10.「普通」のディナー(5)
ハイデマリーは、完全に大罪人たちに圧倒されている面々を順に見つめながら、嬉しそうに目を細めた。
「今まで、これと思った囚人仲間を食事にお招きしても、なぜだか途中で失神したり、人格が崩壊してしまうことがほとんどだったのだけど、さすがエルマの連れてきた方々は、静かにわたくしたちの話を聞いてくれるもの」
いや、事態に呆然と取り残されているだけですが。
ルーカスやイレーネの心の声は、あくまで外に出ることはなかった。
「ええ、そうなのです、お母様。彼らは、私が
とそこに、エルマがしみじみと頷く。
物申したいことは多々あったが、それよりも早く、「まあ」とハイデマリーが手を打った。
「親として本当に嬉しいわ。娘が、外の世界でこんなに立派に友情を築いてくるなんて」
「はい。特にイレーネとは、『親友』なるステータスに移行し、日々様々なアクティビティに乗り出しておりますし――」
そこで、エルマは突如、特大の爆弾を落とした。
「ルーカス殿下も、先日私に、並々ならぬ好意を抱いていると告げてくださいました」
「――…………」
「――…………」
「――…………へえ」
ざっ、と、急に室内の温度が下がる。
最初に声を上げたのは、頬杖を突き、にこやかな笑みを張り付けたままのホルストだった。
「気になるなぁ。……詳しく教えて?」
声に、言い様のない冷気が滲んでいる。
ルーカスは、突然戦場に放り込まれたかのような差し迫った空気を感じ取り、静かに冷や汗を浮かべた。
待て。
待ってくれ。
いや、確かにそれは言ったが、なにも今。
「はい。殿下は私の眼鏡を外し、真っすぐに目を合わせて告げてくださったのです。私の笑顔を思うと、血流が増し、活性化すると」
「……へえ?」
「よく聞こえるように、丁寧にも耳に唇が触れるほどの近さで話してくださり、私が意味を取り違えないように、微表情を読めとも言ってくださいました」
「…………へえ?」
やめろ。
待ってくれ。
いや、嘘は一つもないが、今。
今この面々を前に。
「実際、殿下の瞳孔は開き、呼吸も早まっており、肉体的興奮と強い好意が感じられました。……ああ、私、性別で感情を差別するつもりなどないのに、未熟にもそれで、……その、
――ガタッ!
ギルベルトを除く監獄の男たちが、一斉に立ち上がった。
「――…………へえ?」
彼らの顔には、未だ先ほどまでの笑みの余韻が残っている。
だが、目の奥はまるで笑っていなかった。
そして猛禽類のごときその瞳は――皆まっすぐに、ルーカスを見つめていた。
「わお。なんかこの部屋、いきなり寒くなった?」
「……私は、この状況で軽口を叩けるおまえの図太さが少々羨ましいぞ」
「私もですわ、テレジア陛下……!」
捕食対象でない三人はこそこそと囁き合う。
青褪めるルーカスの前で、大罪人の男たちは素早く視線を交わし合うと、やがてモーガンがにこやかに、エルマに向かって切り出した。
「そういうことは早く言っていただかなくては、エルマ」
「え?」
少し責めるようなニュアンスに、エルマは目を瞬く。
モーガンは、さも相手の無知を窘めるように、淡い苦笑を浮かべて告げた。
「娘に異性の『友人』ができた時にはね。男親総出で、その人物が娘の『友人』に足る人物か、その人物の肝がきちんと据わっているかを、確認する必要があるのですよ。これが世に言う肝試しというものですね」
「そうなのですか」
「ちょ――」
急激に怪しくなってきた雲行きに、ルーカスが声を詰まらせる。
それを制するように、ホルストとイザークが一斉に鋭い眼光を飛ばしてきた。
「ああ、そうだとも」
「そう、だとも」
「ええ、そうよォ」
ここにきて唐突に父性を発揮しだしたオネエも、約一名。
凄まじい圧に、無言で冷や汗を浮かべるルーカスに向かって、モーガンたちはにやりと笑った。
「折しも、初夏の夜にふさわしい余興ですね。始めましょうか――肝試しを」
大罪人たちによる夕食会という、ただでさえ主旨の謎だったイベントが、肝試しの名を借りた品定めに変貌を遂げた瞬間である。
娘に寄りつく
「良識ある女親として止めた方がいいのか、面白そうな余興を
悩ましいなどと言いつつ、藍色の瞳は愉快そうに輝いている。
甘えるような上目遣い。しかし、ギルベルトは、ほつれていた編み込みの一部を優しい手つきで直しながらも、きっぱりとそれを退けた。
「だめだ。ここから先、それこそこの場でなにが飛び交うかわからない。世界一危険な戦場になりえる。君は、一番安全な部屋で休んでいてくれ」
女王の居室は、監獄の中でも最も厳重かつ安全な構造になっているのである。
過保護な夫にハイデマリーは眉を下げる。
しかしすぐに、ぱっと表情を明るくすると「そうだわ」と手を打った。
