魔法科高校の事なかれ主義の規格外(イレギュラー) 作:嫉妬憤怒強欲
多くの子どもが『真っ白い部屋』に居た。
皆が皆ヘルメット型のCADを被り、送られてくる大容量の起動式を脳内で読み込み、魔法を発動するためにただひたすらに魔法式を構築する。
無駄なものは一切何もなく、この部屋にあるのは、事象改変を検知するための観測装置と、サイオン測定器と──オレを含む53人の子どもたちだけ。
難しい式を、彼らは難しい顔で組み立てていく。
時には頭を抱え、時には苦悶の声を上げ、時にはCADを放り投げる者も居る。
窓の向こう側には白衣を纏った大人が数名居て、被験者の表情、仕草、サイオン量、はてには心拍数すらも監察している。
内界と外界は完全に絶たれていて、境界線を超えることが出来る者は一握りの権力者だけ。
どれだけの時間が経っただろうか。
やがて、一人……また一人と子どもは減っていく。
時間の経過が過ぎる程に、被験者の数もまた比例して減っていく。
泣き出す者が居た。
怒り出す者が居た。
困惑する者が居た。
絶望する者が居た。
現実を受け止める者が居た。
現実を受け止められない者が居た。
前、後、右、左。
この世界から彼らは音もなく消えていく。まるで、最初からそこには誰も居なかったかのように……真っ白い空間だけが代わりに生まれる。
その中でオレは、ひとり黙々と事象を改変していった。
人が消失していくのは知覚していた。だがオレは、彼らの消失に何も思うところがなかった。否、それは誇張だろう。
──……ああ、また居なくなったんだな。
頭の片隅でそんなことを思考するが、それも一瞬。感情は通り過ぎ定着はしない。すぐに『無』に帰る。
いつしか室内に居るのはオレだけになっていた。
──…………嗚呼、またか。
何度目かの結果に心の中でため息を零す。無論、手は動かし続ける。
すると机に影が出来る。誰かが内界に侵入してきたのだ。
「■■■」
この窮屈な部屋で、オレの名前を呼ぶ者はたった一人だけ。
だがオレは特に反応を返すことはしなかった。
何故男がオレを呼んだのか、何を話そうとしているのか。その全てがどうでも良かったからだ。
無反応を示すオレを見ても、男が機嫌を悪くする気配は感じられなかった。
むしろオレが顔を上げでもしたら、男はどうするのだろうか。その点については些か興味が湧いたが、浮上した好奇心という名の感情はすぐに沈められる。
「■■■、よく覚えておけ」
再度オレの名前を呼んでから、男はそう言った。
そこでようやくオレは顔を上げ、彼の顔を静かに見つめた。
声色、息遣いから分かっていたが、その男はオレが知っている男だった。既知の間柄と言えなくもないが、だからといって相手することに特別な喜びは感じられない。
顔を上げた理由はただ一つ──『命令』だからだ。
この空白の部屋の中では、男の言うことは絶対的なものであり、何人たりとも逆らうことは赦されない。
互いに無感情な表情で互いの顔を凝視する。
やがて、男は言った。
「──『力』を持っていながらそれを使わないのは、愚か者のすることだ」
♢♦♢
微睡み。
僅かな振動によって、オレはおもむろに瞼を開けた。
脳が働き、意識が急速に冴えていく。
朧気だったものの輪郭がしっかりとした線になり存在を浮き彫りにしていくまで、そこまでの時間は掛からない。
