9.「普通」のディナー(4)
「本日のメインディッシュは、
「フェニックスーーーーー!?」
伝説上でしか聞いたことのない火の鳥は、確かに炎をまとっていた。食欲をそそる、香ばしい匂いとともに。
全身を駆け上がった炎が、やがてすうっと消えたそのタイミングで、絡んでいた針金が突然切れ、鳥は落下を開始する。
ごっ……、と唸りを上げ、かなりのスピードで落ちてくるフェニックス。
このままでは、テーブル上のあらゆるものが飛散する、いや、この大きさだ、テーブルに付いている自分たちも押しつぶされる――!
咄嗟に女性陣をテーブル下に押し込んだルーカスの前で、それは起こった。
――とぱぱぱぱぱぱ!
やけに歯切れのよい音が響き、次の瞬間には、
「な…………っ!」
「きれいに、取り分けられている……!?」
各人のちょうど右手前に、サフランライスの詰められた断面も美しく、フェニックスがサーブされていたのである。
「お代わりは、こちらだ」
いつの間にか巨大な銀盆を片手に現れたイザークは、その上に載った、象ほどもあるスタッフド・フェニックスを指差す。
「客人、優先。俺たちのことは、気にせず、存分に、食べてくれ」
「もう、【暴食】のお父様ったら。そんなことを言って、本来出すはずだったドラゴンを一人で食べてしまったくせに」
「いや……我ながら、上手く作れた、ものだから、つい……」
拗ねた顔つきをしたエルマとの間で、なにか和やかな会話がなされているようだが、なにが「もう」でなにが「つい」なのか、ルーカスたちにはさっぱり理解できなかった。
「皆さま、監獄名物、ドラゴンフルコースを期待されていたかもしれませんのに、申し訳ございません。ですが、フェニックスも、そのほろりとした舌触りと、濃厚な味にかけては、右に出るものがございません。この辺りでは大変珍しい鳥かと存じますので、ご堪能いただければと」
「この辺りというか、全世界的に希少だろうが!?」
エルマが恐縮したように説明するのを聞き、ルーカスはつい叫んでしまう。
聖獣をグリルするという異常事態に、イレーネなど絶句してしまっていたが、今度はギルベルトがそれを見て、思わし気に眉を寄せた。
「エルマ、イザーク。お客人は戸惑っているようだ。言い訳をするよりも、もっと他にすることがあるだろう」
そのいかにも常識人然とした物言いに、ルーカスは思わず縋るようにギルベルトを見つめる。
元勇者というギルベルト。
彼であれば、少しはこの異常さを是正してくれるのだろうか――。
「ぶつ切りのままでは食べにくい。こんなこともあろうかと、この前拾ったエクスカリバーの兄弟剣で、切れ味のよいナイフを鍛造しておいた。大切なお客様だ。これで召し上がってもらいなさい」
「オリハルコン製!?」
救いの手、と見せかけて容赦なく絶望の渦に叩き落とすギルベルト。
「ちなみにお近づきの印として、持ち手部分には、皆の名前を彫刻してみた。土産として持ち帰ってくれたら嬉しい。エルマを、これからもどうぞよろしく」
穏やかな笑みで物々しいナイフを手渡され、一同は心の内で叫んだ。
好意が、重すぎる。
「ちょっと、あんたたち。お客様たちは、そこに戸惑ってるんじゃないでしょ。これだから戦闘馬鹿は。――ごめんなさいね、食事の席で、火を噴いたり刃物を取り出したりして」
とそこに、今度はリーゼルが嘆かわしそうに口を挟む。
のろのろと振り向いた一同に、彼は「なにもかもわかっている」といった様子でウインクを決めた。
「お近づきの印に、獣や剣を差し出すなんて、非常識もいいところよね。その点も含めて、あたしからお詫びするわ」
彼はそこで、艶やかな笑みを浮かべると、す……っ、と、卓上に小瓶を差し出した。
繊細なガラス細工に収まったそれは、どうも香水のようだ。
「特別に配合した
「…………!?」
「エルマはなにかと至らぬ点もあるでしょう。それで相手にご迷惑をお掛けしてしまうことがあったなら、――その相手を洗脳して、難を逃れてくださる?」
解決方法としてはそれでいいのか。
魔女の毒りんごよろしく差し出されたそれを、呆然と見つめてしまっていると、沈黙を守っていたハイデマリーがやれやれと溜息を吐いた。
「まったくもう。お近づきの印に、毒だなんて扱いに困るものを押し付けてどうするの。エルマをよろしく頼む、という気持ちを込めたいのなら、相手に気持ちよくなっていただく方法を考えなくてはね」
彼女は、はらりと頬を滑ったほつれ髪を優雅に直し、上目遣いで客人を見つめた。
「こうするのよ。エルマをどうぞよろしく。ちなみにこちらは――黄金色のお菓子ですわ」
いつの間にか並べられた大量の金塊に、一同はぎょっと目を剥いた。
「これは今、いったいどこから!?」
「ふふ、谷間ですわ」
ルーカスたちは思った。
モンスターだ。
娘のためなら兵力財力超能力、あらゆる手立てを惜しまぬ、モンスターペアレンツがここにいる。
ふとテレジアを見やれば、彼女もまた異常事態の連続に、さすがに顔を引き攣らせている。
フェリクスは相変わらず「へぇ、ちゃんと純金だねえ」などと重さを確かめている中、テレジアの真っ当なリアクションは、ルーカスたちにほのかな好意を抱かせた。
「まったくもう、お母様、お父様たち。私の大切な方々をもてなそうとしてくださるのは嬉しいですが、
とそこに、困惑を含んだ声が掛かる。
エルマだ。
家族の前だからか、いつもより少しだけ幼く聞こえる口調で、彼女は申し立てた。
「よいですか。シャバでは、娘の円滑な社会生活を願って、金銀財宝や希少物を差し出すことは、犯罪の一つとして見なされるのですよ。だいたい、親馬鹿が過ぎます」
ほんのわずか、誇らしげにシャバの常識を披露する彼女は、「あのね、学校にはね、おかあさんたちは、付いて来ちゃいけないんだよ」とドヤる幼子と大差ない。
大差ないが、それでもルーカスたちはその姿に胸を打たれそうになった。
(エルマが……「普通」を説いている……!)
