アクション俳優として国際的に活躍した千葉真一(ちば・しんいち)さんが19日午後5時26分、死去した。82歳。福岡県出身。新型コロナウイルスに感染し、入院していたという。
東映第6期ニューフェイスとして入社。TBS系ドラマ「キイハンター」(68年)に出演すると持ち前の運動神経でアクションスターの座を確立。90年代に米ロサンゼルスに拠点を移し、「サニー・チバ」の愛称で世界中にその名をとどろかせた。長男・新田真剣佑、次男・真栄田郷敦も芸能界で活躍し、芸能一家としても知られていた。
“ジャパニーズアクション”を広く浸透させた功労者が、波乱万丈の人生に幕を降ろした。
千葉さんは、中学時代に器械体操を始め、オリンピックを本格的に目指した。日体大に進学したが、土木作業のアルバイトで肉体をいじめ抜いた結果、腰椎を痛め、選手生命を絶たれた。59年に、東映ニューフェイスにトップ合格。入社式では答辞を読み、期待の星だったが、出身の千葉県と撮影所長の名前を組み合わせた「千葉真一」という“安直”な芸名で長い下積み生活を送る。家賃3000円の4畳半部屋に住み、月給はわずか6000円。大学を中退し、親との縁も切れていたという。
転機となったのは、68年のドラマ「キイハンター」だった。華麗なアクションでお茶の間を魅了し、アクション俳優としての地位を確立した。
70年に世界に通用するアクションスター・スタントマンの育成・輩出を目的とする「ジャパン・アクション・クラブ(JAC)」を設立。志穂美悦子、真田広之ら世界で活躍する後進の育成にも尽力した。
91年に映画「エイセス・大空の誓い」でハリウッドデビュー。94年には米国の永住許可証も取得。2003年にはクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」に出演し、ユマ・サーマンらに剣術指導をした。05年にはハワイ国際映画祭で、映画界への貢献に対する「マーベリック・アワード」を受賞するなど、海外にも活躍の場を広げた。
私生活では73年に女優の野際陽子さん(2017年死去)と結婚し、一人娘の真瀬樹里をもうけたが、千葉さんの海外進出で夫婦間に溝が生まれ、94年に離婚。96年に28歳年下の一般女性と再婚し、長男・新田真剣佑、次男・眞栄田郷敦を授かったものの、15年に離婚した。