すると突然肩を揺すられる。
「おーい。シンヤくーん、起きろー」
オレはぱちくりと何度か瞬きしてから、声主を視認した。
タンクトップにホットパンツという健康的な肢体を惜しげもなく晒すファッションに身を包む少女・千葉エリカだ。
「起きた?」
「…………ああ、もう着いたのか?」
「そうだよ。美月たちももう降りてるから荷物運ぶの手伝ってー」
「わかった」
乗っていたリニア式小型車両、通称キャビネットから降りる。
「…………大きな建物だな」
「そりゃそうだよ。なんてったって明後日ここで九校戦が行われるんだから」
そう、オレたちは現在、九校戦の会場となる富士演習場前にいた。
経緯を簡単に説明すると、九校戦の発足式を終えてすぐ、エリカからオレたちに『九校戦の間、住み込みのバイトをみんなの応援がてらやらない?』と誘いがきて、すぐに了承した。
友人となにかをやるということを経験したことがなかったオレは、前日の夜はワクワクしてあまり眠れなかった。
初の遠足気分を味わったこともあり、皆と一緒にキャビネットに乗り込んで会場に着くまでの間にいつの間にか居眠りしてしまった。
九校戦の会場となる富士演習場には、視察に来た文官や会議のために来日した高級士官などが宿泊するためのホテルがあり、代表選手や関係者はそこに寝泊まりすることになっている。民間の高級なホテルと変わらない外見をしているが一応軍の施設であり、さらに高校生の大会ということもあり、ドアマンや専従のポーターなどといった者はよほどVIPな来賓者でもない限り存在しない。
現在ホテルの入口前では、遠路はるばるやって来た選手や関係者達が自分達で車から大荷物を降ろし、そして自分達でそれを運ぶ光景が見える。
「ほら、みんな! 早く来ないと置いてくよ!」
そんな大勢の人で溢れかえる入口前を目指して意気揚々と大股で歩くエリカ。何も持たない身軽な腕をブンブンと大きく振り回し、後ろからついてくるオレたちを鼓舞するように呼び掛ける。
「おい、エリカ! 自分の荷物くらい自分で持ちやがれ!」
そんな彼女のすぐ後ろを歩くのは、どう見ても彼の所持品ではない女物のバッグを含んだ大量の荷物を抱えるレオ。両肩と両腕にのし掛かる重さに悪態を吐いているが、さすが鍛えているのか体がよろめくことは無くしっかりと大地を踏み締めて突き進んでいく。
「…………ほらレオ、オレも少し持つ」
「お。助かるぜシンヤ」
とはいえちょっとかわいそうなので、レオが抱えてる分のいくつかをオレが代わりに受け持つことにした。
「大丈夫ですか、吉田くん……?私も少しくらいは持てますよ?」
「平気だよ、柴田さん。これでも鍛えてるからね、これくらいの荷物は大丈夫さ」
オレ達の後ろから少し離れて歩くのは、美月とつい最近オレたちと連むようになった二科生・吉田幹比古。彼の言葉通り二人分の荷物を運ぶこと自体に苦は無さそうで、体をよろめかせるといった様子も見られない。
ちなみに今の美月はキャミソールのアウターに随分と短いスカートと、露出こそエリカより少ないものの豊満な胸のせいで却って扇情的に見える格好をしていた。念のために聞いてみると彼女にその自覚は無く、エリカに『堅苦しいのは駄目だ』と唆されたようだ。
エリカ、恐ろしい子!
