魔法科高校の事なかれ主義の規格外(イレギュラー) 作:嫉妬憤怒強欲
三高に警戒心を強めた達也達は、気を取り直して九高との試合に望んだ。
九高との試合は『渓谷ステージ』で行われた。『く』の字形に湾曲した人工の谷間には川があり、それぞれのモノリスの近くには大きめな水溜りがある。林もあるのであまり走り回れないが、そこは幹比古の独壇場だった。
飽和水蒸気量に関係なく空気中の水蒸気を凝結させる古式魔法『結界』によって、フィールド全体が白い霧に包まれ、濃い霧に包まれた九高選手は一高のモノリスに辿り着く事が出来ず。風を起こして霧を払おうと新たに流れて込んでくる空気までが霧に染まり、気温を上げて飽和点を引き上げても、水溜まりからの蒸発を促進して余計に霧を濃くする結果となり、手も足も出なかった。
その間に、霧が薄くかかっているだけの達也が霧の中に紛れて敵陣へと潜り込んでモノリスの『鍵』を開け、霧の結界を維持している精霊を通して幹比古がコードを入力。
一度も戦闘が行なわれる事なく、一高は勝利を収めた。
♢♦♢
九校戦で賑わっている富士演習場の駐車場に、2人乗りの軽自動車が1台入ってきた。カー・シェアリングの浸透によって自家用車を持つ人がすっかり減ったとはいえ、このような交通の便の悪い場所ならば自分で運転して向かおうと考えるのも分からなくはない。
しかし20代前半の若い女性が1人で運転してきた、というのは珍しいのではないだろうか。
「まったく、みんな揃って人使いが荒いんだから……。私はカウンセラーであって、使い走りじゃないっての……」
運転席から降り立ったその女性・小野遥は、小さくそう独りごちながら後ろに回り込み、座席後方の荷物置場から大きめのスーツケースを取り出した。これから小旅行にでも出掛けるかのような出で立ちだが、彼女の呟きの通り、この荷物を目的の人物に届けるためにここまでやって来たのである。
彼女がなぜここにいるのか。それは達也が自分の師匠である九重八雲に“或る物”を注文し、八雲が彼女にそれを運ぶよう頼んだからだ。
ではなぜ八雲は、彼女にそれを頼んだのか。そもそも、二人はどういう関係なのか。
小野遥は、九重八雲の門下生である。入門の時期は達也よりも遅かったため彼の妹弟子ということになるが、寺で直接顔を合わせたことは無かったので達也がそれを知ったのはつい最近のことだった。
そして彼女は、先天性特異能力者でもあった。BS(Born Specialized)魔法師とも呼ばれるそれは、魔法としての技術化が困難な超能力を持って生まれた魔法師を指す。代償として通常の魔法を使えなくなるが、その能力の高さは目を見張るものがあり、職務と能力が合致すれば相当な脅威となる。
彼女の先天性スキルである“隠形”は、見えているのに見えない状態を作り出す認識阻害の精神干渉魔法と同等のレベルにあり、その気になれば税関をフリーパスで通り抜けることもできる。そんな能力と若気の至りも相まって色々と“悪戯”をやっていたときに警察省公安庁の捜査官に見つかり、それを見逃す代わりとして秘密捜査官の立場で諜報活動を行うようになった。
ただしカウンセラーの資格は偽装ではなく、第一高校にも元々その仕事で入っていた。公安がその立場を利用して遥にブランシュに関する情報収集を命じていたのだが、解決後もカウンセラーの仕事を辞めることなく、ブランシュに利用されていた生徒達のアフターケアに尽力している。
さて、そんな彼女がスーツケースを転がして駐車場を後にすると、演習場までの道のりの途中で達也の姿が目に入った。遥が気づいたのと同時に達也もこちらへと視線を向け、軽く頭を下げるのと同時に歩み寄ってくる。
「ご苦労様です、小野先生」
「目上の人間にご苦労様は……って、分かっててやってるんでしょ……」
注意しようとして、達也が人の悪い笑みを浮かべてるのに気付き、遥はため息を吐き八雲から渡されたものを達也へと手渡す。
「私は宅配業者じゃないんですけど?」
「運搬を頼んだのは師匠じゃないですか、文句はそちらにお願いします。それとも、報酬をお支払いした方が宜しいでしょうか?」
「えっ? いやいや、そんなのいいわよ。さすがに生徒からお金をせびろうだなんて――」
