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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「普通」は愛おしい

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3.「普通」の里帰り(3)

 どうしてこうなったのだろう。

 ルーカスは、もう何度目になるかわからぬ思いを再び反芻はんすうし、遠い目になった。


「さて、それではもう少し散策を楽しみながら、今度は左右をご覧ください。まずは皆さまの左手、愛らしい花を咲かせているのは、錬金術師御用達、マンドラゴラです。抜くと絶叫しますので、ご注意くださいね。ちなみに、右手に見えます紫の花は、ジギタリス。こちらは猛毒注意です」


 彼の数歩先では、布鞄だけを肩掛けにした侍女姿のエルマが、ご機嫌で道案内をしている。

 彼女のすぐ後ろにイレーネ、その後ろにルーカス。


 この三人であれば、既にいろいろな場所で行動を共にしたことがあり、この光景も単なる山歩きに見えなくもなかったが、こと今回に限っては、明らかに不穏さを感じさせる要素があった。


「ねー。いつまでこのピクニックごっこを続けるのさ」


 不穏要素その一。

 ルーカスの後ろに、フェリクスがいる。


「……疲れた。馬とは言わぬが、駕籠は無いのか」


 そして、こちらが決定的なのだが――不穏要素その二。

 なんとフェリクスの後ろには、彼の母、テレジア王太后陛下がましましているのである。


 テレジアと言えば、荒事を好む苛烈な性格で知られ、フェリクスの出産後は、ユリアーナたち側妃に数々の攻撃を仕掛けてきた女性である。


 いわく、国母としての地位を保つためなら、その手を血に染めるのに眉ひとつ動かさない。

 気に入らぬ侍女を集めて剣で斬り刻んだとか、愛らしいと評判の実妹さえ、嫉妬のあまり顔を切り裂いて修道院送りにしただとか、彼女にまつわる恐ろしい噂は、両手で収まらぬほどだ。


 こっそりと囁かれる彼女のあだ名は、血塗れ(ブラッディ)テレジア。

 そんな彼女を迎えた一行の雰囲気が、明るく楽しいはずもなく――前を行くイレーネが、テレジアが溜息をつくたびにびくつくのを見て、ルーカスもまた溜息を漏らした。


 どうしてこうなったのだろう。


「ご不便をおかけし恐縮でございます。あともう少し歩けば、我が屋敷――ヴァルツァー監獄が見えてまいりますので、何卒ご容赦くださいませ。あ、ちなみにあちらの草陰から覗いていらっしゃるのが、この辺りに定住する少数民族、首狩り族でございます。ふふ、今日もいい槍、持っていますねえ」


 ガイド役を務めるエルマは、始終浮き浮きした様子だ。

 物騒な観光案内の中身もさることながら、ルーカスとしては、彼女のその態度についてまず突っ込みたかった。


 これは、自宅に遊びに来た友人への道案内ではないのだぞと。

 あくまで――現王と国母を、この世の地獄と名高い、ヴァルツァー監獄に監禁しにいくための道中なのだぞと。


「おっと、そうこうしている内に、この森一帯に雷雨がやってくる時間ですね。さ、ペースを上げて参りましょう」


 意気揚々と先導するエルマを眺めながら、ルーカスは、あの日のことを思い出していた。





 素っ気なく頷いたきり黙り込んでしまったフェリクスに代わり、王の居室で我が物顔の演説を続けていたのは、やはりエルヴィンだった。


「ははっ、殊勝なことだ。さすがにこれだけの証拠を突きつけられては、お得意の弁舌も、すっかり鈍ってしまうようですね? 完全な劣勢であると、正確に事態を把握できた理解力だけは褒めて差し上げましょう。ご褒美に、報告をもうひとつ」


 彼は、華々しい目鼻立ちに剣呑な笑みを乗せ、凄んでみせた。


「既にこのスキャンダル、各国の新聞社に囁かせていただきました」

「エルヴィン、おまえ――」


 あまりの大胆さに、ルーカスは耳を疑う。

 仮にこれが真実なのだとしたら、ルーデン全体、いや、大陸全土を揺るがす醜聞だ。

 それを、慎重な審査も検証もなく、国外までも流布してしまえる軽薄さが信じられなかった。


 が、エルヴィンは己の優位を確信した笑みのままだ。

 その小さな脳味噌には、「国外追放された悲劇の英雄が、虚飾の王の化けの皮を剥いでやった瞬間」とでもいった筋書きでいっぱいなのだろうことは明らかだった。


「ご安心なさいませ、義兄上――いえ、フェリクス殿。ルーデンは法治国家。たとえあなたが極悪人でも、必ずや法廷を通してその罪を裁きましょう。誠実で、開かれた国家にふさわしく――全国民の目の前でね!」


 公開処刑の予定もあるということだ。

 もはや発言に滲みはじめた嗜虐性すら、エルヴィンは隠そうとしなかった。


「お一人では寂しいでしょう? ですので、お母上も一緒ですよ。ちょうどこの場にお呼びしておきました。不義を働きながら、ぬけぬけと国母として君臨したばかりか、私の母たち側妃を残酷にいたぶった、稀代の悪女をね」