「それにしても、よくホテルの部屋が取れたな。ここは関係者以外泊まれないんだろ?」
「そりゃアタシは関係者だもん。何てったって、“千葉家”だからね」
…………成程。
エリカが生まれた千葉家は、十師族を含む28の家柄に次ぐ位を持つ“百家本流”の1つに属する数字付きだ。しかも千葉家は自己加速・加重魔法を用いた白兵戦技の名門であり、警察や陸軍の歩兵部隊に属する魔法師の大半が彼らの指導を受けている。
つまり実戦部門に関するコネという点では、ある意味十師族以上の権勢を有しているのである。
「……しかし意外だな」
「ん?なにが?」
「いや、エリカはそういう実家の後ろ盾とか嫌なのかと思ってたからな」
「アタシが嫌いなのは“千葉家の娘って色眼鏡で見られる”ことだからね、コネは利用するためにあるんだから使わなきゃ損でしょ?」
オレの素直な疑問に、チッチッチッ、と指を横に振ってエリカは答えた。
成程。そういうやり方もあるんだな。
と、そんな会話を交わしている内に、ホテルの入口を潜り抜けてロビーへと足を踏み入れ、チェックインが済むまでの間一息吐くのだった。
「それはそうと住み込みのバイトって具体的には何をするんだ?」
「ん~?それは後のお楽しみ」
え、嫌な予感。
♢♦♢
真由美の家事情による遅刻や、送迎バスにトラックが突っ込んで来たりと、多少?のトラブルに見舞われた一高代表たちではあったものの、無事に宿舎へと到着した。
九校戦の性質上、そこで活躍した選手が軍関係に進むことは珍しくない。寧ろ多いと言えるほどだ。国防軍としても優秀かつ即戦力になり得る魔法師を一人でも多く確保したいという思惑から、九校戦には全面的に協力している。
それは会場だけでなく宿舎も同様で、視察の文官や会議のために来日した諸外国の高級士官とその随行員を宿泊させるために使用しているホテルを、生徒と学校関係者の為に貸切の形で提供している。この辺は魔法科高校が国立の教育機関だからこそできる芸当なのだろう。
とはいえ、軍の関連施設である以上、民間の高級ホテルのような専従のポーターやドアマンはいない。本来は基地の当番兵がそれを担うのだが、高校生の大会ということもあって、荷物の運搬は自分たちですべて行うのが原則となる。
作業車両に積まれた大型機器は降ろさないが、小型の工具やCADは微調整の関係もあるので、台車に乗せて運んでいくことになる。その作業をしている1年の技術スタッフと、それを手伝う女子生徒の姿を服部は視界に収めたが、振り払うように振り返ったところで服部の次に降りてきた桐原から声を掛けられる。
「よぉ。何辛気臭い顔してんだ?」
「桐原・・・そんな事はないさ」
「本当か?」
「・・・少し自信をなくしてな」
「おいおい。競技に差し支えるんじゃねーか?」
桐原の言う通り、競技に影響を与えるほどの精神状態はよろしくない。
桐原は2日目のクラウド・ボールのみだが、服部は1、3日目のバトル・ボードと9、10日目にあるモノリス・コードに出場する。その意味で服部の発言は、総合優勝にも影響しかねないような発言であることは、桐原にも理解できていた。
服部は2年でも指折りの実力者―――3年のトップにいる三人に次ぐ実力者である。魔法力主義による主張や二科生に対する態度は桐原でも弁護できないが、才能だけでなくそれに見合った努力もしてきている。そう簡単に自信を無くすような人間でないことは理解している。
「一体何を悩んでるんだ?」
「桐原、俺はあの事故の時何もできなかった」
「ありゃ凄かったな。しかし何もしなくてよかったんじゃねーか?お前まで先輩に怒られるとこだったしな」
「ああ・・・・・・それでも司波さんは正しく対処して見せた」
反対車線を走る一台のオフロード車が一高生を乗せたバスに衝突しそうになった際、三人の生徒が自分達の魔法で事態をどうにかしようと、一斉に車へ向けて魔法を掛けようとしたのだ。
しかしこれらの行動が、事態をより悪化させた。