「それでしたら、第一高校のカウンセラーとしてではなく、税務申告が必要無い臨時収入でも如何ですか?」
「――――!」
達也の言葉の意味を正確に理解した遥の目が、スッと鋭く細められた。
「……何をさせる気?」
「香港系国際犯罪シンジケート“無頭竜”、そのアジトの所在を調べてください」
「――なんであなたがそれを知ってるの!?」
思わず、といった感じで遥が叫んだ。その際に達也の服を掴んで自分の顔に引き寄せるという、事情を知らない者が見れば色々と勘違いを起こしそうな格好になるが、生憎と本人はそれに気づいておらず、達也がそれを指摘したことでようやく顔を紅くして彼から離れた。
「あなたが手出しする必要は無いでしょう。何を企んでいるの?」
「今のところは何も。ただ、いざ反撃するとなったときに敵の所在を掴めないのは不安ですので、単なる“保険”みたいなものですよ」
「司波くんに、その報酬が払えるの? 調べさせといて『払えませんでした』じゃ困るんだけど」
「何なら、前金をお支払いしましょうか?」
「……分かったわ、とりあえず1日ちょうだい」
「一日ですか、さすがですね。報酬は内容によって決めますが、それなりには弾むつもりですので」
「……ホントに高校生なの?」
人にものを頼む態度も、またやる気に出させ方もとても高校生に思えなかった遥は、達也に面と向かってそう言った。
「高校生ですよ。歳を誤魔化したりは出来ませんから」
「それにしては大人じみてるというか汚れてるというか……」
「年齢では無く経験ですからね、そこら辺は。俺は色々と経験してるだけです」
達也の言葉に首をかしげたが、これ以上は何も答えてくれないだろうと雰囲気で悟った遥は、そのまま会場には入らずに帰っていった。
♢♦♢
三位決定戦が終わり、決勝戦のステージが”草原ステージ”と発表された。
それを聞いた両校の反応は対照的だった。三高の天幕では、歓声を上げる者もいた。
「お前の言うとおりになったな、ジョージ」
「ついてるね、将輝」
「後はヤツが誘いに乗ってくるかどうかだな、ジョージ」
「彼らは必ず乗ってくるよ。遮蔽物がない『草原ステージ』では、正面からの一対一の撃ち合いに応じる以外、向こうにも勝機が無いからね」
「後は、お前が後衛と遊撃を倒すだけだが……大丈夫か?」
だが、“草原ステージ”でも、彼らには不安要素が一つあった。
「『吉田家』の古式魔法は現代魔法とのスピード差でいけるけど、有崎シンヤだけは僕もわからない」
「そうか……」
それはシンヤの存在。
ここまで武装一体型CADを使った戦法でディフェンスを務めていた彼が決勝戦でオフェンスとして前に出てくる。バイザーで顔が分からないだけでなく、他にどんなバリエーションがあるのかが全くの未知数である。
「じゃあ、倒すのが無理だったら持ちこたえてくれ。俺が司波 達也を倒して二人でなら確実にいける。勿論、行けそうだったら頼んだ」
「わかった。新人戦の優勝は残念だったけど、せめて『モノリス・コード』の優勝は勝ち取らないとね」
「ああ、やってやるさ」
真紅郎の言葉に、将輝は強く頷いた。
一方、第一高校の天幕では
「草原ステージか……障害物が無いから厳しい戦いになりそうだね」
幹比古が苦い顔をして激励に来た面々の気持ちを代弁する。
「いや、渓谷ステージや市街地ステージに比べたらまだマシだ。贅沢を言ったらキリが無い」
「確かに、水場一帯を爆発させたらオレたちは一巻の終わりだった」
一条家の得意とする“爆裂”は、液体を気体に変化させ、その膨張力を破壊力として利用する魔法だ。一条将輝にとって、渓谷ステージはそこら中に爆薬が仕込まれてるのと同じ事だし、市街地ステージは実際に水が流れている水道管が張り巡らされている。それに比べて草原ステージは爆薬となるものがない。
「無論森林ステージや岩場ステージの方が良かったが、渓谷ステージという最悪のフィールドをまぬがれただけでもよしとしなければな」
シンヤと達也のやり取りを聞いて、一年生は納得の表情を浮かべた。だが上級生たちの表情は明るくない。
「でも、遮蔽物の無いフィールドで、砲撃戦が得意な魔法師を相手にしなければいけないって事には変わりないわよ。かなり不利だわ」
