それはつい先日の事。
「相変わらず気持ち悪いな、その虫」
「気持ち悪いなんて酷いわよ。この子達は私達の狩りをしっかりサポートしてくれてるんだから」
イズチ五匹を倒すクエストをこなした翌日、俺が茶屋に向かうとそこには同じく茶屋で寛いでいたカエデが居た。
そんなカエデだが、何やらヨモギと話をしていたようである。話の内容は───
「カエデちゃんカエデちゃん! 私もカエデちゃんみたいに翔蟲を上手く扱えるようになりたいんだけど、どうしたら良いのかな?」
「うーん、そうだね。まずは翔蟲と仲良くなる事かな」
「仲良くなる事?」
「翔蟲も生き物だから、オトモと一緒。私達が翔蟲を信用したら、翔蟲達も私達を信用してくれて、きっと上手く扱えるようになれるわ!」
───なんて話だ。
「根性論じゃねーか」
「あ、ツバキも来たのね。おはよう」
「いらっしゃーい! 何にします?」
「いつもの」
俺がそう言うと、ヨモギはカエデに「ありがとう、カエデちゃん! 茶屋を閉めたら早速翔蟲とお話してみるね!」なんて言葉を漏らして団子を作り始める。
適当な事を純粋な子供に信じさせるんじゃないよと言いかけたが、そもそも俺は自分はハンターだと子供どころか里中の人間を騙してるので何も言えなかった。
「相変わらず気持ち悪いな、その虫」
「気持ち悪いなんて酷いわよ。この子達は私達の狩りをしっかりサポートしてくれてるんだから」
そして、話は巻き戻る。
「サポートねぇ、確かにあの糸は凄かったけどな。崖も登れたし」
俺はカエデが帰って来た日の狩場での事を思い出した。
俺を抱き抱えたカエデごと、高い崖の上まで登れる丈夫な糸。確かにその糸の強度は驚異的ですらある。
「……でも、糸出すだけだろそれ」
しかし、結局それはちょっと丈夫な糸を出すだけの生き物だ。翔蟲が猟虫みたいにモンスターを攻撃したり、その糸の切れ味が良かったり勢い良くモンスターにぶつけられたりする訳ではない。
あくまでも糸は糸である。
「そんな事ないわよ。いろんな使い方があるし、やっぱり可愛いのに」
「いや可愛くないし。キモいからね」
「翔蟲の糸を使えば色々な事が出来るのに……。でも、そうよね。ツバキは翔蟲なしで立派なハンターになったんだもの、本当に流石としか言いようがないわ」
ハンターになってないけどね。
でも俺はこの時、彼女の言葉の本当の意味を知らなかったのかもしれない。
☆ ☆ ☆
青白い光が交差した。
翔蟲の糸。
ハンター二人くらいの体重をかけても千切れない丈夫な糸である。
彼等翔蟲は飛び出すと自分の身体から糸を出してくれて、狩人はその糸を巧みに操り狩りを有利に進めるのだとか。
しかし巧みに操りというが、糸は糸である。引っ張る事しか出来ない。
さっきみたいに姿勢を崩した時の脱出に使えるのは魅力的だが、それまでだ。
結局の所モンスターに攻撃するのは自分自身である。俺はこの時、まだそう思っていた。
「カエデ、今度はオサイズチを逃がすヘマをしないと約束するよ。またイズチ二匹を引き離してくれないかい?」
「分かったわ。さっきは作戦も立てずに私が先走ったのも悪いし、ジニアを信じる」
二人は短く作戦会議を終わらせると、向き合ったモンスターに集中する。
大社跡に多く生息するイズチ、そしてそのボス───オサイズチ。
彼等は巧みな連携で一度カエデを窮地に追いやった危険な相手だ。
生半可な手ではさっきのように一瞬の隙で攻勢もひっくり返されてしまう。ジニアにはどんな手段があるのだろうか。
「こっちよ!」
再び操虫棍を使い、跳躍してジニアから離れるカエデ。しかし、今度は二匹のイズチだけでなくオサイズチもカエデを追うように首を持ち上げた。
初めからオサイズチの狙いはカエデだったらしい。もう一度分断させる手に、今度は乗る気がないようである。
そうなると二人が同じ手を使おうとしたのは間違いだったか。
「オサイズチ、それでも君には僕の相手をしてもらうよ」
ジニアを無視してカエデを襲おうとするオサイズチに、ジニアはポーチからクナイを取り出して構えた。
