徹子の部屋 伊沢拓司[解][字]…の番組内容解析まとめ
出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 伊沢拓司[解][字]
~クイズ王の天才を生んだ教育術~伊沢拓司さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
子ども達からの人気は超絶大!クイズ番組をはじめテレビで見ない日はない、クイズ王・伊沢拓司さんがゲスト。
◇番組内容
両親共働きで一人っ子の伊沢さん。幼少期は一人でビデオを見ることが多かったが、母親は仕事が忙しい中、興味の持ったものにはずっと付き合ってくれたという。一方、父親は自他共に認める“遊び人”。そんな父とのコミュニケーションは超独特で…!?また、東京大学の大学院で味わった挫折や、クイズの世界で生計を立てようという思いに至った心中を明かす。ほか“クイズ王伊沢”に黒柳さんがオリジナルの問題で挑戦!勝負の行方は!?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- お父様
- ビデオ
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- 研究
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?
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(黒柳)今日のお客様は
テレビで見ない日がないという
人気者 伊沢拓司さんです。
『徹子の部屋』 初出演です。
どうぞ こちらにおいでください。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
東京大学に現役で合格。
現在 クイズで学びを楽しくを
モットーに
クイズの普及を
目指していらっしゃる方で
いらっしゃいます。
皆さんも しょっちゅう
ご覧になる方だと思いますけど。
よろしくお願い致します。
ありがとうございます。
小中学生の憧れの的。
小中学生に
「誰が好き?」って聞くと
みんな この方のお名前を
出すっていうぐらいの
クイズ番組には
欠かせない方なんですけれど。
ありがとうございます。
伊沢拓司さんです。
伊沢と申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
現在 27歳ですね。
はい。
開成中学にお入りになって
高校もお入りになったんですけど。
やっぱり
相当 お勉強なさいました?
そうですね。 小学生の頃は
かなり勉強をしまして。
元々 小学3年生ぐらいまでは
勉強が苦手だったんですけど
塾の模試で ゲームソフトが
もらえるという模試があって。
家が結構 厳しかったので
そういうのを もらえる家庭じゃ
なかったんですね。
さすがに 塾からもらったら
許してくれるだろうと思って
勉強 始めたら
好きになって。
全然 ソフトは
もらえなかったんですけど。
もらえなかったの?
はい。
ずっと 優秀者を目指して
やってるうちに
勉強自体にハマっていって
という感じで
勉強時間が
増えていった感じでしたね。
なるほど。 開成高校時代には
『高校生クイズ』で
史上初の個人2連覇を
達成なさったという事で。
まあ 『徹子の部屋』も
初出演でいらっしゃいまして。
はい そうなんです。
クイズが とってもお得意だ
っていう事で人気。
クイズ王と お呼びしても
いいような方でいらっしゃいます。
ありがとうございます。
で クイズは好き?
いや もう本当に大好きですね。
すごさがわかる
クイズ番組の ちょっと
VTRを皆さんに見て頂きます
あなたのすごさがわかるんで。
(清水)「番組スタートから
全くミスがないという
このニューインテリ軍団。
日本固有の天然記念物」
(山崎)「助けマスも残ってるしね」
(清水)「ヤマネ」
「正解」
「ハハハハ…」
(清水)
「さあ 最後の問題」
(山崎)「何?」
(清水)「国の天然記念物
動物として第1号」
「またペンが動いた 伊沢さん」
(山崎)「柔軟な対応」
(清水)「アマミノクロウサギ」
「正解。 余裕です」
「余裕のパーフェクト」
すごーい。
ありがとうございます。
それだけ おできになる あなたの
ご両親っていうのは
どういう方なんですか?
ずっと両親は共働きでして
僕は保育園に行ってたんですけど。
母も父も
本当に帰ってくるのが遅くて。
保育園には朝7時ぐらいに行って
夜8時に帰るような生活でしたね。
母は ずっと新聞社の
リサーチャーをしてたので
特に 新聞だから
遅いんですよね 帰りが。
だから なかなか
迎えに来るのも遅かったり…。
代わりに だから 父が ずっと
迎えに来てくれたりとかして。
お父様は?