「司波、何か策でもあるのか?」
普段はあまり話しかけてこない服部が話しかけて来た事に、達也は少し意外感を覚えたが、それで答えが遅れる事も無い。
「先程会長の言う通り正面から打ち合えば確かに不利ですけど、一条選手は俺を意識してるようですからね。正面以外からなら何とかなります」
「だが、直接攻撃は禁止されてるぜ?」
「触らなければ良いんですよ。大丈夫、策はあります」
桐原の疑問に、達也は人の悪い笑みで返した。
♢♦♢
遂に始まった新人戦『モノリス・コード』決勝戦。
歓声を受けて登場した将輝達に対し、達也達が登場すると戸惑いの声が多かった。
「なあ達也……やっぱおかしくないか、この格好」
「なんで僕達だけ……」
「使い方は説明した通りだが」
あからさまに方向性が違う回答は、「諦めろ」という勧告だった。
フィールドに足を踏み入れたシンヤと幹比古は、大会規定の防護服とヘルメットの上から黒いローブとマントを羽織っていた。二人にとって、仮装みたいで恥ずかしい装備である。
「……達也だけ着てないのはズルいだろ」
「何言ってるんだ。前衛の俺がそんな走りずらい物を着るわけがないだろう?」
「確かにそうだが……今頃あいつは大笑いしてるんだろうな」
「僕もそう思うよ」
シンヤの推測に幹比古も同意する。その『あいつ』とは観客席にいた。
「アーッハハハハハ!何アレ何アレ!」
「え、エリカちゃん……恥ずかしいよ」
「だって……あの格好は笑うわよ。何あれ? 絶対笑いを取りに来たとしか思えないわね」
「気持ちはわからんでもねえが、あまり笑ってやらないほうがいいんじゃねえのか?」
一般の観客席にいるエリカは腹を抱えて笑っていた。これには隣に座っている美月とレオが已む無く窘めることになった。
爆笑していたエリカに周りからの視線が刺さり、美月は凄く恥ずかしそうに縮こまっている。
エリカはヒーヒー言いながらなんとか笑いを抑え、ようやく落ち着いた時には周りの生徒もフィールドに視線を戻していた。
「ごめんごめん、あー面白かった。いやー、分かっちゃいるんだけどね。達也君のことだから、何かしらの策だとは思うんだけれど」
「エリカちゃんたら…………あ」
「ん?」
「吉田君のローブに精霊がいっぱいまとわりついてる」
美月は眼鏡を外してその様子を観察すると、精霊が幹比古の周囲に群がっていることに気付く。
SBや精霊と呼ばれる心霊存在とは、「存在」を離れてイデアの海を漂っている、独立した非物質存在となった情報体とされ、「孤立情報体」とも呼ばれる。精霊を介した事象の改変は「世界」からの抵抗を受けにくく、限定された効果ならば現代魔法よりも少ない力で大規模な現象を起こすことができる。ちなみに本戦バトル・ボードで無頭竜が妨害工作に用いた電子金蚕という魔法もこの精霊を利用していた。精霊の本体はプシオンによって構成されており、非活性状態で潜伏している精霊を、美月のような特殊な目を持つ者以外が発見するのは非常に困難である。
精霊を感知できない人間からすれば、決勝になって身に纏ってきたシンヤと幹比古のマントに注目してしまう。それは第三高校の面々にも言えたことだ。
「のう栞。あれは何の意味があると見とる?」
「多分だけど、吉祥寺君の“不可視の弾丸”を防ぐためじゃないかしら。布一枚で防げるような攻撃でもないと思うけれど、何らかの仕掛けが施してあるのかもしれない」
「ふむ……向こうには吉田家の者がおるからのう。精霊を貼り付けたのかもしれんな」
「愛梨はどう思う?」
栞は愛梨の意見も伺った。
「……そうね。あんなものを着てるからには企んでいるに違いないわ」
ここまでディフェンスを担当していたシンヤが決勝戦でオフェンスに転じたことで、愛梨から彼に対する警戒の色が見える。
「はてさて、いったいシンはどんな戦いを見せてくれるのかのう?」
「あはは……沓子は楽しそうだね」
無邪気な子どもの様にワクワクしている沓子を見て、佐保は苦笑いする。
対戦相手である三高チームでは、訝しげな雰囲気が漂っていた。ディフェンスがそれを見ながら口を開く。
「ただのハッタリじゃないのか?」
その意見を将輝がバッサリ否定し、真紅郎がそれに同調する。
