでもない表情を取り戻すと、穏やかにルーカスを見た。
「では、やめましょう」
「…………は?」
「この『肝試し』、ひとまず私との対決については、勝ちはお譲りいたします」
ほぼモーガンが進行を仕切っておきながら、まさかの一抜け宣言だ。
事態急変に愕然とするルーカスに、モーガンはいけしゃあしゃあと言い放った。
「すでに、そこまでエルマから『友人』と結論付けられているあなた様を試すのは、あまりに哀れ――失礼、面倒だと思い至りました」
言い直した前後で、果たして無礼さは改善されているのか否か。
モーガンは、【怠惰】の肩書に恥じぬ無精ぶりで、のうのうと肩を竦めた。
「というわけで、私はあなた様を『友人』だと全面的に認めますので、あとは他にお任せしますよ。次は……【
その表情はあくまで穏やか――いや違う、品のある若草色の瞳には、はっきりとした哀れみが浮かんでいた。
ルーカスは悟る。
モーガンは、単に面倒くさくなったから勝負を投げたのではない。
そうした方が、よりルーカスの心をぶち折れると理解したから、「友人」の単語を繰り返しながら身を引いたのだ。
そして悔しいことに、彼の読みは大正解だった。
(なんなんだ……!この、えもいわれぬ惨めさは……!)
ルーカスは顔を引きつらせ、拳を握る。
正々堂々戦ってぶちのめされるのならまだしも、哀れみを含んだ微笑でよしよしと頭を撫でられる、この屈辱はどうだ。
先程固めた覚悟は、拳は、どこに納めればよいのだ。
「殿下。このとおり、皆は殿下をすでに『友人』として認めつつあるようですので、もうこの辺りで辞退していただいてもよろしいかと……」
「む……? もしや、俺も、やめた、方が、いいのか……?」
ルーカスを諭すようにエルマが告げると、聞いていたイザークは戸惑ったように呟く。
が、ルーカスはそれを遮るようにして宣言した。
「結構」
「む……?」
「生温い気遣いは無用だ。やるならやってくれ。殴り合いでも剣戟戦でもなんでも来い、だ」
このまま引きさがれるものか、とルーカスは思った。
たしかイザークは凄まじい膂力を誇る元戦士。彼の用意する対決とは、おそらく武闘によるもののはずだ。
経済的頭脳戦、それも犯罪に手を染める対決というのは遠慮願いたかったが、格闘技であれば、騎士として鍛えてきたルーカスにも多少の分がある。
ルーカスのことを、地を這う虫か何かのように捉えて、哀れみの視線を向けてくる連中に、せめて一矢報いてやらないことには、到底収まりがつかなかった。
(合理性や常識の話ではない。これはもう、俺の意地と沽券の問題だ)
人、それをヤケクソと呼ぶ。
おお、と目を見張った大罪人たちに向かって、ルーカスは第二戦の開始を申し入れたのだった。