父は薬用酒のメーカーの
広報を ずっとやってたので
コピーライターみたいな事を
していたんですけど。
母は もう 激務激務で。
で 父も結構 忙しくしていて
という中で
子供の頃は ずっとビデオを
見ていた記憶がありますね 家で。
あまり
両親の手がかからないように
長いビデオ…。 でも そのビデオで
それこそ 電車だったりとか
動物だったりとかの
映像を見ていたので
それで なんというか
好奇心が芽生えてというのが
ものを知るという事の
始まりだったような気がしますね。
なんか お母様は
お仕事がお忙しかったのに
色んな…
あなたの興味を持つ事に
付き合って
くださったんですって?
そうですね。
本当に 母は特に金曜日とか
帰りが遅かったんですけど
土曜日になると
僕は ずっとビデオを見てるので
新しいビデオを
借りに行きたいんですよね。
だから 仕事が…
3時 4時に帰ってきた母親を
朝一でたたき起こして
ビデオ店に
自転車で
連れて行ってもらうみたいな事を
ずっとしていたので 本当に
母は当時の事を振り返ると
ずっと その話をしますね。
フフ。
「疲れた。 大変だった」と。
なるほど。
父も それこそ 僕が
ずっと電車を見るために
駅に
何時間も座ってるみたいなのに
付き合ってくれたりとか。
いいお父様ですね。
そうですね。 そういう意味では
ほとんど 平仮名とかも
書けなかったですし
文字を読めとも
教わらなかったんですけど
そういう 興味を持ったものに…
長く見てるみたいなのは
ずっと両親ともに付き合って…。
すごいですよね。
それで 電車 ずっと
あなたが見たいだけ
見させてくださるってね。
大人って そういうの
飽きちゃうのね。
そういうの長く見てるとね。
今 この年になって
改めて 両親のすごさが
わかるようになりましたね。
でも お父様は自他共に認める
遊び人だったんですって?
そうなんです。 本当に 父は
僕と一緒にいる時も
どちらかというと
自分の遊びの延長というか
一緒に楽しんでくれてたので。
それこそ 虫捕りに行っても
父も いっぱい捕るし。
で 旅行好きだったので
特に 僕が中学校 行ってからは
ほぼ 土日は家にいないみたいな。
で 大学に入ったぐらいの時に
父に いきなり地図を見せられて
これが 自分が今まで巡った
銭湯600カ所の地図だみたいな。
へえー。
僕が知らない間に
銭湯 全国で600ぐらい
巡ってたんですよね。
すごいですね。
聞いた事もなかったので
自分としては。
いつの間に
そんな事をしてたんだと
思ったんですけど
本当に ずっと旅歩いて
自分の好きな事に真っすぐで。
旅で知った事とかは 全部
僕に教えてくれてたので…。
あれは?
これがですね
あれなんですよ。
父が僕に 時たま
クイズノートを送ってくれて。
父が調べてくれた
色々な知識だったりとか
これが番組に出るぞみたいなのを
書いて送ってくれるんですね。
すごいわね。
これは 「チェックを付けたものは
旅人の私が
読めなかった駅です」と。
「北と南がムズい」という事で
色々な難読駅名。
読み方が難しい駅名をまとめて。
しかも 父の実体験付きで
40ページ 50ページぐらい
送ってくれたみたいな。
本当に だから 奔放な…。
メール返しても 全然
返信とかくれないんですけど
必ず あっちからのメールは
来続けるみたいな。
お父様の興味のある事は来るのね。
そうなんですね。
でも 家族旅行も
お父様の趣味の延長。
そうですね。
父が行きたい所に行ってたので。
それこそ 結構 小学生の頃から
小学生には わからないような
ちょっとマニアックな
神社だったりとか
滝 見に行ったりとかしてたので
当時は 半分
わかってなかったですけど
今になると その体験は
すごく生きてるので…。
あっ そうですか。 ええ。
父は やっぱり 僕の事を ずっと
子供扱いしないで
いてくれたんだな…。
全然 赤ちゃん言葉なんか
使わないんだって?