「いや、違うだろう。ヤツはジョージのことを知っている……なら、あれは“不可視の弾丸”対策だろう」
「確かに僕のあの魔法は貫通力が無いけど、布一枚で防がれるようなものじゃないし、彼がそんな甘い考えで対策を立ててくるとは思えない」
その言葉にディフェンスが話しかける。
「そういう風に思わせる作戦かもしれないぜ?」
「その可能性も無い訳じゃない。だが……」
「……分からないな。まさかこの期に及んで隠し玉を用意していたなんて……」
歯切れの悪い将輝のセリフに、唇を噛み締める真紅郎。
「全く無警戒というわけには行かないが、わからないことをあれこれ考えても意味はない。力押しに多少のリスクは付き物だ」
真紅郎の迷いを断ち切る為か、将輝は少し強い語調で言い切った。だからといって、将輝自身に戸惑いが無いというわけではない。一般の人から見た好奇心の対象は、敵対している者にとっては警戒すべきものになるのだ。
「ま、二人が組めば勝てないやつはいないしな。だが、吉祥寺、あいつは乗ってくると思うか?」
「乗ってくるよ。もし乗ってこなくても問題はない。どちらに転んだとしてもこちらの勝利は確実だ」
将輝のおかげで、気持ちを切り替えた吉祥寺は自信満々にそう言い切った。
第一高校と第三高校の試合開始を告げるサイレンが草原フィールドに鳴り響く。同時に両陣営の間で挨拶代わりの砲撃が交わされた。将輝は機先を制するために特化型CADのスイッチを操作、魔法式を展開し、達也がそれを術式解体で破壊したのだ。
魔法による遠距離攻撃の応酬という如何にも“魔法師同士の勝負”と呼べる光景に、観客は大喜びで迎え、第一高校の応援席は意外感に言葉を失っていた。
達也のことを“二科生の新入生”という限られた情報でしか見ていなかった一高の上級生などは、通常の意味で総合的な魔法力が劣っている彼が、相手の攻撃に晒されながら肉眼で見ることも難しい距離を的確に狙えることに驚いていた。その胆力は、間違いなく新人離れしていると言えよう。
両陣地の距離はおよそ六百メートル。
『森林ステージ』や『渓谷ステージ』に比べれば短い距離だが、実弾銃の有効射程で測れば、突撃銃では厳しい間合いであり、狙撃銃の間合いだ。
それをお互い、外見上は自動拳銃そのもののCADを突きつけ合い撃ち合いながら、相互に歩み寄っている。
達也は予選、準決勝と同じ二丁拳銃スタイル。
それに対して将輝は、準決勝に使っていた汎用型を特化型に切り替えていた。
右手のCADで相手の攻撃を撃ち落とし、左手のCADで攻撃を仕掛ける達也に対して、将輝は意識的な防御を捨てて攻撃に専念している。
その結果、ただでさえ大きな攻撃力の差が、ますます広がっていた。
将輝の魔法が一発一発に決定的な打撃力を秘めているのに対し、達也のは牽制程度、単に攻撃が届いているだけで、特に防御を意識しなくても魔法師が無意識に展開している『情報強化』の防壁で防がれる程度の振動魔法だ。
さらに、一歩進むごとに、達也の牽制すらも数が減っていき、防御に回っている。
彼をよく知るものが見れば、達也の劣勢は明らかだった。
そして、シンヤは三高陣地では真紅郎が将輝の背中を迂回し、一高陣地へと駆け出しているのを確認した。
「……来たな」
「おーけー、それじゃあ頼んだよ」
「ああ」
真紅郎が動き出したことにより、試合は新たな段階へと突入した。
真紅郎が迂回しながら突っ込んでくるのを迎え撃つ為に走り出すシンヤ。
将輝の意識が一瞬だけシンヤの方に向いたが、それを見計らって達也が一気に距離を詰めて妨害した。
そして、一高モノリスから百メートル地点で、彼らはぶつかった。
目の前に立ちはだかったシンヤに向けて『不可視の弾丸』を放とうとした真紅郎は驚愕の表情を浮かべる事となった。
「なっ!?」
遮蔽物の無い草原ステージにおいて、将輝同様真紅郎の得意魔法にも有利で、この距離なら外しようが無いと思われていたのに、シンヤがマントを翻し、そのまま自身の正面で大きく広げると、輪郭がグニャリと歪み出し、影を増やす。どれが本物か一瞬で判断出来なかった真紅郎の攻撃は不発に終わった。
(幻術……いや、これは光井選手と同じ光の屈折を利用した光系魔法!?)