まじまじと見つめる先で、エルマは拗ねたように唇を尖らせた。
「だいたい、この訪問の主目的は、私の友人の紹介だけでなく、お母様のお産のお手伝いです。もっと、お母様の最近の様子だとか、お腹の子の様子について聞かせてくださいませ」
いつの間にか、国王入獄の付き添いという建前すら、軽やかに投げ捨てられている。
真っ当なようでいて真っ当でない指摘には、ホルストが応じた。
「大丈夫、僕がいるんだから。実は君を取り上げたとき、産科領域は未着手だったと痛感してね。以降いろいろなところで見聞を広めて、今ではどんなお産でも対応できる自信があるよ」
誰も知らないが、フレンツェル領でケヴィンを取り上げたのもその一環だ。
だが、エルマはそれでも心配そうな表情を浮かべた。
「どんなお産でも? 本当に? 出産とは予期せぬトラブルの宝庫だと、物の本で読みました。お兄様を疑うわけではありませんが、本当の本当に大丈夫ですか?」
「ああ。微弱陣痛も児頭骨盤不均衡も回旋異常もどんと来いだね」
「遷延分娩も? 軟産道強靭も、胎盤機能不全も、ああ! ……考えたくもないですが、臍帯先出も?」
「ねえ。ルーデン語で話してちょうだい?」
ホルストとエルマのよくわからない会話は、笑顔のハイデマリー当人によってぶった切られた。
が、それでもなお、エルマは頬を両手で押し包み、つらつらと話し続ける。
「無事に生まれてくれても、その後のことを考えると、今から動悸がするようです。アレルギーはないでしょうか。体や情操の発育は順調でしょうか。名付けの儀式までには、占術師を用立てて……ああ、その前に産着を仕立てねば……木綿……いえ絹……フレンツェルから魔蛾をお借りしてまいりましょうか。ああ、性別がわからないと話になりませんね。もし弟だったら――……弟? いえ、妹でも――……妹……」
時折、うっとりと目を細めるのは、どうやら、早くも弟か妹が生まれた妄想に駆られているかららしい。
ルーカスたちの見たことのない陶然とした表情を浮かべ、「あーん、とか……ふふっ」など呟く様は、もはや彼女自身が出産を控えているかのようだった。
「はっ。また思考が逸れました。あとは、世界三大秘湯に向かって、産湯も確保せねばいけませんし、手形を取るための金の板も用意しなくては。爪切りはミスリル製でいいですかね。それに――」
世界樹を裂いてベッドに、だとか、安眠確保のため夜行性魔獣を殲滅して、だとか、そのTo doリストはどんどん常軌を逸したものになってゆく。
「これに思考リソースのすべてを持っていかれていたのね……。道理でウミガメなんて描くはずだわ」
「ウミガメ? なんのことだ?」
「いえ、なんでも」
ぼそぼそと会話を交わすイレーネたちをよそに、ホルストたちは懊悩するエルマに温かい視線を向けた。
「まあまあ。本当に必要なものなんて、いざその時になってみないとわからないものだし、今からそう心配しないで。ふふ……懐かしいなぁ。エルマの時は、僕たちもこんな風に、だいぶ肩に力が入ってたよね」
「そうねェ。二人目には申し訳ないけど、やっぱり、初めての子っていうのは、それだけで力が入っちゃうのよね」
ホルストが言えば、すかさずリーゼルが頷く。
それに誘われたように、監獄のメンバーが次々と想い出話を披露しはじめた。
「思えば、エルマの、お食い初めのときに、初めて、古龍を、倒したんだったな」
「成長の記録をしようと、世界樹の幹に印を付けにいったこともあったな。懐かしい」
「幼いエルマがとうもろこしを『とんころもし』と言うのがあまりに愛らしくて、辞書の編纂者を『説得』して、『とんころもし』を正にしようと、働きかけたこともありましたねえ」
うんうん、と頷き合う男たちに、エルマは恥ずかしそうに頬を染める。
「あの時 は私が止めましたが……ですがたしかに、弟か妹が生まれたら、私もそうしてしまう自信があります」
嘘だろ。
ルーカスたちはぎょっと目を剥いた。
「そうだねえ。そういえば僕も、エルマの柔肌を刺さないよう、ルーデン中の虫を毒ガスで殺してまわったりもしたっけ」
ホルストの発言に、さすがのフェリクスも笑顔を固まらせる。
「それってまさか、黒死病がいきなり根絶された年のことかな……」