そうですね。
全く容赦がなかったというか。
いつも 寝ようとすると
寝室にやって来て
「今日の訓示を垂れる」って
言うんですよ。
で 何か ひと言…
もう 半分 酔っ払ってるんで
何か 思いついた事を
言うんですけど
ほとんど冗談で。
「訓示を垂れる。 長崎くんち」
みたいな事を言って
帰っていくわけですね。
でも 小学生だから
意味もわからないし
訓示って まず なんだ
というところからスタートして
長崎くんちって なんだろう?
みたいな。
で それを後日 聞いたりして…。
それこそ 母親に聞いて
こういう事だよっていうのを
教えてもらう事で
少しずつ言葉を覚えていったので
本当に なんだろう?
容赦なく 小学生の頃から
育ててもらったのが
今の知識とかに
つながってるのかなと思いますね。
それで お父様は わかるか
わからないにもかかわらず
ダジャレとか そういうのが
入るんですって? とっても。
そうなんです。 ずっとずっと
ダジャレ言ってて
それこそ まあ 言葉も難しい…。
それこそ
訓示に掛けたダジャレとか。
あと よくやってたのが
ラジオの『JET STREAM』
城達也さんの。
ありましたね。
城達也さんのモノマネを
ずっとしてたりするんですよね。
「遠い地平線のかなたに」みたいな。
で 城さんのフレーズの中に
「水平線のしじま」みたいな…。
「静寂」と書いて
「静寂」という言葉が
あるんですけど ずっと 僕
その意味がわからなくて
父島だと思ってて。
フフ。 父島。
あっ 小笠原諸島の話なのかな
みたいな。
そしたら しじまって…
「静寂」って書いて
「しじま」って読むんだよ
みたいなのを
教えてもらったりとかいう
本当に 父の…
それこそ 当時の小学生なんて
城達也さんを
見た事がないわけですけど…。
そうですよね。
そこから
もう やっていくっていう
一切 手抜きのない冗談が
今の僕の知識を
作ってくれましたね。
なるほどね。 面白いですよね。
あと あなた すごくね
勉強やなんかも
楽しいっていう事になりますよね。
そうですね。
本当に 楽しくやらせてもらって。
僕が嫌な事というか…。
それこそ 「勉強しろ」とは
いっぱい言われましたけど
「変な勉強をするな」と。
「効率の悪い勉強をするな」と。
「いっぱい ただただ漢字を書いて
覚えるとかはせずに
効率よく やりなさいよ」とか。
それこそ 平仮名を
小学生の1年生の時に
書けなかったりしても
無理に書かせようとせずに
「最初は鏡文字でもいい」と。
「鏡文字が書ける期間は
貴重だから」みたいな事を
母は ずっと言ってて。
なので 小学校の同じクラスで
一番 平仮名書くの
遅かったんですけど
それでも 両親は焦らずに
向き合ってくれたので
本当に感謝ですね。
なるほどね。
でも お父様から言われた言葉で
忘れられない言葉がある?
そうなんです。
ずっと覚えてるのが 2002年…
だから 小学2年生の時に
一緒にサッカーを見てて。
で 日本代表のゴールキーパーが
ゴール決められちゃった時に
「いや これ 川口選手なら
絶対 止められたのに」みたいに
僕が言っちゃったんですよね。
そしたら 父が かなり怒って。
「いいか? 絶対なんて言葉を
使うんじゃない」と。
「この世に絶対はない」と。
「なんだって
もしもの事というのは
起こらない事だから
いいか? 人に対して
絶対という言葉を使わずに
よくよく考えて
慎重に言葉を使いなさい」
というふうに言われて。
小学2年生に言う事じゃないなと
今になったら思うんですけど。
でも 本当に それは
ずっと忘れてないですね。
父から怒られたのは 多分
それが最後だったんですけど
それが一番覚えてて。
今でも 勝負事…
クイズをやる時とか
どんなに簡単な問題でも
絶対はないですし…。
サッカーをやってらしたって…。
サッカー選手になろう
っていう気はなかったですか?