“不可視の弾丸”は、その性質上相手を視認しなければならないのだ。だが捉えた相手が幻影では意味がない。単純ながらも効果的な対策に驚いてる真紅郎に、横手から自身目掛けて金属片が飛んでくる。
シンヤの攻撃をかわす為に、真紅郎は空中に逃げる。だが追い討ちをかけるように『小通連』の刃が襲い掛かってきた。
真紅郎は身体を後ろに移動させる事によって、シンヤの斬撃によるダメージを最小限に抑える。
相性が悪すぎる、と真紅郎が歯噛みしたそのとき、
ドォンッ!
シンヤの真横付近で、まるで爆発のような勢いで空気が膨張した。サイオンが見えない者にとっては何が起こったのかすら分からない状況だろうが、真紅郎はそれが将輝の仕業だと即座に理解した。
しかしその空気の爆発は、シンヤに当たらなかった。魔法が発動する直前、まるでそれを予想していたかのように、大きく横に飛んでその場から離れたためである。
なんともないように防護服に着いた土埃を手で払うシンヤを見ていた真紅郎とチームメイトが、揃って舌打ちをした。
♢♦♢
少し掠ったか。
ここまでは作戦通りだな。
達也が一条と戦っている間、オレが吉祥寺を相手する。
その状況下でオレの光系魔法“蜃気楼(ミラージュ)”が吉祥寺の魔法とは相性が悪すぎると悟れば、一条は達也の相手をしながら吉祥寺の所に援護射撃を仕掛けてくるのはわかっていた。
その気になればこの程度全部捌くことができるが、後のことを考えるとあまり目立ちすぎるのも良くないため、オレは敢えて攻撃を受けておくことにした。自身に軽めに『情報強化』をかけていたので気絶はしなかったが、向こうも力を加減していたとはいえ……さすがに脇腹が痛むな。
結果的に一条たちの注意がオレに向いたが、これも作戦の内だ。全部終わった後に問い詰められたとしても全て達也が立てた作戦だったと上手く誤魔化せるだろう。
さて、作戦通りこの戦いに勝つためにもう少し注意を引き付けておくとしようか。
♢♦♢
シンヤが吉祥寺への攻撃を再開した直後、達也も将輝に対して仕掛けていた。
今までは慎重な歩みだったその足を疾走へと切り替え、まるで自己加速術式でも使ったかのようなスピードで将輝へとその距離を縮めていく。だが将輝は慌てることなく、圧縮空気弾の魔法を彼へと放ってきている。
達也は走りながら空気中に生じる事象改変の気配に神経を張り巡らせ、“術式解体”であるサイオンの砲弾をそこにぶつけて将輝の魔法が顕在化する前に潰すということを繰り返しながら、300メートルの距離を一気に駆け抜けようとする。
と、ここで将輝がシンヤに対しても攻撃を仕掛けてきた。実際にそちらに目を向けなくても、将輝の反応でその成果が芳しくないことは分かった。
大気中での光の屈折を利用して生み出された複数の虚像を攻撃しても、水面に映る景色の様に波紋が立つだけである。
(バトル・ボード決勝戦でほのかが使ったのと同じのをインストールしたが、まさかここまで使いこなすとはな……)
これには達也も内心で秘かに驚嘆を覚えた。
しかし、シンヤに攻撃の手を割いていることで、こちらへの攻撃が若干緩んだ。当然その隙を突いて、達也は一気にフィールドを駆け抜けて将輝との距離を大きく縮めた。それに気づいた将輝が初めて焦燥の表情を浮かべながら、シンヤへの攻撃を諦めてこちらの対処に集中する。
それによって、残り50メートルを切った段階で達也はとうとう将輝の攻撃を捌ききれなくなり、襲いかかる砲弾をなんとか避けた。
(……やむを得ん)
達也は遂に“精霊の目(エレメンタル・サイト)”を使った。これで死角はなくなったに等しいが、本当にこれを使う事になるとは思っていなかった。それほど将輝が強いのだろう。今、達也の前には分厚い壁が立ちはだかっている。
“精霊の目”を使用したのに気がついたのは深雪とシンヤ、風間や響子達独立魔装大隊の面子、それと九島老師だった。
現在観客席には響子と山中が座っていた。
「とうとう誤魔化しきれなくなったな」
「不謹慎ですよ。いくら達也君でも五感だけで一条の跡取りの攻撃をさばくのは無理があります」
「……だな。それにこの状態なら第六感と言い訳がつくか?」
「はい。問題ないと思いますよ」
「だがそこらの有象無象の目は誤魔化せてもあちらの御仁まで誤魔化せるとは思ってないぞ」
山中が視線を向けたのは興味深く試合を観戦している九島老師の姿があった。
響子はチラッとそちらに視線を向けたが、すぐにフィールドに視線を戻した。
(それにしても、例の彼のあの戦い……確かにカーディナル・ジョージが使う“不可視の弾丸”対策としては実体のない幻影は有効的かもしれませんが、それなら光学迷彩で姿を完全に消せば不意をつけるはずなのにどうして……?)
