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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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5.「普通」の里帰り(5)

「ねえ、ギル。髪型、どうかしら。このドレスだと、なんだか顔色が悪く見えて? やはり赤いドレスにしようかしら」


 エルマが入獄前から一同の価値観をクラッシュさせた、その少し前。

 監獄の最上階――女王の居室では、ハイデマリーが鏡を覗き込んでいた。


 普段緩く背に流している銀髪は、清楚に結い上げられ、ネグリジェのように肌の露出が多いドレスも、今日ばかりはシンプルな藍色のドレスに代わられている。

 ただ、禁欲的な装いをしたところで、かえって溢れんばかりの色香が滲んでしまうところは、やはり彼女が彼女たる由縁であったが。


 ドレスは豊満な胸のすぐ下で絞られ、大きく膨らんだ腹を絞め付けぬようになっている。

 見るからに重そうな腹を、しかしハイデマリーが気にした様子もなく振り返り、さっさと着替えようとするので、傍らで剣を磨いていたギルベルトは慌てて止めに入った。


「待ってくれ。そのままで十分きれいだ。髪型は完璧だし、君は何を着ても美しい」

「本当? 本当に? 一目見ただけで、未来永劫わたくしの今のこの姿が脳裏に焼き付けられるくらいに、きれい?」

「ああ、きれいだ」


 十五年越しに手にした妻に骨抜きのギルベルトは、(てら)いもなく頷く。

 だから座っていてくれ、とハイデマリーの背に手を掛け、そっとソファに導いた。


「んもう、ギルったら。妊娠は病ではないと何度言ったらわかるの? 少しは動かなくては、太ってしまうわ」

「たとえ太っても君はきれいだ。エルマも、彼女が連れてくるという友人や上司たちも、きっと同意見だろう。だから、少し落ち着いてくれ」


 すぐに座れ、横になれと勧めてくる夫に、ハイデマリーは溜息を落とした。

 周囲のこうした態度は、彼女がとうとう腹の膨らみを隠しきれなくなり、妊娠を告白した時から、ずっと続いていた。


「んもう、みんな口を開けば休め、休めって。自分たちは日々お祭り騒ぎをしているくせに、ずるいわ」

「祭りなどしていないだろう」

「生まれてくるこの子のために、世界樹を伐採して揺りかごを作ったり、聖遺物(アーティファクト)を使ってお守りを作ったり、一国家分の年間予算を投資信託しようとしたりすることを、巷ではお祭り騒ぎと言うのよ」


 ハイデマリーがげんなりと髪を掻き上げながら告げると、ギルベルトは不思議そうに首を傾げた。


「そうか。エルマの時はもっと盛大だったから、気付かなかった。むしろ、二人目ともなると、我々もある種の慣れが生じてしまって、盛り上がりが足りないなと日々自省していたくらいだ」

「……まあたしかに、エルマの時はもっと凄まじかったわね」


 ハイデマリーも少し苦笑気味に認める。

 だが、「それはそれとして」と、逸れかけてしまった話を元に戻した。


「今日は、わたくしにとって久々のイベントなのよ。あの子がお友達や、上司を連れてくるなんて、初めてのことだもの。あの子がわたくしたちのことで虐められたりしないよう、最高の印象を与えなくては」


 毎秒なにかしらの無双をしでかしているエルマを、それも監獄の「家族」を理由に虐める輩がいたとしたら、それは随分な猛者である。

 が、ハイデマリーはまるで普通の母親そのもののように、娘の周囲に好印象を与えるべく気合いを入れているのであった。


「わたくしだけではないわ。エルマから、里帰りすると手紙が届いてからというもの、監獄中がこの子のことすら忘れて、そわそわし通しではないの」


 ついでに言えば、気合いが入っているのは、もちろんハイデマリーだけではなかったのである。

 彼女が指摘すると、ギルベルトも「まあ、たしかに」と口元を歪める。


 そうして、彼らは、愛娘からの手紙が届いた日のことを思い出しはじめた。




 それは三日前のことだ。

 大罪人と呼ばれる者たちは、ハイデマリーの体調に最大限留意しつつ、その日も最上階の一室で寛いでいた。


 第二子誕生を前に、それぞれ最高級の産着をデザインしたり、人間工学に基づくバウンサーを開発したりと、有意義な時間を過ごしてはいるが、ハイデマリーが言うほどには、お祭り騒ぎをしているわけではない――と彼らは思っていた。