そうですね。
もう 大好きだったので
それこそ 最初に
色々な国の名前とかを覚えたのも
サッカーが
きっかけだったんですね。
ワールドカップが
やってた時期だったので
ずっと
サッカー少年だったんですけど…。
女の子みたいね。 可愛いね。
ハハハ。 ありがとうございます。
当時は 本当に
サッカー サッカー…。
もう 朝起きたら
学校行ってサッカー
夕方も 授業 終わったらサッカー
みたいな感じだったんですけど。
やっぱり 次第に 自分が
上手じゃない事がわかってきて。
知識が
当時から好きではあったので
あっ ユース年代に
こういうチームがあるのかとか
こういう すごい人がいるのか
みたいなのが
だんだんと構造として
わかっていく度に
自分が いかに うまくないかが
わかったので。
で 小学3年生ぐらいで
サッカー選手は無理だなと思って。
そこが やっぱり
勉強に向き合うというか
自分の心を埋めてくれるものが
勉強なんだなと思った
タイミングでしたね。
それで 東京の学校に
埼玉から通ってらしたの?
はい そうなんです。 ずっと。
すごいね。 毎日通うっていうのは
どんなもんですかね?
結構 やっぱり 当時 小学生で
通学が1時間ぐらいあったので
通学の疲労感とかは
すごかったですけど。
でも やっぱり 普通の小学生だと
見られないものを
いっぱい見られたので。
それこそ 通勤電車って
こんな感じなんだなとか
東京の地理って こんな感じに
なってるんだなみたいな。
それは貴重な体験でしたね。
電車の中では何かしてましたか?
電車の中では
ずっと本を読んでいて。
元々 平仮名は小学校に入るまで
あまり読めなかったんですけど
覚えたというか
周りの人が全員 読める中で
僕だけ読めない状態で
保育園から入ったので。
で 読めるようになったので
もう 達成感がすごくて。
俺は読めるんだ! って
感じだったので
それで 本に入っていって。
それこそ 織田信長の一生を描いた
漫画が家に置いてあって。
父が 投げ売りセールとかで
買ってきた
古い本だったんですけど。
それが 僕が手に取った
初めての漫画だったので
漫画の面白さと
織田信長の面白さが混ざって
僕の中に入ってきて。
それで
歴史が好きになったんですよね。
なので ずっと
小学1年生 2年生の時は
歴史の本を電車の中で読んで。
で 電車は揺れるので
どんどん目が悪くなっちゃって。
あっ そうね。
一気に 小学2年生ぐらいで
眼鏡になって。
本当。
だから そこからは ずっと
ガリ勉っぽい感じの
自分でいましたね。
本の虫って感じでしたね 当時は。
まあ 面白かったんですよね
本を読む事がね。
そうですね。
歴史の人物たちの逸話とかって
本当に 小学生から ずっと
ただただ
かっこいいっていうか…。
戦いがあります。
で かっこいい言葉 言います。
やっぱり 憧れるなという事で。
だから 当時は戦国武将とかに
憧れを持ってる少年でしたね。
で まあ クイズにも
熱中なさったんですけど。
開成は中高一貫ですよね?
はい。
そこのクイズ研究会に
お入りになったんですって?
はい そうなんです。
元々 それこそ
クイズ番組とかは
見てはいたんですけど
学校の話題として見る
みたいな感じだったので
クイズをやるなんて
思ってもいなくて。
中学校に入ったら
フットサルをやろうと。
サッカー やりたかったけど
サッカー部は
ちょっと厳しいか
みたいに思ってたんですけど
入ってみたら 全然
部員がいなくてみたいなので
一回 辞めちゃって。
で 行く部活がないから
っていう時に
当時 全然 人がいなくて
人がいないから
誰でもウェルカムだった
クイズ研究部に入ったんですね。
だから クイズに そんなに
興味はなかったんですけど。
でも 入ってみたら
人数が少ないから
先輩とかにも たまに
勝てちゃうんですよね 運で。
すごい先輩が
いるわけでもないから。
あっ すごいのが…。
そうなんです。
なので 人数も
毎回 5~6人ぐらいで
のんびりやれたしっていう中で
だんだんとクイズの魅力に
ハマっていって。
その時は クイズの問題を
作るんですか? 自分で。
そうですね。
作っていって 読んで
で みんなで答えてみたいなのを
やるんですけど。
本当に 人が少ないと
単純にチャンスが多いので
いっぱい答えられて。
で 先輩からも褒められるし。
「お前 すごいね
中学1年生なのに」みたいな。
それで舞い上がっちゃって。
で そこからはクイズクイズ
クイズの日々って感じでしたね。
だから 1日12時間ぐらいを
ずっとクイズの…。
えっ 本当? そんなにしたの?