距離を空けてシンヤを迎え撃つ真紅郎が、得意魔法の“不可視の弾丸”を放つ。
しかし捉えたのは虚像であり、当たった箇所に波紋が立ったのを見て、真紅郎は悔しそうに舌打ちをする。
(まさかここまで対策を練ってくるとは……やはり君は一筋縄ではいかない相手なんだね)
自分の得意魔法にこれほどまで対策を練られていた事に素直に感動し、真紅郎は視線を一瞬達也へと向けた。
しかし、いつまでも悔しがってはいられない。横から自身を目掛けて、突きの構えを取るシンヤの姿が見えたからだ。
真紅郎は反射的に移動魔法を発動し、大きく後ろへとジャンプすることでそれを避けた。ところがそれも“蜃気楼”が生み出した虚像であり、横から来ると思っていた刃が実は前から来ていた。
「ぐっ――!」
刃が真紅郎の鳩尾辺りに激突し、彼は肺から空気を絞り出すような苦痛の声をあげて片膝をついた。いくら防護服を着ているとはいえ、急所に伝わる衝撃とそのダメージはかなりのものだ。
真紅郎が苦悶の表情で正面へと顔を向けると、マントに掛けた魔法を解いて姿を表すシンヤと目が合った(シンヤはバイザー越しだが)。
(僕が後ろに飛んで避けることを、読んでいたのか……)
普段から将輝のブレーンを自認し、実際に今回の九校戦でも作戦スタッフの役割もこなしていた自分が、まんまと相手の読みに嵌って攻撃を食らう。
ただ単に攻撃を受けた以上のショックが真紅郎に襲い掛かるが、それでも彼の思考が止まることは無かった。
実体を表したシンヤに向けて、今度こそ“不可視の弾丸”を放つために魔法を発動する、まさにその直前、
がこんっ。
「――――!」
突然背後から聞こえてきたその音に、真紅郎は顔を引き攣らせてバッと後ろを振り返る。
三高のモノリスが開き、勝利条件である512文字のコードが晒されていた。
「なんで――」
真紅郎は思わず疑問を口にするが、モノリスが開くなど鍵となる専用の無系統魔法を10メートル以内の場所から放つ以外に有り得ない。そして達也が将輝と魔法を撃ち合い、シンヤが今まさに自分と戦っていたのだから、その犯人は残る1人の一高選手以外に有り得ない。
現にモノリスから10メートルほど離れた場所に、その一高選手・幹比古がいた。そしてディフェンス役を請け負ったチームメイトが、今まさに彼に気づいたような反応で戦闘を仕掛けているのが見えた。
(いつの間にあんなところに……まさか!)
将輝を引き付けている達也も、自分と対峙しているシンヤも、全ては幹比古をモノリスに接近させるための囮でしかなかったのだ、と。
ド派手な魔法の撃ち合いや虚像による攪乱を繰り広げる2人の選手に目を奪われて、おそらくこの場にいるほとんどが一高のモノリス付近にいると思い込んでいたディフェンダーのことなど気にも留めていなかった。目の前の選手に集中していた将輝も自分も、いつの間にか彼の存在が頭から抜け落ちていた。
それに真紅郎がようやく気づいた時にはすでに遅く、直後に飛んできた刃に対応できずに意識を奪われた。
「モノリスが開かれただと――!」
三高のモノリスが開かれたという事実は、達也を追い詰めていた将輝にも大きな衝撃を伴って伝わった。なぜそんなことになったのか真紅郎ほど細かな分析ができたわけではなかったが、それでも自分達が相手の策にまんまと嵌ってしまったことは理解できた。
『おおーと!吉祥寺選手、自陣のモノリスが開いたことに戸惑ってる間に有崎選手の攻撃でダウン!』
「なっ!?」
実況の言葉を聴いて、真紅郎がいる方を向く。そこには地面に力なく倒れ伏した真紅郎と、モノリスの方へと駆けていくシンヤの姿があった。
(ジョージがやられただと!?)