クナイはたたら製鉄が盛んなカムラの里のハンターが、里の外のハンターが使うナイフと同じ用途で使っている刃物である。
刃物としては小さめで独特なその形状は、防具に仕込んでおいたり投げたりするのには丁度良い代物だ。
「───さぁ、僕と決闘してもらおうか」
ジニアはそのクナイに、翔蟲が出した糸をくくりつけてオサイズチに投げ付ける。
クナイの刃は短くオサイズチに大ダメージを与える事なんて出来ないが、しっかりと刺さり───ジニアとオサイズチは翔蟲の糸で繋がった。
───相対するもの、 結わえて逃すまじ。
「……あれは?」
「鉄蟲糸技、デュエルヴァインだ。丈夫な糸でモンスターとハンターを繋ぎ止め、文字通り決闘の場を作り上げる!」
「鉄蟲糸技?」
「翔蟲の糸を使ったハンターの技のような物だよ。武器によって様々な技があるんだ」
「何それ格好良い! 必殺技じゃん!」
「愛弟子も翔蟲と仲良くする気になったかい?」
「いや全然。キモい」
「……そうか」
とはいえ俺も男の子である。必殺技と言われて憧れない人間ではない。
せめて目で見て翔蟲が居なくても真似出来ないかと、俺はジニアに視線を移した。
「行かせない!」
ジニアを無視してカエデを追おうとするオサイズチ。しかし、その首がジニアの反対を向こうとした所で───クナイに繋がった糸にオサイズチの身体が引っ張られる。
糸を引っ張るジニア。
それでもなお、彼を無視してカエデを追おうと無理矢理身体を持ち上げて走り出すオサイズチ。流石に翔蟲の糸だけではオサイズチを捕まえておく事は難しいらしい。
しかし、ジニアはオサイズチを引っ張り続けるのを諦め───糸を引きながら跳躍した。
「───行かせないと言った」
重量のあるランスを構えているとは思えない速さでオサイズチの正面に躍り出るジニア。
丈夫な糸でモンスターとハンターを繋ぎ止め、文字通り決闘の場を作り上げる。
なるほど、教官の言っていた通り。これが鉄蟲糸技、デュエルヴァインという訳だ。
一方でオサイズチは、邪魔をしてくるジニアに苛立ちを見せて首を振る。
そして身体を捻り尻尾の鎌を構えたオサイズチは、イズチ達に何か命令するように大きく鳴いた。
「今度は逆をしようって訳?」
カエデを追ってジニアやオサイズチから離れていたイズチ達は、オサイズチの鳴き声に急に止まって身体を捻る。
「そうは行かないわよ!」
踵を返してボスの元に戻るイズチ。これではさっきと状況が逆になっただけだ。
そんなイズチ目掛けて、今度はカエデが翔蟲を放つ。
翔蟲が出した糸を引っ張り跳躍した彼女は、イズチの頭上を通り過ぎ───着地と同時に刃を振るった。
「───まずは一匹」
飛び散る鮮血。
オサイズチの命令でカエデを無視していたイズチには、後ろから
突然頭上から現れたカエデの攻撃に反応出来ず、精鋭であるイズチもその生命を絶たれる事になった。
「流石カエデだね!」
一方でジニアも、オサイズチとの
オサイズチは一対一を余儀なくされ、鉄壁の守りのランスを持つジニアにダメージを与える事も出来ず、自身だけがカウンターでダメージを貰う状況が続いていた。
オサイズチの恐ろしい所は、精鋭二匹とのチームワークである。
二人はそれを崩し、見事に流れをこちら側に持ち込んでいた。
これなら、そのままジニアがオサイズチを倒すのも時間の問題だろう。
───しかし、モンスターは俺が思っているよりも遥かに強靭な生き物だった。
「うお!?」
ジニアの槍に何度も身体を刺されたオサイズチの身体は既にボロボロである。
それでも倒れなかったオサイズチは、一瞬の隙を見て身体を大きく捻った。
オサイズチの身体に刺さったクナイに繋いだ糸を引っ張っていたジニアは、その勢いで突き飛ばされて地面を転がる。
満身創痍。
精鋭を一匹失い、それでもオサイズチは鮮血を身体中から漏らしながら大社跡に響くような咆哮を上げた。
「どうやら、意地のようだね……!」
体勢を崩したジニアに向けて、身体を捻って回転しながら向かっていくオサイズチ。
あの三連続攻撃だろう。今のジニアに、それを防ぎ切れるかは半々だ。