 やはり第一子であるエルマの時の方が、彼らも肩に力が入っていたのだ。


「もう今月には生まれるわねェ……」

「どんな子でしょうね」

「ま、どんな子でも可愛いだろうねえ」

「だな」


 経験は余裕を生む。

 既に一通りの育児をこなした彼らにとって、第二子は「子」というよりは、「孫」に近しい。

 どんな子でも可愛い。なんでも大丈夫。オールオッケー。

 彼らはもはや悟りの域にいた。


 圧倒的全肯定は、少しだけ放置にも似ている。

 十五年前は全員総出で育児書を世界中から取り寄せていたのに対し、今回は雑用係(クレメンス)に「図書室から関連図書を持ってきておいて」と投げてしまえるくらいには、彼らも落ち着いていた。


 クレメンスが苛つきながら大量の図書を運ぶ傍らで、彼らはのんびりとハーブティーを啜る。

 ギルベルトが封筒を持って現れたのは、その時だった。


「見ろ。エルマから手紙が届いたぞ」

「なんですって!?」

「えっ、初めてだ!」


 一同は喜色を浮かべ、ギルベルトの手元を覗き込む。

 愛しい少女の筆跡で、「ちょうど監獄に向かう用事ができた(・・・・・・)ので、友人と上司、そのご家族を連れて帰郷いたします」と書かれたそれを読み、大罪人たちはカッと目を見開いた。


 彼らが手塩にかけて育てた少女が、この監獄に帰ってくる。

 それも、シャバで知り合った人間を連れて。


 これは退屈と言う名の魔物を飼っている彼らにとって、まごうかたなき大イベントだ。

 一同は、わくわくと心を躍らせて続きを読んだ。


「ふぅん。『国家転覆を図った女性とその息子が、裁判を迎えるまでの世話役として派遣されることになった』ねえ。うまい建前を用意したわね。さすがあたしのエルマ」

「『フェリクス王の母テレジアは、不貞を働いただけでなく、不義の子を王の座に据え置き、国家転覆を目論んだとの罪状で起訴されている』、ですか。――やれやれ、国家転覆などと言って、単なる不倫騒動ではありませんか」