将輝はギリッと奥歯が鳴るほど強く食い縛って悔しさを露わにし、CADをシンヤに向ける。
そんな隙を達也が見逃すはずもない。彼は鍛え抜かれた体術を駆使して、将輝と達也との距離を一気に5メートルほどまでに縮めた。達也の体術ならば一投足の間合い、一投足を必要とする間合いだ。
将輝の表情に紛れも無い恐怖が浮かんだ。実戦経験のある将輝にとって、達也の動きは恐怖以外の何でもない。
将輝は動揺して魔法を放つ。あまりにとっさのことであったため、加減を忘れ、無数の魔法式がシンヤと達也の周りに展開する。
敵を排除すべく行使された魔法は、レギュレーションをはるかに超えた圧縮空気弾……。
(しまった!)
ルールを逸脱した出力で魔法を発動してしまったと気づいた時には。
(殺してしまう!)
もう遅かった。
♢♦♢
まずいな。
一条の跡取りであるために威力も桁外れ。当たってしまえば、無傷で済まされない。凡人なら最悪死んでしまうリスクもある。
今から“情報強化”を引き上げたとして間に合わない。それに危険なのは達也の方もだ。
達也はアクロバティックな動きを見せながら、今までとは比べ物にならないスピードで次々と“術式解体”を放って一条の魔法を無効化していっている。だがそれも時間の問題だ。
……仕方ない。あれを使うか……せめて誰にもバレ無い程度で収まれば良いが…。
意を決したオレは空中から発射された圧縮空気弾の雨に向けて、空いた掌を突き出した。
♢♦♢
草原ステージに爆音が鳴り響く。爆発の衝撃で砂埃に包まれた達也とシンヤと将輝。
それを見て将輝は自分の行いを深く後悔する。二人の魔法師人生を奪ってしまったかと思うと悔やんでも悔やみきれない。
後悔のまま、うつむきそうになるが、後ろから彼の耳元にヌッと差し出された手によって止められた。
「えっ?」
か細い声と共に視線を向けると、そこには先程自分の過剰攻撃を食らったと思われていた達也が平然と立ち、こちらに腕を伸ばしていた。その手は親指と人差し指の先端をくっつけ、今にも弾かれようと力を溜め込んでいる状態だった。
将輝が反射的に足を引いたその瞬間、音響手榴弾に匹敵する破裂音が達也の指から放たれた。鼓膜の破裂と三半規管のダメージによって将輝は意識を刈り取られ、彼はその場に崩れ落ちた。
会場は大きくざわめき、混乱する。いったい何が起こったのかがわからない観客たち。
砂埃が徐々に晴れていき、ステージの様子が明らかになっていく。そこに血だらけで倒れ伏すシンヤと達也の姿はなく、地面に倒れ伏したまま動かなくなっている将輝と、彼の傍で膝をつく達也、そして少し離れた場所でボロボロの有様で小通連を杖代わりにしてなんとか立とうとしているシンヤの姿があった。
「いまの……なに……」
一高の天幕では、真由美があまり意味の無い呻き声を出していた。誰も答えようのない光景だったのだから、誰かに答えろという方が無茶なのだが。
「……指をならして音を増幅させたのだろう」
「そうですね……単純な起動式ですので、魔法の高速発動が苦手な司波君でも出来たのでしょうね」
「そんなの見れば分かるわよ!」
克人や鈴音の答えは、真由美のほしがっていた答えではなかったのだ。
「だから何で二人は無事なのよ!達也君の迎撃は……“術式解体”は間に合わなかったはずよ!?少なくとも二発は直撃したはずよ!?それにシンヤ君の方も一条君の過剰攻撃を受けてあの程度で済むのもおかしいわよ!」
「七草、落ち着け」
最初はまだ理解しきれていなかったのだが、疑問点を口に出したら理解が追い付いてきたのか、真由美はだんだんとヒステリックになっていき、それを、どっしりとした声で克人が宥めた。
「俺にもそう見えたが、現実に二人は無事で、司波が敵を倒した。こうして見る限り、自分が放った音響攻撃にダメージを受けているだけで、それ以上の怪我はない」
「でも……」
「司波は古流の武術に長けているとか。古流には肉体そのものの強度を高める技や、衝撃を体内で受け流す技もあると聞く。それに有崎の方はさっきまで幻影で相手をかく乱した。おそらくは、その類だろう」
「…………」
克人の言葉に納得した様子ではないが、真由美はとりあえず落ち着きを取り戻したようだ。
「……そうねゴメンなさい。それにまだ試合は終わってなかったわね」
真由美は、スクリーンに映し出されている二人を見つめた。
(ま、将輝が、負けた…?)
