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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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6.「普通」のディナー(1)

「……疲れた……」


 広々とした空間に、苦悩の滲む呟きが漏れた。

 偶然にも、三つの声がぴたりと重なり、テーブルに腰掛けて俯いていた三人はふと顔を上げる。


 ルーカスが、イレーネが、そしてテレジアが、死んだ魚のような目をして互いを見合う格好になった。


「……申し訳ございません。侍女の分際で、つい独り言が……」

「……いや、イレーネ。皆まで言うな。気持ちはわかる」

「……ふん」


 イレーネが詫びれば、ルーカスはげんなりとした口調でそれを遮る。

 侍女のことを虫けら程度にしか思っていないと評判のテレジアですら、鼻を鳴らしたきり、何を言うでもなかった。


 黙りがちな彼らを取り囲むのは、壁中を覆う巨大な書架と、その合間を縫って完璧に配置された美術品。

 今ルーカスたちは、監獄内で「休憩室ラウンジ」と呼ばれる場所にいた。

 そこで、夕食まで時間を潰しているのである。


 というのも、エルマの「『家族』がこの来客を大変歓迎しており」、「ささやかな夕食(ディナー)でもてなしたいので」とのことだからだ。

 なお、エルマは調理を手伝うべく、すでに休憩室を去った後だった。


「みんな、真面目だねえ。いちいち突っ込むから心身が疲弊するのさ。僕みたいにもっと、すべてを受け入れる姿勢で日々を生きないと」


 そんな中、フェリクスだけがのほほんと茶菓子を頬張っている。

 その泰然とした佇まいに、ルーカスは思わず唇の端を引き攣らせた。


「……よく、この環境で平然と菓子を頬張れますね」

「え? 大量の蔵書と美術品に囲まれ、微かに漂う音楽を聴きながら、夕食までの待ち時間を過ごすことに、なんの問題が? どれも素晴らしいクオリティじゃない」

「素晴らしすぎるところが問題なのでしょう! あなたの辞書に常識の文字はないのか!」


 ルーカスがくわっと吠える。するとたちまち、


「辞書をお探しでしたら、こちらに――」


 どこからともなく、すっと辞書を抱えた男たちが現れたので、ルーカスは慌てて手を振った。


「いや、違う。今のは『検索』ではない。頼むから放っておいてくれ」

「御意」


 辞書を掲げていた男たちは、速やかに引っ込んでゆく。

 彼らはこの休憩室の書架を預かる存在で、シャバで言うところの「司書」に相当する役割を担う――らしい。


 だが、読みたい本の題名の一部や、作者の名前を呟くだけで、速やかに該当書物の該当ページを広げて持ってくる彼らは、もはや「自動検索機」とでも呼ぶべき存在だった。


 持ち場に戻った彼らが、待機モードに切り替わって俯くのを眺めていたイレーネは、


「この監獄には……異常でないものはないの……?」


 と、顔を引き攣らせる。

 それから、怯えたように、この異様なまでに立派な休憩室を見回した。


「ここって……監獄ですよね? なのに、この王宮図書室をも上回る蔵書量はなんですの? というかあの右の壁の一角を占めるのは、アウレリアですら入手しにくい薔薇のレーベルではございませんの? なぜそんなものまで網羅的にラインナップされてますの?」

「そうなのか……? ここからでは遠すぎて題名すら読めんが」

「こちとらプロです。背表紙の色だけでわかるのです」


 イレーネはそこだけはきっぱりと言い切り、それから恐怖を堪えるように、自身の体を抱きしめた。


「だいたい、監獄で『ディナー』ってどういうことですの? しかも看守ではなく、囚人が用意するんですの? 浮き浮きと去って行ったエルマの姿は、一体なんのフラグですの?」

「突っ込む余力は取っておいたほうが身のためだぞ、イレーネ。きっとこの後も、何かしら衝撃の事態が待ち受けているのだろうから……」

「……そうですわね」


 天井を見上げたままぼんやりと指摘するルーカスに、イレーネも疲れたように頷く。

 実際のところ、エルマによる獄内ツアーから今に至るまでの間、彼らは怒涛のように押し寄せる突っ込みどころに、もみくちゃにされていたようなものなのである。


 たとえば、監獄内に踏み入ったルーカスが、「旅の疲れをお拭いください」と渡されたタオルを受け取ってみれば、


「な、なんだこのタオル、指がどこまでも沈んでいく……!?」

「裏庭で栽培した木綿から作ったコットンタオルです。超長綿種をさらに品種改良したことで、カシミヤをも上回る繊維の長さを実現。獄内では『木綿、その先へ』の名で親しまれております」

「裏庭で木綿って採れるのか!?」


 タオル一つで監獄の農業レベルの高さを突きつけられ。


 廊下になにげなく掛けられた絵画をテレジアが見ればたちまち、


「…………!? 王宮の最奥にあるはずの『微笑む少女』が、なぜここにある……? 精巧なレプリカか……?」

「あ、いえ、こちらが本物で、王宮にあるのが贋作です。ただ、金髪の色味をくすませて描いた贋作の方が、結果的に芸術として優れてしまって、我々もその点は反省しており――」

