晩御飯。

ぶりの醤油漬け焼き。
肉じゃが。
スモークチキンとキュウリとトマトのマヨネーズ、レモン、粗びき胡椒和え。
12月に私の父の法事があり、その相談に乗っていました。
10時からの法事で、会食を
「寿司でも取ればいい。」
そう兄夫婦に言われたようで、母は気に入らない様子。
「お寿司だと桶で来るから、終わってすぐに帰りたい人がいたら困るよね。
仕出し料理ならプラ容器で持って帰れるからって言えば角が立たないんじゃない?」
そうアドバイスしました。
「どこに頼めばいいんかわからへん。」
「お寿司やさんでも仕出しはしてくれるよ。予算がオーバーなら他の店を調べておくけど。」
実母は後からごちゃごちゃ言うタイプ。
そして、人に決めさせ責任から逃げます。
あまり強く言うと、私のせいにされ、兄の機嫌を損ねる場合があるので、
さりげな~くが肝心。
そこまでは良かったんですが、
過去の法事の話になって、
「49日はうなぎ屋で会食した。」
「そーなんや、知らんかったわ。」
「知らんことないやろ、忘れたんか。」
「49日の法事、私、手術入院して退院の日やったで行ってないで。」
「そうやったか、そやそや、やからウナギ3本届けたんや。」
「貰ってないよ。」
「届けた。」
「いつ、誰が、どうやって?
退院の日はピザ取ったし、翌日はダンナにスーパーに乗せて行ってもらって、弁当やら総菜やら買った。勘違いしてるのはお母さんの方。」
「いや、あんたが思い違いをしとる。」
「私、自分で料理できへん時やったし、ご飯も炊いたことのない男連中に、うなぎ貰ろても困るだけやん。
そもそも法事に参加してないのに料理届けるようなことしやんやん。」
「わからん、わからん、もうええわー!」
母、キレた…。
81歳相手にムキになる私が大人気なかったのかもしれませんが…。
して貰ってないことを、してやった、と言われるのって癪に障るじゃないですか。
その頃は私にとっては人生の一大事でありまして、
今だ濃く記憶に残っております。
それでも、もしかしたら私が勘違いをしているのかな、と、
記憶を手繰り寄せました。
そうするとズルズルと余計なことまで思い出されてきます。
乳がんの告知は父が死んで2週間後。
気落ちしている母には言えずにいましたよ。
もともと甘える対象でもないし。
主治医が、手術中のセンチネルリンパ節生検で、切除範囲が変わること、抗がん剤の使用の有無も決まること、
「あとで聞いてなかったと言われたくないから、旦那さんに一度話を聞きに来て欲しい。」
そう言われて、マジにこう言われたのよ ダンナに仕事を早引けしてもらいました。
説明を聞いた後の待合室で、
「オレ、仕事休めやんから、アンタ一人で行けるよな。」
そう言われました。
出来なくはないと思いました。
それまでの検査も告知も一人でしたし。
その時、師長さんがいらしたので、聞いてみたのです。
思いっきり白い目で見られましたよ~。
何、言ってんの、この夫婦、って。
「手術の時は居てもらわないと…。これは決まりですし…。
入院や退院の手続きは、奥さん一人でも出来ないことじゃないですけどね…。
荷物ありますし、普通は誰か付き添いますけどね…。」
「別に夫じゃなくてもいいんですよね、近親者なら。息子なら来れます。」
「全身麻酔の手術やからね…。もしもの事もあるし、を飲み込むように、旦那さんじゃないと…。」
そこまで言われてしぶしぶ頷いたダンナ。
家に帰って、主治医の手術日とダンナのスケジュールを照らし合わせて手術日を決めていたのですが、
「この週は絶対アカン、この日もダメ。」
そればかり、この日ならどうにかなるって言わないのです。
手術すると決めた以上、なるべく早くに済ませたい、腫瘍なんだから、放置すればどんどん大きくなる、
そう思うのは当たり前だと思うのですが、
決断力のないダンナです。
責任を持ちたくないダンナです。
こんなうっとおしいことから逃げたい、
いつも、そうです。
先送りしてたら、自分が知らない間に解決してるんじゃないかな~、
故意か無意識かわかりませんが、いつもそうやって逃げて私の気苦労は絶えないのでした。
今回はそう言うわけにはいきません。
戸籍上、夫であるのなら責任を持ってもらわなければ。
そうじゃないですよ…。
全く心配しようとしなかったのです。
心配する気持ちを抱えることすら、うっとおしいから。
面倒くさいことは仕事だけで十分。
オレに負担を与えないでくれ。
テレビにかじりつくダンナの背中を見て私、キレました。
ダスキンモップを振り回しまして暴れました。
…、すみません。また浸ってしまいました。
減薬中なので、あっさりとダークサイドに入ってしまいます。
要は、こういったいきさつがあって、ようやく手術日が決まって、
父の49日に重なることを回避できなかった、
手伝いに行けないけれど、迷惑も心配もかけていないはずなのです。
うなぎ貰ったら忘れるはずないじゃないですか。
でも、父の49日の頃に私ががんを患っていたことなど母は忘れていたようです。
これ以上書くともっとドツボにはまりそう。
このへんで。
暗い内容最後まで読んで下さって有難うございました。


にほんブログ村にほんブログ村
ぶりの醤油漬け焼き。
肉じゃが。
スモークチキンとキュウリとトマトのマヨネーズ、レモン、粗びき胡椒和え。
12月に私の父の法事があり、その相談に乗っていました。
10時からの法事で、会食を
「寿司でも取ればいい。」
そう兄夫婦に言われたようで、母は気に入らない様子。
「お寿司だと桶で来るから、終わってすぐに帰りたい人がいたら困るよね。
仕出し料理ならプラ容器で持って帰れるからって言えば角が立たないんじゃない?」
そうアドバイスしました。
「どこに頼めばいいんかわからへん。」
「お寿司やさんでも仕出しはしてくれるよ。予算がオーバーなら他の店を調べておくけど。」
実母は後からごちゃごちゃ言うタイプ。
そして、人に決めさせ責任から逃げます。
あまり強く言うと、私のせいにされ、兄の機嫌を損ねる場合があるので、
さりげな~くが肝心。
そこまでは良かったんですが、
過去の法事の話になって、
「49日はうなぎ屋で会食した。」
「そーなんや、知らんかったわ。」
「知らんことないやろ、忘れたんか。」
「49日の法事、私、手術入院して退院の日やったで行ってないで。」
「そうやったか、そやそや、やからウナギ3本届けたんや。」
「貰ってないよ。」
「届けた。」
「いつ、誰が、どうやって?
