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シャバの「普通」は難しい 作者:中村 颯希

シャバの「友情」は悩ましい

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34.シャバの「友情」は悩ましい(6)

頭髪の量が相対的に少ないことに関する言及、また、毛髪損壊描写があります。

閲覧ご注意ください。

チェルソは、不自由な身で、エルマに向かってなにかを叫ぼうとしたが、それよりも早くひゅっと伸びた蔓で猿轡を噛まされ、あらゆる言論を封じられた。


「いつでも任意同行いただけるよう、スタンバイしておきました」

「なにそれえええええ!」


 飽和する解決済み感に、一同は仲よく絶叫した。


「登場の仕方もさることながら、チェルソ卿……その姿は……」


 ついで、顔を真っ赤にしてもがくチェルソの姿を見たグイドは、思わず言いよどむ。

 全身としてひどい状態と言えたが、視線は自然と、頭部へと引きつけられた。


 数少ない毛髪が、それでも健気に揺れていたはずの頭皮。

 なのにそれが、地面を引きずられた影響なのか、まるで豊かに茂る周囲の緑と反比例するかのように、ごっそりと無くなっていたのだ。


 いや――厳密に言えば、すべてが無くなったわけではない。

 ちょうどてっぺん、滑らかな頭皮がひときわ輝く辺りに、一本だけ、最後まで足掻くチェルソ自身を象徴するかのような毛が、ゆらゆらと揺れていた。


「は……、放さぬか……っ、放さぬか、この魔性めがぁああ――むぐ!」


 激しくもがき、とうとう猿轡を外したチェルソが叫ぶ。

 が、それは最後まで紡がれることなく、むっとした感じで動いた蔓によって彼は頭部をはたかれ、再び猿轡を噛まされた。


 ――ぷつ……ん。


 果たして最後の一撃のせいなのか、どうなのか。

 静かな断末魔を響かせて、最後の毛髪がはらりと落ちてゆく。


「むぐぅううううう!」


 口を封じられながらも、絶叫を上げているらしいチェルソから、一同はなんとなく目を逸らした。

 ひとまず無力化されているようだし、それよりも重要な追究対象(ツッコミどころ)が目の前に山積していたからだった。


「こ、この植物群は、いったいどういうメカニズムで動いているんだ……!?」


 話題を変えたかったわけではなかろうが、詠唱もないのに、健気にエルマに尽くす植物たちを見て、ラウルが声を引き攣らせる。

 問われてみて初めて異様さに気付いたというように、エルマは首を傾げた。


「そういえば……特に『お世話』をしたわけでもないのに、なぜでしょうね。――ああ、先ほどの『誰でもいいから助けて』という願い(・・)が、まだ発動中なのでしょうか」


 ふと洞窟の入り口付近に視線を転じれば、100%植物製の「動く歩道」はまだまだ元気に脈動中で、続々とぐるぐる巻きの人間を運び込もうとしている。


 その中には、恐慌状態に陥っているクロエや、ジーノといった有力な候補生たちの姿もあった。

 どうやら、植物たちに「役に立ちそう」と判断された人間は、手当たり次第に巻き込まれている様子である。


「お……おい! エルマ、止めろ! 今すぐその願いを中断してくれ! でないと、いずれルーデンや大陸の裏側からでも、こいつら、誰かを引きずり込んでくるんじゃないか!?」

「え? あ……そうですかね。え……ですが、救いを求めるのをやめるって、どうすればいいんでしょうか? 『もう結構』……?」


 危機察知能力に優れたルーカスが叫ぶと、エルマは曖昧に頷きながら、それっぽい言葉を口にした。

 途端に、蔓は「ぺいっ!」と言った感じでクロエたちを吐き出し、今度こそ大人しく去っていく。


 エルマはそれに手を振って見送りながら、したり顔で頷いた。


「なるほど。助けを求めるという行為は、中断もできるのですね」

「そうじゃないだろう!」


 ルーカスが両手を頭に突っ込むが、エルマはきょとんとするだけだ。

 一方、強引に呼び寄せられた形のクロエたちは、呆然と周囲を見回していた。


「エ……エルマお姉様……? いったい、これは、どういう……」


 彼女たちは混乱しきりといった様子である。それもそのはず、聖術師の部で倒れたエルマを心配し、保健室へと向かおうとしていたところを、いきなり植物群に襲われるようにして、この地下聖堂へと連れてこられたのだから。


