前々回の記事で私が胃を悪くしているのに少し触れました。
原因は心療内科で胃薬が処方されなくなった事なので深刻には受け止めてません。
心療内科の胃薬には、抗うつ作用も含まれているので、
減薬方向としてやってみようと言う事になっただけです。
胃もたれがひどく、吐き気もあって散々な思いをしてますが、
料理を作るのも苦痛ですが、自分が食べるのではないから仕事と割り切ってやってます。
今、特に自分の料理を食べたいと思いません。
もともと空腹に強い性質です。
食べて気持ち悪くなるくらいなら食べなくても平気です。
昼食は一人なので好きな物が食べられるから、
冷凍食品をチンするだけです。一日一食です。
それでも痩せません。
前置きが長くなりました。
こう言った生活をしていると実父の事が思い出されてならないのです。
実父は75歳で亡くなりました。
死因は老衰です。
75歳で老衰?
ちょっと信じられないでしょう。
家族だってそうでした。
世間的にも聞こえが悪い。
なので、入院した当初の病名、肺炎で取り繕いました。
でも今なら解るんです。
父は、老人性うつ病でアルコールにおぼれ、拒食症になったんだと。
肺炎は体力低下で起こった事にすぎないんです。
入院している間も断固として食事を拒み続けました。
高濃度の栄養点滴で命を繋いでました。
病院からは胃ろうを勧められましたが、断りました。
要介護5が付きました。
看護師をしている実兄ヨメは素早く動きコネを使って特養の入所を決めてきました。
(点滴をしたままで特養に入れるのでしょうか?転院の間違いかもしれません。記憶が曖昧です)
実母の本心は解りません。
「私が面倒を見るからお父さんを家に連れて帰る 。」
そうは言わなかったのは確かです。
実母がそう決心したなら、私と実兄ヨメは交代で手伝いに行かなければならなかったでしょう。
実兄もいます。
4人が協力し合ってなら、胃ろうを選択して父の命を繋ぐことも出来たでしょう。
でも、誰もそれを言いださなかった。
それくらい、父はモラ男で家族にうとまれていたからです。
モラ男のしている事は弱い者いじめです。
家族を支配することで自分の存在証明をしているように思います。
ですが、子供は成長して自分の思う通りにならなくなります。
当然でしょう。子供にも家族が出来れば、実父であっても我がままに振り回されるのには限度があります。
そして可愛がっていた孫達も大きくなるにつけ爺ちゃんの本性を見抜き、近寄らなくなります。
母がいるだけではダメなんですね。
皆がおじいちゃんを慕って集まるのが父の理想です。
私の所にも、飲んだくれて夜中に電話が掛かって来ました。
「お前は何を考えとるんや!親が心配やないんか!親を喜ばそうとは思わんのか!」
いきなり怒鳴ります。
私は言い返します。
「ええ大人が自分の感情も閉まっておけやんのか!非常識な時間にこんな電話されて、
はい、そいですね。って言える訳はないやないか」
もの凄く憂鬱でしたが、それでも月に一回は必ず顔を出してたんですよ。
実兄も、何かある度にご飯に誘ってました。
でも、イニシアティブを息子が取る事じたい、気に入らない人でしたからね。
喜ばないのです。終始、不機嫌で、金を出させる為に誘ってくるだけや、
そう後から言う人です。
正月やお盆に、一同が集まって食事をするのが恒例行事でしたが、
父には皆が適当に話しを合わせて、愛想笑いをするだけでした。
それを一番痛感してたのが父本人だったのでしょうね。
その原因は自分にあると認めたくなかったのでしょう。
老人性の鬱も拒食症も、死んでから、そうだったのかも…。と思いましたが、
生きている時は、アルコール中毒で暴言を吐く、暴れるのを抑えるのが先になり、
全く、根本に思いが及ばなかったのです。
ただ、うつ病と診断されて治療しても無意味だったとも思います。
モラが大人しい爺ちゃんになれますか?