そうですね。
だから 学校に行くんですけど
教科書を机に立てておいて
下で
別の本を読んでるわけですよね
勉強になるような。
数学の授業なんだけど
歴史の本を ずっと読んで
答え合わせしたりとか。
で 学校から帰ったら
パソコンの前に向かって
ずっとクイズを打ち込んで。
夜3時ぐらいまでかな? やって
で 起きて また学校行って
教科書 立ててみたいな
生活だったので
本当に 当時はクイズの事以外
何も考えてないぐらいの…。
それで
『高校生クイズ』っていうので
史上初の個人2連覇って…。
なかなか 2連覇
なれないんですって?
そうですね。 個人としては
当時 初でして。
すごい。
自分は
中学からやってたのもあって
中学3年生の時に
視察に行ったんですよね。
予選大会をやってる西武ドームに
入れないんですけど
外に立ってて
中から音声を…
漏れ聞こえるのを聴きながら
こんな感じなのかとか
1問目と2問目の間
ここ めっちゃ空くから
ここで体力を回復しなきゃ
みたいなのをメモしながら
聴いてたんですよ。
ええ。
なので 中3の時から勝つ気満々。
それで 高校1年生になったので
それは勝つなという感じでしたね
自分としては。
すごいですね。
はい。 もう大好きでした。
でも 勉学にも励んで
その後 現役で
東京大学にお入りになりました。
はい。
大学入学を機に なんか
変えた事とかありますか?
そうですね。 大学に入った時に
大学1年生になってから
クイズから離れたのもあって…
ちょっと モテたいなと思って。
それこそ クラスメートの女の子に
「眼鏡かけてない方が
似合うんじゃない?」って
言われて。
ちょっと プライドもあるから
「へえー そう」
みたいな感じなんですけど
その足で渋谷に行って
コンタクト買ってみたいな事で
ずっと あか抜けよう
あか抜けようとしてた
大学1年生でしたね。
恥ずかしい事 いっぱいです。
大学を それで出て
どうしようと思ったんですか?
そうですね。
当時は研究者になりたくて。
経済学の研究者に
なりたかったんですけど。
ちょうど TPPとかが
盛り上がってた時期だったので
貿易… 海外との農業貿易とかの
研究とかがいいかなと思って
農学部の経済学を勉強できる
大学院に進学したんですね。
ただ もう そこのレベルが
高かったというか
僕のレベルが低かったというか…。
あっ そう。
本当に アフリカから来てる
国費の留学生の方とかが
いっぱいいたので みんな
やっぱり 気合が違うんですよね。
国を救おうという気持ちで来てて。
僕は単純に
研究者という仕事に憧れて…
かっこいいなと思って
来ちゃってたので
意気込みが違うというか。
向こうはね。
はい。 それで もう
恥ずかしくなっちゃって 途中で。
なんて中途半端な覚悟で
来ちゃったんだろうみたいな。
それこそ 学部の歓迎会とかで
夜6時から飲み始めて
僕は2時間ぐらいで終わりかなと
思ってたんですけど
日が変わるまで ずっと みんな
研究の話 してるみたいな。
だから 熱いんですよね
スピリットが違うから。
それで ちょっと
ギャップを感じてしまって
大学院は… これは研究者として
やっていくのは厳しいなと。
単なる憧れで
ここに乗り込んできてしまって
なんて恥ずかしいんだと思って
半年ぐらい何をするのか…
モラトリアムというか
ずっと迷ってた期間が
ありましたね。
だって アフリカやなんかから
来てる人たちは
国を背負って来てるわけだからね。
そうなんですよ。
なので 結構 みんな
シャイなんですけど…
研究者っぽい感じの
シャイさなんですけど
いざ 自分の国の話になると
20分ぐらい ノンストップで
いかに何が足りなくて
どういう事しなきゃいけなくて
っていうのを話してくれたので
とっても勉強になったし
逆に そこで
ちゃんと壁を与えてくれたので
それが
自分の中で大きかったですね。
なんて
怠けた気持ちでいたんだという。
だから 本当に
それの体験が大きくて。
だから 何になりたいかというのを
職業欄から選ぶんじゃなくて
自分が本当に何ができるか
何かしたいかで
お仕事 考えなきゃいけないなって
その時に思って。
…ってなった時に 僕が一番
世の中に貢献できるのは
クイズなんじゃないか
というふうに思ったと…。
でも あなたがクイズを…
仕事するって事になった時
お父様やなんかは
何も おっしゃらなかったの?