 ぱちん、と指を鳴らすと、廊下からさらに数名の兵士が現れ――どうやらエルヴィンは、ルーデン内にそこそこの手駒を確保していたらしい――、乱暴にひとりの女性を突き出した。


 くすんだ金髪に、意志の強そうな緑の瞳。

 整った美貌よりも、苛烈さや獰猛さを感じさせるその熟年の女性こそ、先王の正妃、テレジア・フォン・ルーデンドルフであった。


「無礼者。穢らわしい手で触れるな」


 女性にしては低い声は、こんな時でも威厳に満ち、静かな口調であっても強く耳朶を打つ。

 ひと睨みで兵士を動揺させ、悠然とドレスの裾を払った彼女は、次いでぐるりと周囲を睥睨した。


 エルヴィンの姿を見つけ、「ほう」と口の端を持ち上げる。


「久しいの、三番目の。母子共々、シュタルクの田舎に追いやったと思っておったが。その乏しい脳みそでは、帰る家を覚えられなかったかな?」

「……不快な口を叩けるのもそこまでですよ、テレジア殿。おぞましい毒で、母を聖具無しには生きられぬ体にしたその罪、あなたにはこれからしかと償っていただくのだから」


 エルヴィンの声は、いよいよ心底からのものと思われる憎悪を帯びる。

 が、テレジアは片眉を優雅に持ち上げただけだった。


「ほう、あの雌猫、聖具の力を借りてまだ生きておったか。聖具開発で有名なシュタルク行きを認めてしまったなど、私の慈悲深さには我ながら呆れるわ」

「この女……! いいか、おまえらなど、裁判の準備が整い次第、国民全員の前でみすぼらしい衣を着せ、判決の後には国中を引き回して――」

「あの」


 エルヴィンは激しかけたが、壮大な復讐計画を披露しきるよりも早く、涼やかな声が割って入った。


「お取り込み中大変恐縮なのですが、少々確認と、ご提案をよろしいでしょうか」


 エルマである。

 もちろん全然よろしくなかったが、エルヴィンが何かを言い返す前に、エルマはするすると言葉を紡いでいった。


「まずは確認なのですが、御身――エルヴィン殿下におかれては、現王陛下が先王の実子でないとの物証を得て、全国民にその真実を伝えるべく、告知と裁判とを行おうとしている。と、そういう理解で合っていますでしょうか?」

「あ、ああ……」


 いったいこの、地味で今まで視界にも入らなかった侍女は何者だ。

 疑問を抱きながらも、小柄な少女からえもいわれぬ迫力を感じ取り、エルヴィンは頷く。


「そう、その通りだ……」

「なるほど。では僭越ながらお尋ねしますが、現役の王を裁くためにはどのような手続きが発生するかご存知で? 所要日数は? その間の被告人の扱いは?」

「え……?」


 淡々と捲し立てられ、エルヴィンは目を白黒させた。


「それは、その……所定の規則に則って、速やかな裁判を……」

「絶対者である王を裁くには、全裁判官の署名と国民審査、そして近隣五カ国の承認が必要と国際法で定められております。かつ、エルヴィン殿下は現在シュタルクの方ですので、残念ながらルーデンで起訴するのは、不可能とは言いませんが膨大な手続きが必要となります。そして同時に、判決の槌が降ろされるその時までは、被告人は推定無罪として相応の生活を保証せねばなりません」

「え……え……」


 思ってもよらぬ事項を次々と並べられ、エルヴィンが動揺する。

 とりあえず何か反論を、と口を開きかけた彼に、そこでエルマはにこりと微笑んだ。


「でも大丈夫」


 さらに、眼鏡をすっと外す。

 突如現れた絶世の美貌にぎょっとしたエルヴィンに、彼女は一歩歩み寄ってさえみせた。


「僭越ながら、私にご提案がございます。蒙昧もうまいなるこの身なれど、お役に立てればと固めましたこの考え、御身の前で口にするお許しを頂けますでしょうか……?」


 ほんの少し見上げるようにして、目を潤ませて。両手を胸の前で組み告げる様は、可憐の一言だ。

 絶対ロクでもないことを考えているに違いないとわかるルーカスたちですら、視線を惹きつけられてしまうその媚態。


 耐性の無いエルヴィンが、一秒と保つはずもなかった。


「よ、よ、よろひい! 言いたまえ!」

「彼ら――現王陛下と、王太后陛下に、準備が整うまでの間、ヴァルツァー監獄で過ごしていただくというのはいかがでしょう」


 エルヴィンはぽかんとする。

 ルーカスはといえば、その一言でエルマの意図を悟り、無言で顔を引きつらせた。


「ヴァルツァー監獄……この世の地獄で、か?」

「はい。なにしろヴァルツァーはルーデンの誇る絶対要塞。脱獄の困難さには定評がございます。王宮とも距離が離れておりますので、準備期間中に裁判関係者を懐柔するのは不可能。一方、形骸化しているとはいえ、推定無罪の貴人を『お預かり』するための部屋もございますので、国際的にも言い訳は立つかと」