 クロエは、ひとまず現状を把握しようとするように、周囲にこわごわと視線を向けた。


「攫われる過程で、ここがセルモンティ山の地下だということは理解しましたが……この場所に、まさかこんな壮麗な聖堂があったなんて……」


 主要教会にしかないような巨大なアウル神像に、堂々たる祈祷布。

 繊細な壁の彫刻に、ステンドグラスに勝るとも劣らない植物による彩色。


 ただ、その床の片隅に転がる「あるもの」を視界に入れて、クロエは顔を強張らせた。


「あ……あれは、……遺体、ですか……?」


 アウル神像の真下、かすかな聖術陣の跡が残った、古びた方の祭壇。

 先ほどチェルソが立っていたその場所には、咲き誇る花々に隠れるようにして、干からびた人間の体が転がっていたのである。


 皮膚は乾燥し、ほとんど骨に張り付いている。

 白骨化も、腐蝕もしていないが、見るに堪えない、無残な姿だった。


「――……っ! レナート!?」


 はっと息を呑んだグイドが、素早く駆け寄る。

 彼は、誰もが厭うだろう状態のその体にためらいなく腕を伸ばすと、震える手で、その顔に触れた。


「レナート! レナートなのか……!?」


 骨格がそのまま浮き出た顔。色あせてしまった髪。

 しかし、親友の面影を辿るように、グイドは何度も何度も、その顔を撫でた。


 それから、胸元に穴の開いた制服を隠すように、そっと「彼」の全身を抱きしめた。


「レナート……!」


 青灰色の瞳には、今、悔恨の涙が滲んでいた。


 俗世とのかかわりを絶ったのだと思っていた親友。

 許されなくていい、せめて、一言詫びを告げたかった。


 かつて交わした誓いを破ってしまったことを謝り、せめて、彼が安心して世代交代できるよう、懸命に育て上げた生徒たちを、披露したかったのに――。


「くそ……。くそ……! レナート……なぜ、おまえが、こんな姿に……っ」


 寡黙な男が浮かべる涙に、イレーネたちもぐっと唇を噛み締める。

 グイドは、きつく眉根を寄せ、その顔をレナートの首元へとうずめた。


「すまない……。すまない……! レナート……恨みごとでも、罵倒でもいい。せめて、もう一度、おまえの声が聞きたかった……っ」


 掠れ、震える言葉。

 だが、それを、あっさりとした少女の声が遮った。


「え。聞けばよいのではございませんか」


 エルマは、怪訝な眼差しで、レナートの体が横たわっていた、古びた聖術陣の辺りを指さした。


「その陣、仮死(・・)状態にした肉体から、魂を切り離して歪める術式ですよね。レナート様、別に亡くなられていませんけど。そんなことをしたら、害霊(たましい)を維持できるはずがないではございませんか」


 彼女はむしろ、「縁起でもない」とグイドを非難するように一瞥し、それからラウルに向き直った。


「ねえ?」


 ねえと言われても。


 ラウルは口をぱくぱくさせたが、遅ればせながら古びた陣をじっくり検分し、エルマの主張が正しいと理解すると、いよいよ唸り声を上げた。


「いったい……なぜ一目見ただけで陣の解読ができるというんだ……? やはり君、相当な聖力保持者、そして聖術使いなのではないのか……!?」

「ですから、そのようにご大層な力など持ち合わせておりません。陣そのものは、古代アウレリア語さえわかれば、聖力が無くても読み書きできるではありませんか。この陣の解読くらい、誰にでもできることかと」


 当代一聖術に精通しているはずの自分でも解読しにくい陣を、あっさりそんな風に評され、ラウルが白い灰になる。


 使い物にならないラウルの代わりに、エルマはちゃきちゃきと行動に移った。

 彼女はまず布袋から聖水を取り出すと、それに指を浸し、陣をすらすらと書き換えた。


「まずは、この部分、肉体と魂を切り離させる文言を書き換えてですね」


 途端に、ごおおおおおっと風が唸り、グイドの腕の中の体に大量の砂――害霊となっていた魂が引き込まれてゆく。

 ついでエルマは、すちゃっと小瓶を取り出し、それをレナートの体に振りかけた。


「ここでちょっと科学の力にも頼ってしまうのですが、【貪欲】の兄直伝・細胞を蘇生する薬液を加えることで、時間の短縮を図りつつ」


 みるみる、干からびていたレナートの体が、人体本来の瑞々しさを取り戻しはじめた。

 そして最後に、エルマはクロエの方へと微笑みかけた。


「あとは仕上げに、クロエ様お得意の、育成の歌声を披露していただければ――さん、はい」

「え……っ? え、ええと、『光あれ (かつ)えた体に 恵む祈りよ』……っ?」


 戸惑いながらクロエが一節口ずさむと――


「…………ぅ」


 すっかり元の姿を取り戻したレナートが、ゆるりと瞼を持ち上げた。

 しかも、三十年前に封じられた少年のままの姿だ。


「わ……私、は……?」

「な……――!」


 グイドは瞠目し、口を半開きにした。

 衝撃のあまり涙を吹き飛ばし――けれどまたすぐに、じわりと目を潤ませた。


 今度は、歓喜の涙だ。


「レナート……!」


 グイドは強い力で友を抱擁し、苦しんだ相手が悲鳴を漏らすという、微笑ましい図が展開される。

 クロエやジーノは呆然として、ルーカスは遠い目になって、そしてイレーネは「おじショタも、アリかも……」という腐った目で、それを見守った。


 しばらくその場は、感動と困惑と腐が不思議にミックスされた空気に支配されていたが、やがて、親友がいつまでも黙っているままなのに気付いたジーノが、そっとラウルの肩を叩いた。