「しけた、罪状だな」


 ただし、王の実子ではない人物が王位を継承していたという大スキャンダルは、彼らにとってとくに注目に値しないようであったが。

 価値観の偏った彼らは、巷を騒がせている王位簒奪事件の概要についてはさらりと読み流し、それよりも、ある一文に注目した。


 ――我が家に人をお招きするのは初めてのことなので、どうか楽しい時間を過ごしていただきたいと思っております。

   ついては家族の皆さま、おもてなしにご協力いただけますでしょうか。


「もてなしに……」

「協力?」


 外部の人間を丁重に扱うという発想は彼らにはなかったが、大切な少女からのお願いというのは、彼らの心を大いに震わせた。


 とそこに、クレメンスがふうふう言いながら、大量の書物とともにやって来た。


「おい、持ってきたぞ。まったく、年長者にこんな労働をさせおって――」


 開口一番愚痴を唱え始めた彼は、しかし、途中で困惑したように口を噤む。

 なぜなら、普段は薄笑いを浮かべるか、つまらなそうな顔でゲームにばかり興じていたはずの大罪人たちが、皆やけに、真剣な表情を浮かべていたからだ。


「……何事だ?」

「――【虚飾(クレ)】ちゃん」


 くる、と振り返ったリーゼルは、クレメンスが鼻の高さまで積み持った書物を見て、怪訝そうに首を傾げる。


「なにしてんの?」

「いや、育児書を集めて来いと、おまえらが――」

「あ、ごめん、それもういいわ」

「は?」


 遮られたクレメンスは、続く言葉に絶句した。


「図書室から、おもてなし関連の書物を持ってきて」


 リーゼルは悪びれもせずに言い放った。


「全部ね」

「――…………は?」


 なにがどうして、そうなったのか。

 が、リーゼルだけでなく、他の大罪人たちもぐるぐると肩を回しはじめた。


「……よし。メインディッシュを、ひと狩り、行くか」

「おとぎ話によれば、土産には不老長寿薬のつづらを渡すってのが普通なんだっけ。いや、加齢促進剤? 開発を急がなきゃ」

「客人をもてなすための特別予算が必要ですね。一国潰しますか」

「獄のほかの罪人たちも会いたがるだろうから、綿密なタイムテーブルを組まねばな……」


 それぞれ、拳を鳴らしたり、白衣をばさっと翻したり、目を伏せながら薄く笑んだり、剣を背負ったりと、やけに格好よく居室を去って行く。


 後には、ぽかんとしたままのクレメンスと、無言で溜息を落とすハイデマリーだけが残った。


「――……な、なんなのだ、あれは」

「フェリクス王陛下とお母君の王太后陛下が投獄されそうだから、その機に乗じてエルマが帰ってくるのですって」

「はっ?」


 一文に込められた情報量の、あまりの多さに、クレメンスが顔を強張らせる。

 それはつまりどういうことなのか、と彼が現状を理解するよりも早く、ハイデマリーは、何かを振り切るようにして微笑んだ。


「つまり――あなたはとりあえず、おもてなしに関連する書物を持ってくればよい、ということよ」






「――……と、彼が持ってきてくれた一押しが、これのわけだけど。ああ、もう一度復習しておこうかしら」


 ハイデマリーは真剣な表情で、サイドテーブルに置かれた書物を取り上げる。

 その表紙には、「初めてのホームパーティー ~おもてなしのアイディア100~」の文字があった。


 なんでも、実践的なおもてなし技術をコンパクトにまとめ、付録に動線シミュレーション用の指人形や、一般的な屋敷の間取り図まで付けた、大層人気の本なのだという。

 ハイデマリーは神妙な表情で、姫君を象った指人形を動かし、今日の動線を確認しだした。


「エルマたちは正午を目指してやって来るから、わたくしたちはその間、各自の居室で待機して……夕食時に顔合わせをするから、それまではなるべく遭遇しないよう……待って、これだと食料庫から移動した【暴食イザーク】が鉢合わせしてしまうかしら?」


 騎士に王、老いた女王に侍女。それから戦士。

 それぞれの人形を実際の人物に見立て、こまこまと操る姿は、真剣そのものだ。


「帰郷の知らせ以降、エルマとはそれなりに打ち合わせを重ねたつもりだけれど……やはり伝書鳩を使ってのやり取りでは限界があるわね。こういう微細な部分が決めきれていないもの」

「それでも、伝書鳩が百羽疲弊しきるくらいには打合せしただろう。俺たちは最善を尽くしたさ。頼むから君は、自分を追い込むことなくゆったりとしていてくれ」


 ギルベルトが懇願すると、ハイデマリーは拗ねたように眉を寄せた。


「んもう、気にしすぎよ。今日のディナーだって、わたくしも最後まで同席したかったわ。……ねえ、やっぱりだめかしら?」

「だめだ。悪いが、俺と腹の子のために早く切り上げてくれ。盛り上がったら夜中まで騒ぐだろうし、【暴食】がやけに肩を回しているから、あの調子では卓上でドラゴン解体もしかねん。危険だし、それに君は、目の前に酒が振舞われると、つい飲みたくなると言っていただろう」

「ここ最近は、一滴も飲んでいなくってよ」

「それでもだ」


 ハイデマリーが甘えた声を出しても、ギルベルトは譲らない。

 数往復交渉を続けたが、愛情と父性を溢れさせたギルベルトは頑として意見を変えないので、やがてハイデマリーはひらりと両手を上げた。


「わかったわ、もう。皆が一番楽しんでいる瞬間に、こっそり退散させてもらうわよ」

「……すまん。心配で仕方ないんだ」


 申し訳なさそうに眉を下げた夫に、しかし彼女は慰めるように微笑んだ。


「もういいわ。そのほうが、お互い良い印象を抱いたままでいられるかもしれないもの」


 そうして、彼女はふと顔を上げ、窓の外を見つめる。

 鬱蒼と茂った森の向こう、フレンツェル領周辺には、唐突な暗雲が集まりはじめていた。

 ホルストが薬剤を打ち上げ、雨雲を刺激して生成したものだ。


 着々と進む「もてなし」の準備を見て、ハイデマリーはご機嫌な猫のように目を細めた。


「さあ、この限られた時間を、楽しく過ごさなくてはね。最高のおもてなしができるよう――張り切っていきましょう」


 フレンツェルの上空で最初の雷が落ちたと同時に、監獄の空に、大輪の花火が打ち上がった。

以降は隔日投稿とさせていただきます。

次話「『普通』のディナー(1)」は、1月31日(木)の投稿となりますのでよろしくお願いいたします…!

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