同じ物に対して無秩序に魔法を重ね掛けしてしまうと、それぞれのサイオン波が干渉を起こして魔法による事象改変力を弱めてしまう。いわばキャスト・ジャミングと同じことが起きるのである。
幸い、深雪と会頭の十文字克人の冷静な対処でなんとか衝突は避けることができた。ちなみにこのときどういうわけか無秩序に発動していた魔法式の残骸が綺麗に消失したのだがそれに気づいてるのは一人だけであるがそれは別の話だ。
「自分たちのできることをしっかり把握していたからこそ、会頭がもしもの時の抑えに回れてた」
「得意と不得意の違いだと思うがな。司波妹は冷却系が得意と聞いてるし」
服部の言葉に桐原は立ち止まって、冷静な事実分析に基づく発言を投げかける。
「―――魔法師としての優劣は、魔法力の強さだけで決まるものではない。魔法の才能だけでなく魔法師の資質まで年下の女の子に負けたとあっては、自信を失わずにいられんよ」
服部は魔法力の優劣によってその人物の魔法師としての能力が決まると思っていた人種だが、それは深雪に咎められ、今尚達也によって証明され続けている。達也で例えるならまずはその眼。あれは危機回避能力を大きく上げる非常に大きい要素であり、アドバンテージになる。例えば判断能力。その眼から与えられた情報を瞬時に理解する理解力、剣道部数人を無傷で抑えた身体能力。
様々なものがあるが、魔法力が圧倒的に劣っている場合はその他の要素全てを含んだ判断能力が勝敗を分ける。そして今回、その判断能力の差も見せつけられたわけだ。
「成程な。でも、そういうのは結局“場数”だからな」
ここにきて服部の悩みを理解しつつ、桐原はハッキリと言い切った。それは桐原自身も経験した4月の一件からして、それを目の前にいる服部と比較する方が酷だと思わざるを得ない。
「場数?実戦経験ということか?」
「ま、そんなところだ。あの兄妹はその点で特別だろう……兄貴の方は、ありゃ“殺ってる”な」
「殺ってる?実戦経験があるという事か?」
「ああ。実際に見たわけじゃねえが、雰囲気がな。4月の一件についてはお前も聞いているだろう?」
あの場所にいたのは生徒会メンバーでも深雪だけ。学校に残っていた服部にもその詳細は知らされていない。七草家と十文字家によって学校を襲ったテロリストを掃除した、ぐらいの情報が真由美から伝わっただけである。
「俺はあの時現場にいた。司波の兄妹もな」
「本当か!?」
「事実だぜ。司波兄は、ありゃヤバいな。海軍にいた親父の戦友たち―――いや、それ以上の殺気をまるでコートでも着込むかのように纏っていやがった。妹の方は分からんが、あの場所についてくるだけの胆力を持ってるのは事実だろうな」
名立たる実力を持っている桐原がそう断言するほどの恐ろしさをあの兄妹は持っている。あの程度の修羅場など既に通過したようなものだろうと桐原は断言した。
「……4月の一件で思い出した。服部、有崎シンヤを知っているよな?ほら、会長と腕組んで一緒に登校してたっていう一年の」
「あ、あれは会長のいつものおふざけだ!…………それで奴がどうした」
「これはマジの話だが、あいつは気を付けろ」
服部が固まった。
その表情に冗談気はない。
「どういうことだ?」
「あいつも一緒にテロリストのアジトに向かってるとき、司波兄の遠回しの”確実に敵を始末しろ”って指示にあいつは真顔で頷きやがった。おそらくなんの抵抗もなく殺れるだろうな」
「……奴も司波と同じなのか?」
「いや、それはよくわかんねぇ」
「わからない?」
「司波兄の殺気はハッキリと感じ取れたんだが、有崎には司波兄みてぇな殺気が感じ取れなかったんだ。それだけじゃねえ、これから死地に行くってのにそんなのなんでもねぇように終始真顔だった。まるで”人形”が目の前にいるかのような感覚だった、と言えば察しはつくか?」
「……有り得るのか、それは?」
そこまで聞いても服部にその実感はない。
こんな小難しい話から現実に引き戻すため、桐原はからかい半分で服部の言葉を口にした。