「おい……ラウル。大丈夫か? さっきからおまえ、随分静かだけど」

「……大丈夫なわけが、あるものか……」


 ややあって、ラウルは額に手を当て、力ない口調で応じた。


「息も継がせず襲ってくる奇跡と価値観破壊に、僕という人間は、どう立ち向かえばいいのか……」


 もはや、息も絶え絶えといった様子である。

 聖術に精通した彼だからこそ、今この現状が、どれだけ異様なのかを理解することができてしまった。


「一声で大地を動かす力……それも、魔力でも、通常の聖力でもない、秘められた力……? 一目で陣の構造を解し、指の一振りでそれを書き換え、薬液の一振りで人体を蘇生する……。もう、めちゃくちゃだ……ツッコミどころのオンパレード、彼女は、常識の破壊神だ……」


 ラウルはその場にしゃがみこみ、膝の間に頭をうずめた。


「……僕が目指してきたものとは、なんだったんだ……」


 破壊された価値観の中には、長く彼が拠り所としてきた、トリニテート入りの夢も含まれていた。


 憧れだった聖術師の身分とは、権力に狂った枢機卿に食い物にされるための存在に過ぎなかった。

 トリニテートにさえなれば、下級貴族の三男坊でも国の一角を動かせるという野望は、ラウルたちを都合よく動かすために用意されたまやかしでしかなかった。

 しかも、裏で糸を引いていたはずの黒幕は、あっさりと退治され、今はもごもごと力なく蠢いている。


 トリニテート入りは、つまらない人生を歩むしかないはずだった自分が、初めて抱いた夢だった。

 初めて意志を宿し、初めて闘志を燃やした。いつも瞳を輝かせている友人たちと、同じように。


 なのに今は――もう、なにを信じていいのか、さっぱりわからない。


「当代一の聖術使いだという自負も、この国を動かしたいという野望も……。僕はもう……すべてが、ばかばかしい」


 力なく項垂れたラウルに、誰もが同情の視線を向ける。

 そんな中にあって、彼の精神的支柱を折り去った当の本人が、朗らかに声を掛けた。


「なにを仰います。この国の中枢を掌握したいということでしたら、今がチャンスではございませんか」


 エルマは、なんの含みもない口調で、穏やかにラウルへと微笑みかけた。


「このたびの件で、チェルソ卿は凋落せざるを得ませんから、ここは、若くして希代の聖力を持つラウル様の出番でございます。今回の不祥事に付け込めば、学院でも宗教界でも好き放題。トリニテートなどという、世俗とのかかわりを絶たれる不思議な慣習を廃したうえで、堂々とアウレリアの権力基盤に食い込めますね?」


 爽やかな口調で、言っていることはえぐい。

 だが、ラウルは思ってもみなかった可能性を提示された、というように、ぱちぱちと目を瞬かせた。


「――…………」


 下級貴族がアウレリアで昇り詰めるには、トリニテートという飛び道具を使うしかないと思い込んでいたが、不祥事を糾弾した英雄役として名を馳せるという、さらに飛び道具的展開があったのだ。


「だとしたらさ……」


 そこに、躊躇いがちに声が掛かる。

 振り向けばそれは、ぽりぽりと頬を掻いたジーノだった。


「そっちのが……よくね?」


 彼は、押し黙ったラウルに、弁明するかのように両手を突き出した。


「いや、だってさ、トリニテートにならなくても、欲しいもんが手に入るんなら、そりゃあ、シャバと縁を切らずに過ごせるほうがいいじゃんか」

「…………」

「俺、さ。あのしみったれた故郷や親なんてどうでもいいって思ってたけど……やっぱ、いいところもあるもんだと、最近思ったし。トリニテートにでもなんなきゃ、おまえやクロエと対等になれないと思い込んでたけど……そんなんなくても、俺には誇れるもんがあるって、わかったし」


 ジーノは、腰に佩いたままの剣を無意識に撫でて、続けた。


「下町出身でも、俺は俺でさ。ついでに言えば、妾の子でも、クロエはクロエで、穀潰しの三男坊でも、おまえはおまえなんだよ。別に身分(トリニテート)の後ろ盾が無くても、俺たちには俺たちなりの力があって、それでもって――」


 やんちゃそうな顔が、少しばかり照れたように、笑みを浮かべる。


「身分なんかに押し固めてもらわなくたって、俺たち、ずっとダチじゃん?」

「…………」


 ラウルは一瞬、ほんの少しだけ、泣きそうになった。


 自分がなぜトリニテート入りにこだわっていたか。

 それは、権力だとか、初めての夢だとかいうことはもちろん――単純に、この友人たちと「一緒にいたい」と思っていたからだと、今になって思い至ったからだ。


 トリニテートになれば、ずっと一緒。


(……そんな年でも、あるまいに……)


 苦笑が漏れる。


「……そうだな」


 ラウルは、しゃがみこんだまま泣き笑いのような笑みを浮かべ、それから片手を上げた。


「その通りだ」


 以心伝心、といわんばかりに、ジーノが笑ってラウルを引っ張り起こす。

 向き合った二人は軽く口の端を持ち上げると、握った右の拳をぶつけ合った。


 イレーネの口から、「尊い……」というくぐもった呟きが漏れた。

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