退院の日はピザ取ったし、翌日はダンナにスーパーに乗せて行ってもらって、弁当やら総菜やら買った。勘違いしてるのはお母さんの方。」
「いや、あんたが思い違いをしとる。」
「私、自分で料理できへん時やったし、ご飯も炊いたことのない男連中に、うなぎ貰ろても困るだけやん。
そもそも法事に参加してないのに料理届けるようなことしやんやん。」
「わからん、わからん、もうええわー!」
母、キレた…。
81歳相手にムキになる私が大人気なかったのかもしれませんが…。
して貰ってないことを、してやった、と言われるのって癪に障るじゃないですか。
その頃は私にとっては人生の一大事でありまして、
今だ濃く記憶に残っております。
それでも、もしかしたら私が勘違いをしているのかな、と、
記憶を手繰り寄せました。
そうするとズルズルと余計なことまで思い出されてきます。
乳がんの告知は父が死んで2週間後。
気落ちしている母には言えずにいましたよ。
もともと甘える対象でもないし。
主治医が、手術中のセンチネルリンパ節生検で、切除範囲が変わること、抗がん剤の使用の有無も決まること、
「あとで聞いてなかったと言われたくないから、旦那さんに一度話を聞きに来て欲しい。」
そう言われて、マジにこう言われたのよ ダンナに仕事を早引けしてもらいました。
説明を聞いた後の待合室で、
「オレ、仕事休めやんから、アンタ一人で行けるよな。」
そう言われました。
出来なくはないと思いました。
それまでの検査も告知も一人でしたし。
その時、師長さんがいらしたので、聞いてみたのです。
思いっきり白い目で見られましたよ~。
何、言ってんの、この夫婦、って。
「手術の時は居てもらわないと…。これは決まりですし…。
入院や退院の手続きは、奥さん一人でも出来ないことじゃないですけどね…。
荷物ありますし、普通は誰か付き添いますけどね…。」
「別に夫じゃなくてもいいんですよね、近親者なら。息子なら来れます。」
「全身麻酔の手術やからね…。もしもの事もあるし、を飲み込むように、旦那さんじゃないと…。」
そこまで言われてしぶしぶ頷いたダンナ。
家に帰って、主治医の手術日とダンナのスケジュールを照らし合わせて手術日を決めていたのですが、
「この週は絶対アカン、この日もダメ。」
そればかり、この日ならどうにかなるって言わないのです。
手術すると決めた以上、なるべく早くに済ませたい、腫瘍なんだから、放置すればどんどん大きくなる、
そう思うのは当たり前だと思うのですが、
決断力のないダンナです。
責任を持ちたくないダンナです。
こんなうっとおしいことから逃げたい、
いつも、そうです。
先送りしてたら、自分が知らない間に解決してるんじゃないかな~、
故意か無意識かわかりませんが、いつもそうやって逃げて私の気苦労は絶えないのでした。
今回はそう言うわけにはいきません。
戸籍上、夫であるのなら責任を持ってもらわなければ。
そうじゃないですよ…。
全く心配しようとしなかったのです。
心配する気持ちを抱えることすら、うっとおしいから。
面倒くさいことは仕事だけで十分。
オレに負担を与えないでくれ。
テレビにかじりつくダンナの背中を見て私、キレました。
ダスキンモップを振り回しまして暴れました。
…、すみません。また浸ってしまいました。
減薬中なので、あっさりとダークサイドに入ってしまいます。
要は、こういったいきさつがあって、ようやく手術日が決まって、
父の49日に重なることを回避できなかった、
手伝いに行けないけれど、迷惑も心配もかけていないはずなのです。
うなぎ貰ったら忘れるはずないじゃないですか。
でも、父の49日の頃に私ががんを患っていたことなど母は忘れていたようです。
これ以上書くともっとドツボにはまりそう。
このへんで。
暗い内容最後まで読んで下さって有難うございました。
にほんブログ村にほんブログ村