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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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8.「普通」のディナー(3)

 ここに到着してから、自分たちはもう何度息を呑んだことだろう。

 フェリクスを除く一同は眼前の光景を眺めながら、そんなことを思った。


 獄内のダイニングである。

 いや、獄内の一室のはずの空間である。


 しかしそこは、曲がりなりにも王侯貴族として育った彼らも知らぬ、突き抜けた贅沢さが溢れていた。



 まず頭上を覆うのは、こぼれんばかりの星空。

 青みがかった夜の空で、乳白色の星々が、柔らかく光を放っている。


 そこから、夜空に溶け込むようにして伸びる壁。ここには、希代の芸術家作と言われてもおかしくない、完璧な美しさを誇るステンドグラスが嵌め込まれ、ルーカスたちの元にあえかな光を届けていた。


 壁の下部には、星明かりを邪魔しない、けれど不思議と部屋を暗く感じさせない大量の燭台。

 たしかに炎のように揺れるのに、時折一斉にふっと色を変えるその照明の正体が、彼らにはさっぱりわからなかった。


 磨き抜かれた床に、選び抜かれた調度品。

 耳を澄ませばそっと聴こえる、穏やかな音楽。

 そしてテーブルには、王族でも食べたことのない、豪華絢爛な料理の数々。


「さあ、どうぞ席にお掛けください」


 ついでに、すぐ側でアテンドしてくれるエルマはといえば、メイド服や地味なメイクを脱ぎ捨て、蛹から抜け出た蝶のような美しさだ。


 もうどちらの方向を見て感動してよいのかわからず、一同はきょろきょろと視線を彷徨わせてしまった。


「ようこそ、ヴァルツァーへ」


 そして、こちらの入場に合わせて席を立ち上がった人々を視界に入れて、性懲りも無く息を呑む。

 テーブルの下座側には、六人の男女が立っていた。


「歓迎、する。俺は、イザークだ」


 特徴的なぶつ切れの口調で告げたのは、厳しい顔つきの、熊のごとき大男。

 大剣を背負った姿には尋常ならざる凄みがあり、一同は無意識に全身を強張らせた。


「ほら、【暴食(イザーク)】の顔が怖すぎて、みんなビビってるじゃないか。――ああ、僕はホルスト。いつも『妹』がお世話になってるようで。僕たちは、心からあなたたちをもてなしたいだけなので、どうか肩の力を抜いてよ」


 砕けた口調で告げたのは、なぜか白衣をまとった青年。

 気さくで好印象にも思えるが、王族相手に「肩の力を抜いてよ」などと言い放つ囚人というのは、よくよく考えれば異常だ。


「モーガンと申します。皆さまは、私どもの『娘』の、大切なお客様。シャバと離れて久しいぶん、行き届かぬ点があるかもしれませんが、心ばかりのもてなしを楽しんでいただけますと幸いです」


 次いで丁寧に言うのは、物腰柔らかな壮年の男性。

 彼の発言によって、場の雰囲気が少々緩む。


 そうか、俗世と隔絶されていた彼らなのだから、浮世離れした空気があっても当然なのかもしれない。


「あたしはリーゼル。お会いできて嬉しいわ。エルマがお世話になっている方々がいらっしゃると聞いて、この日が来るのを本当に楽しみにしていたのだから」


 その次、この場の女主人(・・・)といった様子で微笑むのは、しかしどうやら声の低さから男性のようだ。

 髪を伸ばし、化粧までした麗しい姿に、一同は一瞬性別を捉え損ねた。


「エルマの父、ギルベルトだ。あなた方を取り巻く事情も様々あるだろうが、今宵我々はあなた方を、ただ娘の客としてもてなしたいと思っている。どうか楽しんでほしい」


 真っ直ぐこちらを見て告げるのは、精悍な男性。実直そうな顔つきや、堂々とした立ち姿からは、囚人というよりも騎士のような雰囲気がにじむ。

 彼は、引き締まった顔にかすかな笑みを浮かべると、最後の人物の背に、自然な手付きで腕を回した。


「――エルマの母、ハイデマリーと申します。歓迎しますわ。皆さまどうぞ、お掛けになって」


 手を添えられた女性は、大きく膨らんだ腹をそっと撫でながら、再度促す。

 まるで鈴を鳴らすような美しい声と、麗しい相貌に、一同は思わず目を見開いた。


 完璧な左右対称を誇る美貌は、間違いなくエルマと似ている。

 ただし、エルマを咲き()めの可憐な薔薇に例えるならば、こちらは爛熟し、大きく咲きこぼれる百合のようだ。


 詰襟のドレスをまとい、髪も清楚に結わえてあるというのに、ボタンのあわいからわずかに覗く肌や、はらりと一筋ほつれた髪からは、むしろ噎せ返るような色香が滲む。


 相手は一介の娼婦、それも囚人。

 だと言うのに、ルーデンの王侯貴族たちは気圧される何かを感じながら、ぎこちなく腰を下ろしたのである。


 国母のテレジアや国王のフェリクス、女慣れしたルーカスですらこれなのだから、男爵家の娘に過ぎぬイレーネは、もはや昇天寸前である。

 彼女はテーブルの下で拳を握り合わせて、ばくばく言う心臓をなんとかして押さえ込んだ。


(な……っ、なんて……っ、なんて……っ)