「しかし、魔法師としての優劣は、魔法力の強さだけで決まるものではない、か」
「何が言いたい?」
「いや、その言葉がお前の口から出たと会長が聞いたら、大喜びするんじゃないか? って思っただけさ」
「っ!?……」
桐原からの爆弾発言に服部は照れていることを誤魔化すように桐原を追い越して歩いていく。その様子にやれやれ、といった感じで彼の後を追うような形で歩いていく。
「一科生や二科生だなんて言ってるが、たかが入学前の実技試験の結果じゃないか。現に二科生でもできる奴は少なくない。今年の1年は特にな」
♢♦♢
一方、達也と深雪は二人でいた。
達也はCADのメンテナンス道具や、小型の機器、工具などを部屋に運搬するために準備をしていた。
手早くそれらを台車に載せて部屋まで押していく。深雪も何も言わず黙って兄の後ろをついていく。
二人は自然と他の生徒達から離れることに成功した。
「やはり先程のあれは、単なる事故ではなかったのですね」
「あぁ。あの自動車の跳び方は不自然だったからな、調べてみたら案の定、魔法の痕跡があった」
達也の言葉に、深雪の表情も自然と引き締まった。たとえ事故を最初から見ていた自分が魔法を知覚しなかったとしても、敬愛して止まない、そして何より彼の“異能”を知る彼女にとって、彼の言うことは絶対にも等しい。
「魔法が使われたのは3回。タイヤがパンクしたとき、車体がスピンしたとき、そして車体が壁を越えて飛び上がったときだ。それらは全て、車内から行使されていた」
「……つまり魔法を使ったのは、その運転手自身だと?」
「そうだ。小規模な魔法を最小出力で瞬間的に発動したから、魔法式の残留サイオンすら検出されない。俺だって、あのときには気づかなかったほどだ。専門の訓練を積んだことで非常に高度な技術を身に付けたんだろう、“使い捨て”にするには惜しい腕前だった」
「卑劣な……!」
肩を微かに震わせて、深雪は憤りを顕わにした。それは犯人に対するズレた同情ではなく、犯人にそれを命じた首謀者の遣り口への怒りだった。
「元よりテロリストの取る手段はそのような非人道的な手段も辞さない。命じた側が命を懸けるなんて事例は稀さ」
達也はそう言って深雪の怒りを鎮める傍ら、首謀者の狙いを考えていた。
優秀な工作員を使い捨ててまで、なぜそいつらは自分達の乗ったバスに攻撃を仕掛けたのか。ターゲットは“バスに乗っていた誰か”なのか、あるいは“第一高校そのもの”なのか。今回の九校戦と何か関係はあるのか――
そこへ横から聞き慣れた声で思考を中断する。
「やっほー、二人とも。1週間振りだね」
「エリカ?」
現代のファッションから言うと、エリカの格好はかなり派手で扇情的だった。並の男子高校生だったら直視出来るか如何か微妙なところだろう。現に通り過ぎようとした一高一年の男子が鼻を押さえて駆け抜けていった。
だが、達也はこの例には当てはまらなかった。
「深雪、俺は先に行くよ」
「えっ、ちょっと達也君?……行っちゃった」
エリカをチラリと見て、そのまま興味無さげにカートを押してホテルの中へと歩んでいく。一般的な女性への興味が薄い彼にとって、エリカの格好は「随分と場違いなものだ」と思うだけなのだ。
「エンジニアの先輩が待ってらっしゃるの。……ところで、どうしてこんな場所にエリカが?」
「何って、もちろん応援だけど?」
九校戦は明後日なのにと疑問に思っていると、エリカの背後から更なる知り合いが駆け寄ってきた。
「エリカちゃん、これ部屋のキー……って深雪さん」
「美月……随分と派手ね」
「えっと、そうでしょうか?」
美月の格好はエリカよりは抑え目だが、持ち前の大きい胸と、肉感的な感じが相俟ってエリカのそれよりも更に扇情的だった。その証拠に複数の男子が鼻血が出そうなのを何とかしようと彼女たちの傍から逃げ去るようにしていく。エントランスを通る男子の殆どが駆け足になっているのを、深雪は気付いていた。
果たしてそれはエリカの所為なのか、それとも美月の所為なのか……もちろん、普通に制服を着ている深雪の所為と言う可能性だってあるのかも知れない……