「そうよォ。あたしも、エルマに文字を教え始めたときなんて、どんな教え方をしたら一番身に着くかを模索してね。小さな村を丸ごと洗脳して、社会実験までしてから臨んでたものよ」
リーゼルの言葉にルーカスも固まる。
「確か十五年ほど前に、劇的に識字率が伸びて話題になった村もありましたね、義兄上……」
恐るべき符号の一致に、一同の背中に冷たい汗が走った。
大罪人たちは、そんなこと露知らぬ様子で、わいわいと回想で盛り上がっている。
次々飛び出すトンデモエピソードに、もうどこから突っ込んでいけばよいのかもわからない。
気丈なはずのテレジアも、鈍感力が売りのフェリクスすら無力化され、聞き手側の戦闘能力はほとんど残っていなかった。
「く……っ、彼らの話を聞いていると、こちらの精神が崩壊しそうだ……」
ルーカスは焦燥を滲ませて、額に手を当てる。
「そうですか?」
が、隣席のイレーネがそう問い返してきたので、ルーカスは怪訝に思って振り返り――それからぎょっと肩を揺らした。
イレーネは、やけに穏やかな微笑を浮かべていた。
「
「頼むから現実に帰って来い!!」
悟りと言う名の現実逃避を決めるイレーネを、ルーカスは肩を揺さぶって引き留める。
しかし、イレーネはすでに、己の世界にどっぷりと没入してしまっていた。
「ほら……思えば彼らって、エルマやお母様を筆頭に、皆さまそれぞれ異なるタイプの美形じゃないですか……。主人公なんですよ、物語の。だから特異能力があって……うん、あるある……私たちとは違う世界線で生きていて……うん、そうそう……」
「おい、イレーネ! しっかりしろ……!」
「どんな物語でしょうね。耽美? コメディ? バトル? これだけきれいに属性が分かれているから、なんでもござれですわね」
ふと笑みが深まり、なにか凄みを帯びたものになる。
イレーネがじ……っと男性陣を見つめると、大罪人たちは殺気を感じ取ったとでもいうように、わずかに顎を引いた。
「マッチョ受け……生真面目攻め……狂気溺愛攻め……どSオネエ攻め……」
花占いをするように順に顔を見渡す。
「いやだわ……受けが足りない……」と呟く様子は、皿の数が足りないと嘆く、東大陸で有名な幽霊のようだった。
焦点を失ったイレーネの瞳が、ふとモーガンを捉える。
常軌を逸した発言も少なく、大罪人たちの中では常識人と見える彼。
穏やかな物腰と知的な相貌を持つ彼には、そっと相手を偲ぶ純愛ストーリーが似合いそうにも思われた。
「知的う――」
「そういえば、獄内の書物はすべて私が管理させていただいているのですが」
だが、「受け」の言葉を告げるよりも早く、モーガンがにこやかに切り出した。
「イレーネ様のご趣味に適うよう、今回新規に取り寄せたレーベルがあるのですよ」
「え……?」
「すべての書物の内容を把握しないと気が済まない性質ですので、読んでみました。イレーネ様は、随分と
滑らかな口上に、イレーネは冷や汗を滲ませる。
腐をカミングアウトするのとバラされるのとでは、ダメージが大違いなのだ。
いったいなぜこの人物は、初対面の人間の、ごく個人的な趣味嗜好を把握しているというのか。
「あ、あの……」
「特に、イレーネ様がご愛読だという、背表紙が紫色のものは秀逸ですね。すべて暗記いたしましたよ。全巻、平均して40ページ台から始まるとある情景描写は、ぜひ音読して皆々様に喧伝したくなる――」
「あのっ!」
イレーネが椅子を蹴らんばかりにして立ち上がると、モーガンはにこりと微笑んだ。
「なんでしょう」
「こ……っ、この話は……っ、このくらいで……!」
「かしこまりました」
モーガンは特にそれ以上踏み込むことはせず、引き下がる。
だが、イレーネは悟った。
この獄内に、自分たちが優位に立てる相手などいない。
どいつもこいつも、敵に回したら一巻の終わりだ。
食卓は一瞬、しん……と静まり返る。
そんなとき、沈黙を解すように、美しい笑い声が響いた。
「ふふ。エルマは、本当に素敵な周囲に恵まれたのね」
ハイデマリーである。
コミック版・シャバ難1巻の重版が早速決まりました!
皆さまのお陰です、ありがとうございます!
ウェブの更新も頑張りますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。