 なんて鮮烈な存在感の人々なのか。


 いや、イレーネとて、彼らと会う前から心の準備はしていたのだ。

 なにしろ彼らは犯罪者であり、囚人。

 いくら親友の「家族」とは言っても、見るだけで失神しそうな凶悪な面構えをしているかもしれないし、はたまた見るに堪えない哀れめいた姿をしているのかもしれない。


 それでも、大好きなエルマの「家族」だ。

 どちらの場合でも、恐怖や嫌悪を外には出すまいと、こっそりシミュレーションまでしていたというのに――はっきり言って、これは予想外だった。


(イザークさんこそど迫力な佇まいだけど、ホルストさんは知的なお兄さんって感じだし、モーガンさんは執事の鑑みたいな上品さだし……)


 リーゼルの中性的な言動には驚いたが、その姿は歌劇団の主役のような、独特な華があるし、ギルベルトもまた、磨き抜かれた心身が男の色気をまとっている。


 そしてハイデマリーに至っては、まさに傾国。

 色香がありながらもけして下品ではなく、つい目で追いかけてしまう艶がある。


(総じて皆さま魅力的っていうか……キャラが濃い!)


 イレーネは許されるならば、この場で胸を押さえて蹲りたかった。


 ハイデマリーとエルマが突き抜けているため、美醜の偏差値が狂い気味だが、この大罪人たちは総じて見目も麗しい。

 大男のイザークですら、筋骨隆々とした男性美に溢れている。

 多方向に魅力的な面々が、一様に好意的な表情を浮かべ、こちらをもてなそうとしている状況に、イレーネは一瞬、自分が今どこにいるのかを忘れかけた。


(こんなに素敵な方々が、好意的に接してくれるのだから……この監獄での日々、思ったよりなんとかなりそう)


 同時に彼女は、こっそり胸を撫でおろしもした。

 監獄が実家であるエルマの手前、周囲に告げはしなかったが、イレーネはこの監獄行きに巻き込まれたことで、かなり動揺していたのである。


 ただでさえ、「この世の地獄」と噂のヴァルツァー監獄。

 衛生環境は劣悪だろうし、虐待や拷問も横行していると聞く。

 犯罪に手を染めた極悪人たちに囲まれて、強気なイレーネもさすがに、快適な生活が送れるとは思えなかった。


 しかも、世話する相手は「血塗れテレジア」。

 下手を打てば、彼女からの折檻で命を落とす恐れすらある。いくら親友のエルマが一緒とはいえ、いったいどうして、この監獄行きに自ら名乗りを上げたのか、イレーネにはさっぱりわからなかった――まあ、それが洗脳というものなのだが――。


 しかし蓋を開けてみれば、監獄はいっそ王宮よりも清潔だし、よくわからないテクノロジーに満ち溢れている。

 囚人の皆さまも、ちょっとキャラが立ちすぎている感はあるが、普通に娘思いの人物のようだ。


「殿下。エルマのご家族って、皆さま気さくで、思ったより普通の方々なのですね」

「ああ。多少浮世離れしているが、覚悟していたほどではないな。皆、好意的だし」


 隣に座るルーカスに――監獄では身分など無いということなのか、この場では侍女のイレーネも横並びでの着席を許されている――小声で囁くと、彼も頷き返す。どうやら同じ感想を抱いたようだった。


 驚くほど口当たりのよいワインで乾杯し、色とりどりの前菜を振舞われ、と、監獄の晩餐は思いのほか和やかに進んでゆく。

 イザークが調理したのだという料理の数々は、実に繊細美味で、美食に慣れたテレジアでさえ、含んだ瞬間目元を綻ばせるのがわかった。


 合間合間に起こる和やかな会話、軽妙なジョーク、細やかに気遣われるサーブ。


 なんと快適な食事。

 まるで、これから始まる監獄での日々が、穏やかなものだと予感させるような。


 そう、イレーネたちが安心した、その矢先――。


「では、メインディッシュを、持ってくる」


 イザークがぬっと立ち上がった。

 そして、彼がダイニングを離れたあたりから、雲行きがおかしくなっていった。


「メインディッシュとは言っても……テーブル上には、もうスペースがないわよね……?」


 洋の東西を問わぬ絶品料理が並ぶ食卓を見て、イレーネが首を傾げる。

 それを聞き取ったエルマは「ああ」と、なんでもないように頷いた。


「今日のメイン、鳥のグリルは、少々大きすぎるので、元々テーブルに載せる予定はないのです」

「そうなの?」

「ええ。扉もくぐれない大きさだったので、それもあって天井を爆破したのですよね。本当はドラゴンのコンフィにする予定だったのが変わってしまって……実は、準備の際、ちょっと焦りました」

「…………は?」


 少々照れたように告げるエルマに、イレーネと、横で聞いていたルーカスは顔を引き攣らせる。

 どういうことだ、と問うよりも早く、


 ――ひゅん……っ!


 上方から鋭い音が響き、彼らははっと顔を上げた。


「――…………!?」


 彼らの頭上。

 吹き抜けの、本来天井があるべきあたり。


 そこには、星が散らばる夜空を背負うようにして、巨大な鳥が宙に浮かんでいた。


 飛んでいるのではない。

 既にこんがりと揚げられたうえで、鞭のように飛んできた針金に、全身を絡めとられている状態だ。


「な……――っ」

「仕上げ焼き」


 ――ぼっ!


 イザークの太い声での呟きとともに、宙づりの鳥が一斉に炎に包まれる。

 それを見上げたエルマは、にこやかにイレーネたちに説明した。


「本日のメインディッシュは、詰め物をした(スタッフド・)フェニックスです」

「フェニックスーーーーー!?」

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