 エルマの弁は、まるで立て板に水を流すよう。

 同時に、やけに熱の籠もったものだった。


「ただし、唯一問題があるとすれば、体裁を維持するとなると、被告人たる彼らに付き添う人間を確保せねばならないということ。半ば罪人の烙印を押されつつある彼らに、好き好んで付いていく者はあまりおりますまい。――ですが」


 彼女はまた一歩エルヴィンに詰め寄り、そっと甘い声を上げる。


「ですが、エルヴィン殿下」


 おい、とルーカスは思った。

 俺には一度だって、そんな声を出したことはないじゃないかと。


「私は……その付き添いに、ぜひ志願しとうございます」

(エルマ、おまえ……っ)


 ルーカスは拳を握った。


 ――そうまでして里帰りを決めるつもりか、と。


 そう。

 エルマが、ダイナミック里帰りを志すあまり、今回は自分ではなく、フェリクスを犯罪者に仕立て上げるつもりなのだということは、ルーカスには容易に理解できた。


「な……っ、なぜっ、君は、そんなことを望むというんだい!?」


 秒でエルマに陥落させられたエルヴィンは、鼻息も荒く彼女の肩を掴んでいる。

 エルマは、その下心の滲む手に己の手を重ねさえして、じっと潤んだ瞳で彼を見上げた。


「願いを、叶えたいと思ったのです」


 身を委ねた姿勢での発言は、あたかもエルマが元王子(エルヴィン)に一目惚れし、彼の願いを叶えてあげたいと思った、とでもいう趣旨の発言に聞こえる。


 が。


(あくまでおまえの(・・・・)願いを、だろうがあああああ!)


 意図を正確に把握できてしまったルーカスとしては、そう突っ込まざるをえなかった。

 そして同時に理解した。


 フェリクスに里帰りを阻まれ、黙り込んでいたエルマ。

 あれはショックを受けていたのではなく――相当怒っていたのだ、ということを。






(……解せない)


  回想を終え、ルーカスは眉を寄せた。

 確かにあの時、自分はエルマの行動に疑問を持ち、突っ込みに回ったと思ったのだが――それがなぜこうして、このメンバーで、監獄へと至る山道を歩いているのだろう。


(いや、「最低限体裁の繕える付き添い人を」確保した結果、エルマとイレーネが選ばれ、「信頼のおける監督者を」確保した結果、騎士団所属の俺が選ばれた、ということは覚えているんだが……いつの間にそうなっていった?)


 考えれば考えるほどに、強引だったり、穴のあったりする意思決定過程だ。

 なのに、今こうして山道を歩いてしばらくするまで、誰もがそれを不思議に思わなかった。


 エルマが夜明け色の瞳を向け、「殿下はどうなさいますか」「イレーネはどうしますか」と尋ねてきた時、むしろ自分たちは、進んで監獄への同行を申し出たような気さえするのだ。


 ――洗脳。

 そんな単語がふと思い起こされて、ルーカスは顔を引き攣らせた。


 ありえすぎて、笑えない。


「さあ、だんだん見えて参りましたよ。ふふ、家に人をお招きするのなんて、初めてです。どきどきいたしますね」


 が、前を行くエルマといえば、里帰りを実現させた今や大層ご機嫌である。

 彼女の中で、これは「監獄送りの付き添い」ではなく「人を招いての帰郷」と整理されているらしい。重苦しい空気をものともせずに、先ほどから張り切ってガイド役を務めている。


(……こいつが張り切ると、ろくなことが起きない、というのが定説なんだが)


 つい思わし気な視線を向けてしまうと、それに気付いたエルマは、ルーカスに向かって力強く頷いてみせた。


「実は今回、高貴なる方々も交えてのご招待ということで、失礼が無いように、侍女長から『初めてのホームパーティー ~もてなしのアイディア100~』なる本を借りて、おもてなしのなんたるかを研究したのです。今の私は、もはやホームパーティーのプロ。大船に乗った気で、ヴァルツァーでのひとときをお楽しみくださいませ」

「…………」


 ツッコミどころも様々あるが、それを差し置いて、不吉な予感しかしない。

 フェリクスやテレジアは怪訝そうに首を傾げただけだったが、エルマ危険予測士の資格を持つイレーネは、怯えたようにルーカスを振り返った。

 ルーカスは咄嗟に視線を逸らしかけたが、上司の責任を思い出し、ひとつ頷く。


 大丈夫、少なくとも借主や本の題名を聞く限り、今回については、そこまでひどいことにはならないはずだ。


「さ、到着でございます」


 浮き浮きとした声が響いたのを機に、ルーカスは戦場に臨む兵士のような顔つきで、そびえたつ監獄の建物を見上げた。

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