ドナルドダックじゃない方

Mommy/マミーのドナルドダックじゃない方のレビュー・感想・評価

Mommy/マミー(2014年製作の映画)
5.0
外の世界に背を向けて、『マミー』の主人公は三位一体の楽園に安住しようとする。母はしかし主人公に手を焼いていてときに激しく衝突する。楽園は楽園ではないし、母と子は一体ではない。
主人公はそれに気付かないが、母は知っていた。知っていたが、主人公を愛するあまり知らないフリを続けていた。
母と子の一体化、というと究極的には母と胎児の関係になる。母にとっては文字通り自分の一部としての子、子にとっては自分を守ってくれて欲しいものは無条件で与えてくれる母、って関係。
母親がどの程度その関係に幸せを感じるかは知らないが、子にとっては理想的な環境には違いない。だって、辛いことなんてなにもないんだから。
『マミー』が思わせるのはこーゆー世界だ。何不自由ない母胎の中で戯れる母と子と、母の女友達。彼(彼女)らはお互いを映し合う鏡で、誰かが傷つけばみんなが傷つく。誰かが幸せになればみんな幸せになる。
三人で一人、一人で三人の世界。一体化する母と子。父親や男はいない。現実は無い。邪魔者はいない。存在しない。
基本的に母と子と女友達しか出てこない映画で、たまに他の人間が出てきても三人の関係を邪魔する悪いヤツか、単なる怖い人としてしか描かれない。その悪いヤツのほとんどが野卑な男ってのは、ゲイであるドランの、なにかイヤな思い出が反映されてるのかもしれない。

主人公にとっての現実はそんな世界だ。誰も自分を理解しないで、自分を受け入れない世界。自分の弱さを認めてくれない世界。そんな世界では生きられない。そうして、主人公は母と子と女友達の狭い世界に閉じこもる。ママとキスして、姉妹みたいに戯れて。
『マミー』にはグっとくる場面がとてもたくさんある映画だったりするが、イヤな世界から解放された主人公がグーっと両手を広げると、なんと画面の左右が広がって、縦長のインスタグラムサイズがスクリーンサイズになる。画面の縦横比を演出に使うなんて、素晴らしく楽しい演出。そこに加えてOasisのWonderwallが流れてくるのだから堪らない。
ってなワケで画面も世界も急に広がる。このあたりの開放感は中々他の映画で味わえるもんじゃないと思うが、しかしすぐさま画面はまたインスタグラムサイズに戻ってしまう。
結局のところ、解放は見かけだけの解放だった。現実と戦わない限り、本当の解放はない。でも戦えない。戦う強さを彼は持ってない。
現実に刃を向ける代わりに、主人公は自分の手首を切るのだった。
どうにもインスタグラムの世界が息苦しいのはそのせいだった。1カット1カットが絵になると書いたが、そこで主人公ら三人はどこまでも美しく、ナルシスティックに切り取られる。
その中では三人が鏡合わせ状態なんでまさに自分に惚れたナルシスだったりするが、現実から、他者から隔離された世界でしかナルシシズムなんて成立しない。
どうしても現実を切り離す必要があった。自分と、自分と同一視される二人の仲間の世界で幸せを享受するために、画面の両端に映り込む他者を切り捨てるしかなかった。自分たち以外を見ないようにする必要があった。
だから、インスタグラムサイズの世界は監獄なのだ。自分から入った監獄だ。そりゃ息苦しいわな。

問題は現実の側にあるんじゃなくて、自分の側にあった。主人公はそれに最後まで気付かない。自分がどれだけ母親に苦痛を与えていたか、自分がいかに母親と違う人間であるか、少しも気付きはしない。母親の中にいる他者を直視できない。
だから、現実と、現実の側にいる他者と接することが出来ない。それが主人公を苦境に追い込んだのに。
てなわけで極めて大胆で挑発的なストーリーだった。こんな映画をドランは25歳にして撮ったわけなんだが、ある程度歳を食って現実の厳しさに触れた人ならこんな映画は絶対に出来ないと思う。その意味じゃスゴイ。スゴイが…しかし考えれば考えるほど、やっぱイヤな映画ではある。主人公が辿る道はラストの幸福感に反して暗いモノしか想像できないから。
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