「待たぬか、『我々も反省』とはどういうことだ!?」


 王宮所蔵の最高級絵画が、監獄作の贋作である可能性を示唆され。

 ほかにも、


「廊下の床が動いているように思うんだが……!?」

「ああ、殿下。それは『動く歩道』ですね。とかく獄内が広いので、重宝しております」


 だとか、


「あれ? 今、窓の外を魔鳥が横切って行かなかったー?」

「ああ、フェリクス陛下。『鶏舎』で数頭を飼っているのです。良質な卵を産むほか、くすぐってやると

火も吐いてくれて、暖を取るにもうってつけなのですよ」


 だとか、


「なんかこのトイレ、勝手に便座が持ち上がったんですけどおおおおお!」

「ああ、イレーネ。本監獄では、全館で温水洗浄便座を採用しておりまして。便利ですよね、オート開閉機能」


 だとか、とんでもない仕様が次々と、かつ、さらっと披露されていったのである。


 一つに対して十分なツッコミをしおおせる前に、さらに三つくらいのありえない環境が披露される。

 まさに息も継がせぬ怒涛の異常事態に、フェリクスを除く一同は、ツアー開始五分でぐったりとしはじめた。


 濃い。

 濃ゆすぎる。

 少しくらい休憩が欲しい。

 だいたい、突っ込み要員の数に対して、異常事態ボケの手数が多すぎるのだ。


 廊下を案内されているだけで、ルーカスは早くも遠い目つきになってしまう。

 結果、全く同じ動作をしているテレジアの姿が視界に入った。

 彼女は冒頭の贋作絵画で度肝を抜かれたらしく、以降ペースを崩されたのか、ツッコミどころに遭遇するたびにライフを削られていた。


 ルーカスからすれば、彼女は不貞の疑惑を掛けられた被告人であるうえ、かつて母や自分に対して、毒剣や虫を仕掛けてきた人物である。

 精神的距離は限りなく遠くあってしかるべきだった。が、この異様な環境下、一緒にげっそりしている姿を見ると、つい連帯感を抱きかけてしまう。


 ルーカスは危機感を覚えた。

 時に敵味方の区分すらなくしてしまう、この監獄のぶっ飛び具合ときたら。


 ルーカスの密かな懊悩をよそに、フェリクスだけがのほほんとしていたが――いや、そんな彼も、エルマによってある人物に引き合わされたときには、さすがに目を見開いていた。


 まずは彼らにご挨拶を、と連れて行かれた看守部屋には、一人の壮年男性が立っていた。


「ご紹介申し上げます。彼がこのヴァルツァー監獄を預かる看守、アントン司祭でいらっしゃいます」

「ようこそおいでくださいました。いかなる疑惑を向けられようと、厳粛なる裁きの槌が降りるその瞬間まで、あなた様方は皆、生を寿(ことほ)がれし愛し子。この獄内で、できる限りのもてなしをいたしましょう」

「……え、アントン? 昔クレメンスが手駒として送り込んだ、あの? なんかだいぶキャラ変わってない?」


 そう。

 クレメンスが監獄を操るために派遣した、権力と贅肉に溺れた色ぼけ司祭は、今や全身の肉を削ぎ落し、厳しい修行を経た信徒のような佇まいとなっていたのである。


「かつて私は、色欲に溺れた、ただの飛べない豚でした……。ですが、愚かにも至高の存在に手を掛けんとしたその罪を契機に、真の信仰に目覚めたのです。今の私は、至高の七人の忠実なるしもべ……。相変わらず飛べない愚鈍な豚ではあれど、この豚めは、真実のなんたるかを知っております」


 ただし彼が信仰を捧げる神の名は、アウル神ではなく、「至高の七人」と言うらしい。


「アントン司祭は、かつて私の母を手籠めにしようとしたことがあったそうなのですが、その時、父をはじめとする『家族』に諭され、生きる姿勢を改めたのだそうです。その際、豚呼ばわりされたことで多方向に才能を開花させ、今では獄の運営に何くれとなく力を貸してくれる、頼もしい存在です」

「過分なお言葉、汗顔の至りでございます……」


 エルマが淡々と補足すると、アントンはアンニュイな表情で、もの静かに謙遜する。


 ――もしかしてそれって、洗脳調教って言うのでは。


 フェリクスを除く三人は、無言でアントンから一歩、距離を取った。

 と、そこに、


「おい、アントン。先週おまえの上げた監獄報告書だが、【怠惰】にチェックさせたところ、拷問の描写が紋切り型で、いま一つ凄惨さが伝わらないと――」


 ノックもなしに、不機嫌そうな老年男性が踏み入ってくる。

 その顔を見て、フェリクスは「あ」と声を上げた。


「クレメンスだ」

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