兎に角、エリカの格好も美月の格好も、青少年には刺激が強すぎるのだ。
「悪い事は言わないからTPOにあった服にした方が良いわよ」
「エリカちゃんに堅苦しいのは良く無いって言われたんですが、やっぱり深雪さんの言う通りかもしれませんね」
「えー、そうかなー?」
ちっとも悪びれもしてないエリカに対し、やっぱり派手だったのかと呟く美月。あまり服装でどうこう言うよりも本題という形で深雪が問いかけた。
「ところで、部屋のキーとか言ってたけど、此処に泊まるの? 良く部屋が取れたわね」
「そこはほら、家のコネよ」
「良いの? エリカはそう言うの嫌いだと思ってたけど」
「嫌いなのは『千葉家の娘』って色眼鏡で見られる事よ。コネはむしろ使ってナンボでしょ」
ケラケラと笑いながら言うエリカを見て、深雪は気持ちが晴れやかになってきたのを感じていた。先ほど兄から聞かされた先ほどの事故、運転手の自爆攻撃だと知ったときの怒りはエリカと美月のおかげで大分収まってきたのだ。
「けど、試合が始まるのは明後日からよ?」
「今晩、懇親会でしょ?」
「?関係者以外は参加できないわよ」
「ああ、それは大丈夫。あたし達も立派な関係者だから」
「?」
♢♦♢
「まさか、懇親会の給仕係のバイトをすることになるとはな…………」
「けど知り合いにこの格好を見られると思うとなんだか恥ずかしいね」
「もう、ミキは気にしすぎなだけだって」
荷物を部屋へ運びいれて滅多に入れない軍のホテルということで、一通り中を探検し終わったオレたちは、懇親会に参加するためにスタッフルームへと向かった。
探検していたときや、スタッフルームに向かう途中で一高の制服に身を包んでいる生徒を見かけたが、見た所知り合いはいなさそうなのでスルーした。
スタッフルームにはホテルの従業員らしき人が一人待機しており、今回の仕事内容と服装についての説明を一通りオレたちに終えると、皿洗い係のレオと美月はコック服を、給仕係のオレ、エリカ、幹比古には給仕服が支給され、五分後その服装で食堂に来るように言い残して去っていった。
そして着替えた後、レオと美月は食堂で裏方の仕事を任されたため別れているが、オレと幹比古とエリカは同じ給仕係のため、ホール近くの控え室で立ち話をしていた。
「…………ところで、オレのだけなんかおかしくないか?」
「えー、そうかなぁー?結構似合ってると思うけどなぁ」
幹比古の支給された衣装は、白いシャツに黒の蝶ネクタイ、黒のベストといったウェイター服だ。
だがオレに支給されたのは、燕尾服――いわゆる執事服だった。
しかも食堂に来た時バイトに来ていた他の人間が着ていたのは全員幹比古のと同じウェイター服だったためとても浮いている。これ一体なんの罰ゲームだよ。
「あ、あはは……ついさっき従業員の人に聞いてみたけど、もうウェイター服は無くて、たまたまあったのを一着支給することにしたみたいなんだ」
「…………幹比古、悪いがお前が着ているのと交換して――」
「ごめん。それは勘弁してほしい」
この薄情者。
「まあまあ、結構様になってるからいいじゃん」
そう言ってニヤニヤとオレの姿を眺めるエリカは、丈の短いヴィクトリア調ドレス風味の制服、つまりメイドを連想させる服装に身を包んでいた。普段は年相応の溌剌とした印象の彼女だが、場所柄を考えてか随分と大人びたメイクをしており、これだけ近くにいるのにまるで20歳を過ぎた大人の女性に見える。ちなみに『ねねね、どう、似合う?』と感想を聞いて来た際、幹比古がまるでコスプレだと口走り、彼女にキツいお仕置きを喰らった。なので二の舞を踏まないようオレは普通に『似合ってる』と返したが少し不満そうだった。女心はよくわからない。
カシャカシャ
「…………エリカ。今何した?」
「なにって、執事姿のシンヤ君を写真に収めたけど?」
「いや何してんだよ」
「だってこういうの撮らないと勿体ないじゃん?」
