4.「普通」の里帰り(4)
ヴァルツァー監獄。
ところどころ蔦の絡んだ、陰気な色の石づくりの建物。
空は青く晴れ渡っているというのに、そびえたつ尖塔も周囲を覆う森も、すべてが暗く沈んでおり、魔王の城とでもいった趣がある。
(これが歌劇なら、今にもおどろおどろしい背景曲が流れだしそうな光景だな)
そんな感想を抱いたルーカスだったが、
「――…………?」
「……なにか、どこからか美しい音色が……?」
現実に、繊細なバイオリンの音色が鼓膜を揺らしたので、一同はこぞって辺りを見回した。
険しいだけだった山道。当然彼らの周りを囲むのは、猛々しい緑だけだ。
だが――葉を揺らす木々の影から。土に影を落とす草のあわいから。
まるで緑の隙間からこぼれるようにして、澄んだ音色は響き渡る。
さながら、風や葉擦れといった自然の音が、音階をまとって立ち現れたかのようだった。
「なんてきれい……これはもしや、精霊の歌なのかしら……?」
「へえ、美しいねぇ」
「ほう……」
イレーネは頬を紅潮させ、ひねくれものと見えるフェリクスやテレジアまでもが感嘆したように、そっと溜息を漏らす。
そんな中、動体視力と勘に優れたルーカスだけが、緑の奥で蠢く存在を捉えた。
「何者――!」
腰の剣に手を当てながら
それは、風が引き起こした自然の音色のようにも、あるいは笑みを含んだ溜息のようにも聞こえた。
――キュイ……ン
一拍置いて、まるで問いに答えるように、艶やかなバイオリンの音が響く。
それを聞き取ると、傍で森の奥を眺めていたエルマは、静かに笑って頷いた。
「腕を上げましたね、ジョヴァンニ」
「は!?」
ルーカスは思わず眉を寄せ、それから
――ざっ!
一斉に草を踏み締めて現れた存在に絶句した。
「…………!」
「過分なるお言葉を頂き、恐悦至極――」
そこにいたのは、森と同化するようなくすんだ衣服に身を包み、顔にまで緑のペイントを施した男。
そして、同様の格好をした数十人の男たちだった。
その厳しい表情、そして恐ろしく統制の取れた動きは、まるで森に進軍する隠密部隊のようだが、しかし皆一様に楽器を構えているのがおかしい。
しかも目を凝してみれば、彼らのまとった衣服は、迷彩柄でこそあるものの、王宮楽団が身に付けるのと同様のチュニックやドレスシャツである。
「…………!? 彼らは……!?」
「ああ、彼らはただの音楽係です」
「音楽……係……?」
愕然としながら反復すると、男たちはざっとその場で楽器を脇に持ち替え、お辞儀をする。
ジョヴァンニと呼ばれた男だけが彼らを紹介するように片腕を掲げ、魅惑の声で告げた。
「我ら、ヴァルツァー構成員から成る音楽集団、『宵の森楽団』でございます」
「本日の演奏も見事でした」
エルマがぱちぱちと拍手すると、楽器を抱えた男たちは、それぞれ土を踏み鳴らしたり打楽器をそっと叩いたりして応える。
それらは、楽団が拍手の代わりによくする仕草であったが、結果滲み出るあまりの迫力に、イレーネがびくっと肩を揺らした。
「な……っ、な、なな……っ、なんなのこの人たち……!」
「ジョヴァンニ は元窃盗団の頭領ですね。凄腕の鍵師でもあり、目隠ししたままでも、錠の音だけを頼りに開けられるのが売りでして、彼に破れぬ金庫は無いと謳われるほど。その耳の良さを活かせるのではと、【嫉妬】の兄――いえ、姉が音楽教育を施しました」
「教育の成果凄まじすぎるでしょ!?」
「ちなみに、ジョヴァンニを慕ってともに投獄された部下たちは、【暴食】の父が鍛え上げ、二十四時間の演奏や、夜を徹しての武闘にも耐えられるほどに成長しました」
「舞踏じゃなくて武闘!?」
常軌を逸した存在を淡々と紹介されて、まだ監獄に足を踏み入れぬ内からツッコミが止まらない。
「なお、以前は室内で演奏してもらっていたのですが、母が『音楽とはもっと自然と溶け込んで、あたかも風がそよぐかのように聴こえてくるべきものだわ』と漏らしたことから、このスタイルに落ち着きました。以降、この一帯は木霊の歌声の響く森と、冒険者たちの間で密かに話題に」
「お母様の権限大きすぎる!」
イレーネが天を仰いで絶叫すると、その横でテレジアも静かに顎を引いていた。
「……ルーデンの王宮でも、いや、音楽の都・ヤーデルードでさえも聴いたことのない水準の楽団が、監獄に……だと……?」
どうやら、豪胆さで知られる彼女でも、のっけからのこの暴投には度肝を抜かれたようだ。
フェリクスは冷静に、
「これくらいで動揺していたら、後々保ちませんよ? 王太后陛下」
と微笑んでいたが――彼は母親のことを、王子時代から変わらず「陛下」と呼ぶ――、ルーカスはその言葉に慌てて気を引き締めた。
そうとも、ここはエルマのホーム。
どんな常識圏外のことが起こってもおかしくない、ある種の魔境だ。
しかも今回、エルマはやたら張り切っているときた。
「なるほど、エルマ。さては、先程言っていた『もてなし』とはこれのことだったのか」
大丈夫。
自分はこの場の誰よりもエルマ耐性が付いている。
これしきのことで動じてたまるかと、さも想定内であるように問うてみれば、エルマは「え」と小首を傾げた。
「はい、まあ、その一つではありますが――ホームパーティーの際に、演奏でお出迎えするのなんて、普通のことと言いますか……もてなしの内にも入りませんものね」
「……なんだと?」
「ですので、『お出迎え』のメインはこちらです」
エルマは微笑んで、ぱちんっと指を鳴らしてみせた。
途端、宵の森楽団の男たちは、愛器を伏せ、さっと耳を塞ぐ。
――ひゅぅうううう……っ
同時に、彼らの頭上には光の線が鋭く宙を駆け上がり、
――どぉ…………んっ!