それに、例えモラが治ったとしても、苛め抜かれた私達の記憶は消えませんから。
今日は暗い内容ですみません。
いつかは吐き出さなければ前に進めないと思ってました。
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原因は心療内科で胃薬が処方されなくなった事なので深刻には受け止めてません。
心療内科の胃薬には、抗うつ作用も含まれているので、
減薬方向としてやってみようと言う事になっただけです。
胃もたれがひどく、吐き気もあって散々な思いをしてますが、
料理を作るのも苦痛ですが、自分が食べるのではないから仕事と割り切ってやってます。
今、特に自分の料理を食べたいと思いません。
もともと空腹に強い性質です。
食べて気持ち悪くなるくらいなら食べなくても平気です。
昼食は一人なので好きな物が食べられるから、
冷凍食品をチンするだけです。一日一食です。
それでも痩せません。
前置きが長くなりました。
こう言った生活をしていると実父の事が思い出されてならないのです。
実父は75歳で亡くなりました。
死因は老衰です。
75歳で老衰?
ちょっと信じられないでしょう。
家族だってそうでした。
世間的にも聞こえが悪い。
なので、入院した当初の病名、肺炎で取り繕いました。
でも今なら解るんです。
父は、老人性うつ病でアルコールにおぼれ、拒食症になったんだと。
肺炎は体力低下で起こった事にすぎないんです。
入院している間も断固として食事を拒み続けました。
高濃度の栄養点滴で命を繋いでました。
病院からは胃ろうを勧められましたが、断りました。
要介護5が付きました。
看護師をしている実兄ヨメは素早く動きコネを使って特養の入所を決めてきました。
(点滴をしたままで特養に入れるのでしょうか?転院の間違いかもしれません。記憶が曖昧です)
実母の本心は解りません。
「私が面倒を見るからお父さんを家に連れて帰る 。」
そうは言わなかったのは確かです。
実母がそう決心したなら、私と実兄ヨメは交代で手伝いに行かなければならなかったでしょう。
実兄もいます。
4人が協力し合ってなら、胃ろうを選択して父の命を繋ぐことも出来たでしょう。
でも、誰もそれを言いださなかった。
それくらい、父はモラ男で家族にうとまれていたからです。
モラ男のしている事は弱い者いじめです。
家族を支配することで自分の存在証明をしているように思います。
ですが、子供は成長して自分の思う通りにならなくなります。
当然でしょう。子供にも家族が出来れば、実父であっても我がままに振り回されるのには限度があります。
そして可愛がっていた孫達も大きくなるにつけ爺ちゃんの本性を見抜き、近寄らなくなります。
母がいるだけではダメなんですね。
皆がおじいちゃんを慕って集まるのが父の理想です。
私の所にも、飲んだくれて夜中に電話が掛かって来ました。
「お前は何を考えとるんや!親が心配やないんか!親を喜ばそうとは思わんのか!」
いきなり怒鳴ります。
私は言い返します。
「ええ大人が自分の感情も閉まっておけやんのか!非常識な時間にこんな電話されて、
はい、そいですね。って言える訳はないやないか」
もの凄く憂鬱でしたが、それでも月に一回は必ず顔を出してたんですよ。
実兄も、何かある度にご飯に誘ってました。
でも、イニシアティブを息子が取る事じたい、気に入らない人でしたからね。
喜ばないのです。終始、不機嫌で、金を出させる為に誘ってくるだけや、
そう後から言う人です。
正月やお盆に、一同が集まって食事をするのが恒例行事でしたが、
父には皆が適当に話しを合わせて、愛想笑いをするだけでした。
それを一番痛感してたのが父本人だったのでしょうね。
その原因は自分にあると認めたくなかったのでしょう。
老人性の鬱も拒食症も、死んでから、そうだったのかも…。と思いましたが、
生きている時は、アルコール中毒で暴言を吐く、暴れるのを抑えるのが先になり、
全く、根本に思いが及ばなかったのです。
ただ、うつ病と診断されて治療しても無意味だったとも思います。
モラが大人しい爺ちゃんになれますか?
それに、例えモラが治ったとしても、苛め抜かれた私達の記憶は消えませんから。
今日は暗い内容ですみません。
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