渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

国道1号日比谷通り下り線 二重橋前

2019年09月24日 | open



国道1号日比谷通りを大手町から日比谷
公園まで抜ける皇居前の直線は、片側4
車線で、しかも信号と信号の間隔が広い
区間がある。
ここは、日中も一般車は巡行90km/h位
で走行している。
1989年のある日、私は職務で大手町の
法務局に行き、西新橋まで帰りを急いだ。
急ぎ指令だった。
背広通勤した日だったで足がないと言う
と、弁護士が「俺のを使え」と言う。
ホンダNSR250R ロスマンズカラーのSP 
MC18-89年式だ。逆シフトにしてあった。
F3レース用マシンと街乗り用にその弁護士
が2台新車で買ったマシンのうちの1台だっ
た。
普段はハーレー883も大切にしているかつ
て私と鈴鹿4耐を目指した相方だった。
1980年代前半には毎週箱根に2台で走り
に行った仲だった。

所定の用事を時間通りに終え、事務所まで
帰路を急いで日比谷通りを快速走行した。
途中の90km/hで走行している一般四輪は
全て動くパイロンのようにさらに高速で
縫って行った。
ミラーを確認すると、遥か後方彼方に赤灯
を回して追ってくる白いバイクが見えた。
速度を規制速度まで落とすと、私の後ろに
着けて停止を指示する。
丸の内警察署の少し手前で停止した。

白バイは血相変えて、
「何キロ出てたと思ってるんだ!これを
見ろ!」
と計測メーターを指す。
80km/hで針が止まっていた。
いや、これは計測できてはいない、と即
判断できた。
「なんだ!このバイクは?!」と言う。
上司の物で、これはフルノーマルであると
言うと「え?・・・」と白バイマンはなっ
た。
「弁護士がこんなの乗っていいのかよ!」
と言った。
「免許証!
年いくつだよ。え?来年30?」 
白バイ隊員が計測できていないことは判っ
ていた。追いつかなかったのだ。
「ったく、どこから追いかけたと思ってん
だよ。何度も『あ!ぶつかった!』と思っ
たぞ。まあ、上手いのかも知んないけど」
(ママ)
と言った。
私が逆ハン切ってクイックリーにパタンパ
タンと寝かせて車を縫っていたのを遠くか
ら追尾して見ていて、私が車に何度も衝突
しかけたと思ったのだろう。
「30にもなって、そんな運転するなよな
あ。頼むよ」
と白バイ隊員は言いながら私の腹に一発
軽くドスンとパンチをくれた。いて。
まだ29だよ。
それで、勘弁。放免。
粋な計らいだが、理由は三つあると思う。
1.追いつかなかった
2.計測できなかった
3.乗り屋同士の親近感
ゆえに、現逮できなかったのだと思う。

計測できていたら、免許サヨナラだった。
皇居前で瞬間的にはTON-UP近く出して
いたのだから。巡行で130程だ。
それに車線変更では方向指示器は出して
いない。
車の間をカンカンカンと瞬時に縫って行っ
たので。
だが、ミラーは常に都度見ている。
それまで白バイはティーンの頃から3度
振り切ったことがあるが、白バイ隊員の
ほうが一般ライダーより絶対に巧い、と
いうのは嘘である。
危険回避のために追跡を断念することも
あるし、先行二輪車が超高速走行ゆえに
白バイが全く追いつけないということも
あるにはある。
ミッションインポッシブルでの英国人諜報
部員の女とトム・クルーズのイーサン・
ハントのバイクチェイスで、全くイーサン
が追いつけなかったようなことは現実に
あるのだ。
また、その時はあの映画と全く同じよう
な速度になる。まあ、有り体に言えば、
市中をマン島化する走りとなる。
おすすめはしない。
転んだり衝突すると、まず死ぬからだ。











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