オレのツッコミをニヤニヤしながら受け流し、右手に持った携帯端末をこちらに向けるエリカ。
端末の画面には執事服を着たオレと、ウェイター姿の幹比古の姿があった。
「ちょ、エリカ!?なんで僕の写真まで!?今すぐ消して!」
「大丈夫だってミキ。後でグループ全員に一斉送信しておくから」
「それもっとダメだよ!あと僕の名前は幹比古だ!」
「じゃあ美月にだけ送信、と」
「そ、それだけは本当に勘弁してくれ!もしかしてさっきコスプレ呼ばわりしたの根に持ってる!?」
幹比古の奴完全に遊ばれてるな。幹比古が必死にエリカから携帯端末を取り上げようとするが、流石はエリカ。軽い身のこなしでひらりひらりと避けていた。フリルで飾られたスカートが、その度にフワリと浮かび上がる。
ちょっと幹比古が可哀想なので少し助け舟をだすことにする。
「なあ、遊んでないでそろそろ行ったほうがいいんじゃないか?」
「おっと、確かにそうだね」
「言っておくが、あとで写真消しておいてくれよ?」
「分かってる分かってるって」
本当に分かってるのだろうか。
「ほらミキ、汗だくの状態じゃマズいから一回顔洗いに行っときなさいよ」
「ぜぇ………はぁ………エリカ、覚えてろよ。あと、僕の名前は幹比古だ」
捨て台詞を吐き、幹比古は近くの手洗い場に向かう。
「……何時も忘れちゃうクセに」
「あんまりとやかく言うつもりはないが、もう少し手加減してやったら如何だ?」
「…………そうね。少し八つ当たり気味だったかな。ミキがこう言うの苦手なの知ってるんだけど」
「怒らせたかったのか?」
「如何だろう?ミキが何か妄執してるのを知ってるからね……屈折してるのを見るとイライラするってのもあるけど」
「優しいんだな」
オレのセリフにエリカは首を振る。
「よしてよ。あたしもミキも、今日ここにいるのは自分の意思じゃない。親に無理強いされた結果よ。優しく見えたとしても、それは単に同類が相憐れんでるだけ」
「あー……事情は聞かないほうがいいか?」
「そうしてくれると助かる。ごめんね。辛気臭い話しちゃって」
「別にいいさ。たまに愚痴を溢しても罰は当たらない」
親に無理強いされた、か。どこの家も同じものなんだな。
「………ねえ、シンヤ君」
「何だ?」
「シンヤ君はさ、今回誘われて迷惑じゃなかった?」
「いきなりどうした?」
「ほら、今回誘ったのはあたしの八つ当たりみたいなものなんだし…その、ね」
「いや、別に迷惑だとは思ってない。実を言うとオレはこれまで友人をつくって一緒になにかをやるっていうごく当たり前のことを経験したことがない」
「えっ、それってどういう意味?」
「悪い。あまり深くは聞かないでくれ」
「あっ、うん」
「………まあとにかく、お前がどういうつもりでオレたちを誘ったにしてもオレは気にしてない。むしろ初めてのことを経験できて感謝してる」
だからありがとうとオレが礼を言うと、彼女は「あー!」とか、「うー!」とか顔を両手で覆いながら言った。
ややして小さな声で「……どういたしまして」と呟いた。それから頬を僅かに朱色に染めて、
「し、シンヤ君って、普段人が言わないことをストレートに言うのね」
「どういう意味だ……?」
「そういうのはエイミィとかに言いなさいってこと」
「?なんでそこでアイツの名前が出るんだ?」
「そこは自分で考えなきゃダメよ」
ますます分からん。
「けどまあ、なんだか少し気が楽になったかな。ありがと」
「はぁ……どういたしまして?」
「ほら、そろそろミキが戻ってくるだろうから会場に行きましょ」
そう言ってエリカは控室の扉へと向かおうとする。だが途中で『あっ』となにかを思いついたかのような声を上げたかと思うと、オレの右隣に並び、携帯端末を持った手を高く上げる。そしてレンズで捉えるとカシャリと音を鳴らし一枚撮影した。
「おい」
「えへへ、せっかくの思い出作りに一枚頂きました。皆に送ったりしないから安心して」
「いや、そういうことじゃなくてだな…………まぁいいか」
それで少しは気が晴れるのなら大目に見るか。