青空のもと、大輪の花を咲かせた。
「花火ぃいいいいい!?」
それも、ルーデンの祝祭でも見たことのない、やけに巨大な、完璧な球を描いた花火である。
「ふむ、割物・芯入り銀冠菊、からの柳ですか。音、色とも見事」
「もう何を評価しているのかさっぱりわからないのだけど!?」
「ただの種類の名前ですよ。いやはや、カルロスも腕を磨いたものです」
「誰よカルロス!?」
イレーネはくわっと叫んだが、花火の軌跡を遡っていたルーカスは、尖塔のてっぺんにいる人影を認めてぎょっと顔を強張らせた。
「まさか……あそこから身を乗り出して手を振っている男は……一時期大陸中を騒がせた爆破犯の『爆散カルロス 』か……!?」
「ああ、もしかして殿下、その世代でしたか。そうです、彼の爆発物取扱いの技術の高さに興味を引かれた【貪欲】の兄が――」
「もういい、だいたいわかった」
爆破愉快犯・カルロスが、ジョヴァンニ同様「教育」の末、監獄お抱え花火師として「成長」したのだろうことは、誰の目にも明らかであった。
花火はそれから、「ないあがら」、「すたあまいん」からなるクライマックスまでを激しく駆け抜け、とどめに「エルマLOVE」「おかえり」の文字を象って仕舞いとなった。
「……もう。お客様の方をもてなしてと伝えたのに……」
エルマが眼鏡姿のまま恐縮するが、一同は腹の中で叫んだ。
――そこじゃねえだろ。
これだけの爆発物を製造、保管し、緻密に展開してみせるその技術。
はっきり言って、これもまた軍隊に相当する戦力だ。
「……ていうかさー、この花火って、フレンツェル全域くらいには見えちゃうんじゃないの?」
フェリクスだけはのんびりと、三人とは異なる観点から突っ込むと、エルマは優しく首を振る。
「皆さまのヴァルツァー来訪は『密かな訪問』という態でございますので、花火が目に着かぬよう、ただいまフレンツェル全域には雲を集め、雷雨を降らせております」
ご安心ください、と微笑まれるが、そのどこに安心材料があるというのだろうか。
「花火のために……?」
「雲を……?」
え、どうやって。
一同は完璧に硬直する。
が、エルマはその問いには答えず、肩にかけていた布鞄――というより、そこから覗く冊子にちらりと視線を落とし、ひとつ頷いた。
それから、こつんと靴を鳴らして監獄の前に立つと、完璧な礼をした。
「本日は、遠路はるばるようこそお越しくださいました。心ばかりのもてなしをご用意しておりますので、どうぞ我が家と思って、おくつろぎくださいませ」
*
「はじめてのホームパーティー ~おもてなしのアイディア100~」
◆家に招く前から、既に雰囲気作りは始まっています。
周りを囲む自然や名物を紹介し、場の空気を盛り上げましょう。
◆音楽の得意な家族がいれば、歓迎曲の演奏を頼みましょう。
ただし、主張の強い選曲は避け、心地よい背景曲に徹すること。
◆玄関は家の顔。
玄関をくぐる前に、華やかな花が見えるようにし、
お客様の気分を盛り上げましょう。
◆笑顔、笑顔、笑顔。
「楽しいことがたくさん起こる」と予感させるべく、
ホストはにこやかにゲストを出迎えましょう。