そうですね。 ちょっと
嫌な顔はされましたけど
でも 最終的には
何も言われなかったですね。
心配は すごくされましたし
「大丈夫なの?」とは
毎回 聞かれましたけど。
それで食べていかれるかどうか
っていう事だってね…。
そうですね。
全然 前例もなかったので。
ただ やっぱり 仲間がいて。
僕の友達とかも一緒に
仕事を手伝ってくれてたので
そこは安心してくれた
という感じでしたね。
あとは
やっぱり 父も自由人なので
何か感じ取ったのかなと
思いながら…。
ちょっと コマーシャル…。
テレビ番組 お出になる時には
そのための研究っていうのは
もう 本当に 時間を惜しまない?
そうですね。
やっぱり こう 自分としては
いつも やっぱり
呼ばれていく感覚が
まだ抜けないというか。
結構 自分の立ち位置って
どこなんだろうって
毎回
わからなくなってしまうので
なるべく 僕ができる事といったら
予習だなという事で。
それこそ
クイズ番組とかは研究して
どういう問題が出るとか
どういうクイズ作家さんが
入ってるかとか
研究しながら行きますし…。
あっ なるほど。
私… 今日 お出になるとすると
私についても
調べたりはなさいました?
はい。
もう 元々 知っていた事も
ありましたけれど
色々と調べさせて頂きました。
勉強させて頂きました。
そうですか。
じゃあ ご存じだと思いますけど
ちょっと 問題 出してみますね。
ぜひ。
私が ある人気女性雑誌の
名前をつけたみたいな事が
あるんですけど
それは なんでしょう?
ありがとうございます。
答えさせて頂きます。
これは『an・an』です。
そう…。
ありがとうございます。
あれは なぜか
あそこに
パンダの絵が描いてあるでしょ?
そうですよね。 表紙のとこに。
あれ なぜ あそこに
パンダの絵が描いてあるか
っていうと
ロシアから 私がイギリスに…
チチっていう
イギリスにいるパンダを
見に行った時に
ロシアから
アンアンっていうのが来てて…
結婚しに来てたんですけど。
その話を日本にして…
帰ってきたら
ちょうど
『an・an』が本を出す時で
表紙を… 表紙っていうか
「本の題を何にしようかな?」って
言ってるから
アンアン… ちょうど
「ア」で始まって「ン」で終わるから
アンアンがいいって。
それで 『an・an』ってつけて
それで パンダのちっちゃいのが
上についてるんです。
そのお話が 結構 黒柳さんの
有名なお話であるにもかかわらず
色んなところで
省略して書かれちゃってるから
イギリスのお話とか
なくなっちゃったり
してるんですよね。
なので こうやって
生で聞けるというのは
クイズにとって 一番 大事な…
一番 有力なソースなので。
なぜ そうなのかっていうのがね
やっぱり 面白いですね。
そこが一番 面白いので
今 こうやって生で聞けて
本当に よかったです。
ありがとうございます。
最後に 今後の ご自分の
目標ありますか? なんか。
そうですね。
やっぱり 僕の中では
クイズというのが
大きなテーマなので
クイズを使って
教育にいい影響を与えていく。
クイズが人の楽しみ方…
好奇心というのを
いっぱい育んでくれるものだと
思うので
ただ クイズで遊ぶんじゃなくて
こんな面白い情報があるよとか
こうやって知ればいいんだとか
情報判断の時代の中で
しっかりと知識を伝えていく…。
いやいや もう すごいです。
僕より上だと思います。
いえいえ そんな事…。
でも お会いできてよかったです。
ありがとうございます。
これからも頑張ってください。
ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は