爆音でばんやりながらも意識を取り戻した真紅郎が最初に目にしたのは、彼にとってそれは信じられない光景だった。
将輝が負けるなど絶対ないと思っていた。決して起こらない出来事だと思っていた。
だが実際に将輝は地面に倒れ、達也は膝を付いているが、眼には強い光を宿していた。
「ぐあっ!」
「――――!」
そんな彼の耳に、チームメイトの悲鳴が届いた。ハッと我に返って自陣のモノリスの方を向くと、三高モノリスを開いた張本人である幹比古の正面で、チームメイトが地面に倒れ伏したまま動かなくなっている光景が飛び込んできた。
一高は全員が生き残り、三高は自分以外全滅になってしまった。三人を相手に勝てる見込みがない。だがそれでも一矢報いようと真紅郎は立ち上がろうとするのと、幹比古がこちらに目を向けるのが同時だった。
幹比古はCADを操作して一気に五つの魔法を発動させる。古式魔法という事もあって、真紅郎は必要以上に慌てた。彼の頭には草を動かして足に絡ませるなどという魔法は無かったのだ。
もちろん草を動かしたのでは無く、気流を操作して動かしているのだが、その事が分からない真紅郎は必要以上の力で上空に飛び上がった。そしてそれは、かなり隙だらけだった。
「しまっ!?」
幹比古が上空に仕掛けた電撃魔法“雷童子”が発動。
真紅郎を撃ち落すように雷が落ち、彼は地面へと撃ち落とされた。
(ごめん将輝……僕たちの完敗だ……)
「……勝ったの?」
「……勝った、と思う」
目の前で起こっている出来事であり、実際にこの目で見ているにも拘わらず、ほのかの呟きは疑問形だった。そしてそれに対する雫の答えも、とてもあやふやなものだった。
それが合図だった。誰かが歓声をあげたのを皮切りに、まるで水面に石を放り込んで出来た波紋のように、一高生の間でみるみる歓声が広がっていき、やがてスタンドを揺るがすほどの叫び声となって歓声が爆発した。それはあまりにも無邪気で純粋に自分の気持ちを表すものであり、同時に敗者である三高生を打ちのめす残酷なお祭り騒ぎであった。
だがその騒ぎも、1人の生徒によって唐突に終わりを告げる。
応援席の最前列に座り、両手で口を押さえながら無言で嬉し涙をぽろぽろと流す深雪の姿に、周りの生徒達は叫ぶのを止めて彼女を祝うように拍手をした。
その拍手はやがて一高の応援席を超え、敵味方の区別無く、激闘を終えた選手を讃える拍手となって会場中に鳴り響いていった。
選手がフィールドを去った後も興奮冷めやらぬ様子で騒がしい観客席の中で、愛梨と栞は表情を強張らせていた。ちなみに沓子が「さすがシンじゃ!」と騒いでおり、隣の佐保は気づいていない。
「……栞、さっきの見えた?」
「ええ、一瞬だったけど」
スーパーコンピュータをも凌駕する演算能力と、見た物を瞬時に数式化する「目」を持った栞には爆発の瞬間に何が起きたのか見えていた。
「まず結論を言うと一条君の過剰攻撃は二人に当たっていなかった……正確には当たる前に爆発したのが正しいわね。だから二人共無傷とは言えないけど死なずに済んだ」
「……けど、どうして当たる前に爆発したの?」
「……あの時、彼は掌を空気弾に向けて突き出していた。おそらくその時になんらかの強い衝撃波が発生して全て相殺したと思う」
「――――、そう」
栞の言う“彼”が誰を指してるのか愛梨にはわかっており、同時に戦慄していた。
衝撃波を発生させる魔法は確かに存在する。だがそれを瞬時に発動させ、かつ十師族の一員である将輝の過剰攻撃を全て相殺させるとなると……その魔法師に十師族かそれ以上の魔法力が要求される。
つまり……
(有崎シンヤ……貴方はいったい何者なの?)