防ぎ切ったとしても、それで攻防が逆転する程に人とモンスターは力の差が大きい。
これはオサイズチに取って最後のチャンスだろう。
「モミジ、お願い! ジニア!! ガード!!」
そんなオサイズチを見て、カエデは猟虫を眼前のイズチに飛ばしながら声を上げた。
同時に翔蟲を放ち、彼女は空を駆ける。
その姿はまるで、本当に空を翔けているに見えた。
「───っぅ!!」
オサイズチの鎌の一撃を何とか防ぐジニア。
同時にカエデはもう一匹の翔蟲の力を借りて、オサイズチの頭上───さらに高くその身体を宙に浮かせる。その高度はもはや竜が飛ぶ領域だ。
オサイズチの二撃目。
その攻撃が、ジニアの盾を弾き飛ばしたその瞬間───
「───降竜!!」
───その刃は、空から舞い降りる竜の如く。
空から降って来たカエデの刃が、追い詰めたジニアに最後の一撃を叩き込もうとしていたオサイズチの首元を切り飛ばした。
「やった?」
「まだだよ、カエデ」
喉から大量の鮮血を漏らすオサイズチ。
しかし、それでもオサイズチは倒れない。眼前の狩人を睨み、その足を一歩持ち上げる。
───そして、その竜は力尽きた。
最後の力を振り絞るように、掠れた声を漏らしながら倒れるオサイズチ。
最期の最期まで生きようとしていた命が終わる。
事切れた竜が地面に横たわって、二人の狩人は一匹残ったイズチに視線を向けた。
「……私達の勝ちよ」
「行きな、君を狩るのはクエストの内じゃない」
狩人はモンスターをこの世界から滅ぼすのが仕事ではないという。
この狩りを見て、その意味が少しだけ理解出来た気がした。
狩人もモンスターも、必死で生きているんだな……なんて思う。
精鋭だったイズチは、狩場の端でこの戦いを見守っていたイズチ達を纏めて大社跡の奥に向かって行った。
あのイズチ達の中から、再びオサイズチが現れるかもしれない。
その時はその時───またこうして狩人として誰かが命のやり取りをするのだろう。
俺はその時に何をしているのだろうか。
二人のように、あんなに強大な生き物に立ち向かう事が出来るのだろうか。
「……凄いな、二人は」
思っていたよりも、大型モンスターとの戦いは切迫したものだった。
それに聞く話によればオサイズチは大型モンスターの中でも比較的に小型だというじゃないか。
強さはともかく、オサイズチよりも巨大なモンスターとも戦わなくてはいけないのがハンターという事である。
俺は本当にハンターになれるのか。
「……慣れるさ、愛弟子なら。二人を超えるハンターに」
「なんでそんな事を言えるんですか?」
「感じるんだ。愛弟子の心に、猛き炎を」
「……猛き炎?」
そういえば、よく里長にも言われていたような。
アレはいつだったか、兄がまだ生きていて俺がハンターへの志を強く持っていた時───
「愛弟子、二人が剥ぎ取りを始めたようだね。今のうちに俺達は戻ろう」
「……ん、あ、あー、そうか。それもそうか」
そういや俺は本当の狩りを見る為に覗きをしていたんだった。
二人は見事にオサイズチを狩猟。
これで大社跡は、しばらくの間平和という訳である。
ウツシ教官が言っていたマガイマガドという奴も気になるが、オサイズチも相手にした事がない俺が気にしてもしょうがない相手だ。
俺は一人じゃイズチすら倒せない。
そんな俺が、カエデや里の皆に嘘を付いて自分は立派なハンターだと言っている。こんな恥ずかしい事があるだろうか。
「……本当に、俺があんなのに勝てる日が来るのか?」
帰路に着こうと歩き出す俺は、無意識に振り向いて二人の狩人に視線を向ける。
立派な二人の狩人は、自らが倒したモンスターの前で何やら話しているようだった。
俺にはそんな二人がとても遠くに見える。
「───ツバキはイャンクックを一人で倒せるのよね」
「……え、あ、あー。そうだね。ツー君は凄いから」
「私も頑張らなきゃ。……ツバキに置いてかれないように。ツバキが、無理して一人で行ってしまわないように」
「……カエデ」
「私、頑張る」
この手は届きそうにない。