「あなたの言う通り、わたくしは部屋で大人しくしているから、代わりに話し相手をお借りしてもいいかしら」
「話し相手?」
「ええ。――そちらの、テレジア様がいいわ」
突然水を向けられたテレジアは驚いて目を見開く。
「……私か?」
「ええ」
困惑の視線を向けるテレジアに、ハイデマリーは大輪の花のような笑みで応じる。
「会話になかなか参加できずにあぶれてしまった
容赦なくテレジアの頬を引き攣らせた監獄の女王は、さっさとそう決めてしまうと、優雅に席を立った。
「――というわけで、エルマ。申し訳ないけれど、お先に失礼させてもらうわ」
「え……っ? あ、は――」
「フェリクス様。テレジア様をお借りしますわね」
「はいどうぞー」
そうして、事態に取り残されている娘を軽やかに置いて、去ってしまう。
フェリクスの承認も軽やかに取り付けて、テレジアは強制送還だ。
「ギル。わたくしの代わりにしっかり見届けてちょうだい。それでは皆さま、ごきげんよう」
肩越しに一瞥を寄越す、たったそれだけの仕草が、舞台を去る女優のような鮮やかさだ。
彼女はその美貌で、周囲に強烈な印象を刻みつけると、気まぐれで優雅な猫のように、するりと扉を抜けて行った――テレジアを連れて。
「おい。なにを企んでいる。私はおまえと話すことなど――」
「ありますわ。女同士、そして
ちらりと視線を寄越しながら、「――ねえ?」と微笑みかける。
「…………」
テレジアがすっかり黙り込んでしまったので、ハイデマリーはそれをいいことに、暗い廊下を軽やかな足取りで進んだ。
監獄の最上階。
広々とした空間に、上質な絹や絵画や宝石、無数の燭台で彩ったその場所が、女王の部屋だ。
ハイデマリーはテレジアをソファの一つに座らせ、優雅な仕草で紅茶を注ぎ分けると、自らも向かいの席に腰を下ろした。
そうして、しばし沈黙を愉しむ。
やがて、とうとうそれに堪えかねて口を開いたのは――やはり、テレジアの方だった。
「……何が目的だ」
「テレジア様は、おもてなしのマナーって詳しくていらっしゃる?」
が、ハイデマリーはそれをさらりと聞き流し、一冊の本を取り出す。
同時に指人形までもが十体ほどわらわらと出てきたので、テレジアは思わず眉を寄せた。
「……今その本と人形はどこから出てきた?」
「谷間ですわ」
嫣然と微笑みながら、ハイデマリーはそれらをテーブルに広げてゆく。
「わたくし、今回のために、おもてなしのなんたるかを学ぼうと、無学なりに本を読んでみたのですが、これがなかなか優れものなんですの。人形と間取り図が付いていて、それらを使うことで、あたかも
子どもと楽しむことを想定してか、指人形は皆愛らしく象られ、姫君、騎士、王に侍女に兵士、医師、女王に執事に魔女までいる。
ハイデマリーはそこから、赤と黒、二人の女王を摘まみ上げると、それらをじっと見つめた。
「ううん。どちらが年上かしら。……たぶん赤ね。では、黒の女王がテレジア様、ということでよろしくて?」
そう言って、世辞のつもりか、年若く見える黒の女王の方を、テレジアに手渡そうとする。
だが、もちろんそれで気を良くするはずもないテレジアは、冷ややかに指人形を見返した。
「おまえの方が、私より立場が上とでも言いたいのか?」
「滅相もない。あなた様の方が若々しくていらっしゃる、というメッセージのつもりだったのだけど……やはりおもてなしというのは、難しいものね」
ハイデマリーは悲し気に指人形をテーブルに戻すが、彼女の輝くばかりの美貌を前にしては、嫌味にしかならないメッセージである。
相手の意図が掴めず、不機嫌そうに黙り込むテレジアに、ハイデマリーは肩を竦めた。
「この通り、もてなしの何たるかも知らぬわたくしだけれど、テレジア様とお話をしたいと思ったのは事実なの。つまらない時間かもしれないけれど、どうか付き合ってくださる?」
そこで彼女は、はらりと零れた髪を耳に掛けなおすと、なぜか開け放たれた窓の外――夏の夜空を見やった。
「そうねえ、ずっととは言わないわ。あの星々が雲に隠れて、雨が降り出すまででいい。できれば、それがやむまで付き合ってくださったら嬉しいけれど」
「……降るのか?」
つられて空を見たテレジアは、思わず眉を寄せる。
濃紺の空には、白い星々が穏やかに輝いていて、とても雨が降りそうな気配ではない。
長丁場はご免だと思いながら問うと、ハイデマリーはやけに確信に満ちた声で答えた。
「――ええ。降るのよ」
そして彼女は、なぜかそこで苦笑を浮かべた。
「降ってしまうの」
体調不良のため(イ)申し訳ございませんが(ン)数日感想返信をお休みさせていただきます(フ)
更新は続けますのでご容赦くださいませ…(ル)